第26話「死者の思い」



「はぁ~」

「どうしたクラリス」

「わっ! ヘルゼン!」


 直人を励ますことができた達成感に浸り、浮かれていたクラリス。ヘルゼンがいきなり話しかけてきたことに驚く。


「私もだんだん直人さんの役に立てるようになったなぁ~って」

「よかったな。ドジなのは相変わらずだけど」

「え?」


 ヘルゼンはクラリスの前に、化粧水の入ったボトルを差し出す。彼女がいつもバッグに入れているものだ。彼女が確認すると、肩にかけていたバッグの口が、こんにちはと開いていた。


「えぇ!? わぁぁっ!!!」


 振り向くと、クラリスのたどった道を示すように、化粧品がバラバラと地面に落ちていた。バッグの口を開けたまま歩いていたため、化粧品が落ちたのだ。


「しっかり閉めて歩けよ。ていうか、こんなに持ち歩いて浮かれすぎだろ」

「女の子にとっては必需品なんだもん!」


 クラリスはプクっと頬を膨らませながら、落ちた化粧品を拾い集める。彼女のドジは何度も見ていて呆れるが、イライラさせるほどではないのが不思議だ。ヘルゼンにとっては、なぜか支えてやりたくなる気持ちが一層増す。


「別に化粧なんかしなくても……その……お前は綺麗だろ……///」

「ん? 何か言った?」

「な、何でもない!///」

「ヘルゼン、顔赤いよ?」


 クラリスは夕日のように顔を赤く染めるヘルゼンを、疑問に思った。自分の直人への恋心には瞬時に気づくくせに、自分に向けられている恋心の前では非常に鈍感だ。


「赤くなってない!/// と、とにかくだな、そうやって無用心でいると……」


 ガサッ


「あっ……」


 ヘルゼンはクラリスのバッグから、引ったくりのような手つきで、ワールドパスの束を取り出した。彼女に恋心を悟られないように、説教を始めてごまかした。


「こうやって誰かに取られちまうぞ。梅田の時のように………って、あれ?」

「どうしたの?」


 ヘルゼンはチケットの束に違和感を覚えた。


「お前、どんだけ使ったんだよ。もうこんなに少ないぞ」

「あ、ほんとだ。言われてみれば、確かに少ないかも……。あれ? 私、そんなに使ってないよ!?」


 クラリスのワールドパスの残りの枚数が、異様に少なかった。ヘルゼンは自分のものと見比べた。クラリスのチケットは半分以上無くなっている。往復に二枚使うとはいえ、今までに使った回数と、今残っているチケットの数が明らかに合わない。少なすぎるのだ。


 当然、クラリスはこんなに使った覚えはない。


「なんで減ってるの……?」








 メガネの男は目を覚ました。枕元では友美と花音、祐知が椅子に座りながら、男を心配そうに見つめていた。ここはセブンの病院だ。


「目が覚めましたか」

「さっきは庇っていただいて、ありがとうございます」


 三人は頭を下げる。メガネの男は優しい表情で答える。怒り狂った逆にナイフで刺されそうになった花音を、彼は間一髪で庇って刺されたのだ。出血が酷く、病院へ運ばれて治療を受けた。


「いいよいいよ。僕の方こそ、すぐに助けられなくてごめんね」


 まるでナイフで刺されたことを忘れているかのような、満面の笑みだった。酷い目に遭ったにも関わらず、随分とのほほんとしている。しかし、想像よりも元気そうで、三人は安堵した。


「病院なんて、久しぶりに来たなぁ」

「お怪我はもう大丈夫ですか?」

「うん、ちゃんと治療してくれたみたいだから、大丈夫だよ。僕達は既に死んでいるから、この世界でこれ以上死ぬことは絶対にないんだけど、一応病院は存在するんだね」


 この世界では人間は既に死んだ身であるため、これ以上死を重ねることはない。多少気絶することはあっても、絶命することはあり得ない。心臓を刃物で突き刺しても、銃器で脳を撃ち抜いても、死ぬことはないのだ。ある意味苦痛である。


 メガネの男は首を動かし、病室を物珍しそうに眺める。


「この世界の人達は、すごく優しいね。放っておいても死なないのに、わざわざ治療までしてくれるんだよ」

「いや、流石に治療はするでしょう……」

「ナイフ刺されそうになってるのを庇うアナタも、すごく優しいと思いますけど……」

「ナイフで襲ってきたアイツは、優しくないわよ」


 友美達は不思議に思った。男はかなり変わった人物だ。


「ありがとう。それにしても、現世でもナイフで刺されたっていうのに、まさかこっちでも刺されるなんて、ツイてないね……」

「え?」

「あぁ、そういえば自己紹介が遅れたね。僕は青葉宏一あおば こういち。こっちでは、セブンの美しい景色の写真を撮ったりしてるんだ」


 友美達はそれぞれ名前を教えてもらい、自己紹介をした。当然、自分達が死者ではないことは伏せたままで。宏一は自分の過去を語った。

 生前の彼はジャーナリストだったらしい。紛争地帯に赴き、戦闘兵器の爆撃や食糧難に苦しむ市民へインタビューしたり、写真を撮影したりする仕事をしていたようだ。


 しかし、五年前にハイジャックに遭った飛行機に乗り合わせ、その飛行機が墜落して死んだのだという。

 墜落する前に、隣に座っていた乗客がナイフで刺されそうになったのを、身を呈して庇ったことがあるとか。宏一は笑い話のように語るが、友美達は複雑な気分で話を聞いた。


「ジプシックミラーで確認したら、彼女は生きているみたいで安心したよ。結果として僕は死んでしまったけど、最後に誰かを守って死ねたのだからよかったよ」

「宏一さん……優しいですね」

「えへへ……ありがとう。でも、僕にも大切な人がいるんだ。その人を置いてこんなに早く旅立ってしまったことは、すごく後悔してるけどね」


 大切な人と離ればなれになる悲しみ。それは友美にも深く共感できる。自分も同じ立場だからだ。やはり誰にでも一緒にいたいと思う大切な人がいて、その人が死んでしまうことは耐え難いほどに悲しい。


「その気持ち、分かります。大切な人と会えなくなるのは、悲しいですよね。できるなら会いたいですよね」

「あぁ、会いたいね」


 友美は再び宏一の瞳を見つめる。とても優しい目をしていた。ひたすら他人に対して情けをかけ、自分を犠牲にしてまで気にかける心の温かい人物であることが、非常によく伝わる。彼の優しそうな笑顔が、その証拠だ。


 スッ

 宏一は小さなメモを友美に手渡した。


「え?」

「僕が今セブンで住んでる宿舎の住所だよ。君達とは話が合いそうだ。よかったら遊びに来て。写真とか色々見せてあげるよ」


 彼の声は、聞いていてとても安心した。まるで言葉に魔法がかかっているようだ。やはりセブンは優しい者で溢れていた。








「もうこんな時間だ」


 現世に戻ってきた友美達。日は既に沈んでおり、花音の家は暗闇に包まれていた。


「いやぁ、セブンはいい人がいっぱいですねぇ~」

「そうだね」


 大広間にそのままにしていたノートや参考書を、花音と祐知は片付ける。友美は何もない床を静かに見つめる。


「直人、見つけられなくて残念だったね、友美」

「……友美?」

「ねぇ、二人共……」


 友美はゆっくりと二人に顔を向ける。彼女はあの時の宏一のように、明るい満面の笑みだった。


「私、いいこと思いついちゃった……」








「セルに落ちろ」

「嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ユリウスが出現させた穴に落とされる男。ナイフで宏一を攻撃した罪で判決を改められ、セルに落ちていった。すぐさま穴は閉じられる。あのナイフ男に構っている余裕などないのだ。


「おい、梅田の様子はどうだ?」


 ユリウスは呼んだ部下に尋ねた。


「はい、依然として逃亡中です。逃げ場が無いのに、愚かなことですなぁ」

「何呑気なことを言っている。実際に逃げ場のないセルで、未だに逃げ続けている奴がいるんだぞ」

「す、すみません……」

「まぁ、梅田はそいつほど厄介ではないだろうがな」


 ユリウスは自前のジプシックミラーで、梅田と同じく長年セルで逃げ続けているという男の姿を映す。男は汗だくでセルの岩山を歩いていた。


『はぁ……どこだ……どこだじゅん……絶対に見つけて……ぶちのめしてやる……』


 セルに落としてから約10年。未だに男は悪魔の追跡を掻い潜り、逃亡を続けていた。どうやら誰かを探しているみたいだ。


遠山久志とおやま ひさし……しぶとい男だ」


 ユリウスは部下に命令し、男の捜索を続行した。どこまでも続く地獄のセルを逃げ続ける男は、醜い眼光をするどく光らせ、かつての憎らしい相手を死に物狂いで探していた。




 彼の名前は、遠山久志。直人の父親だ。


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