第4話 肉、にく、やさい、肉、ジュース~??

 



 開けた窓からは、まだひんやりとした朝の空気が、なだれ込んでくる。風は冷たいが春を喜ぶ鶯(うぐいす)の声の騒がしさが耳に心地よく感じられる。

 三日ほどの検査入院と治療を経て今は、古物店に近いホテルに借りた三階の窓から隼人は、丁寧(ていねい)に手入れの行き届いた庭園を眺めていた。


「コーヒーだけで良かったの? マーマレイドもおいしいわ」


 母親の秋絵が、届けられたサービスワゴンからポットと香り立つカップを手に歩いてくると窓の縁にコトリとコーヒーを置いた。


 母親は、店に一週間の臨時休業の札を下げると、警察や消防へと流された家の事などで彼方此方への対応と目まぐるしく立ち回っていた。

 いなくなった小春の事は、叫び出したく成るほどの心労のはずだ。

 山積みの問題ごとで謀殺の日々を送っている。打ち震えるほどの悲しみ塞ぎ込んでしまいそうになる感情の妨げになってくれているみたいだった。


(……母さん)

 隼人はそんな秋絵の気持ちを思うとたまらずに包帯を巻かれていない左手で、コーヒーを放した細く白い手をギュッと掴んだ。

 見上げた母の顔は、目を見開きそして細め無理矢理な笑顔を作って見せている。

 何も言わず、その笑顔のままに隼人の握った手にガラスのポットの底がそっと押し付けられる。


「熱ッツ!」心配して握った手だったのに 慌てて手を引っ込めると頬に押し付け、息を吹き付ける。


「なななっ! 何だよ」


「お昼過ぎ、1時頃にまた警察の方がいらっしゃるわよ。出かけないで、部屋にいてね。それから連絡があったわ。明彦さんも明日の夕方には、こちらに着くそうよ。だから7時ぐらいね、少し遅くなるけれど一緒に食事に行きましょう」


 心配そうな顔を見せてしまった事をごまかしたかったのか。子供が親の心配などするなと言わんばかりに、わざと悪戯っぽく振舞っているのか。

 子供の前で不安げな顔を見せたくなくて気丈に振舞っているのか、本当に気持ちを切り替えてしまったのだろうか。

 今の隼人には、それは解らなかったが、母親の一風変わったやさしさの表現と理解した。


 叔父に当たる明彦が、連絡を取ると心配して急遽(きゅうきょ)こちらに飛んで来る事となったらしい。 川端家の一大惨事に当主の居所は全く掴めていなかった。仕事の関係上連絡の着かない事は何時もの事なのだろう。


 小春が生まれた時さえ居なかった。小学校への入学の時も母親と二人寂しく桜の下で記念の写真を撮っている。

 こんな時にこそ、すっ飛んで帰ってきて母さんの側に居て欲しかった。

 居なくなった小春の事を考えると、なお更不憫(ふびん)に思えてきた。

 やり切れない思いに呼応するかのように、窓から見える楠の木が一陣の風に煽られて大量の木の葉を掃き清められたばかりの庭にまき散らしていく。


「ズキリ」と刃物に当たった右手の手根(しゅこん)部分が痛み出した。 コーヒーの香りと、美しい朝の雰囲気の為に眠気のきつい鎮痛剤(ちんつうざい)を我慢してきたが、飲み終わったカップに水をもらい一粒だけ飲み込んだ。

 近くのベッドに横になると、母親が窓とカーテンを閉めてくれた。

 重いカーテンを閉め切った部屋は適度に薄暗く、コーヒーのカフェインを台無しにして痛みと折角の朝の時間を巻き戻していく。

 母親のドアを閉める音とカチャリとした旋錠(せんじょう)する音を最後に意識が離れていった。



 高層ビルが対並ぶ暗く成りかけた街並。

 鮮やかな色彩の巨大な広告のLEDビジョンが、あちら此方のビルで、若手売り出し中のアイドル女優や商品を競わせるように、目まぐるしく映し出していた。


 東京都の南の端っこにあるこの街でも、首都東京を主張するかの様にひと際の賑わいを見せている。隼人たちが、子供のころから子供同士で東京に遊びに行くというと県境を超えた此の街が、華やかさの象徴(しょうちょう)だった。


 無性に肉を食べたかった隼人が、わがままを言い以前に訪れた店舗のあるこの街まで迎えとディナーを兼ねて車でやって来ていた。 叔父さんの到着予定時刻より早めに着いた二人は、駅近くの待ち合わせ場所に指定した某有名絵画のある喫茶店で時間をつぶす。


 程なくして、母へのメールのある着信音が到着を告げ、入口にスーツ姿の二人連れが姿を見せた。派手すぎない薄いピンクのスーツ.タイトスカートの女性が小さく手を振る。小柄で色白な女性キャサリンさんだ。

 髪色を染めていたので気付かなかったが、空港まで明彦さんを迎えにいった様で連れだってやってきた。明彦さんは、長旅とは思えないほどの軽装でキャリーバッグさえ引いていない。

 明彦さんが心配そうに声をかける。


「秋ちゃん、君は大丈夫か? 疲れているんじゃないか」


「遠いところをありがとう。忙しいところをごめんなさいね」


 水を差しだしたウエイトレスに迷いもなく手短に注文するキャサリンさん。


「コーヒーを二つおねがいします」それぞれ軽く挨拶を交わし、コーヒーを飲むと早速目的の食事処へと足を運んだ。


 ほど近い場所にある、この焼肉専門店の4名ほどの個室にようやく腰を落ち着けることができた。 丸い大きな照明が下がり、茶色を基調にした落ち着いた店だ。

 鹿児島の黒毛和牛が、リーズナブルな値段で提供されると人気な店らしい。


 大きく碁盤(ごばん)の目に、切れ目を入れた牛タンや海鮮の盛り合わせなどが豪華に食卓を飾る。 こういったセルフの店に馴染まない二人のために母親が係を買って出た。一枚ずつ丁寧に焼く。焼かれた牛タンが丸く反り返り、四角い切れ目を花咲かせる。隼人は、ニンニクの効いた醤油ダレとレモンの効いた塩ダレの二種類を、手早く小皿に注ぐと四人の前に配った。


 母と明彦さんは、平静を装いながら、時には笑顔を覗(のぞ)かせ、今回の事件事故を伏せて当たり触りのない近況を話し合っている。

 事の顛末は、知らされていないのだろう。

 黒髪ショートの色白美人キャサリンさんは、薄いみどりの目を細めながら、対面に座る隼人へ、心配そうに語り掛ける。


「大変やったな。あの日あんな大雨になるなんてな。家は流されて大変そうやけど、体が無事でなによりや」


 隼人も、あの日曇り空の合間に見た夕焼けが思い浮かんだ。キャサリンさんと武道の練習で汗を流し、妹を二人で可愛がったあの日、ぷんぷんと怒りながらも可愛らしい妹の顔が浮かぶ。

 そしてその夜訪れた忌まわしい惨劇。

 それでも自分を助けてくれた鎧の女の憂いを帯びた顔も忘れられない。

 無理矢理になれない作り笑顔を見せた。


「全くだよ。 母さんと二人ホームレスだよ。ハハッ」


 秋絵からは、小春のことは落ち着くまで祖母の所へ預けているとごまかして伝えてある。 隼人もごまかすように話題を変えた。


「キャッシーも髪染めたんだ。最初、明彦さんが彼女でも連れてきたのかと思ったよ」

 

 明彦さんにも、聞こえたのか「にやり」と笑う。以前は、輝くような金髪だった髪を黒く染めてはいるが、特徴のある人懐こい笑顔は、変らずに相変わらずの年不相応の可愛らしさで対する隼人を和ませてくれた。

 日本のお笑い番組の、関西芸人のファンであった彼女は、関西なまりのイントネーションと共に日本語を覚えてしまっていた。

 美食の集まる大都会から、来た二人にとっても、口の中で溶けるほどの『サシ』がはいったワギュウは、だいぶ高い評価を得たようだ。


 会食は進む。そして、三人分もの皿を積み重ねたキャサリンさんも、満足そうに背を反らした。 頼もしい大人の男と、華やかな女性の登場によって心細く不安だった隼人と秋絵は、守られ支えられる様な心強さを覚えていた。


「車を取ってくるから少し待っていてね。10分ぐらいで戻るわ」店員を呼び止めると秋絵は一人出て行った。


 飲み物を更に頼んでしばし待つと着信のバイブレーションが胸をくすぐる。

「いきましょう」 隼人の合図と共に、店を出た。



「ファン」


 短いクラクションで少し離れた路上に白いフォードブロンコを見つけた。

 歩道に立ち運転席に手を伸ばしていた秋絵が、振り返りながらこちらに手を振っている。 近づいて車を眺める明彦の目に、色彩を増した街の明かりが一層の光を灯す。


 秋絵が通勤に使っていた古いフォードは難を逃れていた。

 フルレストアされた四角い武骨な4WDのボディを、輝くようなホワイトでその身を包んでいる。 その姿は、まるで小綺麗な服を着せられ困惑顔をする古武者を思わせた。


「ははっ まだ大事に乗っているんだ。凄く綺麗(きれい)だ」


 興奮の熱の籠(こも)った言葉が飛び出してきた。秋絵に、向かい少し口角を上げてみせる。 嬉しそうにデジタルの広告を映し出す白い艶やかなフェンダーに指を這わしている。 まるで初恋の人に、街で突然出会ったかのように上気して目を見開いている。

 秋絵は、アルコールを勧めなかったことを(誉めてよ)と言わんばかりに、鍵のホルダーを指に引っ掛けて「くるくる」と回すと、明彦に手渡した。


「運転してみる?」


 返答を聞かずに、運転席側のドアを開けるとベンチシートの助手席へと腰を移していく。 続いて隼人たちも、運転席を倒すと窮屈(きゅうくつ)そうに後ろの席へ潜り込んだ。

 運転席の明彦は、愛(いとお)しむ様にハンドルの周りをくるりと手でなぞると、キーを回す。


「ガロロロンッ」


 古いVエイト5リットルは、おしゃれな店の並ぶ繁華街で無遠慮(ぶえんりょ)なエンジン音を響かせる。 その途端、夜の繁華街へと集まって着ていた最新のハイソサエティな高級車たちは色を失い光の影へと沈みこんでしまった。


 三速コラムを、走行側に叩き込まれたアーリイブロンコは、一瞬車体を左右に身震いすると、車間の隙を突いて車道へと踊りだした。

 夜の街の、風景を艶やかな白いボディで、受け流しながら流れに乗っていく。


 共に古い友達との再会を、懐かしむかの様にエンジンが「ゴロゴロ」と唄っている。

 隼人は、市街地を抜けてから窓を少し開けてもらう。

 春先の強い風が吹き込んでくる。隼人はその冷たい風が自分へと降りかかって来る定めの様に感じていた。

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