第19話「禁句」



「おはようございます、直人さん」

「お、おはよう……」


 クラリスはいつものように直人の部屋に入る。彼の案内は済んだため、クラリスが彼に関わる必要はもうない。だが、なぜか彼女は家政婦のように、彼の部屋に通い続ける。


「今日もいい天気ですね~」

「元気だな。また今日も特別任務ってのがあるのか」

「そうです! 何だかんだで楽しいので♪」


 クラリスは台所で直人の朝食を作っている。小さな羽をひょこひょこと羽ばたかせながら、踊るように台所を動き回る。その後ろ姿を、直人はまるで新しい妹ができたかのように微笑ましく眺める。


「はい、できましたよ!」


 クラリスはテーブルに朝食を差し出す。大きな皿には目玉焼きとベーコン、ウインナー、サラダが乗せてあった。


「クラリス特製、スペシャルカーニバルスーパーフレッシュハッピーベリーヤミーデリシャスモーニングゴーゴーゴーセットです♪」

「長ぇよ」

「えへへ♪ どうぞ召し上がりください。私は行ってきますね!」


 クラリスはバッグを抱え、元気よく部屋を出ていった。彼女は天使としての出来は悪いが、何事にも一生懸命の真面目な性格は評価できる。あの向上心があれば、すぐにでも立派な天使になれるだろう。

 直人は父親にでもなったつもりで見送り、彼女が焼いてくれたウインナーを口に入れる。


「うっ……生焼けじゃねぇか!!!」






「ほっほっほっ……」


 クラリスはヘルゼンとの集合場所へと走る。羽で飛んでいく手段もあるが、自分の小さな羽ではスピードが出ない。足で走った方が圧倒的に早い。


“やっぱり、直人さんはカッコいいなぁ……”


 クラリスは走りながら、直人のことを思い浮かべる。彼に撫でられた頭の感触が、まだ微かに残っている。既にクラリスは彼に対し、恋心に近い感情を抱いていた。


“ダメダメ! 直人さんには友美さんが……”




 バシッ


「きゃっ!」

「うぉ!?」


 考え事をしていたせいか、曲がり角から飛び出してきた人影に気付かず、思いきりぶつかってしまった。


「痛た……」

「誰だ……あっ、クラリスちゃん」


 飛び出してきたのは梅田だった。彼は顔を押さえながら立ち上がる。周りにはクラリスのバッグからこぼれ落ちた化粧品類が、バラバラと転がっていた。


「ご、ごめんなさい! 私ったら……」

「いや、いいよ」


 梅田はクラリスのバッグから溢れたものを拾い集め、彼女に手渡した。彼女は何度も頭をペコペコ下げて謝った。


「本当にごめんなさい! 失礼します!」


 クラリスは先を急いだ。






「ヘルゼンお待たせ!」

「時間ギリギリだぞ」


 ようやくクラリスはヘルゼンとの集合場所にたどり着いた。朝から彼女らしい失態を重ね続けている。ヘルゼンは呆れながらも、即座に水に流す。


「ごめん、直人さんに朝ご飯作ってて……」

「まぁいい、行くぞ」


 ヘルゼンはワールドパスを取り出す。今日も特別任務のため、現世へ調査に向かうのだ。クラリスもバッグに手を入れ、チケットを探す。


「……あれ?」

「どうした?」


 クラリスの白い顔が徐々に青ざめていく。




「チケットが……無い……」








「こ、ここは……」


 梅田はクラリスが走ってくる様子を見計らい、わざとぶつかってバッグを落とさせた。バッグから溢れ落ちた化粧品の中に、チケットが混ざっているのを見つけ、すぐさま拾った。

 何食わぬ顔で彼女と別れ、チケットを使って現世にやって来たのだ。チケットの使い方は、ヘルゼンが彼女に説明しているところを盗み聞きした。


「あの公園だ!」


 梅田はチケットを使うと、生前家族とよく来ていた公園へとワープしていた。彼はなつかしい記憶を頼りに、自分の家を探した。妻が待っている家だ。


「待ってろ、梓~!」


 こうして梅田は禁句を犯し、現世に戻ってきた。


「俺は復活したぞ~! 本当の自由を取り戻すんだ~!」






「させるか!」

「へ?」


 シュンッ! シュンッ!

 梅田の目の前に、ヘルゼンとクラリスが現れた。二人もチケットを使い、現世に降りてきたのだ。二人で梅田の行く手を阻む。


「何やってんだ梅田! さっさと戻れ!」

「嫌だ! 俺は家族の元に帰るんだ~!」


 梅田はきびすを返して走り出した。全速力で二人の追跡から逃れる。


「待て!」


 二人も負けじと追いかける。




   * * * * * * *




 ピロンッ

 スマフォの通知音で目が覚めた。私は寝ていたようだ。鉛のように重くなった体を起こし、目を擦りながらスマフォを手に取る。


『元気ですか? お見舞い(?)に行けなくてすみません』

『辛いことがたくさんことがあるかもしれませんが、無理はしないように。学校は気が休んでからで大丈夫ですよ』

『先生はいつでも力になりますからね!』


 エリン先生からのLINEだ。私の背中を押すように、メッセージが次々と届く。私は先生にも迷惑をかけていることに気がつく。罪悪感が重力を思い出させ、更に体を重くする。


『でも、たまには外の空気を吸うように』


 このメッセージを最後に、エリン先生からのLINEはおとなしくなった。私は『わかりました。ありがとうございます』とだけメッセージを送り、ベッドに手を突きながら重い体を起こし上げる。




「ふぅ……」


 先生に言われた通りに外へ出た。ここはアパートの共有スペースである庭だ。私はベンチに座り、空を見上げる。直人の葬式の後から外出もせずにずっと引きこもっていた。もう何日目になるだろう。


 久しぶりの外を空気を吸い込むと、体が清々しい空気に包まれる。やっと心を落ち着かせることができたかもしれない。


「直人……」


 それでも直人に会えない現実は変わらない。私はまだ彼の死を受け入れられなかった。どうすれば彼に会えるのか。どうにかして救い出すことはできないか。そんな非現実的なことを考えてしまう。


“どうかお願いします……”


 私はどこかの誰かに祈った。




「待て~!」

「待たねぇ~!」


 何やら外から騒がしい声が聞こえる。子どもが鬼ごっこでもしているのだろうか。声は次第にアパートの方へ近づいてくる。私は様子を見ようと、アパートの入り口の塀の裏に隠れる。影から顔を出して覗き見る。


「痛っ!」


 バサッ

 追いかけられていた男の人が倒れた。それと同時に、目の前に札束のようなものが飛んできた。どうやら男の人が走りながら手に持っていたもので、転んだ拍子に転がってきたようだ。


「捕まえたぞ!」

「くそぅ……」


 男の人は緑髪の天使に腕を拘束された。私は塀の裏に隠れながら、その一部始終を眺める。


 天使……?


「ほら、戻るぞ! 勝手な行動をするな!」


 緑髪の少年が男の人に注意している。少年は白い衣装を着ていて、背中には羽が生えている。彼の頭上には輪っかが浮かんでいる。完全に絵に描いたような天使の姿だった。


「せめて家族に会わせてくれよ! 家族が待ってるんだ~!」

「死んだはずのお前がいきなり現れたら、びっくりするだろ!」

「そ、それは……」

「諦めろ。お前はもう死んだんだって」


 死んだ? 何を言っているのだろう。私には二人の会話の意味がよくわからなかった。そして、遠くからから白髪の少女が走ってきた。彼女も天使の格好をしている。


「はぁ……はぁ……」

「クラリス、チケットを回収しろ」

「あ、うん」


 白髪の少女は、男の人が落とした札束を拾っていった。チケットと呼んでいるが、一体何のことだだろう。すると、緑髪の少年がその束から、チケットを数枚引き抜いた。そのうちの二枚を、それぞれ白髪の少女と男の人に渡す。


「いいか? 何度も言うが、このチケットは我々天使が現世に調査しに行くための、ワープに使うものだ。お前達死者が使うことは禁止されている」

「くそっ……」


 我々天使? 現世……死者……。少年が話す数々のキーワードで、私は何となく理解した。

 この人達は、死後の世界なる場所からやって来たのだ。恐らくこの男の人は死者で、あのチケットを使って現世に降りてきた。そこへ、天使であるあの少年と少女が追いかけてきた。男の人が生き返ったことになってしまうから。


「残念だが、今一度ユリウス様に審判し直してもらうことになりそうだな」

「うぅぅ……」


 しかし、そんなことがあり得るのか。死んだ後に続く世界なんて。どうも非科学的な話だ。


「ほら、ここに名前書け」

「分かったよ」


 少年に促され、男の人はペンでチケットに名前を書いている。少年と少女も同じことをしている。


「戻るぞ、お前のいるべき世界へ」




 カァァァァァァァ


「え!?」


 私は思わず声をあげた。突然三人の体が光に包まれ、溶けるように消えていった。三人の姿はあっという間に消え、その場には何もない空間が広がっていた。死後の世界へワープしたのだ。




 チケットはどうやら本物のようだ。


「……」


 友美は手に握っているチケットの束を見つめる。先程目の前に転がってきた時に、あの天使の少年が男の人を取り押さえている隙を見計らい、何十枚か千切っておいたのだ。天使達はそのことに気づかず、男の人を連れて行ってしまった。


 このチケットに名前を書けば、死後の世界へ行くことができる。


「直人……」


 友美はチケットを強く握り締め、とある決意を固めた。


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