第27話「胸騒ぎ」



「みんな、今日はお見苦しいところを見せちゃって、ほんとにごめんね……///」


『いいよ~、ユヅちゃ~ん!』


「今度は失敗しないように頑張るね!」


『頑張れ~!』


「それじゃあ、またお会いしましょ~!」


『おぉぉぉぉぉぉぉ~!!!』


 ステージのライトが消え、会場全体の照明が点いて明るくなった。こうして、本日のドリームプロダクションのライブは閉演した。






「今日も凄かったね~」

「やっぱりドリプロは神バンドですよ~」


 ライブTシャツとフェイスタオルを身に付け、汗だくになった花音と祐知。会場で販売されていたグッズを買ってしまったようだ。お金を必要としないため、ついつい手が伸びてしまった。


「それにしても、結月さんのアレにはびっくりしちゃいましたね」

「あぁ……」


 先程のライブで、ボーカルの結月がノリノリで歌唱していたところ、彼女は足元のギターアンプのケーブルに足がつまづき、ステージの上で壮大に転んでしまった。会場は騒然となった。


「でも、転びながらも歌うのをやめなかったよね。流石はプロのアーティストだよ」

「ですね。ファンサービスもバッチリでしたし」

「ファンサービス? ……あっ」


 結月の衣装は、オフショルダーの黒いゴシック調ドレスだった。彼女が最もライブで着る頻度の高い衣装だ。しかし、今日はいつもと違い、スカートの丈が少々短くなっていた。


 それが仇となったのだろうか……。


「転んだ時におっぴろげちゃってましたね、スカート」

「そ、そうだったね……」

「そして見えちゃいましたね、おパンツ」

「そ、それは……」


 結月が転んだ瞬間、短いスカートが豪快に裏返り、純白のレースショーツが顔を出した。夫の季俊も、ステージ上の他のハンドメンバーも、スタッフの天使も、盛り上がっていた観客も、会場にいた全員がしかと見届けた。


 プロの威厳を保つため、結月は顔を真っ赤に染めて恥ずかしがりながらも、頑張って歌い続けた。


「祐知先輩、見ました?」

「転ぶところは見たけど、下着までは見てない」


 花音は祐知に顔を近づけて尋ねる。彼はあくまで見ていないという主張を貫く。


「ほんとですか? 転んだ瞬間に、すぐスカートが裏返ってたんですよ? 転んだ瞬間を見たのなら、必然的におパンツも見てるはずです」

「ば、場所的に見えなかったし……」

「私達の席は、ステージにほどよく近い椅子の席でしたよね? 椅子席は高い場所にあるんですよ。なので、あの瞬間はスタンディング席より、椅子席の方が見やすかったはずですよね?」

「うぅぅ……」


 花音がぐいぐいと顔を近づける。祐知の額に冷や汗が流れ落ちる。そして迫られる度に、彼は鮮明に思い出す。あの瞬間、椅子席から見えた光景を。


「……///」

「あ、顔赤くなった! やっぱり、結月さんのおパンツ見たんですね! 祐知先輩のえっち♪」

「あぁもう! 見たよ! 見ましたよ!」


 やけくそに叫ぶ祐知。男として、目を反らすことはできなかった。目の前の彼女の問いかけにも、あの時のパンツにも。


「どうしてそこまで認めさせようとするんだよ……」

「ふふっ♪ だって、頑なに認めようとしない先輩、何だか可愛いんですもん♪」


 祐知の赤く染まった頬を、人差し指でツンツンとつつく花音。今日も可愛い後輩に振り回されるのだった。


「……二人共」


 二人の前を歩いていた友美が、ふと立ち止まる。二人は彼女の負のオーラを即座に感じ取る。


「あ、はい。こんなことしてる場合じゃありませんよね」

「直人君を探さなきゃですよね。わかってますよ、はい」


 三人はドリームプロダクションがライブをやっているコンサートホールを、偶然にも発見した。会場には人が大勢集まる。直人がいる可能性を信じ、三人は中に足を踏み入れた。

 だが、案の定直人の姿はない。いたのは熱狂的なファンばかりだ。青髪の人すら見当たらなかった。






 三人はチケットを使い、現世に下りた。まるで宇宙空間から地球上に戻ってきたように、重力がどっと体にのし掛かる。セブンでは不思議なくらいに、体も心も軽くなるのだ。身を持って別次元の神秘を体感している。


「今日も見つからなかった……」

「疲れた……」


 疲労の溜まった肩を回す祐知と花音。友美は二人を散々振り回したことに、再び罪悪感を覚える。チケットの束を確認すると、既に半分以上が無くなっていた。


「どうすれば……」


 このまま当てずっぽうに探し回るだけでは、到底見つかるはずがない。無駄にチケットを消費するだけだ。だからと言って、何千億という途方もない数の人々の中から、遠山直人というたった一人の人間を見つけ出すことは、不可能に限りなく近い。


「うっ……」


 突如、祐知が弱々しい声をあげた。彼は頭を抱えて苦しんでいる。


「先輩、大丈夫ですか?」

「ううん、大丈夫。ちょっと頭痛がしてね」

「そういえば、私もさっきから頭がズキズキします……」


 同じく頭を抱える花音。二人の姿を見ると、いたたまれなくなる。だいぶ無理を押し付けてしまったようだ。そして、そんな自分も、頭に動物が暴れ回るような痛覚を抱く。めまいも少々感じる。疲労が限界に近づいているようだ。


「二人共、ありがとう。ごめんね」

「いいよ。それじゃあまた明日ね」

「おやすみ」


 祐知と花音は荷物を持ち、友美のアパートを出ていく。頭の頭痛が激しくなるにつれて、友美の罪悪感も一層増していく。

 二人を巻き込んで迷惑をかけるのは、もうやめよう。今後は自分だけの力で、直人を探そう。友美は残り少ないチケットの束を握り締めながら、決意した。


 友美を励ますように光る月明かりも、めまいを起こした体では、とても見えずらくなっていた。






「この世に許される罪はあるのか。自分の行いを省みて、償う決意を固めることができるのならば、どんなに重大な罪も許されるというのだろうか。そもそも、罪の裁量は個人によって異なるものであり……」


 学生達が肌をさらす軽装で講義を受けるようになった、初夏の講義室。エリン先生が淡々と教科書の文章を読み上げる。学生達は几帳面な字で、それをノートに書き留める。


 しかし、そこに友美の姿はなかった。彼女の姿が見えないことに、エリン先生は不安を抱く。それを隠すように、はきはきとした声で教科書を読み上げる。

 しかし、隠しきれなかった不安が、講義室を緊迫した場へと変えてしまう。特に盛り上がることもなく、講義は続いていく。




 ガラッ


「遅れてすみません!」


 友美が緊張を打ち破るように、講義室のドアを開く。彼女は息をハァハァと切らしている。乱れた三つ編みが、彼女の焦りと疲労を浮き彫りにする。同時にエリン先生の心に、若干の安心感が戻ってくる。


「友美さん、どうしたの? 大丈夫?」

「何でもありません。ただの寝坊です。遅刻してしまい、すみません……」


 友美は息を整えながら席に着く。表情はどこかうつろで、下手すれば倒れてしまいそうなほどに、動きがフラフラとしていた。


「友美、どうしたの?」

「昨日すごく疲れててね、ずっと寝てた。さっき起きたばかりなの」


 隣に座っていた花音が、友美に尋ねる。友美は眠気を引きずった声で答える。


「たくさん寝たって割には、まだ疲れてる感じだけど?」

「えぇ、あんなに寝たのに、まだ疲れが取れなくて……」


 教科書やノートをバッグから取り出す友美の腕は、何かに取り憑かれたかのように震えていた。全く重量のない本でさえ、今の彼女にはダンベルのように重く感じていた。


「大丈夫?」

「大丈夫よ……帰ったらまたセブンに行って……直人を探さなきゃ」


 その後、友美は疲労の残った体を無理やり動かし、目に見えない何かと戦うように講義を受けた。その様は目を背けたくなるほど、非常に痛ましいものだった。祐知と花音、エリンの三人は、妙な胸騒ぎを感じた。


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