第42話「改変」



「うーん……」


 いつの間にか、俺は気を失ってしまっていた。手探りで数時間前の記憶を思い返す。


「はっ!」


 俺は記憶の裾を掴み取る。そうだ、セブンで友美に会って、アイツを悪魔から庇って、それから……友美はワールドパスで……俺を……


「ここは……」


 俺は辺りを振り返る。今俺が身を置いているこの場所は、セブンではない。ここは現世の俺の家だ。三ヵ月前まで住んでいた部屋だから、見覚えがある。この部屋で俺は、友美とよく勉強会をした。アイツと一緒にテストの振り返りをしたっけ。


 間違いない。俺は現世に戻ってきてしまった。故意ではないとはいえ、俺は生き返ってしまったのだ。急いで戻らなくてはいけない。死人が現世に戻ることは許されない。それに、今頃友美は悪魔に捕まっていることだろう。助けに行かなくては。


 ピロンッ

 俺のスマフォが鳴った。音を頼りに探し、ベッドの上に置いてあるのを発見した。


『直人、花音から聞いたよ。怪我したんだって? 大丈夫?』


「え?」


 祐知からのLINEだ。怪我って、何のことだ? いや、そもそもなんで祐知が俺にLINEを送ってきているんだ? 俺は既に死んでいる。現世のみんなには、死者として認識されているはずだ。それなのに、祐知のメッセージは、異常なくらいに日常的だった。


『花音はいいって言ってたみたいだけど、僕は反対だよ。もうセブンに行くのは、やめた方がいいと思う』


 セブンに行く? ちょっと待ってくれ。祐知は何を言っているんだ? アイツの話に付いていけない。突然現世に戻ってきた俺の脳は、現実とうまく釣り合わない。


『祐知、俺が生きてることに、何とも思わないのか?』

『え? どうしたの、急に……どういうこと?』

『だって、俺は一度死んでるはずだろ』

『死んでるって、チケットを使ってでしょ?』


 祐知は、俺が生きていることが当たり前だと言い張るような、冷静なメッセージばかり送ってくる。しかし、そのおかげで現世で起きている事態が、何となく見えてきた。考えたくもないが、結論はそれしか用意されていなかった。


『どうなってるんだ?』


 そして、その結論を祐知が突きつけてきた。




『直人、友美が死んでからおかしいよ』




 ……嘘だろ。


『何度も言ったでしょ? いつまでもいなくなった友美に固執しないで、現実を見て生きなきゃ。悲しいのはわかるけどさ、折り合いをつけなきゃダメだよ』


 何度も言ったと、祐知のメッセージには書いてあるが、俺には初耳のことだ。俺は事実を再確認するために、彼に訪ねる。


『祐知、友美は死んだのか?』

『え? うん、車にひかれて。なんでそんなこと聞くの? 直人も知ってるでしょ?』


 やっぱり……事実を受け止めた俺の頭は、重みを感じる。俺は目まいに苦しむように、頭を抱える。俺が知っている事実と違う。元々友美と喧嘩になって別れ、俺が車にひかれて死んだはずだ。しかし今は、友美が車にひかれて死んだことになっている。


 俺と友美の立場が逆転している。


『やっぱり疲れてるんだろ。何度もセブンに行くからだよ。早く休んだ方がいい』


 祐知の話し方から察した。俺は今まで死んだ友美に会うために、何度もワールドパスを使い、セブンに行っていたらしい。恐らく、友美が同じことをしていたのだろう。それが今は、俺がやっていたことになっている。


 友美の馬鹿野郎……俺に会うためだからって、なんでそんなことするんだよ……。


『あぁ、そうする』

『おやすみ』


 祐知とのトーク画面を閉じた。そして、机に伏せて絶望した。元々死者だった俺が生者になり、生者だった友美が死者になっていた。


 ふざけんなよ……なんでこんなことになってるんだよ。友美がチケットを使って、俺を現世に落としただけで、俺と友美の立場が逆転するとは考えにくい。何か別の要因が働いているに違いない。何だ? 何が原因でこうなったんだ?




   * * * * * * *




「……」


 クラリスは祭壇によじ登り、息を荒げながら亡者歴典を見つめる。元々直人の名前が書かれていた欄が、空白になっている。クラリスが消したのだ。


「こうすれば……直人さんは……」


 クラリスは友美から頼まれた。亡者歴典から直人の名前を消してほしいと。亡者歴典は生と死を司る書物だ。内容を書き変えれば、現世の事実も変わる。現世の生者を殺すことも、死者を現世に生き返らせることもできる。


「ごめんなさい……直人さん……」


 クラリスは、現世に戻ったであろう直人に謝る。自分も許されざる罪を背負ってしまった。しかし、友美の直人に対する底知れぬ愛を感じると、頼みを聞き入れずにはいられなかった。二人のためにできることを考えた結果、行き着いたのはこれだ。


 直人の名前は跡形もなく消えた。これで現世の事実は変わり、直人は死亡しなかったことになるはずだ。


「……!」


 クラリスは何者かの気配を感じた。すぐさま祭壇を離れ、柱の影に隠れた。姿を現したのは、ユリウスと部下の悪魔達だった。


「へっ、馬鹿な小娘だ。死んだ奴にすがり付いてないで、現世で幸せに生きてりゃ、こんなことにならなかったのに」


 悪魔は友美の髪を乱暴に引っ張り、祭壇の前へと引きずる。友美はしかばねのようにぐったりとしており、今にも事切れそうだ。友美は悪魔に捕らえられたらしい。


“友美さん……”


 クラリスは心臓をえぐり取られたような、底知れぬ背徳感を抱いた。自身も事態に加担しておいて何だが、友美が痛め付けられている様は、見るに耐えなかった。自分も罪を犯しているのに、無事でいていいのだろうか。


「落ちろ」


 シュンッ

 悪魔は床に倒れた友美に手をかざすと、床に丸い穴が出現した。友美は穴の奥深くへと落ちていく。


「これでいいんすか? アイツはまだ正死を迎えてませんよ?」

「あぁ、アイツを殺すのに、ちょうどいい奴がいるからな」


 ユリウスは悟りきったような笑みを浮かべ、祭壇へと向かう。友美はチケットを使い、死後の世界に何度もやって来ただけで、実際はまだ正式な死を迎えていない。

 部下の悪魔は、その状態で友美をセルに落としたことを、心配しているようだった。悪魔が後を追うように穴に入ると、穴は自動的に閉じられた。


“どうしよう……友美さんを助けなきゃ……”


 友美はセルに落ちてしまった。彼女はこれから、きっと残酷な拷問を受けるだろう。助けなければいけない。

 しかし、セルに行く手段など、知るよしもない。セブンに行くのにすら、天使はチケットを使用しなければいけない。悪魔のように、自由に世界を往き来する能力は備わっていない。そもそも助けに行く勇気が起きない。


“うぅぅ……怖い……”


 ユリウスと悪魔の恐怖に、クラリスの体はブルブルと震える。






「おい」


 背後から低い声が聞こえた。クラリスが顔を向けると、そこにはユリウスの恐ろしい形相が見下ろしていた。


「お前、何をしている」


 クラリスの犯行が、見つかってしまった。


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