最終章「ごめんね」

第51話「完璧」



「……」


 ユリウスは最後まで直人と友美の姿を見た。ジプシックミラーの鏡面で。鏡が何も映さなくなってからも、自分の姿をしばらく見つめていた。久しく自分の顔を見たことがなかった。


 自分の顔は、悪魔のように醜かった。


「ユリウス」


 すると、ユリアが審判所に戻ってきた。彼女の腕は所々擦り傷ができており、白かった素肌が汚されていた。彼女も悪魔の攻撃を少し受けたようだ。

 ボロボロになった彼女は、歴戦を潜り抜けた英雄のように勇ましく見えた。しかし、申し訳なさそうに眉を垂れる姿が、ある意味情けない子供のようにも見えて、ちぐはぐな気分だ。


「ユリア……」

「その……ごめん」


 突然ユリアが頭を下げた。セブンの最高位の女神でありながら、禁句に触れるような行動を、独断でしでかした。彼女もセルに落とされる可能性は十分にある。それほど罪深い恥を晒した。

 ユリウスは彼女の垂れ下がる金髪を見つめる。自分はこの女を裁く必要がある。彼女は罪人なのだ。常日頃から掲げている信念が、彼女を地獄に落とせと、自分の心に向けて声高らかに叫んでいる。


「……」




 スッ

 ユリウスはユリアの頭を優しく撫でた。彼女は驚き、顔を上げる。


「ユリウス?」


 ユリウスは妹を可愛がるような、優しい表情を浮かべていた。彼の柔らかい微笑みは、1000年近く生きてきた女神であるユリアも、初めて見た。


「俺の方こそ、すまなかった。俺も自分の使命に溺れて、行き過ぎた判決を……」


 ユリウスは友美と直人の必死な姿を見て気づいた。どれだけ重罪になるような行為を犯そうが、自分の愛する者のために下す決断が、どれだけ勇気のいることか。地獄の恐怖に立ち向かい、自分の大切な人を救わんとする度胸に、人間の心の奥深さを知った。


 自分は目先の罪だけでなく、その奥に隠された信念も、見なければいけないのかもしれない。己の間違いを思い知らされた。


「気づいてくれたのね」

「あぁ、やっぱり俺はダメだな。結局俺は俺の仕事すらまともにできなかっt……うがが」


 ユリアはユリウスの頬をつねった。息子を叱る母親のように。再び彼の悪い癖が出た。神学校時代からそうだ。幼い頃からユリアは彼に付き添っていたため、彼の良い面も悪い面も知っている。


「自分のことを悪く言わないの。直人君が言ってたでしょう? 完璧な人間なんて、この世にいないんだって」

「俺は人間じゃなくて悪魔だがな」

「もう!」


 ユリウスの頬が再びビヨーンと伸びる。まるで漫才コンビのショートコントのようだ。

 二人はそれぞれセブンを統治する者、セルを統治する者という最高位の存在であることを忘れ、童心に帰って話す。この二人も、ようやく真の意味で心を通わせることができたかもしれない。


「誰だって、何事も完璧にできるわけじゃない。私だってそうだもの。誰だって失敗したり、間違えたりする」

「あぁ……」

「そこからやり直すことは、決して恥ずかしいことではないのよ。困った時は、私も手伝ってあげるから。一人で抱え込まないで、助け合っていきましょ」


 ユリアはユリウスに手を差し伸べる。彼女の手は、とても小さかった。この小さな手で、どこまでも広く大きいセブンをまとめているのだ。一見弱々しくて、非常に頼りない。

 こんな小さな手に教えを説かれるなど、自分はなんと情けない男なのだろう。そう思いながら、ユリウスは照れ臭そうに彼女の手を握った。


「ありがとう。その……改めて……よろしくな」 

「うん、よろしく♪」


 ユリアの満面の笑顔に、一瞬にして頬を赤く染められるユリウス。今までユリアに抱いたことのない感情が、彼の胸の奥でざわめく。それが何と言う名前の感情かは知らないが、その正体を知る日はそう遠くはないだろう。


「ところで、お前はなんで友美達を助けようと思ったんだ?」




 ふと、ユリウスは常日頃から抱いていた疑問をぶつけた。ユリアがどうして友美達の罪を問わず、彼女達を助けようと働きかけるのか。彼には分かりかねる。何か特別な事情でもあるのだろうか。


「可愛いからよ」

「は?」


 ユリウスはユリアの返答の前に、呆然と立ち尽くした。彼女は子猫を可愛がる乙女の仕草で、キャッキャッとはしゃぎ始めた。


「だって~、友美ちゃんと直人君、可愛いじゃない♪ あの二人を見てると、自然と応援したくなるの♪ 気になってジプシックミラーで二人の現世の様子を見てみたんだけど、あんな過酷な運命を背負ってるなんて、助けずにはいられないじゃな~い💕」

「……」


 ここまで彼女の馬鹿げた様子を見るのは、流石のユリウスも初めてだ。とても神学校を首席で卒業した実績を持っており、非の打ち所のない優秀な女神とは思えない。

 友美達を助けたのは、完全にハチャメチャな理由だった。セブンを統治する者としての寛大な器は、とてもではないが感じられない。


「フッ、何だそりゃ……」


 ユリウスの口元が緩み、不気味に笑った。ユリアは博学多才でありながら、可愛らしい愛嬌も備えている。決して職務一筋というわけではない。しかし、それが彼女の何よりの魅力なのだろう。

 誰しも完璧であることは不可能だが、限りなく完璧に近づくことを望むのであれば、自分の果たすべき義務以外に、気にすべきことがあるのかもしれない。彼女の笑顔を見て、ユリウスは思った。




「なぁ、最後に一ついいか?」

「ん?」


 スキップで審判所を去ろうとするユリアを、ユリウスは呼び止める。どうしても聞いておきたいことが、もう一つあった。


「……お前、なんで俺のことを、そんなに気にしてくれるんだ?」


 長年疑問だった。神学校の養成天使だった頃から、ユリアは何かとユリウスを気に留めている。それが彼にとって、不思議でたまらなかった。

 自分のような落ちこぼれで出来損ないの凡人と、ユリアのような成績優秀で才色兼備な天才が、交わること自体が異常だ。職に就いた今でも、二人の関係は続いている。




「フフッ」


 ユリアは小馬鹿にするような微笑みを見せ、ユリウスに近づく。






 チュッ


「……」


 ユリアはユリウスの頬にキスをした。


「なんでだと思う?」

「……は?///」


 ユリアはスキップで審判所を去っていく。ユリウスは呆然と立ちすくんでいたが、ハッと我に返り、再び呼び止める。


「え……な、ちょっ……お、おい!///」

「今晩、飲むわよ。私の部屋に来てよね。それじゃあ、お仕事頑張って♪」


 ユリアはセブンへ続くエスカレーターに向かい、駆けていく。彼女は後ろ姿すら実に美しい。ユリウスはキスされた頬を撫でる。温かい感触が残っており、鏡を見なくても赤く染まっているのが分かる。心臓が自分の意思とは関係なしに、鼓動を早めていく。


 間違いない。自分はユリアという存在を、一人の女性として見てしまっている。


「ハァ……///」


 審判所で静かにため息を溢す。先程の名前の知らない感情の正体を、何となく察したユリウスだった。






 ユリアはエスカレーターに乗りながら、頬を赤く染めて戸惑うユリウスを思い浮かべていた。神学校時代から眺めてきた彼の姿を、今でも悪魔の姿の奥に見ている。


「やっぱり、放っておけないなぁ♪」


 これからも、自分がユリウスを支えてやろう。ユリアも同じく心音が高鳴る胸を抱え、一人の愛しの男を暖かく見守る決意を固めた。


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