第38話「罪人」



「ユリウス!」


 その頃、審判所ではユリウスとユリアが言い争いをしていた。


「これが俺のやり方だ。お前は何も口出しするな」

「あんなのやり過ぎよ! 友美ちゃんが可哀想だわ」


 ユリアは自前のジプシックミラーで、友美からワールドパスを奪う悪魔の様子を見ていた。ユリウスのやり方に異議を唱える。


「もし私達の世界が、現世の人々に知られでもしたら……」

「だから騒ぎを起こした。奴らは爆発に目を取られて、悪魔の姿を見ていない。死後の世界のことは、知るよしもないさ。そもそも、中川友美に既に知られてるだろ」

「だからって、何の罪もない友美ちゃんを傷付ける必要はないでしょう!?」


 ダンッ

 ユリウスは祭壇を叩いて立ち上がる。まさに悪魔のような形相で、ユリアを睨み付ける。


「罪がない? 何を言っているんだ。アイツはワールドパスを私物化するという大罪を犯している。本来ならセルに落とすところを、見逃してやっているんだぞ。アイツに与えた制裁は、その代わりだ。これ以上俺達に関わる事のないようにな」

「ユ、ユリウス……」

「アイツがどうやってチケットを手に入れたかは知らない。だが、使ってしまったという事実は変わらない。アイツは罪人だ。罪人を裁くのが俺の仕事なんだ。これは俺達悪魔の問題であって、女神には関係ない」


 ユリウスは罪人を裁くことに、相当の信念を持っているようだ。かつて自分は出来損ないの天使として非難されていた経験から、ようやくありつけた仕事を半端に終わらせたくはなかった。

 罪人を裁き、罪を償わせるという、とても光栄に思えない仕事でも、与えられたのであれば全うしなければいけない。二度と失敗は許されないと考えていた。


「誰にも文句は言わせない。これが俺の仕事なんだ。クソみたいな存在の俺が、唯一できることなんだ」

「またそんなこと……」


 ユリウスは何を語るにも、自分を卑下する。彼の悪い癖が出た。その度にユリアは心配を積もらせる。


「後で悪魔達にチケットを持っていかせる。いいか、中川友美にチケットを与えた天使のことも、今回は特別に見逃してやる。その代わり、二度と俺に関わるな」

「……」


 ユリウスはユリアの元を去る。まだ彼にはしなければいけない仕事があった。急ぎ足でセルに向かう。取り残されたユリアは、更に不安に狩られる。

 ユリウスは信念に囚われ、道を踏み間違えている。彼を何とか更正させられるのは、自分しかいない。


「ユリウス!」


 ユリアは再びユリウスを呼び止めた。彼は彼女の方を振り向かず、足だけを止める。


「いくら許されないことだとしてもね、信じてるものを貫き通すことは、とても大切なことだと思うの。きっと友美ちゃんもそう」

「何が言いたいんだ」

「ちゃんと見てあげて。彼女の思いを」

「……」


 ユリウスは再び駆け出した。








「……」


 直人はクラリスと共に、ジプシックミラーが設置された噴水に来た。ヘルゼンが教えてくれた穴場だ。


「直人さん、何を見るんですか?」

「……母さんの様子だよ」

「お母さん?」


 直人の母親である遠山純は、夫の久志にナイフで滅多刺しにされて亡くなった。彼が小学生の頃に引っ越しをしたのも、この事件が要因だった。

 直人は自分が遠くに離れてしまうことに、酷く悲しんでいた友美の泣き顔を思い出した。母親の死が関係しており、彼女にはそんな残酷な出来事は、とてもではないが口が裂けても言えなかった。


「俺の父さんは乱暴でな。機嫌が悪いと、すぐに家族に暴力を振るうんだ。俺も妹も母さんも苦しめられた」

「そうなんですか……」

「そんな中、いきなりだったよ。母さんが殺されたのは」


 純が床の上に家族のものではない髪の毛を発見し、久志の浮気を疑わしく思ったことがきっかけだった。彼の機嫌を損なわないよう、床を隅から隅まで掃除していた時に見つけた。

 日々夫の暴力に苦しめられていた純は、虐げられる生活から解放されることを望み、勇気を出して彼の浮気を問い詰めた。


 案の定久彼怒りを露にし、キッチンに置かれたナイフを手に取った。純は後悔を感じる暇もなく、血に染まった。


「ようやく思い出したよ。俺も死んでるから、きっと母さんも同じセブンにいる。だから、セブンのどこら辺にいるか知りたいんだ」

「なるほど」

「鏡、母さんがどこにいるか映してくれ」


 ザザザザザ……

 直人の呼び掛けに応え、ジプシックミラーは鏡面に映像を映し出す。




「……え?」


 しかし、どこか様子がおかしい。映し出されたのは、どこかの岩山のような、ゴツゴツした荒野の景色だった。空は暗い雲に覆われ、大地は目に痛みを与えるような赤黒い色をしていた。とてもセブンのような平和的な光景ではなかった。


「何だこれ……」

「これ……セルですよ!」

「え!?」


 クラリス曰く、鏡に映っているのはセルの景色らしい。どうして地獄を映し出しているのだろう。ここに直人の母親がいるとは思えない。


「……!?」


 次に映し出されたのは、紛れもなく直人の母親の純の姿だった。しかし、彼女は悪魔達に刃物で滅多刺しにされていた。背中から何度も血が吹き出ていた。彼女の叫び声がノイズと共に響く。


「母さん!? ちょっと待て! なんで母さんがセルで拷問を受けてんだよ!?」

「わ、分かりません……」


 セルは現世で犯した罪を償う場所だ。映像を見た通りに捉えれば、純は拷問を受け、犯した罪を現在進行形で償っているのだろう。

 しかし、直人には納得がいかなかった。母親は何の罪も犯していない。人に危害を加えたわけでも、誰かを殺したわけでもない。母親は被害者だ。だが、どうしてセルに落とされているのだろうか。


『浮気はいけませんなぁ~、奥さん』


 グサッ!


『あぁっ……!』

『どうっすか? 死んだ時と同じ苦しみを、永遠と味わうのは。ほら、もういっちょ!』


 グサッ!


『あぁぁ! や、やめ……や……あ……』


 純のうめき声が直人の心臓を締め付ける。クラリスは見るに耐えなくなり、直人の背中ですすり泣く。

 浮気とはどういうことか。それが、純がセルに落とされることとなった罪なのか。浮気をしたのは父親の方ではないのか。様々な疑念と怒りが、直人の体に染み渡る。


「なんで……どうして……」


 しかし、母親がセルにいるということは、母親は罪人ということ。それはどうあがいても、変わることのない現実だった。ユリウスが罪を見間違えることもあり得ない。思いがけず、衝撃的な事実を知ってしまった。


「うっ……うう……」


 直人は自分以上に衝撃に襲われ、涙を止められないクラリスに気が付く。自分も必死に動揺を押さえ込む。見てはいけないものを見せてしまった。こんな衝撃的な事実を受け止めるには、彼女はまだ幼すぎた。


「クラリス、戻ろう」

「うぅぅ……はい……」


 直人はクラリスを支えながら、自分の宿舎に戻った。彼女は自分の不甲斐なさに罪悪感を抱いた。




「すみません……直人さん」

「いいよ。俺の方こそごめんな、あんな恐ろしいものを見せてしまって」

「そんな……直人さんだって、知らなかったんでしょう?」


 クラリスは直人の母親が刺される光景を見て、吐き気を感じて体調を崩した。直人は自分の部屋のベッドに彼女を寝かせ、看病した。母親の居場所が判明すれば、すぐに会いに行くつもりだった。

 しかし、彼女はセルにいるという最悪な事実を突きつけられ、直人は途方に暮れる。


「母さん……」

「……」


 直人の笑顔がまたもや消える。大切な家族に会うチャンスを失ったのだから、無理もない。しかし、直人の落ち込んだ顔は、クラリスの心に重くのし掛かる。


“直人さん……”


 クラリスは思った。直人と友美に会わせてあげたいと。セルにいる母親は無理でも、チケットを持っている友美ならまだ可能性はある。

 友美と再会できたなら、母親に会えなかった悲しみも多少は晴れるだろう。恋人である彼女なら、直人の悲しみを解消させるには十分だ。




 コンコンッ


「クラリス」

「わっ! ユリア様!」


 突然ユリアが直人の部屋に入ってきた。クラリスは飛び起き、ベッドの上に正座する。


「大丈夫、疲れてるなら寝ててもいいのよ」

「あ、はい……」


 言葉に甘えて布団を被るクラリス。ユリアは彼女にあるものを差し出す。


「え? これ……」

「ワールドパスよ。クラリスのでしょ?」

 

 ユリアが差し出したのは、クラリスの持っていたワールドパスだ。先程悪魔達が友美から無理やり奪ってきたため、くしゃくしゃに折れ曲がっている。


「え? それじゃあ……」

「悪魔が無理やり友美ちゃんから奪ったらしいの。酷いことするわね」


 友美が持っていたワールドパスがここにあるということは、彼女は直人に会いに行く手段を失ったことにある。しかし、問題はそれだけではない。


「えっと……その……」

「あ、安心して。ユリウスはあなたのことを、罪に問わないって言ってたわ。それに、友美ちゃんがこれを拾ったのは偶然みたいだし、友美ちゃんもセルに連行されはしなかったから」

「そうですか。よかったぁ……」


 クラリスはほっと胸を撫で下ろした。故意ではないにしろ、間接的にクラリスは友美にワールドパスを与えてしまったことになっている。本来ならクラリスも罪に問われるところだった。友美も無事なようだ。


「え? 友美がどうかしたんですか?」

「あ、いや何でもないわ!」


 友美の名前が出てきたことに、直人が引っ掛かる。クラリスとユリアは全力で誤魔化す。


「はぁ……」

「じゃあクラリス、また落ち着いたら仕事頑張ってね!」

「はい、ありがとうございます」


 クラリスは見舞いの品として、フエナリブスの箱を枕元に置いた。さりげなくクラリスの頬にキスをする。


「……」


 クラリスはくしゃくしゃになったワールドパスを眺める。友美のことが気にかかる直人の顔と重ねる。


「……あっ!」

「どうした?」

「いえ、何でもないです! 私もう寝ますね! おやすみなさい!」

「あっ、ちょっ……」


 バサッ

 クラリスは布団を頭まで被る。




「……俺はどこで寝ればいいんだ?」


 クラリスにベッドを取られてしまった。仕方なしに、直人は床で寝た。上着を布団代わりに目を閉じた。クラリスはようやく見つけた。直人と友美のために、自分ができることを。


“待ってて友美さん……私があなたを直人さんに会わせてみせます!”


 クラリスは布団の中で覚悟を決めた。


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