第3章「罪」

第24話「ダメな自分」



「直人さん、晩ごはんできましたよ!」

「あ、ありがとう……」


 クラリスはテーブルに料理を乗せる。今晩のメニューは肉じゃがだ。

 じゃがいもは宝石のようにきらびやかに輝いており、その周りを干からびた天使の羽ような豚肉が、だしを纏いながら囲むように散りばめられていた。他にもニンジン、玉ねぎ、白滝など、現世で普通に見られる食材が、ふんだんに使われている。


 直人が現世の料理の味が恋しくならないよう、クラリスからの心優しい気遣いだ。


「現世の味が恋しくならないよう、私が毎日作ってあげますからね!」

「そろそろセブンの料理が食いたいんだけどな……」


 ちなみに、直人は毎日現世の普通の料理を食べさせられ、セブンでしか食べられない珍しい料理は、なかなか口にさせてもらえなかった。この頃クラリスが毎日直人の部屋に通い、料理を作っているからだ。


「す、すみません……。でも、今日も頑張って作りましたから!」

「また変なミスしてないだろうな? 肉じゃなくて魚を入れてるとか、いもじゃなくて石を入れてるとか……」


 直人は細めた目で、クラリスを見つめる。これ以上生焼けのウインナーや血まみれの鶏肉の唐揚げ、泥水のようなカレーはたくさんだ。クラリスのドジは仕事だけでなく、私生活にも現れる。直人はそれを彼女の料理で散々味わった。


「だ、大丈夫ですよ……多分……」

「『多分』は言わないでくれ」

「それじゃあ絶対に大丈夫です!」

「……」


 クラリスの口から放たれる言葉は、『多分』も『絶対』も心配だった。直人は恐る恐る箸を持ち、じゃがいもと豚肉を掴んだ。


「いただきます……」

「どうぞ、召し上がってください!」


 パクッ




「……どうですか?」

「んんっ!?」


 直人は口を押さえた。おかしい。自分の知っている肉じゃがの味がしない。直人はじゃがいもや豚肉を端に寄せ、スープを確認した。


「すんごい茶色いな……」


 いつかのカレーの泥水のようだった。直人はスプーンですくい、スープを一口飲んだ。


「甘っ!!!」


 具を口にして抱いた違和感は、これだった。甘すぎる。まるでチョコ菓子のようだ。


「あぁ、すみません! 間違えて醤油じゃなくて、チョコレートシロップを入れてしまいましたぁ~!」

「チョコレート……シロップ……?」


 クラリスは今回も壮大にやらかした。なぜ肉じゃがを作るのに、使うはずもないチョコレートシロップが混入されているのか。直人は更にスープを一口すくい、口に運んだ。


「それに、なんか甘さの奥に、底はかとなく塩気を感じるんだが……」

「ごめんなさい! 砂糖と間違えて、塩を入れてしまいました!」


 料理の典型的なミスも、しっかりやらかしていた。直人はむしろ安心した。いや、安心してはいけないのだが。このように、クラリスは度々ミスを犯しては、彼を困らせていた。




「はぁ……」


 直人のベッドにちょこんと座り、クラリスは深くため息をついた。結局甘いのかしょっぱのか、よく分からない肉じゃがの姿をした謎の料理は、直人の根性で彼の口の中に全部流し込まれた。


「ふぅ、さっぱりしたぁ」


 風呂場から頭に湯気を沸かしながら、直人が出てきた。彼の風呂上がりの姿に、少々ドキッとするクラリス。


「まだ落ち込んでるのか」

「私、直人さんに迷惑かけてばっかり……」

「気にすんなよ」

「だって、セブンの案内もろくにできないし、せっかくセブンに来たのに現世の料理ばかり食べさせるし、その料理は毎回失敗するし。私、何をやってもダメダメで、出来が悪いんですぅ……」


 頭を垂れるクラリス。心なしか、頭上に浮かんでいる天使の輪が、電気が弱まった蛍光灯のように明るさが軽減している。直人はクラリスの隣に座る。


「お前……なんか友美みたいだな」

「友美さん? 直人さんの彼女さんの?」

「知ってるのか。アイツも超が付くほどのネガティブなんだ。昔は全然違って、かなりの自信家だったのになぁ。いや、落ち込む時はかなり落ち込むけどな……」


 クラリスは友美の存在にも興味があった。彼女なりに友美の詳細は把握している。直人を天才に育て上げた幼なじみで、彼にとってかけがえのない存在。それ故に、最後の別れ方は非常にむなしく、今でも涙を誘う。


「それでもな、すごく可愛い奴なんだ。少し口は悪いけど、それは自分の気持ちに正直になれていないだけで、内心俺のことを本気で愛してくれている。アイツの優しい瞳を見れば分かるんだ。いつも本心を隠して格好つけるけど、隠し切れなくて現れる照れた表情が、たまらなく可愛い。そんな不器用なところが、俺は好きだ」


 直人は友美への愛を語った。自分が恋心を抱いている相手から、別の好きな女性のことを聞かされ、少し複雑な心境になるクラリス。


「良く言えば、アイツはすごく人間らしいんだ。完璧であることに無駄にこだわるけど、完璧な人間なんてこの世にいない。それでも向上心を持って何事にも取り組む姿が、すごく憧れるな。俺も天才だけど、天才でいられるのは友美のおかげなんだからな。アイツがいなかったら、今の俺はいない。まぁ、最初はきつく当たってきたがなぁ……ははっ」


 クラリスには十分理解できた。直人の中で、友美がどれだけ偉大な存在であるかを。それと同時に、自分ごときが二人の関係に割って入ることなど、決して許されないことを。

 しかし、彼の話す友美の話題は、そんな事実の遺憾いかんさを感じさせないほどに、心安らかに耳に届いた。


「アイツは何だかんだで、俺のことを大切に思ってくれている。アイツの持っている優しさは、他の人とは違う。確実に俺の心に空いた穴にはまるピースの形をした、丁度いい大きさの優しさなんだ。アイツの愛は、俺の愛としか合わさらない。アイツじゃなきゃダメなんだ」


 友美はこのセブンにはいない。だからと言って、恋人がそばにいない悲しみを、クラリスが代わりになって埋めてやることはできない。理解していても苦しい。まるで目の前に宝箱があるのに、それを開ける鍵を持ち合わせていないように。

 しかし、直人の優しげな声は、苦しみと共に安らぎも降り注いでくる。


「だからこそ、悔やまれるんだ。アイツを一人現世に置いてきてしまったことを。アイツの一方的な勘違いとはいえ、アイツの心に深い悲しみを残して置き去りにしてしまったことをな。それを謝りたいのに、謝れない。友美に散々言われた時、すぐに謝ればよかったんだ。でもあの時、俺も素直になれなかった。ダメだよなぁ、俺って……」

「直人さん……」


 直人の頭が少しずつ垂れていく。彼の抱える悲しみは、まだ18歳の青年が背負うには重すぎた。クラリスの胸も、共鳴するように苦しくなっていく。


「あっ、悪ぃ……いつの間にか友美の話になっちまった。とにかくクラリスは、一生懸命頑張ってる。今よりもっと上の自分になろうと努力してる。そこがいいところだって、言いたかったんだ」

「ありがとうございます。直人さんもですよ」

「え?」


 クラリスは真っ直ぐ直人の顔を見つめる。自分が代わりに恋人になることはできない。彼の愛は友美と一つになって完成し尽くされているからだ。それでも、今一番彼のそばにいる自分だからこそ、できる励ましがきっとある。そう信じ、クラリスは言葉を続けた。


「友美さんのこと、心の底から理解しているんです。それがすごいと思います。あなたの優しさは海よりも深く、山よりも高く、宇宙より広いです。きっと友美さんも、直人さんの気持ちを分かってくれていますよ。友美さんもすごい人なんでしょう?」

「ま、まぁ……俺の彼女だしな」

「直人さんの思いは、いつか届きますよ。友美さんのことを愛し続けている限り、きっとです。友美さんじゃないので嫌かもしれませんが、私にこれから直人さんのことを支えさせてください!」


 クラリスは直人の手を握った。端から見れば、プロポーズしているような光景である。発している内容も、もはやそのものだった。直人は自分より小さくて頼りない者に、励まされてしまった。


「ありがとう、元気出たよ」


 お返しに、直人はクラリスの頭を撫でる。彼女の白い顔は、瞬く間に真っ赤に染められた。


“うぅぅぅぅ……だからこれ以上好きにさせないでくださいぃぃぃぃぃ!!!”


 直人の微笑みは、クラリスを更に虜にさせるには十分だった。


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