第13話「さようなら」
その日の授業を正気に受けられるほど、私の脳は情報処理能力が達者にできていなかった。永遠とも感じられるような講義の時間が、ひたすら私の中で暴れる
私達は最後の講義が終わると、椅子から跳ね上がり、講義室を出ていった。
プルルルルル
「……!?」
唐突のスマフォのバイブが、私達の足を止めた。急いで取り出すと、画面には『遠山直人』と表示されていた。彼のスマフォからだ。私は恐る恐る応答ボタンを押し、耳に当てる。
「……もしもし」
「友美、覚えてる? 雫だよ」
「雫ちゃん……」
まだ若々しさのある少女の声。私はこの声に聞き覚えがある。直人の妹の
直人が大学生になってから、雫ちゃんは兄と二人暮らしをしていると、彼から聞いていた。
彼はデート中の他愛もない話で、時々妹のことも語る。まだ彼と付き合っていた頃、私と直人、雫ちゃんの三人で出かけたこともある。彼女も私のことを呼び捨てで呼ぶくらいに、私と友好的な関係を築いている。
「知ってる? お兄ちゃんのこと」
「えぇ……」
「お願いがあるの。まだうちには来ないでほしい。気持ちは分かるけど、今は落ち着いて。葬式の日程は、決まったら連絡するから」
「……分かった」
私は通話を切った。私はその場に呆然と立ち尽くし、祐知君の支え無しではまともに歩けなかった。雫ちゃんは家族を亡くしたのに、私よりも悲しいはずなのに、私より落ち着いている。
その落ち着き具合は、私よりもずっと大人に感じられた。
直人の事故死を伝えられた日の夜、葬式の日程が伝えられた。後日、私と祐知君は礼服を着用して式場に向かった。花音の席も用意されたけど、風邪がまだ治っていないために、恐らく参加できないだろう。
式場には、遠山家の親族や関係者が集まっていた。
「雫ちゃん」
「来てくれてありがとう……」
うつ向きながら私達を迎える雫ちゃん。電話では落ち着いていたけど、彼女も内心まだ兄の死を受け入れきれていないんだ。
それでも、今の私よりもずっと大人びている。昔から雫ちゃんは、とてもしっかりした子という印象があった。直人よりもずっと礼儀正しい。いつの間にこんなに大きくなったんだろう。
「ねぇ雫ちゃん、お父さんとお母さんは?」
私には気になることがあった。直人と雫ちゃんの両親と思われる姿が、どこにも見当たらない。集まっているのは、誰もが70代を過ぎていそうな年配の親戚と、その家族ばかりだ。
雫ちゃんが変に孤立している。兄を亡くして悲しんでいる娘のそばにいない両親を、不審に思った。
「……!」
しかし、私が雫ちゃんに尋ねると、彼女は何かを思い出したように表情をひきつらせる。
「友美!」
「え?」
「ごめんね、雫ちゃん」
「……いいの」
祐知君が私の肩に手を乗せる。雫ちゃんは弱々しい足どりで、親戚の集まっているところへ歩いていく。私の質問には答えないままだ。
「どういうこと?」
「知らないの? 直人と雫ちゃんのご両親は、もう亡くなってるんだ」
「え!?」
「直人がまだ小学生くらいの時にね。花音がそう言ってた。直人が大学生になるで、親戚の人に育ててもらったんだって」
両親は既に亡くなっている? しかも小学生の頃なんて、とっくの昔ではないか。私にはとても信じられなかった。なぜなら、直人の普段の素振りからは、そんな事実を感じられないからだ。彼は私に教えてくれなかった。
いつも明るくて、無駄に元気だった。それでも彼の笑顔の裏には、両親を亡くした悲しみが隠れていたようだ。
それじゃあ、雫ちゃんは一人になってしまったのか。唯一の人生の支えであった兄まで失って。そう思うと、雫ちゃんの背中が更に弱々しく見えた。同時に、底知れない罪悪感に打ちのめされた。
焼香の後、一通りの法話や説教を終え、通夜振る舞いの時間となった。通夜振る舞いは、故人と過ごす最後の食事会だ。私達も招待された。しかし、私は直人が亡くなってしまった実感が湧かず、箸に手をつけられないでいる。
ガラッ
「花音!?」
突然襖を勢いよく開け、花音が部屋に入ってきた。風邪で寝込んでいたはずなのに。
「花音、寝てなくていいの?」
「もう治したわ。ていうか、こんな時に呑気に寝てられないわよ」
私は花音にも直人の事故死を伝えていた。彼女もだいぶ動揺していたようだ。同じ高校の同級生だったものね。無理はない。
「友美、あのさ……」
「言わなくても分かってる。私ももう何も言わない。アンタの方が私よりもずっとすごい人間だし、直人にお似合いだわ」
「え?」
「結局、私はただの凡人だったのかもね」
直人と別れてから、初めて花音と対面する。考えてみれば、彼女は直人の浮気相手なのだ。しかし、私は彼女に怒りをぶつけるようなことはしない。むしろ自分の魅力の無さを受け止め、彼女が直人を愛していることを受け入れる。
「ちょっと待って。友美、何言ってるの?」
「花音、あの日直人と一緒にいたわよね?」
「……!」
あの日、直人と仲睦まじげに買い物をしていたことを、花音に指摘する。彼女は弱点を突かれた獲物のように動揺する。別に彼女を責めるわけじゃない。ただの確認だ。彼女が直人とそういう関係であるならば、私は諦めて手を引く。
「見てたのね。まぁ、一緒にいたけど……」
「やっぱり……そういうことなのね……」
「でも違うの! 聞いて!」
ガシッ
花音が私の肩を強く掴む。
「私、直人君に頼まれたの。友美に贈るプレゼントを選ぶのを手伝ってって」
「……え?」
花音は事情を説明した。直人も私との交際が一ヶ月続いた記念に、私にプレゼントを贈ろうと考えていたらしい。サプライズで喜ばせるため、私には内緒に。
しかし、何を贈れば喜んでくれるのかが分からなかったため、花音にプレゼント選びを手伝ってもらっていたのだ。
「じゃあ、あのリボンのくだりは……?」
「あれはただのスキンシップ。直人君優しいから乗ってくれたけど、私とはそういう関係じゃないの!」
「え、そんな……」
あの日、アクセサリーショップで見た光景。あれは、私に贈るプレゼントを選んでくれていたのか。花音の方も下心なんて無くて、直人の頼みを聞いていただけ。彼は私のためを思って、交際が一ヶ月続いたことを祝おうとしてくれていた。
それを、私は浮気と勘違いして……
“どうせ私みたいな馬鹿より、花音みたいな天才と付き合う方がいいんでしょ”
“聞きたくない! 言い訳なんて聞きたくない! どうせ私なんか、アンタ達みたいな天才となんて、分かり合えることなんてできないし!”
私は……直人の事情も聞かないで……
直人にきつく当たってしまった罪悪感が重くのしかかり、私の心を
彼には何か理由があったはずなんだ。それなのに……私は……
「直人……」
私は直人の眠る棺へと歩み寄る。まるで餌にありつこうとするゾンビのように。よろよろとしたおぼつかない足どりで近づく。
直人の死に顔は、とても綺麗だった。私を馬鹿にする時も、元気付ける時も、いつもそばにあった彼の笑顔。失ってから初めて、支えてくれたものの重要性に気がついた。彼は私の人生の支えだったのだ。
なのに、彼との最後は、ろくでもない喧嘩で幕を下ろしてしまった。最後に私に勘違いで責め立てられ、さぞかし深く傷ついたことだろう。
私は棺にしがみつき、彼に叫ぶ。
「直人、ごめんなさい! 私が悪かったから! 勘違いしてごめんなさい! もうアンタのこと、疑ったりしないから! だから……目を覚まして……お願い……」
いくら叫んでも、彼が答えることはない。どれだけ謝っても無意味だ。もうこの世に直人はいないのだから。私は直人の心に傷を残したまま、逝かせてしまった。私が殺したのだ。
これが最後なんて……嫌よ……
「直人! 直人!!! あぁぁぁぁぁ……」
私の泣き叫ぶ声が部屋に響き渡る。祐知君や花音、雫ちゃんが駆け寄り、優しく私の背中をさする。
本当に迷惑な男だと思った。何度も何度も私の前からいなくなっては、ひょっこりと現れてくる変な奴。なのに、これでもう会うことがないなんて、迷惑にも程がある。私に悲しみばっかり押し付けて。
それでも、本当に悪いのは私だ。私が一方的に直人が浮気したと決めつけて突き放し、悲しみに暮れたまま死なせてしまった。私はこの罪を、ずっと背負ったまま生きていかなければいかないのか。彼に謝ることもできず、彼の姿形もない世界で。
「うぅぅ……直人……」
結局、その日の涙は就寝の時間に寝落ちるまで、枯れることはなかった。
一番辛かったのは火葬の時だ。直人の亡骸は棺と共に、火葬炉へと入っていった。棺を閉じる前に見えた最後の彼の顔に、涙が更にに溢れ出てしまった。
もはや精神的に不安定になってしまったため、遺骨を見ることなんてできなかった。私は遠山家の親戚の人に付き添ってもらいながら、火葬場の外で心を落ち着かせた。
でも、結局落ち着くことなどなかった。私はどこまで人に迷惑をかけるのだろう。
これから直人に関わる全てが、この世からどんどん無くなっていく。彼のいない世界で、私はどうやって生きていけばいいのだろうか。私は後悔と
さようなら、直人……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます