第48話「愛と憎しみ」



「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 久志は勢いよくナイフを振り下ろした。




“さようなら……直人……”






「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」




 叫び声が聞こえた。




 ドスッ


「うっ!」


 突然現れた男が、久志を横から押し倒した。友美はかすれた視界で、状況を見渡す。そこには、見覚えのある青い姿があった。




「俺の友美に触れるな」

「なお……と……」


 そう、直人が駆けつけたのだ。この永遠に続く広い地獄の中で、無数の罪人が群れる地獄の中で、見事友美を見つけ出してみせた。


「直人? お前、直人か!?」


 久志は目を丸くしながら、直人を見つめる。どこまでも小さく惨めで、出来の悪かった馬鹿息子が姿を現した。彼は自身と肩を並べるほどまでに、大きくたくましく成長していた。そして、地獄にやって来た。


「父さん……」


 直人もまた驚きを隠せないでいた。しかし、友美が血まみれで苦しんでいることに、すぐさま意識を戻して彼女を庇う。9年振りの親子の再会だ。


「そこをどけ。その女は絶対に殺す」

「友美は何も悪くない」

「その女のせいで、俺は浮気を疑われたんだぞ。勝手に俺の家に上がり込んで、髪の毛なんか落としていったせいで……その女が俺の人生をぶっ壊したんだ!」


 ただ直人と勉強会をしただけ。まだ小学生という、判断能力の乏しい年齢だった頃の話だ。友美は直人の「家に上がったら絶対に汚さないこと」「帰る前に来たという痕跡を消すこと」という約束を守れなかった。些細な気の緩みが、最悪の結果を招いた。


 しかし、直人はそれでも友美を庇った。


「それがどうしたって言うんだ。俺の家族を殺したのは、父さんだろ」

「直人……」

「確かに友美だって、何の罪も犯さない善良な人間ってわけじゃない。軽はずみや気の緩みで、間違えたりする。結果的に、友美は俺の家族を崩壊させた要因になったのかもしれない。でも、俺はそんなの気にしない。謝るべきなのは、父さんの方だ! 友美は何も悪くない!」


 どこまでも続く岩だらけの大地に、直人の声が響き渡る。瀕死の友美の耳にも届く。激痛を伴う涙と、彼の愛を受けた感動の涙が混ざり合う。久志は自身の罪を突き付けられ、言葉に迷っていた。


「それでも……俺は……」


 久志はナイフを構えた。


「この女を殺さねぇと……気が済まねぇんだよ……」


 久志はナイフを掲げ、直人に近づく。直人は血まみれの友美を背中に隠し、腕を広げて彼女を庇う。




 バシッ


「痛っ!」


 突然、久志の頭に小さな石が直撃した。彼は当たった箇所を押さえて悶絶する。


「友美さんを馬鹿にしないでください!」


 なんと、姿を現したのはクラリスだった。頭上の輪も、身に付けた白い衣装も、清潔だった白髪も、全てがボロボロになっていた。ストリートチルドレンのようなみすぼらしい姿になりながらも、友美のピンチに駆けつけたのだ。


「クラリス! なんでお前がここに……」

「私、亡者歴典の内容を書き換えたんです。直人さんのところを……」


 彼女の発言で、直人は理解した。現世で直人が初めから生きていることになっていたのは、クラリスが亡者歴典の彼の項目を書き換えたからだった。

 その代償として、クラリスは友美と共に、ユリウスの手でセルに落とされた。罪を犯せばセルに落とされるのは、天使であろうと例外ではないようだ。


「何だテメェ……邪魔すんな」

「いいえ、邪魔します! 直人さんの言ったことは正しいんです! 友美さんには何の罪もありません! 大好きな人のために、危険を犯してまで謝りに行く。どんな些細なことだとしても、それを申し訳なく思って謝罪する。それは決して罪ではありません! かけがえのない愛です!」


 クラリスは涙目になりながら叫び続けた。


「直人さんだってすごいです! 死んだ後でも、離れていても、セブンという遠い場所から、現世にいる友美さんのことを思い続けたんです! そして自分が生き返った後でも、こうして友美さんを助けるために地獄にやって来た! 愛がなければできないことです!」


 直人はクラリスの傷だらけの顔を見つめる。所々血がにじんでいる。彼女もセルに落ちた後、死に物狂いで悪魔から逃げたのだろう。一緒に落ちた友美を助けるために。


「二人の愛は本物です! アナタなんかが馬鹿にできるものじゃありません! 友美さんはすごいんです! 直人さんはすごいんです! 二人はずっとずっと、ずーっとすごいんだからぁ!!!」


 非力なのに、臆病なのに、落ちこぼれの天使なのに、クラリスは必死に戦った。弱い自分を奮い立たせ、恐怖を抱きながらも抗った。


「愛を知らないアナタには、分からないでしょうね! 罪を背負うことになりかねないとしても、それでも愛する者のために行動を起こすことが、どんなに素晴らしいか! 知らないのに馬鹿にするな……友美さんと直人さんを馬鹿にするなぁー!!!」

「ごちゃごちゃうるせぇ……」


 クラリスも全力で友美を庇うが、久志の怒りに油を注いでしまったようだ。彼は猛獣のように駆け出し、ナイフを高らかに振り上げる。


「死ねぇぇぇ!!!」






 ガキンッ

 クラリスは思わず閉じた瞳をゆっくりと開ける。そこには宙を舞いながら、刀で久志のナイフを受け止める花音の姿があった。真上から落ちてきたように現れた。


「ごめん直人、遅くなって」

「花音!」

「クソッ、次から次へと……」


 花音は刀を押し出し、久志をはね除けた。そして、すぐさまクラリスを抱き抱える。


「ほら、この子守っといて!」

「あぁ!」

「え……ヘルゼン!?」


 次に現れたのは、ヘルゼンだった。彼は花音の腕から投げ飛ばされたクラリスを、力強く受け止め、抱きかかえる。


「なんでここに……」

「お前を助けるために決まってんだろ。お前は俺がいないとダメなんだから」

「あ、ありがとう……///」


 クラリスの頬が、初めて血以外のもので赤く染められた。直人への恋心で満たされていた彼女の胸は、ヘルゼンの男気で高鳴る。完全に彼に魅了されてしまった。


「でも、どうやってセルに……」

「ユリア様のおかげだ」


 ヘルゼンが空を見上げると、ユリアが大きな美しい翼を広げながら降りてきた。他にも数人の天使が続いてやって来た。祐知と雫は天使達に抱えられながら、セルに降り立った。


「たくさん応援を呼んでおいたわよ」

「ユリア様……ありがとうございます!」


 天使が続々とやって来たことに気付き、近くにいた数体の悪魔が集まってきた。


「なんで天使がここに来てんだ!?」

「どうやってここに来た……」


 悪魔はぞろぞろと集まり、天使達に武器を構える。逃げていく直人に、攻撃を仕掛ける。槍を突き、斧を振り上げ、鎌を振り回す。その全てを、花音は刀で受け止めた。


 キィンッ キィンッ


「クソッ、この女……強い……」

「フォーディルナイトのギャングに比べたら、大したことないわね」


 花音はくノ一のように華麗に舞い、攻撃を弾いていく。だが、悪魔は続々と駆けつけ、彼女はその数に押されていく。


「あっ……」


 セルのゴツゴツした大地に足をつまづかせる。バランスを失ったタイミングを狙い、悪魔が花音を殺そうと刃物を振り下ろす。


「今だ! 食らえ!」




 バシッ

 しかし、刃先が花音の顔面に突き刺さる直前で、祐知が悪魔の腕を掴んで制止させる。


「させるか!」

「ぐふぉっ!」


 祐知は膝蹴りで悪魔の腹をぶち抜いた。悪魔は地面に倒れ、痛みに悶絶する。


「祐知先輩……///」

「僕の大切な後輩は傷つけさせない」


 祐知の勇ましい姿に、花音は心を撃ち抜かれる。いつも野性味溢れる彼女だが、この瞬間だけは乙女の表情で、祐知を見つめていた。彼女は祐知にそっと身を寄せ、彼は優しく抱き締めた。




「みんな、逃げましょう!」


 悪魔が一時戦闘不能になった状態を見計らい、ヘルゼンやクラリス、その他天使達が続々と空へ羽ばたいていく。祐知や花音、雫は天使に抱き抱えられる。


「クソが! 待て!」


 久志が再び動き出した。友美を抱える直人目掛け、ナイフを構えて飛び込んでいく。




 ガシッ


「ぐっ……今度は何だ!」


 久志の足が止まった。




「い、行かせない……」


 なんと、梅田が久志の足を掴みながら倒れていた。梅田も友美と同じく、チケットを使った罪でセルに落とされたのだ。


「直人君、ごめん。友美ちゃんがチケットを使ったのは、多分俺のせいだ。だからってこれで許されるわけでもないと思うけど、力にならせてくれ……」

「離せ!」


 久志は必死に振りほどこうとするが、梅田も負けじと足にしがみつく。彼も悪魔の拷問から逃げ、セルをさまよっていたようだ。永遠の後悔にまみれながら。

 しかし、最後くらいは自分のためではなく、誰かのために行動しようと思い、久志の足止めをするに至った。


「今だ……行け……」

「梅田さん、ありがとう!」


 直人は友美を一旦天使に預け、ユリアに抱き抱えられながら、セルの大地から離れていく。天使達は全員空へと羽ばたいていく。




「あ、アイツら、死者を連れ去ってったぞ!」

「まずい! 追いかけろ!」


 体勢を取り戻した悪魔達は、遥か上空へと飛んでいく天使を追いかけた。武器を抱え、漆黒の翼を羽ばたかせた。天使達も灰色の空の遥か遠くへと向かう。






「でもユリア様、どうやってセルを抜け出すんですか?」


 ヘルゼンがユリアに尋ねる。一万メートルほど飛び上がっただろうか。今だに空は灰色の景色ばかりが続いている。


 シュンッ

 次の瞬間、頭上には大きな穴が開き、そこから青空が顔を出した。セブンの空間と繋がったようだ。


「えっ……」

「実は私、本当はセブンでもセルでも、どこでも往き来できるの♪」

「えぇ!?」


 ユリアは可愛く舌を出す。穴は彼女が出現させたようだ。天使は悪魔のように、セブンとセルを往き来する能力は無い。しかし、女神には能力が備わっているらしい。なぜ先程できないと嘘を付いていたのだろうか……。


「ははっ……」


 ユリアに抱き抱えられている直人は、苦笑した。相変わらず面白い女神だ。直人は天使に抱えられた友美を見つめる。彼女も血まみれになりながらも、直人を見つめ返す。彼女の救出作戦は無事成功した。


「よかったな、友美……」






「だ……め……」




 バシッ


「何だ!?」


 突如、真下から電撃が飛んできた。悪魔達の攻撃だ。一万メートルまで浮上しても尚、執拗に追いかけてきた。


「逃がすか!」

「死者を返せ!」


 バシッ バシッ バシッ

 悪魔の持っていた武器は、刃先から赤黒い電撃を放っていた。天使達は飛んでくる電撃を必死にかわす。




 バシッ


「うっ!」


 友美を抱えていた天使の腕に、電撃がかすめる。一瞬の痺れが腕に激痛を与える。


「あっ!」


 天使はあまりの激痛に、思わず腕を離してしまった。腕から友美の体がするりと抜ける。


「友美さん!」


 友美は薄れた意識のまま、セルの大地に真っ逆さまに落ちていく。




「友美!」


 直人がユリアの腕をどかし、身を乗り出そうとする。ユリアは彼をがっしりと押さえ、上昇を続ける。


「ダメよ! 直人君!」


 友美の姿はみるみるうちに見えなくなっていく。落ちていくスピードが早く、天使の力では追い付けそうにない。それに加え、この高さで落ちたら一溜りもないだろう。悪魔も彼女を無視し、天使達に攻撃を続けている。


「……!」


 ガシッ


「あっ!」


 しかし、直人はユリアの腕を無理やり引き剥がし、友美の後を追って落下していった。


「直人!」

「直人さん!」


 みんなの声も聞かず、友美を助けようとする一心で、直人は真下へと飛び込んだ。




“絶対に……友美を助けるんだ!”




 友美と直人は、再び地獄へ落ちていった。


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