第21話「擬死体験?」



「うぅぅ……」


 閉じた目の隙間に、日光が射し込んでくる。鬱陶しいくらいの眩しい光が、私の体をまどろみから解放する。体重の感覚が戻ってくると、私はそっと体を起こした。いつの間にか私は、草原のようなところで寝転がっていた。


「ここは……」


 クローバーやカタバミが青々と生い茂っている広大な草原に、私はいた。先程までいた自分の家の部屋ではない。辺りを見渡すと、遠くに近未来風の街並みが見える。


「もしかして……」


 私はその町へと走っていった。足に踏み締めた雑草の感触は、本物だった。




「うーん……」


 町は多くの人で溢れていた。中には白装束姿の人もいた。まぁ死者と言ったら、白装束着てるイメージよね。でもパッと見、そんなに死後の世界だって感じるほどではない。今の私のように、普通に私服を着て出歩いてる人がほとんどだし。

 白装束だらけだったら、どうしようかと思ったわ。一瞬で私が別の世界から来た人だって、バレてしまうもの。でも、身構えるだけ無駄だったかしらね。


 まぁ、別に死んだ人間の集まる場所ってだけで、現実の世界と違った特別な空気感があるわけでもないか。


「さてと……」


 やることをやらなくちゃ。私がここに来た理由は、ただ一つ。直人に会うためだ。私は町行く人々の群れの中で、彼の姿を探す。


「ねぇ、早くしないと」

「4時からだもんね!」


 二人の女の子が、私の横を走っていった。私も何となく彼女達に付いていく。女の子達がやって来たのは、コンサート会場のような場所だった。誰かライブでもやるのだろうか。観客が大勢集まっている。


「何々?」


 私は所々壁に貼られたポスターを凝視する。




『ドリームプロダクション セブンライブツアー2021 アルクメリアホール公演』



「ドリームプロダクション!?」


 真っ先に視界に飛び込んできたその単語が衝撃的で、思わず声に出して叫んでしまった。


「ドリプロって……あの……」


 ドリームプロダクション。日本を代表する有名なロックバンドだ。YouTubeを主な活動場としていて、数々のヒット曲を世に生み出した天才集団である。私も直人に彼らの曲を勧められてから、不覚にもハマってしまった。


 しかし一つ気になることがある。ドリームプロダクションのボーカルの保科結月ほしな ゆづきさんと、その夫でギターの保科季俊ほしな いとしさんは、6年前に事故で亡くなった。二人とも夜道を歩いていて、信号無視したトラックにはねられたそうだ。


 私も当時は衝撃を受けた。その事故をきっかけに、残念ながらドリームプロダクションは解散となってしまった。


 そのドリームプロダクションのライブが、今目の前のホールで開催されようとしている。じゃあ、この先に死んだはずの結月さんと季俊さんがいるのか。


「うーん……」


 いや、まだ同名のアーティストがやっている可能性も残っている。ここが確実に死後の世界であるということを、まだ確認できていないからだ。


「ライブチケット会場販売はこちらで~す。残りわずかとなっておりますので、お早めに~」

「あっ!」


 スタッフらしき人達が、テントを立ててライブのチケットを販売していた。アナウンスを聞き付け、まだチケットを手に入れていない観客が、ぞろぞろと駆け寄っていく。あっという間に長者の列ができる。


 丁度いい。結月さん達の姿が確認できれば、この世界が死後の世界である証明になる。ライブ会場に入ってみよう。会場に入るには、もちろんチケットが必要だ。私は列に並んだ。




「Dの2……Dの2……ここね」


 


 私は自分の席を見つけて座った。本当はスタンディングで観賞したかった。だけど、会場販売だと、流石に指定席しか販売されていなかった。

 それよりも驚いたのが、会場は料金を求めなかったことだ。販売場のスタッフは何の違和感も抱かず、手渡してチケットを差し出し、会場へ向かうよう指示した。どういう仕組みがまるで分からないが、財布を持参せずに焦っていたので助かった。


「すごい人数……」


 会場全体を見渡すと、既に満席に近い状態だった。やはりドリームプロダクションの知名度と人気は伊達じゃない。これで結月さんと季俊さんが出てきたら、もう確定ね。






 バチンッ バチンッ バチンッ

 会場の照明が後方から順番に落ちていった。4時になったんだ。ライブの始まりだ。観客の歓声が響き渡る。


 ギュイィィィィィィン

 真っ暗な空間に、エレキギターの音が鳴り響く。それに感化されるように、観客の歓声も更に大きくなっていく。


 バーンッ!

 続いてステージの照明が一気についた。ドラム、ベース、ギター、それぞれの楽器の担当者が佇んでいる。そしてその中央にいるのが……




「みんな! 夢を見る準備はいい?」


 強く握られたマイクが、透き通るような綺麗な声を拡散する。我らがドリームプロダクションのメインボーカル、保科結月さんだ。本物だ。肩出しの黒いゴシック調のドレスを身にまとい、勇ましい出で立ちで私達の前に姿を現した。


 そしてその横には、保科季俊さんの姿もあった。黒いスーツとシルクハットでめかしこみ、ギターを弾き鳴らす。口元の髭が本物の証だった。彼の髭はチャームポイントなのだ。


「二人共、本物だ……」


 これで証明された。事故で亡くなったはずの二人が、今ステージの上で悠々と演奏している。この光景が示す事実はただ一つ。この世界は紛れもなく死後の世界だ。ここは死んだ人間達が、自由気ままに暮らしている世界なんだ。


「今回も楽しんでいってね~!」


 再び季俊さんがギターをかき鳴らす。このメロディー……ドリームプロダクションの代表曲とも言える『大空ラプソディー』だ。まさか、生で歌っているところを聴けるなんて……。


「澄み渡る青空仰いで~、今日も~背伸びしてまたあくび~」


 流石結月さんだ。優しさの中に力強さを感じる素敵な声。幸せだ……本人が目の前で歌っている。気がつけば、ここが死後の世界であることすっかり忘れ、周りの観客と共にハイテンションで応援していた。






「みんな、また会う日まで元気でね~!」


 結月さんと季俊さん、他のバンドメンバーが大きく手を振る。私も精一杯のエールとして振り返す。最高だ……あのドリームプロダクションのライブに行けただなんて。

 YouTubeでMVを聴くのより、ずっと楽しかった。丸っきり迫力が違う。私がハマり始めてから、すぐあの悲劇が起きて解散してしまったため、元の世界でライブに行けたことはなかった。


「はぁ……」


 ぞろぞろと会場の外へ行く観客の群れに付いていきながら、私はこの上ない優越感に浸る。死後の世界って、すごい。




 あれを直人と一緒に見れたら最高なんだけどなぁ……。


「……あっ!」


 私としたことが、肝心なことを忘れていた。ここに来たのは直人に会うためだ。ドリプロのライブがあまりに最高だったために忘れていた。


「うーん……」


 しかし、既に日が沈み、外は夜の闇に包まれていた。死後の世界にも夜は訪れるようだ。周りの観客も帰る場所があるみたいで、それぞれ別方向へと歩いて帰っていく。


 私は着ていた服を確かめる。胸元が汗まみれで、ブラジャーが少し透けていた。


「あっ……///」


 私は植木の影に隠れた。そういえば、いつも部屋着として愛用していた薄手のシャツで来てしまったため、この下に着ているのはブラジャーだけだ。

 ライブで動き回ってかいた汗でシャツが濡れ、うっすらと透けて見えてしまった。恥ずかしい……。




 スッ

 私はズボンのポケットから、チケットの束を取り出す。直人を探すのは、また今度にしよう。ここが死後の世界であることは分かったんだし、来ようと思えばいつでも来られる。このチケットがあれば。


 サササッ

 私はチケットを一枚はがし、空欄に名前を書く。そしてチケットをしっかり手に持つ。私の体は足先から光り始めた。


 カァァァァァァァ

 光はみるみる私の体を包み込み、跡形もなく姿を消す。視界もみるみる真っ白になっていき、私の意識は遥か彼方へと吸い込まれる。








「はっ!」


 次に目を覚ますと、私はテーブルでふて寝をしていた。目の前に開かなくなった箱が置いてある。


「ん~」


 伸びをして眠気を払う。窓の外はすっかり暗くなっていた。シャツには汗の臭いが残っていた。本当に私は死後の世界へワープしていたらしい。

 すごい……私は死後の世界に行って、また現世に戻ってきたのだ。臨死体験というやつだろうか。いや、擬死体験と言うべきか。とにかく、死んでもいないのに、死後の世界に行くことができた。


 右手にはチケットの束が握られていた。


「直人……」


 私は一筋の希望を掴んだような気がした。これを使えば、直人との仲直りが叶う。彼に散々感情的な態度であたったことを、謝罪することができる。これは、天使が恵んでくださったチャンスなのだ。


「待っててね……必ずアナタに会いに行くから……」


 私は彼の心に語りかけ、チケットを強く握り締めた。




   * * * * * * *




「何だと……」


 ユリウスは亡者歴典を眺めて驚愕した。先程見つけた中川友美の名前が、綺麗に無くなっていた。確かにこの目で、一番最後のページに記載されていたのを確認した。それが今は、跡形もなく消されている。


「これは……」

「ユリウス様」


 ユリウスの部下の悪魔がやって来た。重要書類を持ってきて、祭壇に置いた。


「ご苦労。そうだ、梅田の様子はどうだ?」

「それがですね、梅田の奴、逃げ出してしまったんですよ」

「何?」


 ユリウスは自前のジプシックミラーで、梅田の姿を確認した。広大なセルの大地を、悪魔に追いかけられながら走っていた。あまりに残酷な拷問に耐えられず、逃げ出したようだ。彼の情けない声が、鏡から聞こえる。


「ふむ……まぁ問題ない。すぐに捕まえられるはずだ。よりは厄介ではなかろう」


 ユリウスはすぐさま部下の悪魔をセルに帰した。セルで死者が逃げ出すことはありふれた事態のようで、特に問題視しなかった。いくら逃げたところで、セルから脱出することはできないからだ。

 再び亡者歴典を見つめる。彼にはセルのことよりも、突然現れては消えた中川友美という人物の名前の方が気がかりだった。


「一体どうなっているんだ……」


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