第16話「ジプシックミラー」



 燦々さんさんとした太陽の光の下、温かい空気を吸い込んで吐く陽気な少年少女の姿が見える。この町では、誰もが平等に日の光を浴びて生きている。しかし、彼女の部屋には、光が差し込まなかった。


 友美はあれから大学を休み、家に閉じこもっていた。直人は浮気などしておらず、ただ自分へのプレゼント選びを手伝ってもらっていただけだった。それを自分は一方的に責め立てて、彼を突き放してしまった。

 そして、彼を死地に送ってしまい、深い悲しみを残したまま、この世から消えていった。すべて自分のせいだと、友美は壁にもたれながら思う。


「……」


 これほどの罪が他にあるだろうか。今ならどんな犯罪よりも、罪深いことをしてしまった自信が湧いてくる。そんな無駄な自信が、ぽっかり空いた心の穴を埋め合わせるように溢れ出てくる。




 ガチャッ


「友美」


 玄関のドアを開け、花音と祐知が入ってきた。手にはコンビニで買った弁当や飲み物、デザートなどか詰められた袋をぶら下げている。もはや食事もまともに取らなくなった友美のために、花音達が定期的に食べ物を持って行っている。


「目の下にクマができてるよ。ちゃんと寝てるの?」


 友美は睡眠も十分に取っていなかった。毎日カーテンを締め切った暗い部屋の中で、何もない天井を見つめているだけだった。まるで幽霊のように干からびた彼女の体を、花音と祐知は心配する。


「友美、学校行きましょう。そろそろ欠席日数足りなくなって、単位落とすわよ」

「エリン先生も心配してたよ。友美がいないと寂しいってさ」


 祐知と花音は説得を試みる。友美が家に引きこもるようになってから、二人はせっせと彼女の家に通っては、何度も彼女を励まし続けてきた。しかし、直人の死を受け入れ切れない彼女は、二人の言葉に耳を傾けることはない。


「今の友美を見たら、直人がどう思うか想像しなよ」

「許せないことをして、立ち直れないのは分かってる。でも、このまま直人との折り合いをつけずに、ずっと引きずるつもりなの?」


 スッ

 友美は静かに南京錠のついた箱を指差す。いつも南京錠を開ける時に見ている番号。それが書かれたメモがない。


「開けられなくなったの、あの箱。直人との思い出をしたためた日記が入ってる。なんでだろう……彼が死んでから、開け方を忘れちゃった」


 直人との思い出が詰まった箱は、南京錠で固く閉ざされたままだ。まるで友美への腹いせのように。彼がいなくなっただけで、なぜか友美はいつも覚えているはずの番号を忘れてしまった。それほど友美の中の彼の存在は大きかったのだ。


「いつも簡単に開けてたのに、アイツがいなくなった途端に番号を忘れちゃったの。いなくなっただけでね。ほんと、馬鹿だよね……私……」


 友美にとって、直人は人生の全てであり、自分の中でかけがえのない存在になっていた。失ってからようやくその大切さ気づくのが、人間の愚かな一面だ。

 故に、最後に直人の心に深い傷を残して死なせてしまった罪悪感は、計り知れなかった。もはや「彼のためにも前向きに生きるべきだ」「さっさと折り合いをつけ、心を切り替えて生きろ」という文句は通用しない。


「直人……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 そして、今日も友美は天井を見上げて呟いた。直人は天井よりももっと高く、次元を越えた場所にいる。友美の声は決して届くことはない。世界は彼女の言葉では変わらない。それでも、彼女はひたすら虚無に向かって謝り続ける。


 そんな友美を前にして、二人は何も言えなかった。いくら学年トップクラスの成績を誇る二人でも、今の彼女を立ち直らせる言葉が思い浮かぶほど、博識ではなかった。








「直人、これ返しとくな」

「おぉ、ありがとう」


 ヘルゼンの手に握られていたのは、直人が死後の世界に来たばかりの時に着ていた服だ。ようやく返してもらった。

 いつの間にか直人は、自分でも知らず知らずのうちに白装束を着せられていた。審判所にたどり着く前の気を失っていたタイミングで、着替えさせられたらしい。


「審判を受ける時は、死者は白装束を着るって決められてるんだ」

「そうなのか」

「あ、もう着替えていいぞ。いつまでもその格好でいるのも何だし、服屋にでも行ったらどうだ? 色々もらえるぞ」

「いや、これでいいよ」


 直人は路地裏に隠れて着替えた。クラリスは何やら手持ち無沙汰な様子だ。


「ヘルゼン、ずるいよ。私の担当なのに色々教えて」

「じゃあ、お前が全部一人でやるか?」

「あっ、やっぱり付いてほしいな」

「おい」


 直人は着替えを終え、二人の元に戻ってきた。改めて辺りを見渡す。随分と近未来風の町並みだ。ここが死者が豊かに暮らすセブンなのか。




「……」


 直人はズボンのポケットに手を入れる。最初に死後の世界に来た時にも、中に何か入っていた感覚があった。それを思い出し、正体を確かめることにした。


「ん?」


 早速手を入れると、すぐに紙のようなものに触れる。取り出してみると、それは手のひらサイズの小さなメモ用紙だった。直人は開いてみると、声をあげて驚いた。


「こ、これって!」


 紙には「7010」と書かれてあった。直人はこれに見覚えがある。友美の家にあった箱に貼られていたメモだ。そして、この数字は箱を封印する南京錠を開けるためのもの。


「そういえば……」


 直人は思い返す。友美の家に勉強会に行き、南京錠の付いた箱を見つけた。中にあった彼女の日記を読もうとした時、このメモをついポケットにしまい、そのまま持って帰ってしまった。


 あれから友美に返さず、ずっと持っていたようだ。それが今、自分の手元にあるということは……。




「ヘルゼン」

「何だ?」

「ここに現世の様子が見られる場所とかないか?」

「え? あぁ、一応あるが……」

「案内してくれ」

「分かった」


 ヘルゼンはある場所へ直人を案内する。クラリスはその後ろを、とぼとぼと付いていく。


「えぇ……直人さん、なんで私を頼らないんですかぁ!」

「おいヘルゼン、俺を忘れるなぁ!!!」


 泣きわめいていた梅田も、慌てて付いていく。






 四人は大きな噴水が設置されている広場に着いた。噴水の中央には、女神の石像が建立されている。女神は我が子をあやすように、両腕で丸い鏡を抱えている。


「よかった。ここは穴場みたいだな」

「これは……何だ?」


 直人は女神の石像の前で首をかしげる。セブン初心者の彼に向けて、ベテラン天使のヘルゼンは説明する。


「ジプシックミラー。現世にいる遺族の様子とか、セルにいる奴らの様子とか、世界に存在する全ての景色を映し出すことができる鏡だ」

「へぇー」

「こんなものがあるんですね」

「いや、クラリスは知っておかないとダメだろ」


 クラリスまで感心の声を上げた。セブンの住人の天使であるはずなのに、彼女は鏡の存在を知らなかったようだ。彼女の天使としての技量が、更に疑わしく思えた直人だった。


「これって、過去の思い出みたいなのも映せたりするか?」

「一応できるが……何を見るんだ?」

「俺の遺体が火葬される直前を見せてくれ」


 突然直人が意味不明な頼みを申し出た。ヘルゼンの天使の輪の上に、クエスチョンマークが浮かぶ。


「そんなもの見てどうすんだ?」

「いいから。それで、どうやったら見れるんだ?」

「鏡に願いを伝えれば見せてくれるぞ」

「鏡、俺が火葬される直前を見せてくれ」


 ザザザザザ……

 ジプシックミラーの鏡面に、テレビの砂嵐のようなノイズと映像が流れる。それがうっすらと消えていき、棺に集まる人々を頭上から見下ろした映像へと切り替わる。

 祐知や花音、雫や他の親戚の人達が、直人の遺体に優しく話しかけているのが見える。各々が棺の中に、思い出の品らしきものを入れている。副葬品というものだ。


 それよりも、直人は友美の姿が見当たらないことが気になった。


「あっ!」


 雫が紙切れのようなものを、棺の中に入れた。目を凝らして見てみると、それはまさに番号が書かれたメモだった。直人は手に持っているメモを、映像のものと見比べる。


「このメモと同じ……」

「そういえば、生前に故人の思い入れが特に強いものは、一緒に死後の世界に持ってきてしまうことがあるんだよな」

「だからこれも……」


 直人は更にポケットに入っていたのもを取り出す。友美にプレゼントするはずだったネックレスの箱だ。傷は一つもついていない。使用上は問題はなさそうだ。しかし、こちらにあるということは、もう向こうの世界では無くなっていることになる。


「せめてこれを渡してやりたかったな……」


 友美も今頃、花音から事情を聞いたことだろう。それで彼女が許してくれるかどうかは分からない。たとえ許されなくても、直人はどうしてもこのネックレスを渡したかった。自分の気持ちが嘘ではないことを伝えたかった。


「彼女がセブンに来たら、また会える。その時まで待つんだな」


 ヘルゼンが直人の肩に手を乗せる。今まで後悔なんて何度も経験してきたつもりだが、今回はまるで程度が違う。


“やっぱ、後悔ってのは、生きてるうちにしておくものだな”


 しばらくは居場所を失うことになるであろうネックレスを握り締め、直人は強く思った。


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