第41話「罪滅ぼし」



 ようやく溜め込んできた罪悪感を、吐き出すことができる。直人の方も、私の言葉をしっかり受け止める準備ができたようだ。


「直人、あの時は本当に……」


 本当に、本当に……






「うぅっ! がっ……」

「友美!」


 謝罪の言葉が途切れてしまった。突然喉の痛みが襲ってきて、私は思わず咳き込んだ。咳と共に口から多量の唾が弾ける。


 その唾は、赤みがかっていた。


「おい友美、血が……」

「直t……うぅ……がはっ……」


 私は何度も咳き込んだ。その度に、赤い血の混じった唾が吐き出される。喉がナイフで切りつけられているように痛い。喉だけじゃない。頭も、腕も、足も、内臓も、体のありとあらゆる場所から、悲鳴が上がってきた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「友美! しっかりしろ!」






「罪を犯したむくいだな」


 声の聞こえた方へ顔を向けた。そこには、中国風の道服を着た黄緑色の髪の男がいた。背後には手下の悪魔達を従えていた。その様は、漫画でよく見る閻魔大王のイメージを彷彿とさせた。


「お前は……あの時の……」


 顔をしかめる直人。彼は過去にこの男手と、面識があるようだ。


「お前は確か……遠山直人だったか。まさか、中川友美と知り合いだとはな」

「ユリウス、なんでここに……」

「決まってるだろ。中川友美を連行しにきた」


 彼がクラリスの話していた亡者歴典の持ち主で、セルの支配者のユリウスらしい。私を連行しにきたのか。どうやら私の罪は、またもや悪魔達に見つかってしまったようだ。


「連行だと!?」

「当たり前だ。この女、せっかく見逃してやったのに、またノコノコと来やがったな」

「待て! コイツはチケットを使ってやって来たんだ! まだ死んだわけじゃない!」


 直人は私を庇うように、強く抱き寄せる。私を守ってくれているその声が、だんだん小さくなっていく。意識が遠退いているんだ。






「もうすぐ死ぬさ」

「……え?」


 私が……死ぬ……?


「これは俺の憶測だがな。何度も何度も死後の世界に転移してるんだろ? だったら、この世界にいればいるほど、生気が吸いとられていくはずだ。やがて体はまともに動かなくなり、正式な死を迎えて死者となる」


 私は全てを理解した。今までチケットを使う度に襲ってきた頭痛や吐き気、体の傷みなどの謎の症状は、全てこの世界に生気が吸いとられて起きていたんだ。

 正式な死を迎えていない生者が、無理に死後の世界に長く身を置くことによって、症状が発生していたらしい。


 ということは、やがて私も本当に死者となってしまう。現世に戻れなくなってしまうのか……。


「だから、もう無駄なんだよ。さぁ、そいつをよこせ。死んだ後に審判を始める。まぁ、行き先はセルと決めているがな」

「ま、待て! 友美は悪くない! 俺のためにチケットを使っていただけだ!」


 冷酷に言い渡すユリウスに、直人は必死に抗議する。先程は私にも罪があると言っていた。だけど、いざ自分の恋人がセルに落とされるとなると、助けたくなってしまうようだ。


「お前も知っているだろ。生者がチケットを使うことは許されない。これはルールだ。規則なんだよ。それを破った者は、相応の罰を受けなければいけない。さぁ、その女を渡せ」


 ユリウスはゆっくりと私達に歩み寄る。直人は私を抱いて尚抵抗する。私だって、セルに落とされるのは嫌だ。


「友美をこちらに渡せ、直人」

「断る!」






「鏡、遠山直人の母親が殺される瞬間を見せろ」  

「……え?」


 ユリウスが突然呟いた。私達の後ろに置かれた鏡は、ユリウスの要望に応える。直人の……母親……?


「これを見てもまだ同じことが言えるか?」


 ザザザザザ……

 鏡は一旦のノイズの後、直人の母親と思われる人の姿を映し出した。家の中で、誰かと言い争いをしている。相手は直人の父親だろうか。




『この髪の毛、何?』

『あぁ?』


 母親が一本の髪の毛を差し出し、父親を問い詰める。母親が握っているのは、長く青い髪の毛だった。


『この青髪、玄関に落ちてた。この青……私でも、直人でも、雫でもない。もちろんアナタのでもない』

『だから何だよ』

『正直に答えて。誰か家に呼んだでしょ?』


 母親のひどく怒りに満ちた表情。所々ガーゼの貼られた顔。まるで、拷問を受けてきたかのような……。


『まさか、俺が浮気してるとでも思ってんのか?』

『アナタ……私達に暴力するだけじゃ飽きたらず、家に他の女連れてたの?』

『してねぇよ! テキトーなこと言ってんじゃねぇぞ!』


 二人の言い争いは、次第にエスカレートしていく。


『もう我慢ならない! アナタという人間そのものが嫌なのよ! 散々威張り散らして、あの子達にまで手出して……。いい加減にしてよ!』

『俺に指図すんじゃねぇ! お前の仕事がまともな稼ぎにならねぇからだ! あんな出来損ないのガキ共を生んだのも、お前だろ!』

『もう嫌だ! 出てって!』


 父親はキッチンに置いてある包丁を手に取る。


『うっせぇんだよ! 黙れこのクソ女が! 死ね!!!』


 グサッ!


『がはぁっ!』


 父親は怒りを刃に込め、母親の心臓に包丁を突き刺した。母親の口から血が吹き出る。


『俺の人生めちゃくちゃにしやがって……』


 父親は少しも悪びれる様子もなく、絶命した母親に吐き捨てる。彼女が持っていた青い髪の毛も、赤く染まっていく。






「え……」

「結局、この後に父親は捕まり、獄中で病死。何とも醜い家族だな」


 直人のお父さんとお母さんが死んだことは、彼の葬式の時に知った。しかし、まさか父親が母親を殺していたとは知らなかった。彼の家族にこんな過去があったなんて。


「……何だよ、今のは」


 直人は改めて突き付けられた事実に動揺させられながらも、何とか冷静さを保ち、ユリウスに尋ねる。私も見るに耐えなかったけど、今の映像に一体何の意味があるのだろうか。


「お前の母親が持っていた青い髪の毛、誰のだと思う?」




「……え?」




 一瞬で凍りついてしまったような衝撃が、私の体を走る。




「友美……」


 直人が答えを呟いた。家族の誰のものでもないとなると、選択肢は私しか残されていなかった。私の髪も青色だから。

 私はかつて、直人の家に行ったのだ。彼と知り合った小学生の頃、彼の家で勉強会をした。やたらと家を汚さないように強要してきた。今思えば、父親の機嫌を損なわないようにするためだったのか。


 しかし、私は自分の髪の毛を落としてしまった。だだの一本の髪の毛が、直人の家族を崩壊させた。




 え……じゃあ、直人のお母さんが死んだのは……


「あ……あぁ……」

「違う! 友美、お前のせいじゃない!」

「私のせいで……私が……直人の……」


 私がちゃんと直人の言い付けを守っていれば、直人のお父さんとお母さんは言い争いをすることはなかった。


「そうだ、お前のせいだ。お前のせいで、直人の母親は死んだ。お前は罪人だ」


 とどめのユリウスの言葉で、私の意識は罪悪感の底へ沈んだ。私は直人を死に追いやる前から、とんでもない罪を犯してしまっていたんだ。

 ユリウスが直人の家族の過去を見せたのは、私の罪がどれだけ重いのかを彼に感じさせ、動揺させるためだったようだ。しかし、彼以上に私が動揺してしまっている。


「私が……直人の家族を……」

「友美は何も悪くない! 自分を責めるな!」


 直人の声も心に届かなかった。私の心は既に罪悪感の奥深くへ溺れてしまっている。私はこんな大罪を知らず知らずのうちに犯し、今まで呑気に生きてきたというのか。最低な人間だ。もはや生きる価値もない。


「くそっ、ユリウス……テメェ……」

「これで分かっただろ。友美は立派な罪人だ」

「違う! 友美は罪人なんかじゃねぇ!」

「それを決めるのは俺だ。さぁ、早く渡せ」


 ユリウスは私達にゆっくりと歩み寄る。




「……!」


 ダッ

 直人は私を抱きかかえたまま、突然走り出した。私を連行させまいと、全速力で逃走した。


「無駄な抵抗を……」


 ユリウスと悪魔達も追いかけてくる。彼らは翼を持っていて、空中を飛ぶことができる。どう考えても逃げ切るのは不可能だ。それでも直人は諦めが悪く、逃げ続ける。私を抱えながらなので、彼の言う通り、無駄な抵抗でしかない。


 ほんと、最後まで私は直人に迷惑をかけてばかりだ。






「くそっ! どうすりゃいいんだ」

「直人……私を……置いて……逃げて……」

「馬鹿野郎! んなことできるかよ!」


 直人は自分の宿舎の裏までやって来た。私達はしばらくここで隠れる。しかし、悪魔達はすぐそこまで迫っている。見つかるのは時間の問題だ。


 ザッ


「うっ!」


 バタッ

 直人は石につまづいて転んだ。抱えられていた私は、勢いよく投げ飛ばされる。転げ落ちた小さな芝生でも、今の私の体では、まるで針山に刺されたように痛む。


「友美!」


 直人はすぐに私のそばに駆け寄ってくれる。やめて、そんなに優しくしないで。私のせいで、直人まで追われることになって……。


「友美、チケット持ってんだろ? それで現世に逃げろ!」


 直人は私のスカートのポケットに手を入れる。無駄な足掻あがきだ。もはや私の罪は、償おうにも償いきれない。永遠がいくつあっても足りないだろう。




 だからせめて……


「なお……と……」

「あった!」


 せめて直人には、これくらいのことは返してあげたい。彼は私のポケットの中から、チケットを一枚取り出した。






「……え?」


 チケットには「遠山直人」と名前が書かれてあった。直人の体が光り出した。


「ごめんね、直人」

「おい、友美!」


 ごめんね、直人……


「ダメだ! やめろ!」


 今までいっぱい迷惑かけて、本当にごめんね……




 だから……






「私の代わりに……幸せに生きてね……」




 私の目の前で、直人の姿は光に包まれて消えていった。








「見つけた」


 直人が消えた後、ユリウスが倒れている私を見つけた。


「ユリウス様~!」


 ユリウスに続いて、悪魔達がやってくる。


「お忙しいところ申し訳ないですが、報告です! 遂にあの遠山久志を発見しました! 現在追跡中です」

「分かった、そのまま追え。それと、中川友美は今すぐセルに落とそう」


 遠山久志……きっと直人の父親の名前だ。薄れゆく視界の中で、ユリウスと悪魔達が話し合っている。


「名案を思い付いた。コイツはまだ死んでいない。だが、俺達の手で直接友美を殺すわけにもいかない。この際、久志に協力してもらおう」

「おぉ、何か素敵なことを考えてらっしゃいますね♪」

「行くぞ、準備だ」

「はい!」


 悪魔は動けなくなった私の髪を乱暴に掴み、引っ張って連行する。これから私は、すぐにセルに落とされるようだ。今まで死後の世界に何度もやって来たけど、チケットを使えばすぐに現世に戻ることができた。


 しかし、もう二度と戻れない。私は本当に死んでしまうらしい。




 でも……


“これでいい、これでいいんだ……”


 私にできる限りの罪滅ぼしはできた。直人が生き返ることができれば、それでいい。これからは私が代わりに死者として、この世界に留まるから。直人は現世で幸せに生きて。






 本当にごめんね……直人。さようなら。


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