第12話「もう遅い」
俺は友美と交際が一ヶ月続いた記念として、彼女にプレゼントを買おうと計画していた。しかし、女は何をあげれば喜んでくれるか分からない。恋人がいるのに恥ずかしながら、俺は恋愛には無頓着なのだ。
そこで、花音にプレゼント選びを手伝ってもらった。彼女がやけに距離を近づけてくるものだから、俺も負けじとやり返した。
友美が見ていると知っていれば、調子に乗ることもなかったのに。
「馬鹿……馬鹿……何やってんだ俺は!」
完全に自分を過信していた。俺はもう天才なんだと思っていた。そんな天才でも、間違いを犯すことはある。この世に完璧な人間なんていないんだ。
それでも、この間違いだけは悔やんでも悔やみ切れない。確かに友美が一方的に感情的になって責めてきたが、俺にも非がないというわけではない。
考えが浅はかすぎたんだ。別の女と二人きりになってるところなんて見られたら、そりゃ浮気現場だと思われちまうのは当然だよな。友美の感情が混乱してしまうのも無理はない。
「……」
右手に握られたプレゼントの箱。花音がリボンを手に取った後、ふと目に入った金色のネックレスだ。友美の大人びた顔立ちに似合うと思って、なけなしの貯金を叩いて買った。結局、彼女の首元を飾る役目を果たさず、ゴミと化した。
「……くそっ!」
ガッ
俺は苛立ちのあまり、箱を地面に叩きつけた。友美への怒りではない。思わずこちらも突き返すような態度をしてしまった罪悪感から来る、自分への怒りだ。
なんで彼女にきちんと説明しなかったんだ。ただ花音にプレゼント選びに付き合ってもらっていただけだって。俺まで感情的になってどうする。
ザッ
衝撃で箱からネックレスが箱から飛び出た。ネックレスは歩道を飛び越し、車道のど真ん中へと転がっていった。誰かの落とし物のように、暗い夜道に金色の輝きが見える。
終わった。俺と友美の関係はおしまいだ。もう元に戻せそうにない。過去は二度とやって来ることはない。こんな状況になって、初めて壊れてしまったものの重要性に気がつくとは。俺は闇に光るネックレスに背を向け、家へと帰る。
「……」
しかし、俺はどうしても帰路の一歩を踏み出すことができなかった。なぜだろう。今なら取り返しがつくかもしれない。そんな可能性が、まだ俺の手の届く場所に残されているかもしれないと、そう思ってしまう。
そもそもアイツとの仲違いは、俺が勘違いさせるような素振りを取ったことも原因だろう。アイツが心に深い傷を負っているのは、俺のせいなんだ。
「……!」
俺は柵を乗り越え、ネックレスを取りに行った。やっぱりこのままギスギスした関係が続くのは嫌だ。俺は本当にアイツを愛しているんだ。
罰ゲームで告白させられたわけだが、俺の友美への愛は本心だ。俺は意地でも愛を貫き通すぞ。
明日、友美に謝ろう。やはり俺達の関係は終わらない。もう一度やり直せるはずだ。あれだけ強く床に叩きつけても、まだ壊れていないネックレスを見て思った。明日大学に言ったら、開口一番に友美に謝ろう。俺は願いを込めるように、ネックレスに手を伸ばす。
ブー!
「……!?」
突然俺の鼓膜に、自動車のクラクションの音が突き刺さる。今まで目の前のネックレスしか見えていなかった視界に、ようやく自動車のライトが差し込む。
しかし、気づくのが完全に遅れていた。恋は盲目って、こういうことなのかもな。
俺は走ってくる車の姿も、音も、光も完全に気づかなかった。
「……あぁ」
グシャッ
「……え?」
私は箱の南京錠に手をかけたまま動けなかった。いつものように日記を書こうとした。直人の浮気の愚痴を、ひたすら書き殴ってやろうと思った。そうすれば気も晴れると信じて。
それなのに、私の指はダイヤルを一つも回せない。
「えっと……」
番号を完全に忘れてしまった。それに、いつも箱の上の面には、南京錠を開ける番号を書いたメモを貼り付けていたはずだ。だが、今はそれが無くなっている。
毎日そのメモを見ながら箱を開け、中から日記を取り出して書いてていたのだ。なぜ無くなってしまったのだろう。
いや、問題はそこじゃないかもしれない。毎日開けているのであれば、流石にメモが無くても番号は覚えているはず。メモが無くても開けられるはずだ。
なのに、できない。それがなぜなのか、今の私には分からない。日記は箱の中にある。このままでは箱を開けられず、日記を書くことができない。
「……」
いや、もういいだろう。日記なんてどうせ直人のことばっかりだ。アイツのことなんか、もう知らない。私より頭のいい人と結ばれて、勝手に幸せになっていればいいんだ。アイツと別れて正解だった。気分は晴れ晴れだ。
「あー、スッキリした。アイツが彼氏なんか、反吐が出るわ。そうよ、直人なんかが彼氏なんて、嫌に決まってる。直人なんか……直人……なんか……」
直人と別れられて嬉しい……そんなわけ……ないじゃない。
「うぅ……なんで……なんでなの……」
私の我慢を無視して流れ続ける涙が、私の本当の気持ちを表していた。悲しくてたまらない。苦しくてたまらない。直人に嫌われてしまったことが、酷く悔やまれるのだ。
私の何がいけないのか。私が天才ではないからなのか。彼と肩を並べる力も資格もないから、見放されてしまったのか。どんな理由にせよ、彼に嫌われてしまったことは事実だ。
「なんで……なんで……嫌よ……直人……」
私は布団を被り、ひたすら後悔の念に押し潰される。私の頭の中は、彼への疑念ばかりで埋め尽くされた。晩ご飯もお風呂も忘れ、すぐに夢に引き込まれてしまった。
「昨晩午後7時42分頃、岐阜県明智町 明智駅前通り付近の市道で、突然歩道から飛び出した男性が、乗用車にはねられました」
私はテレビの音片耳に、朝ご飯のトーストを飲み込む。朝から物騒なニュースが、せっかく始まった一日を憂鬱に陥れようとしている。明智駅前通りは、いつも登下校に使う道だ。現場がかなり近い。
しかし、そんなことを気にさせないくらい、私の思考は昨晩の喧嘩のことで支配されている。学校で直人に会ったら、どう接すればいいかわからない。
「……」
外は清々しいくらいに晴れていた。何の不吉な予兆も感じさせない。私の心と相反しているようだ。空が幸せを一人占めし、私をあざ笑っているようにも感じられた。
「おはよう、友美」
「祐知君、おはよう」
重たい心を抱えながらも、私は大学に着いた。祐知君は先に講義室に座り、講義が始まるまでの暇潰しに小説を読んでいた。私はその隣に座る。直人の姿がどこにもない。花音もだ。
「花音は今日、風邪で休みなんだって」
「そう……」
昨日までピンピンしていたのに、一晩で風邪になるとはついていない。純粋に心配してあげたいのに、直人との件が間に挟まって思いやれない。
考えてみれば、花音とも関係が悪化してしまいそうで怖い。私の恋人を奪った浮気相手なのだから。彼女ともこれからどう接していけばいいのだろうか。
「直人は?」
「直人? そういえば、まだ来てないね。連絡したの?」
「まだ……」
私はスマフォを取り出し、電話帳に並ぶ直人の名前を見つめる。喧嘩してから気まずくて、電話もできなかった。彼との距離が遠く感じると、昨日の出来事もまるで遥か過去の歴史のように思える。連絡するべきか否か。私の指は震えていた。
ガラッ
講義をする教授がやって来た。気がつけば、もうすぐ開始の時間だ。しかし、姿を見せたのは、今から私達が受ける講義の教授ではなかった。私達のクラスの担任のエリン先生だ。
「エリン先生?」
周りのクラスメイトも、先生の入室に戸惑う。そして、先生はなぜか涙ぐんでいた。余程悲しいことがあったのか、何度もシャツの袖で涙を拭っている。異常なまでに様子がおかしい先生に、クラスメイトはざわつき始める。
エリン先生は必死に嗚咽を抑えながら、口を開いた。
「みなさんに……悲しいお知らせがあります……」
悲しいお知らせ?
「私達のクラスメイトの遠山直人君が、昨晩乗用車にはねられ、亡くなりました」
「…………え」
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