溶解する地図
小倉蛇
呪卍
鮟鱇駅南口の駅前にある〈ショッピングセンターあんこう〉が解体されるという。
それにともなって、周辺の商店街〈提灯通り〉の店も軒並、立ち退きを迫られているらしい。地域一帯が再開発されるためだ。
遊佐貴人(ゆさたかと)には、閉店になる前にのぞいておきたい店があった。そこで、通っている専門学校が休みの今日、自転車で提灯通りを訪れた。
そこは小さく古い飲食店が多い小路で、中にはいかがわしい性サービスの店もあった。もともと日中はシャッターを下ろしている店が多く、立ち退きが始まって今やゴーストタウンと化しつつあった。
貴人の目当ての店はまだ営業していた。〈角〉という名の質屋である。
ここは一見ふつうの質屋で、ショーウィンドウには高級腕時計やブランド物のバッグが並べられている。だが、店内には意外とゲームソフトが数多くあった。多分、死んだマニアのコレクションがまとめて持ち込まれたとか、そんなことがあったのだろう。以前、店頭の安売りワゴンの中に、中古市場ではプレミア付きのレアなソフトを、通りすがりに見つけて購入した際に、目をつけておいたのだ。
あそこには、まだ掘り出し物があるはず、そう思ってはいたのだが、なかなか来る機会がなかった。そこへ再開発の噂を聞いて、最後のチャンスとばかりに駆けつけてきたのだった。
とくに貴人が欲しいソフトは、『レムリアのレンズ』というRPGだった。これは現在、大人気のオンラインゲーム『31タワーズ』のデザイナー御木九六夢(みきくろむ)が、友人とともに最初に開発したゲームだった。
『レムリアのレンズ』は当初は全く知られていなかったが、『31タワーズ』の大ヒットとともに注目され、中古品は高騰、あっという間に市場から消えた。それというのもこのソフト、対応するハードが《テールブレイン》という超マイナーな携帯ゲーム機で、そもそもの生産数が少なかったのだ。
貴人は運よくこの《テールブレイン》を所有していた。当時中学生だった彼に、親がクリスマスプレゼントにと買ってきてくれたのだった。だが、一緒にもらったソフト『スペースストライク』というシューティングゲームは、たいして面白いものでもなく数回プレイして、後は押し入れの片隅でホコリをかぶっていた。《テールブレイン》はその後六、七本のソフトを発売したのみで、メーカーが倒産していた。
そんなわけで今、『レムリアのレンズ』をプレイするためのハードとソフト両方揃えるのは至難の業だった。だが貴人はすでにハードルを一つ越えている、そう思うと、よけいこのソフトが欲しくなるのだった。
店内に入ると、すでに閉店準備のためか、空の棚が目立っていた。だが、ゲームソフトのコーナーはまだ商品が詰まっていた。
さっそく貴人はソフトを一つ一つ眺めていった。しかし、『レムリアのレンズ』はなかった。そもそも《テールブレイン》用のソフトが一本もなかった。
それでもせっかく来たのだから何か買おうかなと、貴人は思った。掘り出し物と言えるものは結構あった。入手難とされるソフトが意外なほど安い値をつけられていた。とはいえ、転売目的で興味のないゲームを買う気もなかった。
となりにボードゲームのコーナーもあった。彼はこういう〈非電源〉と言われるようなゲームには今まであまり興味はなかったが、見れば、外国製の凝ったデザインのものもある。それらに気を引かれて調べるうちに、素っ気ない黒い箱を手に取っていた。小さな紙のラベルがついていて『呪卍』とタイトルらしきものが書かれていた。
ん、これは何と読むのだろう。じゅ……まんじ……、ジュマンジか、映画のパロディかな、そんなことを思っているうちに、この『呪卍』というタイトルが、何か記憶に引っかかるものを感じた。彼は黒い箱を棚へ戻すと、さりげなく外へ出た。
その場で、スマホで検索してみる。そして複数のサイトをつぎつぎに開いて情報を確認すると、あわてて店内に戻った。この短い間に消えてなくなっているんじゃないかと心配になったが、当然、黒い箱はそのままあった。値札を見ると四千八百円。自分の得た情報が正しいなら、とんでもない安さだ。
レジへ持っていくと、店主らしきおじさんが「今日で閉店だからね、おまけで三千円でいいや」と、さらに安くしてくれた。
「ここ、移転するんですか?」代金を渡しながら貴人は聞いた。
おじさんは黙って首を振り「もう引退するよ」と言った。
自転車のカゴに黒い箱を積んで、貴人は急いで帰宅した。
共働きの両親は夜まで帰ってこない。コンビニで買った菓子パンをかじりながら、彼は自分の部屋で一人『呪卍』の箱を開けた。
ボードのデザインを眺めると、間違いなく本物だという実感がわいた。
『呪卍』――それは、ゲームデザイナーの御木九六夢が、ある同人ゲームの即売イベントで限定販売した、自作のボードゲームだった。まだ『31タワーズ』で有名になる前のことである。御木九六夢は、謎めいた言動で、今では単なるデザイナーという立場を越えたカリスマ的な人気を博している。そんな人物の手製のゲームとなれば、価値は計り知れない。
箱の中には、卍型のコースが描かれたボードの他に、人間の頭部を思わせる形の駒が四つ、トランプのようなカードが一組、ルーレット、それに説明書が入っていた。
説明書は、一枚の紙を二つ折りにしたものでルールは簡単そうだ。ルーレットを回して、駒を進め、カードに書かれている指示に従う、基本はそれだけだ。説明書の最後にはこんなことが書かれていた。
〈この『呪卍』をはじめたものは必ずゴールにたどり着くまでプレイをつづけること。途中でやめると恐ろしい呪いが降りかかります。〉
こんな冗談も楽しく感じられた。
ゴールというのは卍の中央のマスで、ここにちょうど止まらなければならない。ルーレットの数字やカードの指示がゴールまでのマス目より多かった場合は、ゴールを通過して先のマスへと進む。そこでまたカードの指示に従ってからゴールを目指す、このくりかえしだ。
スタートは、ボードの四隅のマスで、それぞれArkham、Innsmouth、Dunwich、R'lyehとなっていて、ゴールはUnknown Kadathである。
そう、これはクトゥルー神話の世界観で作られたゲームだったのだ。
貴人もちょうど最近、クトゥルー神話の原点である「クトゥルーの呼び声」などラヴクラフトの小説を読み始めたところだったので、よけいにテンションが上がってきた。
ボードのイラストもアメリカの古い町並み、海上の神殿、砂漠の遺跡、宇宙空間とそれらしく仕上がっている。
プレイ人数は1~4人とある。一人でもできるのはありがたいと、さっそく始めることにした。
一人でプレイする場合はアーカムからスタートせよと説明書に書かれていたので、その通りにした。
ルーレットを回す。キリキリキリ……と音がした。数字は1から12まである。出たのは8だ。
駒を八マス進めてから、カードを一枚めくる。カードは表が石版のイラストになっていて、裏に文章が書きこまれていた。
〈『ネクロノミコン』を読んだ。5マス進む。〉
指示通りに駒を進めた。キリキリキリ……と、ルーレットを回すと数値は2。
二マス進んでカードをめくる。
〈つぎの呪文を唱えよ。いあ! しゅぶ=にぐらす! 千匹ノ仔ヲ孕ミシ森ノ黒山羊ヨ〉
呪文の指示があった時は、きちんと声に出して唱えなければならない、と説明書にあった。だが、貴人はさすがに、部屋で一人で呪文を声に出して唱えるのは恥ずかしかった。しかし、ゲームのノリに付き合いたいという気持ちもあったので、結局、小声でボソボソとつぶやいた。
ルーレットを回す。キリキリキリ……12が出た。駒を進め、カードをめくる。
〈《銀の鍵》を見つけた。6マス進む。〉
駒を六マス進めると、ゴールが近づいてきた。つぎ4が出ればゴールだ。
キリキリキリ……5だった。
ゴールを通過して一マス目で止まる。カードをめくらねばならない。
〈クトゥルーの夢を見た。ルルイエへ移動する。〉
スタート地点アーカムとは対角線上にある隅のマスR'lyehに駒を置いた。またここからカダスを目指さなければならない。
キリキリキリ……9。
〈『屍食教典儀』を読んだ。3マス進む。〉
キリキリキリ……4。
〈ピックマンの絵を見た。2マス戻る。〉
キリキリキリ……10。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
キリキリキリ……4。
〈バスが故障した。1マス戻る。〉
キリキリキリ……2。
〈《黄の印》を見つけた。5マス進む。〉
キリキリキリ……6。
〈《深きものども》に捕まった。インスマスへ移動する。〉
キリキリキリ……
キリキリキリ……
……
ふと気づくと、窓が赤紫色に輝いていた。
どうやらもう夕暮れ時らしい。
すっかりゲームに夢中になってしまった。何時から始めたかは憶えてないが、少なくとも二時間以上は集中してゲームをやっていたようだ。テーブルの上には食べかけの菓子パンが放置されていた。
コーヒーでも飲んでいったん落ち着こう、とキッチンへ行った。
しかしおかしいな、と貴人は思った。あんな単純なゲームに二時間も熱中してしまうとは。いや、そもそもなぜゴールできないのか。単なる数値の組み合わせでちょうどゴールに止まれば、それで終われるはずなのに。よほど運が悪いのか、しかし、いくらなんでも……。
結局コーヒーは淹れず、またゲームを始める。
キリキリキリ……11。
〈ミ=ゴを目撃した。3マス戻る。〉
キリキリキリ……1。
〈『ナコト写本』を読んだ。4マス進む。〉
キリキリキリ……
キリキリキリ……
……
そして貴人は、ダンウィッチでヨグ=ソトースの落とし子を見た。
ハスターの眠るハリ湖へ行った。
イハ=ントレイでショゴスとともに泳いだ。
ティンダロスの猟犬から逃げまどい、エジプトの砂漠で顔のないスフィンクスを求めさまよった。
シュトレゴイカバールで黒い石に触れた。
《星の智慧派》の教会で《輝くトラペゾヘドロン》を見出し、這い寄る混沌ナイアルラトホテプと出会った。
いつしか貴人の唇からは、叫ぶように呪文があふれ出した。
ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん!
そこはもう、彼の部屋ではなかった……
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