第54話(終)「ごめんね」



 あれから月日は巡り、一年ほどが過ぎた。私は次の定期テストに備え、授業の復習をしている。直人の教えてくれたことを大事に、誰かに見せても恥ずかしくないほどの成績を挽回した。

 まだ花音や祐知君と肩を並べられはしないけど、かつて完璧を求めていた頃の風格は、取り戻したかもしれない。自分を卑下することも少なくなったと思う。私は胸を張って生きることができるようになった。


「友美、ここ教えて」

「どれどれ? あぁ、ここはね……」


 雫ちゃんは今年から高校生だ。私はこうして定期的に彼女を自宅に招いて、勉強を教えてあげている。隣では勉強そっちのけでいちゃつく花音と、一方的に迫られて勉強を進められない祐知君がいる。相変わらずラブラブね……。


「いつか先輩を越える天才になってみますからね!」

「はいはい、それじゃあ続きやろうね~」


 だいぶ花音の扱いに慣れた祐知君。二人もこう見えて、トップクラスの成績の持ち主なのよね。尊敬するわ。いつになったら、私もあのレベルの天才に到達することができるのだろう。


「みなさん、精が出てますね!」

「わぁ~、お菓子だ~」

「先生、ありがとうございます」


 エリン先生が皿にお菓子を乗せ、居間にやって来た。先生も私達の勉強を見守ってくれている。失恋の悲しみを克服し、私の罪も許してくれている。なんて寛大な大人なんだろう。彼女の人間性も優れたものだ。

 私達はよくこの五人で行動している。勉強するのも、遊ぶのも一緒だ。みんなで楽しく生活している。


「テスト、頑張ってくださいね! 終わったら旅行ですよ~」

「わーい! 島にでも行きましょ!」

「決めるのは終わってからだからね……」


 私達はたまに旅行にも行っている。大学生活は想像以上にあっという間だ。なので楽しんでおかなくては。人生の夏休みとも呼ぶくらいだものね。今のうちにたくさんの景色を見て、たくさんのことを経験して、後悔のない生き方をしたい。


 そして、何の心残りも残さず、スッキリした心で直人に会うんだ。






「友美さん、頑張ってますね」

「そうですね」


 セブンで暮らしている俺は、ジプシックミラーを通して友美の様子を眺めている。ユリア様も一緒だ。幸せそうに笑う友美を見ると、とても微笑ましい気持ちで胸がいっぱいになる。


「ユリア様……こんなところで呑気にくつろいでて、いいんですか?」

「えぇ、お仕事はもう終わりましたから。ユリウスとの飲み会まで、時間あるので♪」


 半年か前だろうか。ユリウスはとある勅令を発表した。詳しいことは知らないが、現世で犯した罪を十分に償ったと判断されれば、セブンに行けるようになるという内容だった気がする。


「ユリウスのこと、好きなんですね」

「えへへ……///」


 ユリア様がユリウスを説得し、セルの贖罪制度が改善されたようだ。梅田さんも、あれからすぐにセブンに戻ってこれた。母さんと父さんも、まだ時間はかかるかもしれないが、いつかセブンに来られるようになるだろう。


「直人さんだって、友美さんのことを愛しているんでしょう?」


 鏡を覗くと、丁度勉強会が終わり、みんなが友美の家を出ていくところだった。友美は十分人生を謳歌しているようだ。アイツが幸せなら、俺はそれで満足だ。俺はこれからも、セブンでアイツを見守り続ける。アイツと再会するその日まで。


「もちろんですよ」




 頑張れよ、友美……。








「あっ」


 みんなが帰り、私は部屋の後片付けをしていた。すると、うっかり消しゴムを落としてしまった。消しゴムはテーブルの下へと転がっていく。私はしゃがんでテーブルの下を覗き込む。




「……え」


 私は驚いた。テーブルの下には、小さな細長い紙切れが転がっていた。消しゴムはその紙の上に乗っかっていた。異様な雰囲気を漂わせる紙切れに、私は恐ろしいほどに見覚えがあった。




「チケット……」


 それは、ワールドパスだった。現世と死後の世界を往き来する天使の道具だ。どうしてこんなところにあるのだろうか。


「もしかして……」


 私は記憶を遡る。一年前、エリン先生をセブンに連れて行き、戻ってきた後のことだ。何度も死後の世界に行く私を、祐知君がチケットを奪い、そこから取り合いになった。

 その時にでも、一枚チケットが千切れ、テーブルの下に落ちたのだろうか。そこから約一年、誰にも見つかることなく落ちていたとしたら……。


 私、もっと部屋の掃除をしっかりしないといけないわね……(笑)。




「……」


 このチケットの力は恐ろしい。一度手に取ると、無我夢中で名前を記入したくなる。この紙切れ一枚で、死人に会いに行けるという奇跡が起こる。同時に重罪を背負うことになるけど。


 それでも、私のもう片方の手は、筆箱の中のサインペンの方へ伸びていた。


「……!」


 必死に手を引っ込めた。心臓が飛び出したいと叫んでいるように、ドクドクと鼓動を早めていく。テーブルの上に飾られた直人の写真が、視界に飛び込んでくる。




 あぁ、直人に会いたいなぁ……。


「会いたい……一緒に勉強がしたい……旅行がしたい……」


 直人の顔を見ると、込み上げてくる。短くも直人と過ごしたたくさんの思い出が。それらの続きを送ることは、もうできないのか。本当に、死ぬまで二度と会えないのか。今このチケットに名前を書けば、再び直人に会いに行けるかもしれない。






『友美……』




「直人?」


 ふと、直人の声が聞こえたような気がした。次に視界に入ってきたのは、南京錠の付いた箱だった。中には日記帳が入っている。


「……」


 ペラッ

 私は日記帳を取り出し、手に取って読んだ。自分のことではあるが、よく11年間も書き続けたものだ。一日に必ず直人の名前があるから、彼との思い出を振り替えるのに丁度いい。本当に懐かしい日々ばかりだ。私は日記を読んでうっとりする。


 そういえば、現世に帰ってから日記は書いていない。読み進めていくうちに、最後の日付である5月10日が近づいてくる。直人が死んだ日の前日だ。彼への思いを長々と綴った最後の文が見えてくる。






「……あれ?」


 5月10日のページをめくると、なぜかその先にも書き始めがあった。確か私は5月10日に書いた直人への思いまでしか、日記は残していない。その先は書いた覚えはない。だが、力強くも優しい文章に、私は見覚えがある。


 この筆跡……まさか……




     *   *   *




 5月11日 火曜日 

 まさか友美が、俺のことをこんなに好きでいてくれるとは思わなかった。アイツは本当に俺をかけがえのない大切な人として、愛してくれていた。

 その証拠に、アイツは自分を死んだことにしてまで、自分の犯した罪を償った。アイツは頭は悪いけど、人間として大切なことは忘れていなかった。


 それは反省だ。自分の姿を見つめ直し、悪いところは正し、今よりももっといい自分になろうと努力する。申し込ないと思っていることを謝り、どんなことになろうとも償いを果たそうとする心が必要だ。


 友美は、それをちゃんと持っていた。流石、俺の彼女だ。アイツは世界で一番大きなごめんねを言いに来てくれた。なんて奴だ。なんてすごい女なんだ。


 それもこれも、全て俺のことを愛してくれているが故に、できたのだろう。こんなに素晴らしい心を持っている人間は、他にいないのではないか。きっといないはず。アイツは素晴らしい人間なのだ。




 だから俺は、これからも友美を愛し続ける。今後アイツにとても大きな恐怖が降りかかろうとする時、俺はそばにいてやれないかもしれない。本当に申し込なく思っている。ごめん、友美。


 だが、俺は信じてるから。お前はどんな危機も乗り越えられる。お前は強くて優しい人間だ。絶対に乗り越えていけるはず。

 俺は遠く離れた場所から、いつでも見守ってるからな。いつでもお前のそばにいる。俺を信じろ、自分を信じろ。そして、精一杯生きろ。俺との最後の約束だ。




 いつかまた、会える日を楽しみにしてるぞ。じゃあな。




 “世界で一番お前を愛している男、直人より”




     *   *   *




「……もう、十分だってば」


 どうして彼は、私を泣かせるのがこうも上手いのだろうか。そばにいないくせに、彼の言葉は隣から語りかけているように、優しく心に染み渡る。

 でも、彼は天才だ。何も間違ったことは言っていない。彼は遠く離れた場所にいるけど、確かに私のそばにいる。そんな気がする。




 私は筆箱の中からシャーペンを取り出し、今日の分の日記を書き始める。彼への永遠の愛を証明するために、今日からまた書き始めることにする。

 そうだ、私達の愛は終わらない。とても最悪な喧嘩を経験したけど、またやり直せたじゃないか。またここから始めればいいんだ。


 ありがとう、直人。そして、ごめんね。私はここで精一杯生きるよ。また同じような間違いを犯すだろうし、大きな罪を背負うかもしれない。それでも、私はここで生きる。直人を思いながら。いつか死んで、死後の世界で彼と再会するまで。精一杯生きてみせる。




「世界で一番アナタを愛している女、友美より……っと」


 日記を書き終えた私は、先程握っていたチケットをビリビリに破り、ゴミ箱に捨てた。




 KMT『世界で一番大きなごめんね』 完


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