第2話「友達」



 みんなは天才と馬鹿、どっちでいたいと思う?


 いきなり変な質問して悪いな。こっちから質問しておいて何だが、俺自身は決められないんだ。

 でも、普通なら馬鹿より天才でいる方がいいと思うだろ。何でも知らないより知ってる方がいいし、できないよりできる方がいい。それが優位であり、優秀であり、人間の普遍的な願望であるから。そうだろ?


 俺も馬鹿から、毎回息をするように、テストで100点を取れる天才になりたかった。丸しか書き込まれてない回答用紙が欲しかった。




 でも……今思えば、俺はあの時の自分が、馬鹿でよかったと思ってる。だってそうじゃないと、アイツに会えなかったから。自分が天才だったら、アイツのことなんか気にも留めなかっただろう。

 でも馬鹿だから、アイツが輝いて見えた。アイツにスポットライトが当たっているように見えたんだ。アイツとは仲良くしておいた方がいい。俺の直感がそう心でささやいた。


 アイツと初めて話した時は、はっきり覚えてる。小学四年生の春頃だ。アイツとの出会いを話すとしよう。どうせなら、あの頃の自分に戻った気分になって。






「遠山君」

「はい」


 担任の先生が一人一人名前を呼ぶ。俺は教壇まで歩いていき、先生から解答用紙を受け取る。もう結果は薄々予想できるため、頭を下げる準備をしておく。


「遠山君、ここのところどんどん点数下がってるわよ」

「す、すみません……」


 ほら、やっぱり。テストの問題は外すのに、全体的な出来映えがどのくらいかは的中する。どうか逆になってほしい。


「はぁ……」


 俺は縮こまりながら自分の席に戻る。疫病神に取り憑かれたように、体が重くなる。悪い点なんて何度も取ってるはずなのに、なぜかこの感覚だけは慣れないんだよな。母さんに何て言おう。


 いや、母さんはまだいい。問題は……


「中川さん」


 おっと、今更なことを考えてる場合ではない。アイツの登場だ。成績優秀、才色兼備、神様にえこひいきされて生まれたような、天才の中の天才、中川友美だ。


「すごいわね中川さん! 100点満点よ!」


 先生もつい公言したくなるほどの優秀っぷり。友美は……いや、この頃は「友美さん」と呼んでいたな。友美さんは表情一つ変えず、「このくらい当然よ」とでも言わんばかりのキリッとした表情で、自分の席へ戻る。


 かっけぇ……。いいなぁ、その余裕。どう生きれば、そんな余裕が生み出せるんだ。


「よし!」


 俺は決めた。もう影で眺めてるだけなんてやめだ。俺は授業の終わりを告げるチャイムを待った。






「友美さん」


 俺は放課後にすぐさま友美さんの席へ向かう。彼女はそそくさと教科書やノートをランドセルに入れるが、その手が俺の声かけによって止められる。俺に向ける鋭い視線が、いかにも害虫を寄せ付けまいとするものだった。


「ねぇ、友美さん小テスト100点でしょ? すげぇじゃん」

「それが何? 何も用がないなら帰らせて」

「いやっ、用はある! 用はあるから!」

「じゃあ早く言ってよ」


 何その冷たい態度……怖いよ。正直、怒った時の俺の母さんよりも怖い。しかし、俺は友美さんを帰すまいと、なんとか言葉を絞り出す。その知識の乏しい頭で。十数秒唸った後に答える。


「俺に勉強教えてくれない!?」

「嫌だ」


 即答!? 光の速さに匹敵するくらいのスピードで断られたぞ!? なんでだよ友美さん……俺の頼み方がダメだったのか?


「待って! お願いだよ友美さん! これ以上点数下がったら、親に何本指を折られることか……」

「……」

「友美さん待って!」


 ガシッ

 俺はつい友美さんの腕を掴んでしまった。母さんと妹以外の女性に触れるのは初めてだ。


「お願いだよ。俺を……助けてくれ……」


 俺は彼女に涙と鼻水でいっぱいになった汚い顔を向ける。男のくせに弱々しく、見てて呆れるような情けない顔だ。


「……一万円」

「え?」

「一万円くれたら、付き合ってあげる」


 彼女はボソッと呟いた。この際迷ってなどいられなかった。






 今まで教室が夕暮れで赤く染まるまで、家に帰らなかったことなんてなかったと思う。授業の終わりを告げるチャイムに操られるように、グッとランドセルを引っ張り出す。狂いながら教科書を詰め込み、そそくさと教室を出ていく。俺の放課後のプログラムはそんな感じだった。だが、今日は違う。


 ガラッ

 友美さんが図書室の入り口を開ける。俺は付き人になったつもりで、後ろを付いていく。これから二人で放課後の勉強会をするんだ。

 俺は約束通りなけなしのおこづかいから、一万円札を引っ張り出して持ってきた。しかし、友美さんは冗談のつもりで言ったようだ。金を払わずとも、勉強に付き合ってくれるらしい。


 一年生の頃から勉強は嫌いなのに、なぜか彼女との勉強会は、映画が始まる前のワクワクと似て楽しみだった。


「席はどこでもいいわよね」

「う、うん」


 見渡す限り、図書室に人はいない。図書室に残って進んで居残り学習を望むのは、俺達だけ。そう思うと、自分が優等生になった気分だ。本当は下から数えた方が早いくらいの劣等生だけど。


「直人君、早く」

「あ、うん!」


 第1話で名前は知ったと思うが、一応ここでも自己紹介しておく。俺の名前は遠山直人。小学4年生だ。そして、超が付くほどの問題児でもある。別に学校にゲームやお菓子を持ってきたり、人を殺したり、付き合ってる人がいるのに浮気をしたわけではない。


 ……え? なんでそこで浮気が出てくるんだって? それは追々明らかになるさ。


 とにかく何が問題かと言うと、反吐が出るほど低い学力だ。先程も言ったように、俺はとにかく極上で至高の馬鹿だ。

 ちゃんと授業は受けているのに、なぜかテストで結果を残せない。今回の算数の小テストなんか……いや、点数を言うのは止めよう。自分が惨めになる。


「直人君、何よ……12点って……」

「あ……」


 友美さん、言っちゃダメェェェェェェェェェェェェ!!!!!!


「アナタ、想像以上ね……」

「やめて、死にたくなる……」


 いつの間にか友美さんは、俺の算数の解答用紙を持っていた。見られた……恥ずかしい……。まだ親にも見せてないのに。友美さんの目線が痛い。痛覚を感じるほど痛い。


「……」

「何ぼーっとしてんの。早く筆記用具出しなさい。教えてほしいんでしょ?」

「は、はい!!!」


 企業に入社したてのペコペコする平社員のように、俺は慌てて準備する。筆箱が手汗でべっとりと湿る。恐るべし、中川鬼教官。


「さてと……」


 友美さんは改めて俺の解答用紙を凝視する。きっと俺の苦手な項目を調べてるんだろう。俺は来るアドバイスに備え、鉛筆を握る。






「できた!」

「5分46秒……かなり早くなったわね」


 俺は机を割る勢いで、鉛筆を机に叩きつける。友美さんは図書室の時計で、俺が問題集を解くのにかかった時間を計ってくれた。解き終わると、問題集を回収して採点をし始める。彼女はメガネもかけてるから、余計に先生っぽい。


「……」


 黙々と赤ペンを走らせる友美さん。彼女が言うには、とにかく問題の数をこなすのが一番効果的な道だという。少しでも多く解いて、知識を頭に叩き込み、解答スピードを上げる。地道だが、確実に力はつくのだそうだ。


「うーん」


 シュッシュッと赤ペンが踊る音が、しんとした図書室に響く。ちなみにこの問題集は、彼女がわざわざ俺のために買ってくれたものらしい。いきなり押し掛けてきた奴に、ここまで真剣に相手してくれるなんて、何だか申し訳ない。


 それに……


「うん、間違いなし。やればできるじゃない」

「……」

「直人君?」


 よく見ると、友美さんって綺麗だ。いつも遠くから眺めてても分かるけど、近くで見てみるとよくわかる。

 綺麗な青髪を結んでできた三つ編みが、非常に似合っている。美しさと可愛らしさを兼ね備えてるなんてすごいな。しかもこれで勉強ができるとか、鬼に金棒を越えて、死神に鎌だ。


「ちょっと、どうしたの?」

「ううん! 何でもないよ!」

「そう、とにかく前よりは、間違えずに早く解けるようになったわね。この調子が次の小テストに出せるといいけど」

「ありがとう、友美さん!」


 分厚い問題集の半分まで解かされたけど、結果的に十分計算のスピードは上がったはずだ。やっぱり友美さんは天才だけあって、教えるのが上手い。


「次の小テスト、頑張る!」

「えぇ」


 わざわざ付き合ってくれた友美さんのためにも、絶対いい点取ってやるぞ!






 それから三日後、次の算数の小テストが返ってきた。果たして、友美さんに目一杯指導してもらった成果を出せただろうか。


「遠山君」

「はい!」


 威勢よく返事をした。震える体をごまかすために、大げさに足踏みをして教壇に向かう。怖くて目を閉じてしまう。


「よく頑張ったわね」


 解答用紙を差し出す担任の先生。思いきって目を開くと、赤ペンでたくさんの丸と、大きな84の数字が記されていた。俺は教壇の前で、堂々と万歳をした。信じられない……俺が84点を取った。こんな点数、今まで取ったことないぞ。


「!」

「……」


 俺は友美さんの方に顔を向ける。俺の視線に気がついた彼女は、慌てて他人事のようにそっぽを向く。全て彼女のおかげだ。友美さんの指導がなければ、こんな点数は取れなかった。それは紛れもない事実だ。




 放課後、俺は友美さんの席へと駆け寄る。


「ありがとう! 友美さんのおかげで、いい点取れたよ!」

「そう、よかったわね」


 友美さんは相変わらず塩らしい態度のまま、下校の準備をする。彼女のそうやって謙遜する姿が、いかにも実力者という風格を醸し出している。今回の小テストも、彼女はやはり100点だった。


「友美さん、これからも勉強教えてね!」

「なんで? 教えるのはあの一回だけよ」

「えっ……」

「私は誰かと仲良くしてる余裕なんてないの。あまり関わらないでほしいわ」


 他人を寄せ付けないような態度も相変わらずだ。そこまで勉学に全力を注いでいるのか。ただひたすら真面目で、馴れ初めを一切求めない堅物。俺とは真逆の存在だ。




 だからこそ、俺は彼女に興味をもった。


「うん! もう関わらないから、これからも勉強教えて!」

「……は?」

「うん、もう関わらないから、勉強教えてよ」

「アンタ……馬鹿なの?」

「おう! 馬鹿だぜ!」

「……」


 自分でも何言ってるか、さっぱり分からなかった。でも、とにかく友美さんと友達になりたくて、今後も勉強を教えてもらいたかった。友美さんと仲良くなれば、俺はどうしようもなく怠惰な自分から変われる気がした。だから俺は、彼女のそばから離れなかった。


「……はぁ」

「友美さん?」

「教えてもらいたい時は言いなさい。私でよかったら力になるから」


 俺があまりにしつこいからか、友美さんは無視するのを諦めた。しつこさだけはタダ者じゃないからな。でも、めちゃくちゃ嬉しい。


「ほぉぉぉ~、ありがとう友美さん! これで俺達は友達だね!」

「友達じゃないわ。ただ勉強するだけの仲よ」

「も~、照れてちゃって~。友美さん可愛い♪」

「う、うるさい!」


 どこまでも否定する友美さん。彼女にとってはただのクラスメイトにしか思っていなかっただろうけど、この時の俺は彼女と友達になれたと思って、すごく嬉しかったんだ。

 友美さんと一緒なら、苦手な勉強もとことんやる気が出る。俺は確実に成長できると思ったんだ。




 あぁ、そうか。今なら言える。俺……天才よりも、馬鹿でいる方がいいかも。理屈なんか考えないで、感情のままに生きる人間でいたかった。


 だって、そんな人間だからこそ、友美のような素敵な人と巡り会えることだってあるんだ。馬鹿だからこそ、友美は俺のことを好きになってくれた。今の俺がいるのは、彼女のおかげなんだ。


 ほんと、ありがとな……友美。


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