第32話「罪」
「……」
友美達は現世に戻ってきた。咲有里は数年振りに夫の温もりを感じることができ、さぞ幸せだっただろう。
しかし、エリンの恋心は行方を失った。命を救ってもらった感謝は伝えられたものの、宏一に妻がいることを知ってしまった。彼女は心に大きな穴が開いたように、静かに佇んでいる。
「友美ちゃん、ありがとう。またね」
咲有里が機転を利かせ、エリンを支えて友美の部屋を出ていく。エリンは再び悲しみに暮れ、涙を流し始めた。彼女の涙が、友美の視界に飛び込む。友美は深く心をえぐられる。
「……ごめんなさい」
友美の心には後悔しか残らなかった。もし自分がエリンを宏一と会わせなければ、彼に咲有里という妻がいることを知らなければ、恋心を傷つけられずに、いつまでも幸せにいられたのではないか。
無理に感謝の気持ちを伝えに行かずとも、離れていても永遠に相手を思うことはできる。
それなのに自分は……。
「はぁ……」
ガチャッ
玄関のドアが開き、誰かが入ってきた。
「友美、エリン先生泣いてたよ」
祐知と花音だ。友美の家に向かう途中で、エリンと咲有里の姿を見たのだろう。
「先生をセブンに連れていったんだね」
「なんで泣いてたの?」
二人は職務質問のように友美に訪ねる。友美はセブンでの出来事を包み隠さず話した。
「そうなのね」
「友美、もうやめよう。こんなことは」
祐知は友美のショルダーバッグに手を入れる。
「死んだ人に会うっていうのは、いいことばかりじゃないんだよ。今回みたいに、知りたくなかったことを知る羽目になるかもしれない。僕達生者は、現世で悲しみと向き合って生きていくべきなんだ。無理して死後の世界に行く必要なんてない」
「そうよ。たとえ離ればなれだとしても、二人の絆は繋がってるはずでしょ? 直人に会いたい気持ちはわかるけど、私達はこの世界で、遠くからでも直人のことを思いながら生きていくのが、正解なんじゃない?」
祐知は友美のショルダーバッグから、ワールドパスの束を取り出した。友美も薄々感じていた。いい加減直人にこれ以上執着するのは、やめなければいけない。自分は生者であり、直人は死者である。もし会えたとしても、その事実を変えることはできない
……かもしれない。
ガシッ
友美は祐知から力づくでワールドパスを奪い取った。手を掴んだ勢いで、束から一枚めくれ、テーブルの下へと飛んでいく。
「まだ、私にはやることがある」
「友美?」
「雫ちゃんとの約束、守らなきゃ」
友美は雫との約束を思い出した。彼女にも直人と会わせると約束したのだ。彼女との約束を果たすには、当初の目的である直人を見つけ出さなければならない。
「今度は雫ちゃんを連れていってあげて……」
「ちょっと友美! まだ言ってるの!? もうやめましょうよ!」
「雫ちゃんには僕達から言っておくからさ。もう直人を探すのは諦めよう。見つかるわけないよ」
「嫌だ。諦めない」
友美はうつむきながら、チケットの枚数を数える。残りは10枚しかなかった。
「友美、もうこれ以上は……」
「うるさい! 二人共もう帰って!!!」
友美は立ち塞がる現実を否定するように、二人に叫んだ。祐知と花音はこれ以上友美を刺激しないよう、渋々彼女の部屋を後にした。
友美は開けられなくなった箱の南京錠を撫で、遥か遠くにいる直人に尋ねる。
「ねぇ直人、私……間違ってないよね? そうよね?」
友美は心配でたまらなかった。自分はまたしても、とてつもなく大きな罪を犯そうとしているのではないかと。しかし、直人に会いたい気持ちは、更に彼女を間違いに近い方向へと走らせていく。
「間違って……ないよね?」
「……」
「直人さん、どうかしたんですか?」
上の空な様子の直人が気になり、クラリスはシチューをかき混ぜる手を止める。
「何でもない」
「友美さんのことですか?」
「……まぁな」
クラリスはセブンで直人と多くの時間を共にしている。彼が何を考えているかを、何となく察知することができるようになってきた。
「何なら見てみますか? ジプシックミラーで」
「あぁ、明日見に行くよ」
直人はこの頃、友美のことが気になり始めた。現世では当たり前のように隣にいた彼女の姿だが、いざ離ればなれになると落ち着かなかった。
「でも、きっと大丈夫ですよ。友美さんなら、直人さんのことを思って幸せに暮らしてます」
「ありがとう。そうだといいな」
直人を笑顔にすることができて、クラリスは上機嫌になる。シチューをかき混ぜる手が軽やかに動く。
バァーン!
「うぉら! 天使はいるかぁ!?」
「ひっ!」
和やかな空気と共に、玄関のドアが蹴破られる。何者かが直人の部屋に侵入してきた。
「な、何だ!?」
背中にどす黒い翼を生やし、獣のような鉤爪と筋肉質の体に、恐ろしい顔で大きな槍やら鞭やらを握り締めた怪物。彼らは、セルで死者の拷問をしている悪魔だった。セブンの天使と対をなす存在だ。
「なんで悪魔がセブンに……」
「俺達は天使と違って、セブンでもセルでも現世でも、自分の力でどこにでも往き来できんだよ。それより、チケットを私物化した野郎はどこだ!?」
何やら無駄に怒り狂っている悪魔達。直人は咄嗟にクラリスを自身の背後に隠す。
「チケット?」
「ユリウス様が警戒してんだ。亡者歴典に何度も名前が浮かんでは消える奴がいる。つまり、天使のチケットを勝手に使っている奴が、どっかにいるかもしれねぇってな」
強面の悪魔は鞭をパチンパチン鳴らし、クラリスを脅しながら話を続ける。彼女は直人の背中に隠れて震えている。
チケットというのは、クラリスやヘルゼンが所有しており、現世とセブンを往き来できるワールドパスのことだ。それを勝手に私的に利用している者がいるという。
「それって、梅田さんのことか?」
「いや、梅田の件とはまた別の奴だ。アイツはアイツで、まだ別の問題があるが」
「でも、あのチケットは天使しか持ってないはずだろ?」
「だから、密かに生者にチケットを分け与えた天使がいるってことだ。何度も亡者歴典に消えては現れるってことは、そういうことだろ。俺達はそいつと、そいつにチケットを与えた不届き者を探しに来た!」
悪魔はズカズカと直人達に歩み寄る。威圧感を与えるために、武器をちらつかせてくる。
「おいそこの天使、お前じゃねぇだろうな? どうなんだ?」
「え、えっと……」
「はっきり言えや!!!」
「ひぃぃ……」
怒鳴り声に委縮してしまい、涙で顔をぐしゃぐしゃにするクラリス。これではまともに話もできない。直人が代わりに答えた。
「こいつはそんなことする奴じゃない。信じてやってくれ」
「フンッ、まぁいい。もし怪しい奴を見つけたら、すぐに知らせろよ。匿ったりしたら、どうなるか分かってんだろうな! セルに落として、地獄の苦しみを味わわせてやる!」
悪魔達は最後まで怒鳴り散らしながら、破壊したドアも直さずに外へ出ていった。
「何だったんだ……」
直人は悪魔達の言っていたことが、心に引っ掛かる。先日セルに落とされた梅田の他に、天使のチケットを使って死後の世界に来ている者がいるらしい。
“友美……ではないよな?”
友美の顔が一瞬頭を過った。彼女なら、直人に会うためにチケットを使いそうだ。そういえば、チケットの他に悪魔達の話に出てきた“亡者歴典”とは、一体何だろうか。
「クラリス、大丈夫か?」
様々な疑念に頭を悩ませられつつも、直人はいつまでも怯えるクラリスの頭を撫で、彼女を落ち着かせた。
悪魔の羽ばたいた翼の威力が強く、せっかく彼女が作ってくれたシチューの鍋が倒れ、床に壮大に溢れてしまっていた。これでは彼女の料理の腕が上がったかどうかを、確かめることができない。
「……」
直人は床を白く染めるシチューを眺め、何かとてつもない事態が起きる前兆を感じた。
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