世界で一番大きなごめんね

KMT

序章「約束」

第1話「天才と凡人」



   KMT『世界で一番大きなごめんね』



 これは、私が体験した話だ。今思い返してみれば、こんな詰めこみすぎた話、一体誰が信じるのだろう。

 それでも、確かに私の中に存在した思い出なのだ。いちいち説明するのが面倒くさいけど、せっかくここに来てもらったのだから話すとしよう。大丈夫、大した話ではないわよ。あなた達にとってはね。


 まぁ、お菓子片手に楽しんでちょうだい。






 私の名前は中川友美なかがわ ともみ。始まりは確か小学4年生の春頃。既に夏の兆しが見えていて、体まで溶けてしまいそうなほど暑い日だった。私達の教室で算数の小テストの返却をしていた。


「遠山君」

「はい」


 担任の先生が、一人一人名前を呼ぶ。みんな教壇まで歩いていき、先生から解答用紙を受け取る。


「遠山君、ここのところ、どんどん点数下がってるわよ」

「す、すみません……」


 薄い青髪の男の子が頭を垂れる。先生の期待にそぐわない点数だったらしい。無様だ。

みんなそれぞれテストを受け取りながら、様々な表情を浮かべる。

 目標の点数が取れて安堵する者、あと一歩及ばずに落胆する者、そもそも全くもって勉強していないから喜びも落ち込みもしない者。まるで絵の具のように、クラスメイトの反応は多色に渡る。


「中川さん」


 しかし、当時の私はそんなことはどうでもよかった。無表情で教壇に歩み寄り、ゴミを受け取るような気持ちで、解答用紙を持ち去る。


「すごいわね中川さん! 100点満点よ!」


 帰り際に、先生はクラスメイトのみんなに告げる。私の点数を知った瞬間、バンドのボーカルが声を発した時のライブ会場の観客のような、大きな歓声が響き渡る。うるさい。そんなにわめく必要がどこにあるのだろう。


「みんなも中川さんを見習って頑張るのよ~」


 見習うとか見習わないとか以前に、どうして頑張らないのか。そもそも、私には100点を取れないみんなが、不思議で仕方なかった。

 こんなの、教科書に書いてあることを全部暗記して、たくさん問題を解けばできることじゃない。凡人はなぜ努力という成功への近道の存在に、いつまでも気がつかないのか。


 あの頃の私は、良くも悪くも完璧主義だった。目標のためならどんな努力でも重ね、一筋の失敗も許さなかった。

 どんな無理難題が突きつけられようと、私は成功以外の道に迷ってはいけない。私は失敗してはいけないのだ。失敗する人間は、生きる価値がない。それくらいの考えで、人生に臨んでいた。


 キーンコーンカーンコーン

 落ちぶれた者達を慰めるように、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。






「友美さん」


 ランドセルに教科書を入れる手が、ふと止められる。呼ばれた方向へ顔を向けると、あの青髪の男の子がいた。私の席に手を突き、顔を近づけて馴れ馴れしく話しかけてくる。


「ねぇ、友美さん小テスト100点でしょ? すげぇじゃん」


 決してすごくはない。普通だ。ていうか、何も用がないのなら、話しかけないでほしい。先生に注意されていた様子から、ろくな点数じゃないだろう。そんな人間の分際で、よく私に声をかけようと思ったものだ。


「それが何? 何も用がないなら帰らせて」

「いやっ、用はある! 用はあるから!」

「じゃあ早く言ってよ」


 私を帰すまいと、彼はなんとか言葉を絞り出そうとする。その知識の乏しい頭で。十数秒唸った後に答える。


「俺に勉強教えてくれない!?」

「嫌だ」


 私は光の速さで即答し、席を立って教室を出ていく。何を言い出すのかと思いきや、くだらない。私はこんな人達に構っていられるほど、暇に生きてはいない。


「待って! お願いだよ友美さん! これ以上点数下がったら、親に何本指を折られることか……」


 さりげなくとんでもないことを言う彼。よく見てみると、手を合わせる彼の指は、うっすらと青く腫れていた。本気で制裁を受けているというのか。

 しかし、彼の指が傷つけられようが、私には関係ない。勉強は自分でやる気にならなきゃ、意味がない。それに私が教えたところで、テストの点数が上がる保証がどこにある。


「友美さん待って!」


 ガシッ

 彼はそそくさと離れようとする私に駆け寄り、その腕を掴んできた。やけに強く握ってくる。触らないでほしい。


「お願いだよ。俺を……助けてくれ……」


 ここで初めてしっかりと彼の顔を確認した。今にも涙や鼻水を流しそうな情けない顔だ。男のくせに弱々しく、見てて呆れてくる。




「……一万円」

「え?」

「一万円くれたら、付き合ってあげる」


 私はいじわるをしてみた。小学生がそんな大金を用意できるはずがない。これで彼は私に頼ることができなくなる。無理な条件を押し付け、私はゴミをポイ捨てするように、彼を教室へ置き去りにして帰っていった。


 ……あれ? なんで私は条件なんて付けたのだろう。嫌なら断りきればいいのに。


「どうして……」


 この世にはまだまだ私の知らないことがいっぱいある。








「……」


 目の前で一万円札が差し出される。福沢諭吉が澄まし顔で私を見つめてくる。翌日、彼は本当に一万円を学校に持ってきた。彼は一体どれだけ馬鹿なのだろうか。


「俺は約束は守る男なんだ。だから頼む! 俺に勉強教えてください!」




「はぁ……」


 私は深くため息をつく。彼の馬鹿正直さに押し負けた。めんどくさいけど、テキトーに付き添っていればいいか。私は彼の頼みを引き受けることにした。


「放課後、図書室で教えてあげる」

「マジ!? やったぁぁぁ!!!」

「あと、一万円くれってのは冗談だから。おふざけでも、そんなもの持ってこない方がいいわよ」

「へぇ~、友美さんも冗談なんて言うんだ。なんか可愛いね」

「う、うっさい!」


 勉強を教えてもらえることになり、無駄にはしゃぐ彼。満足できない点数を取ったところから、普段から全く勉強していないことが見てとれる。単純に勉強が嫌いなのだろう。 


 なのに、私に教えてもらうとやる気になるって、どういうことよ。この男、よく分からないわ。


「あっ、そうだ。俺、遠山直人とおやま なおとって言うんだ。よろしく!」

「知ってるわよ。まぁ……よろしく、遠山君」


 彼……遠山君は握手を求め、右手を差し出した。もちろん私はその手を取らない。握手なんて馴れ馴れしいこと、誰がするもんですか。

 それに、そんな青ざめた手なんか触りたくない。私が握手を拒んでいることを雰囲気で察し、彼は右手を引っ込めた。馬鹿でも空気は読めるみたいでよかった。


「うーん……ねぇ友美さん、俺のことは『直人』って呼んでくれない?」

「嫌だ」

「えぇ~!?」


 名前呼びも何だか馴れ馴れしい。まるで私が遠山君と友達みたいじゃない。気づくのが遅れたけど、しれっと私のことも名前呼びにしてるのも気に食わない。


「そこまで冷たくしなくてもいいだろ~」

「……」


 私は友達なんか作って仲良しごっこしてるほど、暇じゃないんだから。




 ……でも


「まぁいいや。とにかくよろしく! 友美さん!」


 心の中で、彼のことが気になる私がいた。誰かと仲良くしてる暇があれば勉強するべきだという私が、彼に興味を抱く私を抑え込もうとしても、上手くいかなかった。

 そう、私にはまだ知らないことがあるのだ。学校の授業や教科書が教えてくれないことを、彼なら教えてくれる気がするのだ。


「よろしく……直人君」

「うん! ……え?」

「また明日」

「待って友美さん! 今、俺のこと名前で呼んでくれた……?」

「約束は明日よ。もう帰って」

「待って! 友美さぁぁぁぁぁん!!!」


 馬鹿に興味が湧くなんて……馬鹿みたい。






 まだ語り尽くしたわけではないけど、始まりは大体こんな感じだったわ。彼があまりにしつこいから、私は仕方なく勉強を教えてあげることになった。

 最初は少し付き合ってあげるだけで、関係は終わりにしようと思っていた。凡人に神経を使ってる余裕なんてないから。


 でも、まさか私の方が教えてもらうことになるなんて思わなかった。彼が教えてくれたのは、ほどほどの童心と底知れぬ愛。

 そして、人間にとって一番大切な感情。彼と出会った私は、出会わない私と確実にどこかが違っていて、変われたのは間違いなく彼のおかげ。


 でも、出会ったばかりの私は、そんな彼に反吐が出るほどの憎まれ口を叩いてしまった。散々彼を蔑んだ罪を、私は今でも償いきれないでいる。彼のおかけで私は変われたのに。決定的なことに気付けたのに。

 彼とを目の当たりにして、まさか自分がこんなにも出来損ないの人間だとは、思いもしなかった。息もできなくなるほど後悔が積もるけど、それでも私はこの感情と共に生きていく。




 ほんと、ごめんね……直人。


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