第43話「日記」



「くそっ!」


 友美への苛立ちが止まらない。アイツが罪を犯してまで、俺に会いに来たことはもちろん、俺への罪滅ぼしの仕方が許せない。一体何を考えているんだ。俺を生き返らせて、自分が死んだことにすれば、許されるとでも思っているのか? ふざけんなよ……。


 俺は……俺はな……


「浮気を勘違いしたのなんか……どうでもいい……そんなの許してやるよ……」


 友美は浮気を勘違いしたことを謝りたくて、俺に会いに来たと言っていた。俺には、そんなの大した罪じゃねぇんだよ。確かに、本人は相当の罪悪感を抱いていることだろう。俺を死なせてしまっているから。


 でも、だからって、俺を生き返らせて罪滅ぼしなんて……マジでふざけんなよ……


「友美、なんでだよ……」


 なんでそんなことができた? どうして自分が死んだことにしてまで、俺に現世で生きることを託したんだ? そんなの覚悟でも勇気でも、何でもない。罪滅ぼしになるわけねぇだろ。俺はそんなことを望んでいない。


「俺はただ、お前に現世で生きてほしいんだよ。なんで俺に会いに来たんだよ……なんでいつまでもくだらないことを気にして、俺に謝りに来たんだよ……」


 俺は誰もいない部屋で、一人ぶつぶつと呟く。友美が死んだ世界で、現実に逆らうように苛立ちを吐き出す。そんなものは、無駄だって分かっている。友美に会いに行こうにも、俺はワールドパスを持っていない。

 俺が生きているという間違った世界を、ひっくり返すための手段は、何も残されていない。




 間違った……?


「あれ、俺は……」


 なんで俺、自分が生きてることを間違っているなんて思ったんだ? なんで友美が死んでることを、間違っているなんて思ったんだ? 今この現実こそ、正しいんじゃないか?


「……」


 思い返すんだ。友美と喧嘩した後、俺は車にひかれて……いや、違う。ひかれたのは、友美の方……あれ?

 あ、そうか。ひかれたのは友美だよな。そうだよな。間違ってないよな。それで俺は、友美が死んだことが信じられなくて、アイツの葬式で泣いて……


 え? いや待て、友美は死んでない。死んだのは俺だ。俺……のはず……あれ? おかしい……なんで……え……?


「ど、どうなってるんだ……」


 分からなくなってきた。事実と虚偽が混在している。死んだのは俺なのか、友美なのか、どっちだ?


「俺は今生きている。なら死んだのは友美のはず……え?」


 くっ……




 バチンッ

 俺は自分の頬を平手打ちした。痛みで目が覚めた。こんがらがっていた頭も、落ち着きを取り戻した。そうだ、死んだのは俺の方だ。それが正しい事実だ。


「危ない……」


 友美が死んだ世界線を、脳が徐々に受け入れかけていた。きっと、俺が今その世界線に身を置いているせいで、俺の認識もその現実に引っ張られていたんだろう。危なかった。気をしっかり保て、俺。


「友美……」


 しかし、目の前の現実は変わらない。友美を助ける術がないのは変わらないのだ。このまま現世で生きていくことを認めたら、先程のように友美の死んだ世界に順応してしまう。

 この世界で俺だけが、この世界は間違いだと分かっている。間違いが間違いと分かっているうちに、何とかしなければいけない。


 せめてワールドパスさえあれば……。




「?」


 何となく辺りを見渡すと、部屋の隅に段ボールが積まれてあった。俺はなぜか、引き寄せられるように近づいた。段ボールにはマジックで「友美」と書かれてあった。


 パカッ


「あぁ……」


 段ボールを開けると、中には友美が好んで着ていたシャツやワンピースの衣類の数々、講義で使っていたノートや筆記用具が入っていた。中身は全て友美の私物で敷き詰められている。

 自分の恋人の持ち物を大事に保管している辺り、この世界線の俺は友美が死んだことに、相当絶望しているようだ。


 俺は思い出を一つ一つ噛み締めながら、段ボールから思い出の品々を引っ張り出す。アイツがデートの時に着ていた服も、勉強会を重ねて努力の証を刻んできたノートも、何から何まで、俺は覚えている。アイツとの思い出を、全部……。




「……!」


 そして、最後に俺の手に握られたのは、南京錠が付いた箱だった。これには、“アレ”が入っている。四桁の数字で開ける南京錠……記憶が鮮明に呼び起こされる。


「7010……」


 カチッ

 俺はダイヤルを回し、南京錠を開けた。この7010という数字、元々箱に張り付けてあった紙に書かれていたものだ。アイツとの最後の勉強会の時に、つい持ち去ってしまったが。


 そして、今なら分かる。この数字の意味……友美の俺への愛が。


7010なおと……か」


 キー

 南京錠が取れた箱は、寂しい音を立てながら開いた。そこには友美の日記があった。日記は少々埃を被っていたが、俺に見つけられるのを待っていたように、箱の中に身を置いていた。俺は友美を連れ出すように、日記を手に取る。底にはもう5,6冊重ねてあった。


 俺は日記を開く。初めて読もうとした時は、アイツに止められたな。別に今は日記を読んでいる場合ではない。しかし、手に取った瞬間に感じた。引力が働いたように、俺は中身が気になったのだ。申し訳なさを抱えつつ、俺は友美の思い出を覗いた。


“友美、悪い……”


 ペラッ




     *   *   *




 4月21日 土曜日

 今日から日記をつけることにした。理由は自分でも分からない。直人がそばにいなくなって、空っぽになった心をうめるためかもしれない。だって、直人は私のはじめての友だちだったから。


 この日記が続けられるかどうかは分からないけど、とりあえずがんばって続けてみようと思う。直人のことをわすれるまで。




     *   *   *




「これって……」


 普段の友美からは感じられない、アイツの心の声がそのまま綴られていた。しかもこの字、綺麗ではあるものの、どこか幼さを感じる。小さな子供が書いたように、漢字と平仮名が混在している。

 きっと、小学生の頃に書き始めたのだろう。内容から察するに、俺が引っ越しして、アイツと離ればなれになった後だ。


 それから友美は、一日も欠かさずに日記を書き続けていた。まさか、大学生になるまでずっと書いてきたのか。どうりで何冊もあるわけだ。




     *   *   *




 5月1日 火曜日

 直人からもらったマンガが、完結した。すごく泣けた。直人も今ごろ同じものを読んで泣いてるかもしれない。いつものようにうるさく、やかましく。


 でも、読むならやっぱり、直人といっしょの方が楽しいな。




     *   *   *




「フフッ」


 懐かしいなぁ。そういえば、そんなこともあったっけ。ちゃんと完結するまで、単行本買って読んでくれていたのか。それに、俺と一緒に読みたかったなんて、可愛いところあるじゃないか。


 俺は更に日記を読み進めていった。




     *   *   *




 7月6日 金曜日

 算数のテストが返ってきた。86点だった。気がゆるんでるようだ。直人がいたらバカにされる。


 そういえば、直人はあれから勉強してるかな。私がいないからサボってるかもしれない。私が教えてあげられたらいいけど、少し不安だ。もっとがんばろう。直人に負けないために。




     *   *   *




「マジか」


 友美もこんな失敗をすることがあるのか。今のアイツならあり得るかもしれないが、小学生でまだ天才として名高い頃のアイツが、失敗していたなんて意外だ。


 ここで俺は気づいた。どの日の日記にも、俺の名前が書かれていることに。どのページにも決まって「直人」の名前が刻まれているのだ。俺の話題に触れなかった日がない。


“友美、そこまで俺のこと……”


 俺は読み進めた。友美の日記を。アイツの心に秘められた、俺への底知れぬ愛の証を。


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