第18話「ワールドパス」



 俺は眠い目を擦りながら、ベッドから起き上がった。真っ先にクラリスの笑顔が、瞳に飛び込んできた。まるで金持ちの地主の家に仕えるメイドのようだ。

 まぁ、実質メイドみたいなものだよな。天使はセブンに来たばかりの死者の身の回りのお世話をすることも、仕事の一つだと言っていたし。


「おはようございます、直人さん」

「あぁ、おはよう」


 布団をめくり、一旦クラリスを家の外に出し、パジャマから私服に着替える。天使のはいえ、流石に女の前で着替えるわけにはいかない。俺が室内に戻っても、彼女は笑顔を崩さない。朝から上機嫌だな。


「何かあったのか? そんなにニヤけて」

「実はさっき、ユリア様から特別任務を任されたんですよ~」

「特別任務?」


 クラリスは俺に説明した。天使はセブンでの死者の生活を支えるだけでなく、神様が作った世界に度々赴き、現地の人間の様子を観察するという。死が近い人間のデータも観測するようだ。

 今回彼女には、セブンで一番偉い神様であるユリアの作った世界、つまり俺が生きていた世界に行って、調査をする任務が与えられた。神様の作った世界に調査に行く任務は、天使の間では大変特別なものらしく、一定期間任期を全うした天使でないと任されないようだ。


「私の教育のためみたいなんです」


 彼女の話からして、多分この世界にはたくさんの神様がいて、それぞれの神様が作った世界に多くの人間が暮らしている。その世界で死亡した人間は、この死後の世界にやって来るようだ。

 そして俺は、この世界の中で一番偉い女神ユリアが作った世界の人間。光栄に思うべきなのだろうが、いまいちピンとこない。


 難しい話は考えても分からん。天才は余計なことは考えないのだ。


「大丈夫かよ、クラリス」

「大丈夫です! 必ずうまくやってみせます!」


 クラリスが胸を張って答える。彼女の天使としての実力のように、胸の大きさもまだまだ発展途上だ。俺は彼女に付いていき、外に出ていった。外では彼女を待つヘルゼンの姿があった。


「ヘルゼン、お待たせ」

「おう」

「ところで、神様の作った世界に行くなんて、そんなことできるのか?」


 一応俺はクラリスに聞いてみた。一応クラリス達が行く世界というのは、人間がウヨウヨいる現世のことなんだろ。天使が行くことなんてできるのか?


「できますよ。……多分」


 数分前の自信満々な様子から一変したクラリス。目がおたまじゃくしのように泳いでいる。さては、どうやって神様の作った世界に行くのか、分かっていないな。


「これを使うんだよ」


 呆れた口調で言いながら、ヘルゼンはポケットから札束のようなものを取り出した。何かのチケットみたいだ。


「何だそれ」

「『ワールドパス』って言ってな、現世とセブンを往き来することができるチケットだ。天使はこれを使って、現世に調査に行ってるんだ」


 それを使って、別の世界へとワープするのか。流石セブン、何でもありだな。


「ほら、これがクラリスの分だ。失くすなよ」

「はーい」

「この空欄に名前を書くんだ。そして、手に握るとワープする」


 ヘルゼンが丁寧にチケットの使い方をクラリスに教えている。俺は思いきって二人に尋ねる。


「俺も連れてってくれないか」

「え!?」


 理由はもちろん友美に会いにいくためだ。彼女にどうしても会いたかった。彼女と仲直りがしたかった。しかし、二人の反応は予想通りだ。返ってくる言葉も。


「すまん、このチケットは天使しか使うことを許されていないんだ。死者の使用は禁止されている」

「……そうか」


 諦めるしかなさそうだ。流石にこのお願いは傲慢すぎる。チケットの使用が許されたら、死者は簡単に現世への甦りが叶ってしまう。規則であるならば仕方ない。


「それじゃあ、行ってくる」

「直人さんはゆっくりしててくださいね」


 サラサラサラ……

 ペンでチケットの空欄に名前を書くヘルゼンとクラリス。二人の体が光に包まれ、溶けていくように消えていった。現世にワープしたようだ。残された俺は、謎の虚無感に襲われた。




「……なるほど、あのチケットか」

「ん?」


 宿舎の影から声が聞こえたような気がした。俺は周りを見渡すが、誰もいない。気のせいか?




「はぁ……」


 俺は行く宛もなく町へ繰り出した。




   * * * * * * *




 エリンは大学の庭園ではしゃぐ学生達を眺める。大学生活にもだいぶ慣れ、学生達は新しい友人と共に青春を謳歌していた。しかし、その中に彼女の姿がいないことに、エリンは違和感を抱く。


「今日も来てないのね、中川さん……」


 連日大学への登校拒否を繰り返している友美だ。エリンは5組の学生の中でも、友美とは特別に仲が良かった。彼女の実力確認テストの出来が奮わず、勉強を教えていたこともあったからだ。


 しかし、恋人である直人の死を受け止めきれず、家に引きこもるようになった。

 根気よく彼女の家に通い続けている祐知や花音の話によると、食事や睡眠もまともにとっていないらしい。それほど恋人の死別が、心に深く刺さったようだ。彼女は自分と似たような運命を辿った。




「エリンさん」


 すると、エリンのそばにメガネをかけた若々しい容姿の女性が近寄ってきた。明智大学の学生ではない。学生と混合してしまいそうな見た目ではあるが。


「咲有里さん!」


 エリンの知り合いのようだった。彼女の名前は青葉咲有里あおば さゆり。明智大学の卒業生で、大学の近くにあるレストランで働いている。エリンはそこへ頻繁に通っており、次第に彼女と仲良くなった。


「久しぶりに大学の学食が食べたくなってしまって。よかったらご一緒にどうですか?」

「はい、ぜひ……」


 二人は食堂に向かった。空いている席に座り、他愛もない身内の話で盛り上がった。


「そうですか。息子さんも大学に慣れたみたいで、よかったですね」

「えぇ。でもこの明智大学に通ってたら、場所が近いので、毎日様子を見に行けるんですけどねぇ」

「もう、いまだに子離れできなくてどうするんですか。子供がいない私が言うのもなんですけど(笑)」

「あらあら、うふふ♪」


 二人して笑い合った。友美と会えない寂しさも、咲有里との会話で紛らわすことができた。




「ところでエリンさん、何か悩みでもあるんですか?」

「えっ、あぁ……分かっちゃいます?」


 咲有里は気づいていた。エリンが先程から愛想笑いをしていることに。申し訳なさが積もり、エリンは心の根を明かした。


「担当してるクラスの子が、一人事故で亡くなったんです。それで、その彼と付き合っていた子が、最近大学に来なくて。大切な人が亡くなった悲しみが、すごく大きいようなんです」

「そうですか、その子も辛かったでしょうね」

「それに、何だか私に似てるなぁって」

「似てる?」


 エリンは咲有里に自身の過去を話した。友美にも話した自分の初恋の相手のことだ。その日会ったばかりの人ではあるが、自分を助けてくれた大切な人を亡くした。現在の友美の状況と酷似している。

 そして、同じ境遇を経験したにも関わらず、友美に何の助けの手を伸ばせない自分に、背徳感を抱いていた。


「分かります。大切な人を失う悲しみってすごく大きいですよね。私にもあるんです」

「咲有里さんにも?」

「私の夫です。もう5年前になりますかね。同じように飛行機でハイジャック事件に巻き込まれて、亡くなったんです」


 咲有里の夫も同じく飛行機のハイジャックに遭い、その飛行機が墜落して亡くなったようだ。エリンのそれと状況が完全に一致していた。彼女は咲有親に親近感を抱く。


「そうなんですか……」

「でも、私にはあの人が残してくれた、かけがえのない一人息子がいる。もうこの世にはいないけど、あの人は私のことを見守ってくれてるはずなんです。そう思うと、少しは元気が出ると思いせんか?」

「確かに、そうですね。同じように励ましたら、きっと元気出してくれますよね。私、やってみます!」

「頑張ってくださいね!」


 エリンと咲有里は昼食を終え、互いに仕事に戻った。エリンは担任として、友美との接し方を模索した。








「和樹、いつまでも愛してるわ……」

あずさ……」


 梅田はジプシックミラーで現世の家族の様子を見ていた。ヘルゼンに教えてもらった穴場であるため、周りにはほぼ誰もいない。好きな景色が見放題だ。しかし、堪能しているという様子ではない。


「梓ぁ……うぅぅ……」


 梅田は仏壇に語りかける自分の妻の様子を眺め、身を乗り出し、鏡面に向かって妻の名前を呼ぶ。涙が絞ったレモンの果汁のように溢れ落ちる。


 そこへ、直人もやって来た。


「梅田さん……」

「直人君か。君も災難だね。恋人と離ればなれになるなんて」

「梅田さんだって」


 梅田は涙を拭い、直人に顔を向ける。大人の威厳を保つためか、彼はすぐにも涙を止めてみせた。


「直人君、もし今すぐ現世に戻って、大切な人に会いに行けるとしたら、君は行くかい?」

「え? それは、まぁ……そうですね」

「それが許されない行為だとしてもかい?」

「……」


 梅田はまるで直人を試すかのように、意味深に尋ねる。彼は何かを企んでいるのだろうか。直人は答えを考えあぐねる。天才である自分にも、答えは出せなかった。


「俺には何とも言えませんね」

「そうかい。ごめんね、変なこと聞いて。そんじゃあね」


 梅田は自分の宿舎へと帰って行った。梅田がいなくなった後で、改めて直人は彼から尋ねられたことについて考える。頭に過ったのは、あの“ワールドパス”のことだ。あのチケットを使えば、友美に会いに行くことができる。

 しかし、それはヘルゼンが言ったように禁止されている。死者である自分がチケットを使うことは、生命の生死の事実を改変させる行為に値するため、許されていない。常識的に考えて使わないのが利口な選択だ。


 しかし、友美だったらどうだろうか。


「……」


 セブンでは幸せな生活が約束されている。しかし、大切な人に会えない状況は、果たして幸せと呼べるのだろうか。直人はジプシックミラーの光る鏡面を眺めて思う。






「ただいまでぇす」


 夜になり、クラリスがセブンに帰ってきた。直人は自室に迎え入れ、彼女を休ませる。


「お帰り。特別任務はどうだ?」

「何とかやりきりました。途中何度も失敗して、ヘルゼンに怒られちゃいましたけど……」

「まぁ初日だからな。失敗するのは仕方ないさ」


 直人はクラリスの小さな頭を撫でる。クラリスは思わず頬を赤く染める。彼は女子の距離感をわきまえた方がいいだろう。そのせいで、友美に浮気を疑われたこともあるのだから。


「えへへ。ふぁ~、なんだか眠いです」

「少し寝ていくか?」

「そうします……むにゃむにゃ……」


 クラリスはそのまま直人のベッドに横になり、寝息を立て始めた。直人はベッドの横に小さなバッグが置かれていることに気がつく。彼女の持ち物のようだ。彼女は完全に寝入っていて、しばらく起きそうにない。


 ガサゴソ……

 直人は罪悪感を感じながらも、中身を漁る。そして、例のものを取り出す。ワールドパスだ。まだ100枚以上も残っていた。


「……」


 死者がチケットを使うことは禁止されている。しかし、友美に会いに行きたい欲望が、直人を突き動かす。相反する気持ちがせめぎ合う。


“どうする? 禁句を犯してまで友美に会いに行くか?”




 バーン!


「クラリス!!!」

「ふぁっ!?」


 壊れそうなほどに勢いよくドアを開き、ヘルゼンか飛び込んできた。彼の叫び声に驚き、クラリスはバネのように跳ね起きる。直人は即座に抜き取ったチケットを、バッグに戻す。


「何呑気に寝てるんだ! ユリア様に報告に行くぞ!」

「あぁ! そうだったぁ! 忘れてたぁ!」

「さっさと来い!」

「ごめん! あ、直人さん、おやすみなさいです」

「お、おう……」


 クラリスはバッグを拾い上げ、慌てて部屋を出ていった。直人は慌ただしい二人を、呆然と眺めていた。


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