第30話「繋がる生死」



「はぁ……はぁ……」

「友美、大丈夫?」


 花音がふらふらする私の体を、横から支える。私は朝から何度もめまいや立ちくらみを感じる。その度に彼女の手が、私の肩に回る。


「大丈夫……」

「大丈夫じゃないでしょ。最近ずっと体調悪そうにしてるし」


 体がだるい。まるで重力がいつもの三倍にまで増加してしまったように、私の体はだらんと垂れ下がる。疲れが全く取れず、どれだけ寝ても寝足りない。何度もうたた寝をしてしまい、顔を机に突いた。


「祐知先輩、友美は一体どうなっちゃったんですか?」

「うーん、分からない。特に不健康な生活をしてるわけではないんだよね?」

「えぇ……」


 私の返事も徐々に活気がなくなっていく。疲労に邪魔されて、声がうまく出せない。祐知君と花音は、病人を庇うように私の体を支えながら、家まで送ってくれた。


 この歳で支えてもらいながら歩くなんて、情けない……。




「はぁ……」

「落ち着いた?」

「えぇ、もうほんとに大丈夫。送ってくれてありがとう」


 私はアパートの庭にあるベンチに腰を下ろす。花音が用意してくれた水を、ぐっと飲み干す。流し込まれた水が、血に変わるように体を活気立たせていき、肌も温度を取り戻していく。何とか一人で動けるようになるまで回復した。


「とにかく気を付けてね。何かあったら私達に言うのよ」

「えぇ」


 二人はアパートの門を潜って出ようとした。




「あっ、祐知さん、花音さん。お久しぶりです」

「あっ、雫ちゃん! やっほ~♪」

「久しぶりだね」


 偶然近くの道路を雫ちゃんが通りかかった。彼女は直人の妹さんだ。どうやら飼い犬の散歩をしているらしい。私は久しぶりに見た彼女の可愛らしい顔に近づく。


「雫ちゃん、久しぶり」

「友美! 久しぶりね」


 私だけは呼び捨てにしていた雫ちゃん。直人がいなくなった後でも、大人びた性格は全く変わらなかった。


「どう? 毎日ちゃんとやってる?」

「うん」


 あれから雫ちゃんは、直人の家の近くに住んでいた親戚の家に引き取られ、静かに暮らしている。直人がいない生活にも慣れているようだった。慣れていないのは私だけ……。


「辛いことない?」

「うーん、ちょっと辛いかも」


 雫ちゃんの笑顔が少し緩み、不安が垣間見えた。それもそうだろう。家族が自分以外全員いなくなったのだ。両親を失い、唯一便りだった兄もいなくなり、ひどく悲しみに明け暮れたことだろう。

 それでも元気を取り戻し、毎日必死に生きているのは実に素晴らしい。私とは大違いだ。




 だからこそ、彼女が少しでも不安を見せると助けたくなるのだ。


「雫ちゃん、直人に会いたい?」

「え?」


 率直に聞いてみた。雫ちゃんは戸惑いながらも答えた。


「会いたい」

「分かった。近いうちに会わせてあげるわ」

「えぇ!?」

「ちょっと友美!」


 花音が慌てて制止しようとするも、私はそれを振り切って雫ちゃんに小指を差し出す。


「約束する。近いうちに必ずお兄ちゃんと会わせてあげる」

「……」


 雫ちゃんは黙ったままだ。普通の人なら死んだ人に会えるだなんて、そんな恐ろしいくらいに馬鹿馬鹿しい話を本気にしない。それでも、私は絶対的な確信を持っている。

 なぜなら、私にはワールドパスがあるからだ。もう残りは少ないし、まだ直人がどこにいるかも分からない。それでも、気合いで何とかしてみせる。


 ギュッ


「約束ね。絶対だよ」

「うん」


 雫ちゃんは私と小指を絡める。約束は成立した。私は雫ちゃんの小さな小指に、大きな決意を込めた。絶対に直人と会わせてあげよう。大切な人と死別して悲しんでいる人々を、私が見つけ出して会わせてあげるんだ。




「友美、いいの? あんな約束して」

「いいのよ。絶対見つけてやるんだから」


 私と直人の絆の証である“約束”だ。大学生になって、彼と再会できたのだ。二度目の再会だって、きっと叶うはず。私が諦めない限り。雫ちゃんの悲しみは、私が払ってみせる。


「もう絶対に……大切な人とは離ればなれにさせない」


 私が生と死を繋げるんだ。




   * * * * * * * *




「ははっ、面白いですね♪ バスケットに印鑑だなんて」

「つい可愛いって思っちゃいました……///」


 いつものように昼休みに食堂に集まり、他愛もない話で盛り上がるエリンと咲有里。不思議とエリンと気が合うため、咲有里は頻繁に彼女の元へ通う。大切な人と死別した者同士、特殊な縁で繋がっている。


「エリン先生」

「あら友美さん、どうしたんですか?」


 二人が団欒だんらん中に、突然友美が間に入ってきた。友美は真剣な眼差しでエリンを見つめる。


「先生、来てください」




 友美はエリンにワールドパスの存在を明かした。彼女はエリンが過去に死別した大切な人のことを聞いていた。ハイジャック事件で命を救ってくれた男のことだ。

 ワールドパスを手に入れた時から、密かに思っていた。エリンをその人と会わせてあげようと。


「このチケットがあれば、その人に会えるのね?」

「そうです」


 友美はエリンにチケットの使い方を説明する。彼女はチケットのことを聞いた瞬間、男と会うことを即決した。助けてもらったお礼を言うためだ。


「そういえば、その人は……」

「この人は咲有里さん。彼女も旦那さんを亡くしてるの。彼女も連れていってあげて」

「まぁ、いいですよ」


 エリン先生を救った男に関しては、検討がついている。しかし、咲有里の夫については深く知らない。再び直人のように苦労して探す羽目になるだろう。友美は渋々受け入れた。


「死後の世界に行くのって、何だか怖いわ……」

「大丈夫ですよ。いつでも戻ってこられますから」


 友美は不安がる咲有里にチケットを手渡す。三人は一斉にチケットの空欄に名前を書いた。友美には見慣れた黄色い光が、三人をセブンへとワープさせる。


 カァァァァァァ……








 死後の世界にやって来た人間の反応は、驚きに限ったことではなかった。エリンも咲有里も案外落ち着いており、現世からやって来た人間が最初に降り立つ草原を見渡す。


「二人共、こっちです」


 友美は二人を手招きする。咲有里の夫のことはどこにいるか知らないが、エリンの大切な人は居場所に検討があった。友美は過去に会ったことがあるのだ。


“宏一さんのアパートはどこだ……?”


 そう、セブンの喫茶店で、花音をを助けた青葉宏一だ。彼はハイジャックに遭った飛行機が墜落して死んだと、友美に話していた。

 そして、エリンも過去に全く同じ境遇にいたことがある。二人の体験談が信じられないほどにリンクしている。つまり、宏一が助けた女性こそがエリンであり、彼女の言う大切な人が宏一である。友美の中で話が繋がった。


「友美さん、その人がどこにいるか分かる?」

「はい。とにかく付いてきてください」


 友美の手には、宏一が暮らしているセブンの家の住所が書かれたメモが握られていた。彼が渡したものだ。彼もエリンに会えたら、大いに喜ぶことだろう。早く会わせてあげたい。

 なぜなら、自分の元へこのチケットが舞い降りたのは、運命だから。生者と死者を繋ぎ合わせ、死別の悲しみを埋める。それが自分に課せられた使命だと分かったから。


“エリン先生の悲しみは、私が消してみせる!”






「みのぶハイツ? あぁ、丁度この近くにあるよ。案内しようか?」

「お願いします!」


 友美は偶然近くを歩いていた天使に声をかけ、宏一の住むアパートまで案内してもらうことにした。住所が判明しているとはいえ、セブンの地理には詳しくないことに変わりはない。


「もうすぐ会えるのね……」

「楽しみですね、エリンさん♪」

「はい……」


 着々と宏一のいる場所へ近づいていき、エリンの体に緊張が走る。咲有里は自慢の笑顔を向け、再会の喜びを共有する気満々だ。




 数分程度歩き、宏一の住むアパートが見えてきた。


「あそこだ」

「案内ありがとうございます」

「どういたしまして」


 天使は元いた場所へ帰っていく。友美達はアパートの外階段を上がり、宏一の部屋の前に来る。エリンだけでなく、友美や咲有里まで緊張を感じている。


「それじゃあ……」


 ピンポーン

 友美が震える指先でインターフォンを押す。緊張で唾を飲む彼女達をよそに、インターフォンは呑気な音を鳴らす。エリンの心臓は、今にも爆発しそうなほどに暴れまわっている。心音がドア越しにまで聞こえてしまいそうだ。




「……あれ?」


 インターフォンを押して約一分が経過した。宏一がドアを開ける気配が全くしない。静寂だけが友美達を歓迎していた。


 ガチャガチャ


「鍵、閉まってますね。どこかに出かけてるんでしょうか?」


 どうやら、宏一は家を留守にしていたようだ。彼がセブンで写真家として活躍していると話したことを、友美さ思い出す。今もまだ見ぬセブンの幻想的な景観を求め、写真を撮りに行っているのだろうか。


「とりあえず、下で待ちましょうか」

「そうね」


 宏一が帰ってくるまで、友美達はアパートの入り口で待つことにした。友美を先頭に静かに外階段を下り始める。


「えっ……」


 二人の背中を付いていこうとした咲有里が、とっさに口を開いた。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ……何でもないです……」


 咲有里も階段を下り始めた。




 彼女の視線の先には、部屋の入り口に立て掛けられた「青葉」の表札があった。


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