第9話「ぎこちない交際」



 4月17日 土曜日

 直人が私に告白してきた。私はもう天才ではないと言ったが、そんなことは関係ないと返してくれた。私は彼の手を取り、彼との交際を受け入れた。


 やっぱり敵わない。直人は頭のよさだけでなく、人への気遣いや優しさ、人間性までもが、私を遥かに凌駕りょうがしている。あの時とは完全に立場が逆転してしまったけれど、彼はそんなことを気にせず、私を愛してくれると約束した。


 でも、私は本当に彼と付き合っていいのだろうか。彼は本当に約束を守ってくれるだろうか。私には不安で仕方ない。恋愛なんて初めてだから。


 まだまだ私には知らないことが多すぎる。私の知らない全てを、直人は知っていたりするのだろうか。




     *   *   *




「……ほんとに告白したの?」

「あぁ」

「じゃあ……二人は付き合ってるんだね?」

「えぇ……」


 次の週の月曜日、友美は花音と祐知、に直人との交際を始めたことを公表した。二人は戸惑っている様子だ。まぁ、前触れも無くいきなり交際を始めたと言えば、通常は驚くだろう。


「ただの罰g……むぐぅ!」

「と、とにかくおめでとう! 僕達も応援するよ!」


 花音が何か問題発言をしてしまうのをごまかすかのように、祐知は花音の口を塞ぐ。意図はよく分からないが、とにかく二人共友美と直人の恋仲を応援してくれるようだ。友美は安心した。




「それじゃあ、またな」

「また明日~」


 友美と直人は二人と別れた。月曜日の授業は二限目までであり、校門前は下校しようとする学生で溢れていた。輝かしい青春を謳歌する学生達の群衆の中へ、友美と直人の影が溶け込む。


「まさか本当に付き合っちゃうなんて」

「あの二人、ちゃんと愛し合っていけるのかな……」

「幼なじみだから大丈夫ですよ。きっと」


 祐知と花音は遠ざかる二人の背中を見つめる。花音は二人の仲に対して謎の自信を持っていた。心配することなく校舎へと戻っていく。これから教授の行動を観察しに行くという。大学でも相変わらず人間の個人情報の収集にいそしんでいるようだ。






「でもまぁ、55点は流石に問題だよなぁ……」

「わ、分かってるわよ! だからこうして勉強教えてって頼み込んでるの!」

「妙に上から目線な気がするのは気のせいか?」


 二人は下校の足で、そのまま友美の一人暮らしのアパートに向かった。今は二人で勉強会を開いている。実力確認試験の振り返りをメインに、直人が友美を指導している。小学生の頃とは、完全に立場が逆転してしまっていた。


「一体いつからこうなっちゃったのかしら……」

「まぁ、頑張ろうぜ。お前は努力だけは人並み以上にできるんだからよ」

「『だけ』は余計よ!」


 教えてもらっているのに、相変わらず高圧的な態度で接する友美。二人のやり取りは以前と変わらず、付き合っているという事実を忘れさせてくる。しばらくの間、友美は集中して問題集にかじりつく。




 そこから約1時間半ほど経過した。


「そろそろ休憩するか」

「そんなことしてる余裕ないわよ」

「おいおい、前に言っただろ? 適度に休まないと、脳がゾンビになるって。必要な休息をとることも、天才への一歩だぜ」


 偉そうに言ってくれる。いや、実際偉いのだから、何も言い返せない。しかし、そんな正論が、友美にはどこか気に食わない。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「おう」


 友美は立ち上がり、部屋を出ていく。直人は一人部屋に取り残される。空間がしんと静まり返る。彼はぐるっと友美の部屋を見渡す。




「ん?」


 部屋の隅にぽつんと置かれた小さなテーブルの上に、大きな金属製の箱が乗っていた。銀色に輝く表面が、天井の照明を反射している。直人は導かれるかのように箱に近づく。


「何だ?」


 箱自体もそうだが、それ以上に直人を引き付けたのは、箱に被さるように貼り付けられた小さな小さな紙だった。友美がメモ帳から千切って貼り付けたものらしい。


「7010……?」


 紙には「7010」と数字が記入されていた。筆跡からして、間違いなく友美が書いたものだ。紙をめくると、裏にダイヤルロック製の南京錠が顔を出した。箱を厳重に封印しているようだった。

 単純にこの紙に書いてある番号の通りにダイヤルキーを回すことで、南京錠が開けられるのだと推測した。しかし、キーの番号を書いた紙を、わざわざ箱に貼り付けたりするだろうか。誰かに見つかりでもしたら、簡単に開けられてしまう。


 だとしたら、この番号はフェイクなのかもしれない。とりあえず紙に書いてある番号通りに、ダイヤルを合わせた。




 カチッ


「いや開くんかーい」


 南京錠は何の抵抗もなく開いた。フェイクも何もしかけられていなかった。誰もいない部屋で、直人のノリツッコミが響く。


「……」


 恐る恐る直人は箱を開く。中に入っているのは、恐らく友美の私物だろう。南京錠までかけて保管しているということは、相当重要なものが隠されているのかもしれない。直人は好奇心を胸に箱を開いた。


 キー


「これは……」


 中身はピンク色の大学ノートのようだった。表紙には「Diary」と記載されている。これは友美の日記帳だろうか。


「友美の日記? どれどれ……」


 付き合っている身として、彼女の私生活を知っておくことは(直人の中では)重要であるため、直人は日記を開いた。


「え~っと、4月21日 土曜日、今日から……」






「あぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 直人が一ページの一日目を読もうとした時、トイレを済ませた友美が赤面しながら飛び込んできた。早業で彼から日記を奪う。あまりの素早さに、彼は驚愕して転倒した。


「日記読まないでよ! ていうか、なんで勝手に箱開けてんのよ! 馬鹿!!!」

「馬鹿とは何だ、俺は天才だぞ」

「許可なく人のプライベートに漬け込んで、何がてn……あっ……」


 友美は肘を庇う直人に気づき、言葉が途切れた。直人は転倒した際に、肘を強く床に打ち付けてしまったようだ。打ち付けた部分が少々赤く腫れ上がっている。友美の怒りは罪悪感に切り替わる。


「だ、大丈夫?」

「あぁ、全然平気だ」

「……」

「そんなマジな顔すんなって。本当に大丈夫だよ」


 またこれだ。情に身を任せた挙げ句、直人に再びキツく当たってしまった。直人が悪気があってやったわけではないことは、百も承知のはず。分かっていたはずなのに……。


「あの……ごめn……」

「悪かったな、勝手に覗いちまって。でも、またいつか読ませてくれよな」

「え? あ、うん。また今度ね……」


 直人の方から先に謝られた。友美の「ごめんね」は、喉の奥へと引っ込んでいく。何から何までズルい。友美は彼との間に更に距離ができてしまったように感じた。


「じゃあ、そろそろ続きをやるか」

「えぇ……」


 自分は直人と付き合っている。なのに、どうして自分の感情と行動は、肝心な時に比例してくれないのだろう。彼に本当に伝えたいことが伝えられない。常に彼の優しさに、先にゴールテープを切られてしまう。相変わらず自分の心が分からない。操れないままだ。


“私、本当に直人と付き合ってていいのかな……”


 とりあえず、友美は目の前の問題集に意識を移す。本当に教えてほしいことは、そこには書かれていないと知っていながら。


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