第35話「過去と覚悟」



「ユリウス……今日も来ない……」


 ユリアは自室でユリウスを待っていた。普段ならそろそろ仕事を終え、彼女の部屋へ紅茶や酒を飲みに来る頃だ。しかし、連日彼が部屋に来ないことが続いている。だがそれは仕方のないことだ。


「ユリウス……」


 先日ユリウスから聞かされたことだが、ワールドパスを使って何度もセブンに来ている現世の人間がいるらしい。セルの悪魔達はわざわざセブンに来てまで探している。

 彼もそのことで忙しいのだろう。どんな経路で、現世の人間にチケットが渡ってしまったのだろうか。


「……」


 ユリウスはいつも仕事に真面目だ。しかし、それが逆に彼の短所でもあった。真面目過ぎる故に、完璧に職務をこなすことに囚われているのだ。彼は昔からそうだった。


「昔からそうだったわね……天使の頃から……」






 かつてのユリウスは、落ちこぼれの天使と呼ばれていた。座学も剣術も魔術も、何一つとしてまともにこなせなかった。それを日々周りから冷たく言われ、下を向きながら歩いていた。


「お前、何してもダメなんだな」

「才能ねーのに、生きてて恥ずかしくねぇのかよ」

「そんなんじゃ神様になれねぇぞ」


 ユリウスに投げ掛けられる非難の言葉の数々が、彼の心に穴を開ける。少しずつもろくなり、ヒビが割れ始める。


「……」


 ユリウスは何も言い返すことができなかった。それらは全て事実であるからだ。

 天界の歴史を学んでも、複雑過ぎて覚えられない。剣を握って戦うも、相手の隙を見つける前に地に身を伏せさせられてしまう。魔術もからっきし身に付けられず、基本中の基本である物体浮遊術もままならない。


“俺には才能がないんだ……”


 世に言う「努力は続けることで、いつか報われる」という言葉も、自分の中では成り立たないと知った。全ては自分に才能がないことが原因である。周りの天使達は、自分を置いて日々成長している。




 その中で、彼女は一際秀でていた。


「流石ユリアちゃん、何をするにしても完璧だ」

「まさに才能に恵まれた存在だな」

「これは、いつか立派な女神様になるぞ」


 ユリアは「優秀」という言葉を体現したかのような、非常に出来のいい天使だった。天界の歴史をスラスラと記憶する姿も、剣を振るう姿も、魔術を巧みに操る姿も、文句の一つも出ないほどに卓越していた。ユリウスを何もかも正反対にしたような存在だ。


 そして、そんな彼女が注目を浴びていたのは、彼女の才能がずば抜けていたからだけではなかった。彼女の意識の先には、常にユリウスがいたのだ。


「ユリウス、綺麗なお花見つけたの。はい、あげる♪」

「お前、なんでいつも俺に関わってくるんだ」

「なんでって……いつも一人でいるから。みんなと仲良くしなきゃダメだよ」


 ユリウスが他の天使と打ち解けるなど、ほぼ不可能だった。彼の中に鈍く根を張る憎悪が、彼を他の天使に近付けまいとさせていた。しかし、ユリアはそんな彼にお構い無しに近寄ってくる。


「俺は出来損ないの天使なんだ。俺なんかと一緒にいると、お前まで悪く言われるぞ」

「自分のことを出来損ないなんて言わないの! ユリウスだって、頑張ればできるよ」

「無理に決まってんだろ。俺には才能がない。俺は完璧になんてなれないんだ」


 頑なに自分の可能性を認めないユリウス。ユリアはどこまでも頑固な彼の髪に、摘んだ花を結んだ。


「お、おい……」

「完璧な生き物なんて、この世にいないよ。それに、完璧になる必要なんてない。誰だってなれないもの」

「お前はなれてるじゃないか」

「私にだって、苦手なことやできないことはあるわ。みんなそうよ。でもね、みんなその人にしかない特別な力を持ってるの」


 ユリウスは自分の髪に添えられた花を撫でる。彼女のセンスは非常に優れていた。花はユリウスの黄色い髪に、とても似合っていた。


「ユリウスにも、きっとあるよ。ユリウスにしかできない何かが。だから頑張って」

「……」


 ユリウスは何も答えず、ただ自分の髪に添えられた花を撫でながら、ユリアの元を離れていった。




 しかしユリアの教えは、ユリウスの目の前に立ちはだかる悲壮な現実によって、彼の心から散っていく。数百年の時を経て、天使達はセブンでの実績を着々と積み上げ、立派な神様へと成長していった。


 神様になれなかった天使は、ユリウスただ一人だった。ユリウスは卒業式を執り行う聖堂の隣にある湖の畔で、自分の顔を見つめながらうつむいていた。


「……」


 何が『完璧になる必要なんてない』だ。完璧でなければ、今の自分のように惨めったらしく頭を垂れるだけ。自分にはやはり才能なんてなかったのだ。

 才能こそこの世のすべてであり、生き物が生きるのに果たす最低条件だ。それを持っていない自分は何か。ただの出来損ないの劣化品だ。


「くそっ……くそっ……くそっ……」


 羨ましい。才能を持っている者が、羨ましい。いや、そんな生ぬるい感情ではない。妬ましい。殺してしまいたいほどに妬ましい。


「どうせ俺なんか……俺なんか……」




「ユリウス」


 声をかけられた。ユリアの声だ。ユリウスは彼女へと顔を向ける。いつの間にこんなにたくましくなったのだろう。彼女は誰もが一目見ただけで才能を認めるほどの、立派な美しき女神へと成長していた。

 彼女の優秀さは高位の神様の耳にも届き、なんとセブンの管理者の後継を任された。それは、素直に人間の世界で言うところの、総理大臣や大統領に就任することと同義である。


「ユリアか。卒業式は終わったんだな」  

「うん」

「お前はセブンの女王様か。偉いもんだ」

「ありがとう。ユリウスも頑張ってね」


 もはや彼女の喉から発せられる声も、大人びて聞こえた。声変わりとまではいかないものの、数百年前とは確実に違う。彼女が示す何もかもが、自分と彼女の実力の差を感じさせた。


「何をだよ」

「何って、これから立派な神様になるために……」

「もう無理なんだよ。完璧じゃない俺には……」


 ユリウスは人生に絶望した。もう自分が神様になれる見込みはない。才能のない自分は、どれだけ努力しても無駄だ。そう思った。


「無理じゃないよ! 言ったでしょ。完璧でなくてもいいって……」

「んなわけねぇだろ!!!」


 ユリウスは怒鳴った。彼の声が湖に波紋をつくる。


「才能のあるお前には分かんねぇだろな。どれだけ努力を続けても上手くいかず、馬鹿にされる奴の気持ちなんか。結局は才能がなきゃダメなんだよ! 完璧でなきゃダメなんだよ! 俺みたいな出来損ないはな、精々才能のある奴を妬みながら、惨めったらしく生きていくしかねぇんだ!」


 グシュッ

 ユリウスの羽から不気味な音が鳴る。ユリアは必死に彼をなだめる。


「ユ、ユリウス、一旦落ち着こ? まずは落ち着いて……」

「ほら、やっぱりお前は俺の気持ちが分からない。落ち着いていられるわけがないのに、そんなことを言う。俺が落ち着いていられないのが理解できない。そりゃそうだろうな。お前は天才で、俺は凡人なんだから。お前には才能があって、俺にはないんだからな!」


 グシャッ  グシュッ グググググ……

 ユリウスの中で、嫉妬と憎悪の感情がますます大きくなっていく。それに伴い、彼の真っ白で小さな翼は、どす黒くいびつな形へと変貌していく。黄色い髪も気味の悪い緑色へと変わる。


「ユリ……ウス……?」


 天使の面影は一つ残らず消え去り、ユリウスは醜い怪物となった。膨れ上がった嫉妬と憎悪が、彼の体を隅から隅まで変貌させてしまった。彼は悪魔となったのだ。


「もう二度と……俺に関わるな」


 バサッ

 黒い翼を羽ばたかせ、ユリウスは空へと飛んでいった。羽ばたきが凄まじい突風を生み出し、ユリアは吹き飛ばされる。


「ユリウス……」


 ユリアは知っている。天使が妬みや憎しみなどの負の感情を抱え込むと、悪魔に変貌することがあると。ユリウスの身にそれが起こってしまった。

 ただ彼の役に立ちたくて、落ち込んでいた彼を助けたくて、執拗に関わるようになった。それが逆に仇となり、彼は自分を追い詰めてしまった。


 ユリアは初めて自分に不甲斐なさを感じた。自分では彼の役に立てないのだろうか。


「……!」


 しかし、ユリアは諦めなかった。ユリウスが飛んでいった方向へ、自分も飛んだ。美しく荘厳な翼を羽ばたかせ、彼の姿を追った。








「……ユリウス様」

「……!」


 ユリウスは目を覚ました。いつの間にか、審判所の祭壇に顔を伏せて眠っていた。かつての出来損ないの天使だった頃の自分を、夢の中で見ていた。先程から部下の悪魔が、声をかけて起こそうとしている。


「お疲れですか? 少し休んではどうですか?」

たわけが。俺にはまだまだやらねばならぬことがある。休んでなどいられない」

「ですが、少々無理をなさってるように見えますぞ」

「二度も言わせる気か?」

「ひいっ!? す、すみません……」


 ユリウスの鋭い眼孔は、まさに悪魔そのものだった。相変わらず自分が果たさなければいけない責務に囚われている。


「それより、見つけたのか? 中川友美を」

「いいえ、まだ……」

「クソッ、無能共が」

「すみません……」


 ユリウスは部下に友美の捜索を命令していた。何度も何度も亡者歴典に現しては消える彼女の名前が、非常に気になった。セルでは、天使が彼女にワールドパスを分け与え、死後の世界に来ているのではないかという推測が立った。


 ユリウスの部下の悪魔達は、セブンや現世を中心に、彼女の捜索を続けている。


「もういい。俺が探す」


 後ろの壁に立て掛けたジプシックミラーに、ユリウスは手をかざす。世界に存在するありとあらゆるものを映し出す鏡だ。ジプシックミラーは現世にいる病弱な友美の姿を、鏡面に映し出した。


「……いた」

「最初からその鏡で探せばよかったんじゃ……」

「何か言ったか?」

「ひいっ! 何でもありません!」

「すぐに行け。捕らえる必要はない。ワールドパスだけ奪取しろ」

「はい!」


 部下の悪魔は、すぐさま仲間のところへ飛んでいった。ユリウスは鏡に映る友美を見つめる。


「……」


 そういえば、この鏡はユリアがくれたものだ。審判所での仕事が決まったお祝いに。悪魔になったユリウスは、力が増し、悪魔達の持つ黒魔術に目覚めた。

 そして、何より変わったのが“人間の罪の重さが目で見てわかる”能力を手に入れたことだ。なぜこの能力に目覚めたのかは分からない。しかし、その能力を見込んだセルの元管理者が、ユリウスの元へやって来て、この仕事を提供したのだ。


 ユリアは自分がこんな光栄にも思えない仕事に決まっても、天使だった頃のように応援してくれる。


「……!」


 いや、今気にするべきなのはユリアのことではない。ユリウスは悪魔達に後を任せ、再び鏡に映る友美の顔を見る。


「失敗は許されない……絶対に……」






 友美はテーブルに置いたワールドパスの束を眺めながら、布団を被って覚悟を決める。とんでもない罪を犯している自分を、クラリスは見逃してくれたのだ。

 しかも、直人の居場所まで教えてくれた。自分は本当に多くの人々に迷惑をかけた。しかし、それでもみんなは優しく許してくれる。そんな人々の優しさを踏み台にして、友美は覚悟を決めた。


「……」


 準備は万端だ。明日雫を連れてセブンに行き、直人に会いに行く。彼女とは兄と必ず会わせると約束している。失敗は許されない。絶対に直人に会ってみせる。


「直人……」


 友美は祈りを込めながら、目を閉じた。直人に会えますように。


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