第46話「地獄へ」



 祐知、花音、雫は名前を記入し終え、ワールドパスを握った。三人の体は光に包まれ、爪先から徐々に消えていく。


「向こうで会おう」

「気をつけて……」


 三人の姿が消えたのを確認し、動きやすい服装に着替えて支度する。これから俺達はセルまで行き、友美を助けに行く。ジプシックミラーで景色だけは見たことがあるが、きっと俺の想像を超えるほど過酷な環境なのだろう。何せ罪人を拷問する場所なのだから。




「……」


 家を出る前に、俺は再び友美の日記に目を通した。彼女の思いを読み、新たな心情が芽生えた。助けに行く決意を更に固めるために、俺は日記の最後のページを開き、自分の思いをつづった。


 友美の救出に成功し、彼女を無事に現世に帰すことができた時、俺がいなくても安心して生きていけるように……。




「よし!」


 ダッ

 俺は勢いよく家を飛び出し、住宅街を駆け抜けた。俺の手元にはチケットが無く、死後の世界にワープすることはできない。しかし、初めから何となく思い浮かんでいた。チケットが無くとも、死後の世界に行ける方法があることに。俺は今からそれを試す。




「はぁ……はぁ……」


 俺は車道への侵入を阻止するガードレールに、ゆっくりと手を置く。車道は夜中でも数多くの自動車が通っていた。目の前に飛び出せば死という状況に、心臓は逃げ出したがっているように鼓動を早めていく。


 俺は近づいてくる車のライトに合わせ、いつでも飛び出せる準備をする。もう分かるだろう。そう、チケットが無いなら、自ら命を絶って、死後の世界に行けばいい。行け、直人。今すぐ飛び出せ。車にひかれれば、一瞬で死ねる。


「……」


 すると、俺の手足は急に震え出した。どうした。何をそんなに恐れてるんだ。痛みなんて、きっと一瞬だ。それに、車をひかれるのは一度経験しているだろ。ここから少し飛び出せばいいだけのこと。恐れることはないはず。


 それなのに、俺の手足は恐怖にまとわりつかれて、思うように動かない。


「くそっ……」


 バタッ

 俺はその場で崩れ落ちる。情けねぇ。今まさに友美が、セルで地獄の苦しみを味わっているかもしれないというのに。


「……ん?」


 今更ながら、ズボンのポケットに何か入っていることに気づいた。四角い箱みたいだ。現世にワープする時に、たまたま持ってきてしまったようだ。




「あっ」


 それは、ネックレスを入れた箱だった。確か、友美と付き合って一ヶ月経った記念に、彼女に送ろうと買ったものだ。俺が車にひかれて死ぬことになった要因でもあるが。

 結局セブンに持っていってしまったんだった。彼女に渡すことも、しばらくないだろうと思っていた。俺の手の中で寂しく寝転がっている。


「……」


 友美は喜んでくれるだろうか。花音に協力してもらい、自分なりに友美に似合いそうなものを選んだ。きっと彼女の綺麗な首筋を、更に魅力的に飾ってくれるだろう。このネックレスをかけた彼女を、ぜひともこの目で見てみたい。


「フフッ……」


 なぜだろう。友美の笑顔を想像すると、さっきまで俺の体にまとわりついていた恐怖が、不思議と取り払われていく。ようやく彼女を守りたい力が、恐怖に打ち勝つほどに大きくなり、足を踏み出す勇気も復活した。




 うん、もう大丈夫そうだ。さぁ、行こう。友美に命を返してやるんだ。


「友美、今行く」


 俺はガードレールを跨ぎ、猛スピードで近づいてきた車のライトの前に、勢いよく身を投げる。




「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」






 グシャッ








「はっ!」


 すぐに身を起こした。辺りに広がるのは、花が咲き乱れる広大な草原。世界に自分だけが取り残されたような、寂しいようで心地いい孤独感。俺は最初に死んだ時に来た場所と、同じ景色に立っていた。


「俺、また死んだのか……」


 どうやら無事に死後の世界に来れたみたいだ。死んだのに無事という言葉を使うのも、何だかちぐはぐに感じられるが。まさか、もう一度死を味わうことになるとはな。

 俺は草原を歩きながら、周りを見渡す。あの時と同じなら、ここに迎えの天使が来てくれるはずだ。




「待たせたな」


 天使は後ろから現れた。緑髪の背の低い男の天使だ。あれ? こいつ、ヘルゼンじゃないか?


「あれ? 直人? なんでまたここに!?」

「ヘルゼン、頼みがある」


 急がないといけない。俺はヘルゼンにも事情を説明した。




   * * * * * * *




「ここがセブン……」


 祐知、花音、雫の三人も、何とかセブンに着いた。初めて見る死後の世界の美しさに、雫は瞳を奪われる。


「直人はもうこっちに来てるのかな?」

「直人なら多分大丈夫ですよ。信じましょう」

「友美はどこにいるの?」

「直人が言うには、セルっていう地獄みたいなところだよね」


 ひとまず、近くに見えた近未来風の町に走り出す一同。




「ちょっと待って!」


 バサバサッ

 突然鳥の羽ばたきのような音が、三人の耳に飛び込んできた。音が聞こえた方向を見上げると、ユリアが翼を広げて飛んできた。


「あ、アナタは……えっと……誰でしたっけ?」

「ユリアよ。よろしくね♪」

「そうだった。よろしくよろしく~」


 女子高生のようなノリで握手する花音とユリア。セブンツアーで一度面識があるだけだが、早くも意気投合している。


「ねぇアナタ達、チケットを使ってここにやって来たんでしょ?」

「ひっ! す、すみません! 許してくださいぃぃぃぃぃぃぃぃ」


 花音は目にも止まらぬ速さで、土下座を繰り出した。ユリアは彼女を抱き起こす。


「いいのよ。そのことは今は咎めないわ。それより、友美ちゃんを助けに行きましょう」

「え? 友美?」


 ユリアは友美の事情諸々を既に知っているようだった。これは好都合だ。セブンを統治する全能の女神が協力してくれるのなら、百人力どころか百奥人力だ。


「友美ちゃんはセルに落とされてる。でも、私達女神や天使はセルに行く能力がない」

「じゃあ、どうすれば……」

「悪魔の能力なら、セルとセブンを自由に往き来できるわ。まずは悪魔を見つけましょう」


 ユリアは頼もしいほどに情報を提供してくれた。彼女に従い、三人は友美の囚われているセルへ行く手段を掴むため、悪魔を探した。








「着いた……」


 ヘルゼンと直人は、魔王の城のように佇む審判所を見上げる。直人の他に、死者はいないようだ。ヘルゼンはいつものように直人を審判所に入れる。これからユリウスの審判が始まる。




「……直人、なぜお前が再びここに来るんだ」

「……」


 ユリウスの鋭い眼光は、直人の心に穴を開けてしまいそうなほど鋭かった。彼の瞳から放たれる目に見えない威圧感が、直人の心を隅から隅まで圧迫してくる。


「どうやら、お前も一度チケットを使ったようだな」

「……」


 ユリウスの威圧感に押し潰されないよう、直人は必死で平静を保った。本来ならユリウスは、ここで罪人の現世での罪を見据える瞳を使うのだが、今回は手短に事を済まそうとする。既に直人が現世に戻るために、ワールドパスを使った事実を悟ったからだ。


「しかし、わざわざ死後の世界に戻って来るとはな。あのまま逃げていれば、現世で幸せに生きれたというのに。人間という生き物は、つくづく理解に苦しむ。まぁ、お前もすぐさまあの女のところに連れていってやるよ」


 スッ

 ユリウスは直人に向けて手をかざす。次の瞬間、直人の足元に大きな穴が出現し、彼はセルの奥底へと落ちていく。


「落ちろ」


 穴が閉じる。こうして、直人もセルに送り込まれることとなった。




“友美……友美……”


 ビュゥゥゥゥ……

 落ちながら感じる突風が、永遠に感じられた。セルはどこまでも深く、どこまでも暗く、どこまでも残酷な色にまみれていた。


“友美、待ってろ、俺が絶対に助けてやる!”


 そして、直人はセルの大地に足を踏み入れた。友美を絶対に救い出すという決意を胸に。


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