第8話「友達から恋人へ」



「私はエリン・グラハムです。文学部国際文化学科5組の担任になりました。よろしくお願いします!」


 講義は土日を挟んだ月曜日から始まった。黄色い髪をポニーテールにまとめた外国人の女性教授が、学生達の前でお辞儀をする。友美は思い出した。確か彼女は、先日行った実力確認試験の入った段ボールを運んでいた教授だ。彼女は流暢な日本語で自己紹介をした。


「あ……では、早速実力確認試験の結果を返しますね」

『えぇぇぇぇぇぇ~!?』


 またもや学生達から驚愕の声が響く。試験のことなどすっかり忘れて気が緩んでいた学生達だが、初回の講義から後味が悪くなる予感がした。


「学籍番号順に名前を言いますので、前に取りに来てください」


 エリン先生は一人一人名前を呼ぶ。学生達は恐る恐る解答用紙を受け取る。そんな中で、友美は感傷に浸る。小中高と経験してきたテスト返却の際の緊張感が甦る。安堵の表情を浮かべたり、泣き叫んだりする学生達の反応が、どこか懐かしい。まさか大学でも同じ空気を味わうことになるとは。


「中川友美さん」

「はい」


 友美が呼ばれた。彼女はなるべく動揺を悟られぬように振る舞った。落ち着いた足取りで先生の前に立ち、解答用紙を受け取る。


「……」


 その場では点数は確認せず、一旦自分の席へ戻る。席へ座った後、恐る恐る解答用紙の点数を隠した手をずらす。




 55点




「……は?」


 友美は氏名欄を見直す。確かに「中川友美」と記入されている。しかし、点数欄には無駄に綺麗に55点と、赤ペンで記されている。底知れぬ違和感を抱く。名前と点数が比例していない。


「嘘でしょ……え……へぇ?」

「どうした? 友美」

「……何でもない」


 友美の前の席にいた直人が、後ろを振り返って尋ねる。直人の落ち着いた様子から、彼の点数はそこそこ高点数であることに間違いはない。友美は解答用紙の角を折り曲げ、点数欄を隠した。






 初日の講義が全て終了した。友美、直人、花音、祐知の四人は、教室を出る。それぞれが講義の疲れで、肩がぐったりと垂れている。

 しかし、友美に関しては実力確認試験の結果が心に響き、もはや集中などできなかった。ずっと上の空で、直人の背中を見つめていた。


 初日からあんな失態を犯すとは予想外だ。他の三人には試験結果は内密にしておこうと、心に決めた友美。


「花音、お前は何点だったんだ?」

「私? 95点よ~」

「うわ、負けた……。俺90点だよ」

「もう……勝ち負けじゃないんだから~」


 友美は心臓をわしづかみにされたような衝撃を受けた。決意したそばから、試験の話題が始まった。しかも、花音の方が自分より圧倒的に点数が高い。直人も案の定高得点だ。彼女は不気味な疎外感を覚えた。


「じゃあ、祐知は……」

「祐知先輩の解答用紙はさっき見たわ。100点でしたよね!?」

「言わないでよ……恥ずかしい……」

「いや、なんで恥ずかしがる必要があるんだよ……」

「流石祐知先輩、かないませんねぇ……」


 やめてほしい。それ以上試験の話題を続けないでほしい。この流れだと、最後に友美に点数を聞いてくる。


「それで? 友美は何点だったんだ?」

「え……」


 遂に友美に矛先が向いた。しかも直人の口からだ。彼女は口ごもる。彼らの点数を聞いた後で、55点だなんて口が裂けても言えない。むしろ口が無くなっても言えない。

 しかし、自分だけ点数を公表しないというわけにもいかない。場の空気を悪くするだけだ。友美は悩みの末に、ゆっくり口を開いた。




「……きゅ、90点」

「おぉ、同じだな。友美ならもっといい点取ってると思ったんだが」

「わ、私もちょっと調子出なくて……」


 自分の保身のために、嘘をついたのは初めてかもしれない。そもそも今までは何もかも完璧だったために、嘘をつく必要がなかったかもしれない。初めての嘘は、心に鉛を埋め込むように苦しかった。

 友美は改めて三人の表情を見る。三人共、非常に生き生きとしている。自分とは別の存在……言葉で表すなら、天才。


「……」


 友美は思い知った。今まで自分のことをどこか特別で、才能のある人間だと信じていた。小学生の頃に直人にテストの点数で敗北し、一度は自分の実力を疑った。彼の励ましもあり、なるべく考えないようにしてきた。


 しかし、再び悪夢が甦った。いや、これが現実というものだろう。やはり自分は天才などではなく、凡人の端くれに過ぎなかった。

 対して、直人は違う。精一杯の努力で勝ち上がり、天才へと成り上がったのだ。花音や祐知も同様である。不気味な疎外感は、友美の中でますます大きくなっていった。


「あ、僕これからサークルがあるんだ」

「サークル? 祐知、サークルに入ってるのか?」

「うん。オカルト研究サークルっていうくだらない集まりだけどね」


 祐知が部室のある別棟へと、方向転換する。花音は祐知に付いていく。


「オカルト? 何ですかそれ!? 面白そう!」

「よかったら見学でもしてく? みんな入学したてだから、まだどのサークルにも入ってなかったよね?」

「いいんですか!? やった~♪ 直人と友美も一緒に行こうよ~」

「確かに面白そうだな。行くか、友美」




「私はいい」

「え?」


 友美は三人に背を向ける。その背中はとても弱々しく見える。彼女が抱えている悩みを考えれば、当然の反応だ。サークルにうつつを抜かしていられるほど、呑気な気分に浸れるわけがなかった。自分には三人の隣にいる資格が無いように感じられた。


「天才は天才だけで楽しんでらっしゃい……」

「友美? お、おい…」


 直人が声をかけるも、友美は校門へと歩いて行ってしまった。直人の瞳には、かつての憧れた背中とはまるで違うように見えた。友美はいつまでも不快な疎外感に胸を支配され、重たい足を引きずりながら帰宅した。


「友美……」




     *   *   *




 4月5日 月曜日

 実力確認試験の結果が返ってきた。花音は95点、祐知君は100点、直人は90点。そして……私は55点。


 あの時と同じだ。直人に負けた。しかし、こんな点数差が開くなんて思わなかった。一体いつからこうなってしまったんだろう。何をするにしても完璧だった私は、どこに行ってしまったんだろう。もう直人と肩を並べることなんて、私にはできないのかもしれない。


 私達は変わってしまった。最悪な形で。


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