第29話「生者の思い」
「みんな、また会う日まで元気でね~!」
観客の歓声と共に、手を振るバンドメンバー。彼らを照らす照明が徐々に消えていく。ステージは真っ暗闇に包まれ、観客達は余韻に浸りながら席を立ち、出口へと戻っていく。
「はぁ……やっぱり父さんと母さんはすごいや……」
伊織君は余韻に浸りすぎるあまり、席から立てずにいた。相当彼らのパフォーマンスに見入ってしまったのだろう。そんな私も、あまりの最高のパフォーマンスに感動している。まるで熱いお風呂に浸かった瞬間みたいだった。
「ねぇ、お父さんお母さんと話したくない?」
「え?」
こんなチャンスは滅多に経験できないことだ。今のうちに、彼にしてあげることを余すことなくしてあげたい。私は大切な人と死別し、同じ悲しみに暮れている人が、世の中に大勢いるのだと知った。だからこそ、これは是非とも彼にしてあげたいことだ。
「まだ舞台裏にいるはずよ。行ってみましょう」
「でも、関係者以外は入っちゃダメなんじゃ……」
「息子なんだから、関係者みたいなものでしょ。ほら行くわよ」
私は伊織君に帽子を被せ、手を引いてステージの方へ向かう。この帽子は、会場の外のテントで売っていたツアーグッズだ。公演が始まる前、会場のスタッフが全員被っているのを見かけた。これでスタッフになりすまし、舞台裏へ行こう。
「君達、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」
「あっ……」
すぐに見つかってしまった。そういえば、スタッフは帽子だけでなく、ネームプレートを首から下げていた。ネームプレートのない私達は目立ち、即座に目をつけられてしまった。
「あの! 結月さんと季俊さんに会わせてください!」
「ダメダメ、二人は今休んでるんだから。ほら、帰った帰った」
体格の大きい天使に道を遮られ、仕方なく後ろに足を向ける私達。伊織君も当然だろうと言わんばかりの困り顔で付いてくる。
「伊織……?」
「え?」
微かに聞こえた伊織君を呼ぶ声。私達は遮ぎる巨漢の天使を
「伊織? なんでここに……」
「父さん……母さん……」
二人は飲み物でも買いに、楽屋を出ていたのだろう。しかし、目の前に最愛の息子が姿を現したことに驚きを隠せなくなり、呆然と立ちすくんでいる。
「コラ! ダメだ!」と叫びながら制止しようとする空気の読めない巨漢の天使を、私は必死になって押さえる。伊織君はゆっくりと両親の前に歩み寄る。
「僕もよく分からないんだけど、父さんと母さんに会いたくなって……来ちゃった」
「伊織!」
伊織君の姿を視界に入れた途端、即座に涙に溢れ返った二人。最愛の息子を強く強く抱き締める。まだ生きているはずの息子が、なぜここにいるのか。どうやって来たのか。様々な思いがあることだろう。
それでも、一番に体を突き動かしてくるのは、会えて嬉しいという感情だった。
「会えてよかった! ほんとによかった!」
「大きくなったなぁ。嬉しいぞ」
髪型がぐしゃぐしゃになるくらいに、二人に頭を撫で回される伊織君。彼もまた、涙で溢れ返った笑顔で二人に抱きつく。
「僕も、父さんと母さんにずっと会いたかったんだ。よかった……ほんとに……うぅっ……」
「ほら、涙拭いて。仕方ない子ねぇ」
「うぅ……母さんだって。さっき友達から聞いたよ。この間のライブで、スカートめくれたってね」
「えっ……やだっ、恥ずかしい……///」
「はははっ」
再会の喜びだけが心を敷き詰め、涙まみれになって抱き合う保科一家。会話の内容が、だんだん感動的な光景とそぐわないものになってきたが、これもまた家族であってこそ話せることだろう。
再会を喜び合う光景を見ていると、私まで涙を誘われてしまう。連れてきてあげてよかった。
「父さん、母さん……僕、詩を持ってきたんだ。よかったら読んでよ」
「おぉ、どれどれ……『嘘ついたっていいじゃない』? ははっ、面白いタイトルだな」
「伊織らしいわね。早速曲を入れなくちゃ♪」
「父さん……母さん……ありがとう」
伊織君は二人に憧れて、作詩を始めたと言っていた。よかったね、伊織君。家族の温もりを味わえた君は、これから更に成長できるはずよ。
「一体何なんだ……」
「団らんってやつですよ」
「はい?」
私は巨漢の天使を遠ざけ、家族だけの時間に伊織君を置いてあげた。その後、彼が最高に幸せな一時を過ごしたことは、言うまでもない。
「ふぅ……」
私達は現世に戻ってきた。伊織君はまだ余韻に浸っているようで、先程からため息を繰り返す。抱えきれない幸福を吐き出すように。
「どうだった?」
「うん、会えてよかったよ。ありがとう、友美さん」
伊織君は大変満足したようだ。そりゃあそうよ。長年会えなかった両親に会えたんだもん。詩を読んでもらって、大変ご満悦の様子だ。これで心に敷き詰められていた死別の悲しみが、再会できた喜びに変わるはず。人助けをするのはいい気分ね。
「また会いたくなったら、いつでも言ってね。チケットあげるから」
「いや、遠慮しておくよ」
「えっ……」
伊織君は荷物を背負って立ち上がる。まるで繋いでくれていた手を、突然はね除けられたような気分に、私は襲われた。
「父さんと母さんには、無理に会わない方がいいから」
「なんで……?」
「さっき、言われたんだ。母さん達、僕が死後の世界に来て、僕が死んじゃったと思ったらしいんだ。チケットのこと詳しく言ったら、あんまり使うのはやめなさいだって。僕に会えるのは嬉しいけど、僕が死んでるって思うと嫌になるって。少し怒られちゃった」
そうか。確かに両親としては、息子にはなるべく死後の世界に来てほしくないというのが、自然な思考だろう。
「まぁ……死後の世界に行くわけだから、確かに死んでるってことになるかもしれないわ。でも、両親に会えてよかったでしょ? ずっと離ればなれだったんだから……」
反論のつもりじゃないけど、私は何とか彼に返す言葉を引き出す。確かに死後の世界にいるということは、自分が死んでいるということになる。
でも、だからって、別に気にしなくていいじゃない。現世にはまた帰ってこれるんだから。それに、今まで会えなかったのが悲しいなら、なぜ会いに来てくれた息子を叱る必要があるのか。
「うん、もちろん嬉しかったよ。でも、死んだ人にいつまでもすがり付くわけにはいかない。父さんと母さんは、僕にこの世界で生きていくことを願ってるんだ。だったら僕は、二人のいないこの世界を生きていかなくちゃいけないんだ。二人が向こうで見守ってくれてるって思えば、寂しくないからね」
「えっ……」
伊織君の発言は納得できなかったけど、彼の背中はとてもたくましかった。彼は玄関へ向かう足を止め、私に振り向いて呟く。
「次二人に会う時は、僕が死んだ時にするよ。ほんとにありがとね、友美さん」
バタンッ
玄関の扉が閉められ、私は世界の忘れ物のように取り残される。その場から動けない。彼の言葉が鋭い槍となって心に刺さった。
「なんで……」
私には理解できなかった。別に死んだ人に会いに行ったっていいじゃない。減るものでもないし。大切な人なら、会いたいって思うのが普通よ。遠慮する必要なんて、微塵もないはず。どうして会えない悲しみを、そのままにしておくの?
「……」
そういえば、前に祐知君が言っていた。離ればなれになってしまった悲しい気持ちはわかる。でも、いつまでもすがり付いていないで、折り合いをつけなきゃダメだって。
それを思い出した途端、伊織君が私より大人びているように見えた。私とは違って、大切な人と離ればなれになっても、しっかり前を向いて今を生きているのだから。大切な人のいない新しい世界を、頑張って受け入れているのだから。
「……!」
私は首を横に振る。そんなことない。私の考えは間違ってはいないはず。せっかく死んだ人と会えるのであれば、変に意地張って遠慮する必要なんてないはずだ。離れ離れになったら、意味なんかない。大切な人とは、常に一緒にいるべきなんだ。
よし、もっとやろう。このチケットを使って、大切な人と死別してしまって悲しんでいる人を助けよう。きっとこういうことのために、神様は私にこのチケットを授けてくれたんだ。
ならば繋ぐんだ、生と死を。私の手で。そして、いつかは私も直人と再会してみせる。
「……」
その様子を、鏡に映して密かに監視していた者がいることを、その時の私は知るよしもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます