第49話「生きろ」
「何だこれは……」
ユリウスはセルの光景を見て、唖然としていた。正確には審判所に戻った後、ジプシックミラーでセルの様子を確認した。鏡面に映された天使と悪魔の攻防戦、ユリアが生者を率いて、友美やクラリスを救出しようとしている様に、目を奪われていた。
「ユリアの奴、勝手な真似を……」
直人を抱き上げる姿が視界に入り、頭に血が登るユリウス。もちろんこれは、セルに落とされるかどうかギリギリを狙う罪深き行為だ。ユリアは天使と共に生者を抱え、上空へと飛び去っていく。悪魔達が電撃を放ちながら邪魔をする。
「くそっ……」
ユリウスは席を立ち、セルに向かおうとする。このままでは罪人をかっさらわれてしまう。早く部下の悪魔達に加戦し、ユリアを止めて問い詰めなければ。
『ユリウス!』
突然鏡面の中のユリアが、口を開いた。まるで、ユリウスがそばにいるかのように叫ぶ。
『鏡で見てるんでしょ!? 手出しするなら、かかってきなさい! 私は全力で抵抗するわよ! 私が正しいと思ったことを貫くために! アナタがそうしたようにね!』
ユリアは焦りを感じているような、勝機を垣間見ているような、複雑な心境を示した表情だ。激しく風を切りながら飛んでいる。
『わからず屋のアナタに、教えてあげるわ。せいぜい見てなさい。人間の力を……二人の愛を!』
「二人の……愛?」
ユリウスはジプシックミラーの縁を掴み、目を凝らして覗き込む。ユリアの目先の遥か遠くに、直人と友美がいた。二人は重力に従い、落下しているようだ。
「愛……」
頭によじ登ってきた怒りは、なぜか
二人は再び地獄へと落ちようとしていた。
* * * * * * *
私の体は、どこまでも奈落の底へ落ちていった。僅かの間に、すごく高いところに飛び上がっていたみたい。天使達が必死に私を、悪魔から逃がそうとしてくれてたのね。
でも……
“ダメだ、私は逃げちゃいけない……”
悪魔の攻撃が当たり、天使の腕から離れて落ちてしまった。だが、むしろ当たって丁度よかった。私はどうしても許されない罪を抱えているのだから。
事情も聞かずに直人を突き放し、事故で死なせてしまったことに飽きたらず、彼の家族を崩壊に導いた要因になったのだ。私は逃げてはいけない。生きてはいけない。
私は永遠に地獄で罪を償わなければいけないのだ。
「直人……」
セブンにいる間も、私のことを愛してくれた直人。血だらけの私を庇ってくれた直人。セルに落ちてまで、私を助けてくれた直人。本当にアナタは強くて、優しくて、天才で、すごい人。
罪深い私には、とても釣り合わないわね。
「ごめん……」
直人の素晴らしさと私の罪深さは、決して交わってはいけない。彼の光は私の闇を照らすために存在してはいけない。
これでいいんだ。助けに来てくれたことは、本当に嬉しい。でも、私の罪はとても逃げることができるほど、軽くはない。私はこれから永遠に血を流さなければいけない。
私の体は重い重い罪で、再び地獄へと落ちていく。
直人、今までありがとう。私も頑張って愛してみるよ。離れていても、アナタのことを。深い地獄の底で、苦しみながら償ってみるよ。本当にありがとう。そして、ごめんね。
「さよう……なら……」
「友美ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
声が聞こえる。
「友美! 友美!!!」
声は次第に大きくなっていく。誰かが私を呼んでいる。私に近づいている。
誰の声なのかは、嫌なくらいすぐに分かる。
「友美! いた!」
「直人……」
友美がいた。よかった、見つけた。遥か前方に、落ちていく友美の姿を捉えた。いつの間にかメガネを無くし、三つ編みもバラバラにほどけている。苦しそうだ。早く助けてやらないと。もう少し……もう少しで届く……
「友美! 手を伸ばせ!」
「なん……で……」
凄まじく吹き荒れる風が、直人の体を押し上げる。それでも直人は必死に抗い、私に向かって手を伸ばす。なんで……どうしてアナタは……
「ダメ……帰って……」
「お前を置いて帰れるかよ!」
「なんで……」
「お前を助けるために決まってんだろ!」
俺は必死に友美に手を伸ばす。もう少しで届くんだ。友美も手を伸ばしてくれれば……。しかし、友美は俺の手をとってくれない。重力に身を任せて落ちていくのみだ。
「なんで……私は……許されない……罪を背負って……」
「そんなの分かってるよ! 確かにお前は、許されないことをしたかもしれない! 償わなければいけないかもしれない! でもそんなことは、お前を助けない理由にならねぇ!」
直人の叫び声が、まるで血管に流れる血液の隅から隅まで温められていくみたいに、じみじみと心に響く。それでも、私は直人の手を掴めなかった。今手を伸ばしたら、自分の罪を放棄してしまうことになると思ったから。
「友美、俺は大丈夫だ。お前がどんな罪を犯しても、俺は許してやる。どんなに神様や悪魔がお前を責めようが、俺だけはお前の味方だ。誰が友美を罪人と言おうが、俺が否定してやる! 絶対に許してやる!」
ガシッ
俺は友美の手を掴んだ。手を伸ばさないなら、こちらから掴むまでだ。お前を一人で地獄へは行かせないからな。俺は覚悟はできている。どんな罪でも、俺は一緒に受け止めてやる。
「償いきれないのなら、俺も一緒に背負う! お前の痛みも悲しみも、全部一緒に背負うから! 一生……いや、何生も離れてやるもんか!」
「なお……と……」
私はもう片方の手を伸ばした。痛みが一緒に付いてくる。でも、直人の手を上から撫でると、痛みはどこかに消え去った。
「だから、お前は生きろ! 何としても生きろ! 絶対に死ぬな!!!」
やっと、友美も手を伸ばしてくれた。俺達は強く、優しく、手を握り合った。そのまま見つめ合いながら落ちていく。
「なんで……そこまで……」
どうしてなのだろう。どうしてそこまで、私を助ける勇気が湧いてくるのか。どうして私を見捨てないのか。私の脳では、彼の優しさの規模が図り知れない。直人という人間の心は、どんな高度な科学技術を駆使しても、解析できない。私には分からない。
「どうして……」
「決まってんだろ……」
俺は友美に顔を近づけて言った。
「お前のことが大好きだからだ」
友美、こうしてお前を助けようと思えるのも、お前が俺にくれた大切なもののおかげなんだぞ。お前が俺に教えてくれた知識、経験、感情、思い出。その全てが俺の血になり、肉になり、体になる。勇気が生まれる。
そして、その勇気が、俺達の愛を強くするんだ。俺の友美を好きだという気持ちが、俺を突き動かすんだ。
「お前は世界で一番可愛くて、世界で一番美しくて、世界で一番優しいんだ! お前のような奴を見捨てるなんて、それこそ罪だ! 大好きだから助ける! それだけでいい!」
「うぅぅ……」
こんな時に、直人は生意気なことを口にしてきた。思いがけない存在のナイフに、心を貫かれた。でも、どんな武器よりも強くて、優しいナイフだ。私がどんなに罪を背負ったとしても、目も当てられない罪人になったとしても、彼は私の全てを愛してくれる。
ならば私も、その愛に応えなければいけない。それが、私のできる償いだ。私は彼の手をしっかり掴んで離さなかった。痛くても、苦しくても、彼の愛を信じて耐え抜いた。
「友美、大好きだ。どんな時も、何があっても、俺はお前を愛している」
俺は友美を抱き締めてやる。友美の安心感から漏れる声は、体の激痛に邪魔されて、酷くかすれていた。
こんな友美だって、助けてもらってばかりじゃない。俺にたくさんのことを教えてくれて、かけがえのない人生を一緒に歩んでくれたんだ。友美の罪は、俺の罪。友美は……俺の一部なんだ。
友美、ありがとう。大好きだ。
「あり……がとう……私も……大好き……」
私は直人の温かい胸に身を寄せる。彼に抱き締められるだけで、地獄の苦しみが一瞬にして、天国の心地よさに変わる。彼の腕の中にいれば、どんなに暗い感情も愛が包み込む。彼の愛を全部綺麗に集め、細胞の一つ一つに敷き詰めておきたくなる。
それほどまでに、彼はいとおしい。
直人、ありがとう。大好き。
「友美……」
「直人……」
そして俺達は、私達は、再び地獄に落ちていった。
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