第二章
この群盗の首領は、ある二人の女を側女として置いていた。彼は二人の女を、二人の心はともかくとして、表面的にはいずれにも肩入れし過ぎることなく平等に寵しているように見えた。
時しも、楼門の欄干に、白皙の肌に月影を湛えて淡い青を宿した小さな手が添えられた。続いて二人の女が静かに姿を現した。この様子を誰か見ていた者があるとすれば、その人は早ければ帰りしなにさえ、廃寺の楼門に仲秋の三五夜、天降れる二人の女人のおとぎ話を手近な知る辺にでも説いて聞かせたことであろう。
先に現れて欄干に手を添えた女が主と見え、女房装束からは簡略化されてはいるものの、桔梗の文様がちりばめられた小袿に表衣、そして単衣と、廃寺の蕭蕭たる風情の中で余りにも不自然に綾なした格好をしている。その女の装束の、似て非なる女郎花襲は、天地双方から月影と虫の音を一身に集め、ややもすると胴欲なようにも映る。
「まぁ、みごとにつぶらな月ですこと。桐葉や、今宵は十五夜ですか。それとも十六夜でしょうか。あなたなら知っておりましょう」
主と見える女は、欄干のそばまで来た侍女に対して尋ねた。
「さて、たいへん残念ですが、わたくしめにはいささか分かりかねます。暦がございましたならば、日月ばかりでなく、それに付随する季節のたのしみもご堪能なさって頂けますものを」
尋ねられた侍女は壺装束のままであったが、こう言いながら今ようやく被衣を脱いで、単衣に小袿だけの簡素ながら美しい姿を月の下に露わとした。かんばせはと言うと、主も侍女もともに人並みから傑出して美であって、もののふの世に遅れて花盛りの秋を迎えた平安の女性美とでも呼べるものだった。
「日月を知るすべがなくとも、ご覧ください、あの籬の菊は、たしかに今を盛りと咲いております。御目に映る風物から秋されをぜひ」
こういって楼下の宵闇を指差した桐葉の肘の動きに合わせて、小袿の袖口に遊ぶ因幡の白兎が月に向かって跳ねた。
二重門ではなかったために、楼下の情景は眺める者の意それだけに任せて何物にも遮蔽されることなく見る者の眼下に収まった。そして上臈は、籬か、菊か、兎か、桐葉の食指か、いずれにせよそれらが並ぶ同じ方向を露の間に瞥見しただけですぐさま氷輪へと眼差しを戻した。それからしばらくして上臈は再び視線を移し、
「あの御方がわたくし達にここで待つように言い置いて南都へと下っていらっしゃってから、今日でどれくらいの日にちが経ったものでしょうか」と、牆から路へと突出して生い茂る松をうち眺めつつ言った。
「ご心配でございますか。たしか、将監様が出立されたのは月のない夜だったかと。よって、おそらく今宵で半月余り経ちましょう。今にきっと、晶晶たる財を携えてお帰りになるのだろうと思います」
桐葉は南都における将監の行いを具体的に言及することなく、上臈を慰める台詞を巧みに、日常の生活のうちにて会得した弁舌をもって献上した。桐葉はさらに続けて、
「あれから毎晩、ここに参りますと何はさておき、文殊菩薩様に願を懸けていらっしゃいますのも、菩薩様は決して無下にはなさらないでしょうから」と上目づかいで述べた。
上臈は何も言わずに、眼下右方にどこまでも続く、夜目にも風に巻き上げられた埃が見えるような乾涸びた街道の先を見つめた。
それからややあって、上臈は再び夜空を仰ぎ、薄綿のような雲の端くれに月が隠顕する様を飽かず眺めていた。そしておもむろに、
「八月十五日ばかりの月にいでゐて、かぐや姫、いといたく泣きたまふ。人目も、今はつつみたまはず泣きたまふ」と、諳んじていた『竹取物語』の一節を口ずさんだ。
「おや、『竹取の翁の物語』でございますか。あなた様はお屋敷にいらっしゃった時も、たいそうあのお話をご愛好になって」
桐葉はうち笑みながら速やかに相槌を打ったつもりであったが、直後には上臈がいまだに懐かしんでやまない過去の邸での話題を交ぜてしまったことに後悔の念を懐いた。何とかして韜晦しようと、桐葉は上臈の返事を待たずしてすぐに二の句を継いだ。
「そのお話は『光源氏の物語』の中で、かの紫式部にも、【物語の出で来はじめの祖】と謳われておりましたかと。たしか、『大和物語』においても、お話はどこかで藉りられて」
こう饒舌に述べ上げてから、桐葉は上臈の様子を恐る恐るうかがった。すると上臈は、月に向かって古の歌を詠んで聞かせるかのように、
「竹取が
よよに泣きつつ
とどめけむ
君は君にと
今宵しもゆく
『大和物語』は、たしか、七十幾つかの段にありましたかと思います」と、途絶えそうな細い声を発した。
これを聞いた桐葉が一息ついた刹那、今度は上臈が続けざまに、
「前のお屋敷におりました時分に父上が八方へ手を回し、苦心して手に入れて下さいました、この二つのお話。きっと、今は焼けてしまっておりましょうが、かつて頭に入れし句の一つ一つは、どうして忘れることができましょう」と歎息とともに言って俯いた。
桐葉はあわて、垂髪に鬱陶しく群がる揺蚊をもまったく意に介すことなく、
「それならば、いつかまた、お求めになられることもございましょう。何せ、お父上様はしっかりとご健在でいらっしゃいまするゆえ」と、取りつくろうような笑みとともに言った。それでもまだ足りないと感じたのであろうか、桐葉は次いで、
「それに、将監様にお頼みになるのもいかがでございましょうか。あなた様のお望みとあらば、必ずやお聞き入れ下さいましょうから」と、勢い余ってけしかけるかのような口調になりながら言った。
ところが、上臈は目線を夜空へと戻して静かに、
「それは、あなたが願い申し上げた場合でありましょう。あの御方は、わたくしよりもあなたの方を、普段から深く考えていらっしゃるのですよ・・・・」と、夜空から目を離すことなくつぶやいた。そして続けて、
「これは構えて嫉みなどというものではありません。このことをお分かり頂きたく思います。ええ、構えて。あなたから嫌なお疑いを掛けられたくはありませんので、こう申しているのです」と、付け加えた。
この時、上臈は袖の桔梗の花弁で眦の辺りを優しく拭ったが、これが目の露を涸らすためだったのか、もしくは眼前の揺蚊を払いのけるためだったのかは、背後に祗候する桐葉にはうかがい知ることはできなかった。
古に七堂伽藍の一つとして寺に建てられたという僧坊の、古い焼け跡近くに掘られた涸らずの井から響いてくる釣瓶と水のかち合う音が、二人の女人に沈沈として静まり返る夜半を教えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます