9、近づけば近づくほど離れていく

「(あ〜全然わかんない!)」

 私は、解答欄にシャーペンを走らせてはそのまんま消しゴムで消して、を繰り返した挙句に頭を抱えた。

 首を少し捻って時計を見ると、4時半を回っていて例外にもなくこの教室にも人はほとんどいなかった。

「(帰りたい……)」

 なんとなく心で呟いてみるも、だからと帰ったところでいいことがあるわけではない。


「(たっくん、今何しているかな……)」

 私はついこの間、彼女がいると知って以降、余計にたっくんのこと気になるようになった。


「(あーもうっ!)」


 こんなことになっているのは、すべてSっ気のある物理教師のせいだ!

 私はちゃんとプリント解答をすべて埋めて、先生にプリントを渡したのに……



 それは物理の授業の後半。 

 若月先生はあらかた板書を終えたところで、手についたチョークの粉を払いながら、プリントを配った。

「今日の授業は、演習プリント出した人から終わりで」


 先生がそう言うと、頭のいい人とかがすぐさま終わらせて、教室から人が減っていく中、私もプリントを先生の元へと渡しに行った。

 その時はまだクラスに三割くらいは残っていたとおもう。

 

 若月先生は「お疲れ様」と両手でプリントを受け取り、上から下までざっと見ると、教室の一歩外あたりに出ていた私を呼び止めた。


「ちょっと待って、小野川さん? このプリント1問も合ってないんだけど?」

 私は何も聞こえなかったので、そのまま昇降口へと足を進める。

 たぶん普通の先生なら、ここで追うのを諦める。ていうか、国語の先生は諦めた。

 でも若月先生は違った。

 私が逃げるように早足で廊下を歩いていると、人の気配無しに、私の肩に温もりを感じた。

 私は冷や汗をかきながら、恐る恐る後ろを振り向くと、そこには若月先生がスッと立っていた。


「うわっ! せ、先生!」

 先生の浮かべる表情は笑顔というべきものなんだけど、目だけが別の表情をしていた。


「小野川さん、教室戻ろうね」

 先生は私の両肩をに手を掛け、私の向きをくるりと半回転させた。

 そして肩に手を掛けたまま、教室へと向かう。


「あ、あの………私は逃げないので手を離してもらっていいですよ?」

 私は先生の手を振り払おうと体をひねる。 


「えー、私のことそんな嫌い?」

 先生は肩をしっかり掴んでいて、体をひねっても手がしっかりついてくる。

 意地でも逃さないつもりらしい。


「いや、嫌いじゃないです……」

 

 私は諦めて教室へ戻った。そして、

「小野川さんは逃げた罰として、全問正解するまで受け取らないからね」

 との地獄の伝達をくらって、今に至る。

 

 ちなみに先生は、放課後になってすぐ

「私は用事があるから、2人ともプリント終わったら教員室にに持ってきてね」

 と言って教室から出て行ってしまった。



 私はシャーペンでプリントの空白に線を走らせる。

 そして斜め右後ろをちらりと見ると、その席にはまだ髪の長い女子生徒が残っていた。

 その人はプリントに向き合っている訳でもなく、さっきからずっと廊下の方を眺めていた。

 

 あれは……長谷川だっけ?

 男子の噂話に耳を傾けると、八割くらいの確率で長谷川という名前に遭遇するくらいには目立つ存在である。

 まあ確かに、頭ひとつ抜けた美人さんではある。いま、この光景を写真に撮れば、廊下を見てるだけなのにそれなりに映えると思う。

   

 でも、最近彼氏ができたってクラスの男子は嘆いてったっけ。

 まあ、あれだけ顔が良ければ、よりどりみどりだろうし、渡辺あたりとでも付き合ってるのかな。

 

 そんな下世話なことを考えていいると、ズズズと椅子と床が擦れる音をたてて、長谷川は立ち上がった。

 私は慌てて振り返ると、何事もなかったようにシャーペンを持ち、解答欄に空に答えを書く。

 そしてしばらく、プリントと向き合ってから、そっと振り向くと、そこには彼女はおらず、カバンだけが残っていた。

 おそらくプリントを出しに行ったのだろう。

 すなわち、この課題が終わってないのは、ついに私1人となってしまった。

 

「よし、帰ろう!」

 私はプリントをほったらかして帰ることを決意し、机の上を片付けた。

 プリントをファイルに入れて、筆箱に消しゴムをしまう。

 カバンを開き、それらを入れようとした時、廊下から足音がした。

 

 別に何か意図があるわけではなかったけど、ちらりとそちらを見る。

 そして私は、その足音の主を尾行することになった。


* * *

 教室を出る前までは騒がしかったのに、ため息混じりに廊下を歩いても足音ばかりが響く。

 たかがプリントとはいえ、あれだけの厚みがあれば結構な重量になるから、抱えている間も相当腕が軋んでいたように思えた。

 今でも動かすと、少しジーンとくる腕をわざと振りながら、教室へと戻った。


「あれ? 部活まだなの?」

 教室に入ると、真ん中あたりにある大輝の席に座っていた。ちょうどいいタイミングに俺はテンションが上がる。この時間にいるなら、部活開始が遅いか部活が休みのどっちかだろうから、やっとサッカーの話ができる。


「…………」

 大輝は俺の問いには答えず、席を立つと俺の方を向いた。


「ねえ、そういえば昨日のサッカーみた?」

 俺は、話したくて前のめりになっていたのだろう。

 だからだろうか、俺は大気の表情をあまりみていなかったから、次の言葉が一瞬理解できなかった。

 

「俺は、お前を見損なったよ」 


「はい?」

 

「お前が人の気持ちを踏みにじる奴だとは思わなかった」


「え、何の話? なんかドラマでそんなセリフあったっけ?」

 とても本気で言っているようなセリフには思えなかったから。

 何かの冗談で言っていると信じて疑わなかったから、俺は軽く笑いながら言う。

 

 すると当然、大輝の大きな手がカッターの襟を乱雑に掴む。

 そして、これまで見たことないような険しい顔で、怒鳴った。


「この二股野郎が!」

 間近にある大輝の目は、俺の目をその深層部まで刺すように睨んでいて。

 視線には明らかな敵意をはらんでいた。


 あまりにも唐突な状況に、驚きで言葉を失った。

 回らない頭を使って絞り出した言葉も、はっきりとした言葉にならなかった。


「な、な、なんで?」 

 大輝は掴んだ襟をさらに強く強く引いた。さらに首元が閉まって、息が苦しくなる


「お前言ったよな、美香はないって! なのに、結局美香とも遊んでたじゃねえか!」

 

「なんのことだよ?」

 俺は苦しいながらに必死に反論しようとした。


「土曜日、2人っきりでフードコートにいただろうが!」


「あれは、美香と妹と3人で遊んでて、2人っきりって訳じゃ……」

 大輝はそれを聞くと、襟から手を離し、俺を思いっきり押し飛ばす。

 そのまま後ろに倒れる形になって、思いっきり尻餅をつく。


「言い訳とか聞きたくねぇんだよ! 結局、どっちともベッタリで、お前は嘘だらけじゃねえか!」

 お尻に手を当て立ち上がらない俺を、上から目線でキツく睨む。

 それでも俺はそこで口を閉じた。

 ここで、口ごたえの一つや二つでもしていたら良かったのかもしれないけど、大輝のヒートアップぶりに対して俺は不思議なくらいやけに冷めていて、特に何も言おうと思えなかった。


「もう俺に話しかけるな! 顔も見たくねえから!」

 大輝はそれで反応の悪い俺に苛立ったのか、より声を荒らげる。

 見るのが嫌と言ったこの顔を睨みつけ、こっちの反論を待っているように見えた。 

 だから、俺はゆっくりと口を開いた。


「…………わかった」

 俺は大輝に対して肯定の言葉を述べた。

 でも、肯定したのに大輝は思いっきり舌打ちをすると、乱暴ドアを開け教室を出て行った。 

 俺はじんじんと痛むお尻を押さえながら、その場から動かなかった。

 

 親友に絶交だと言われたようなもんだから、コトは大きなはずなのに、

 ほとんど言いがかりに近いことを言われて、暴力まで受けたのに

 俺は驚くほど何にも思ってなく、ただ一つの違和感しか感じなかった。


 俺はしばらく、嵐のように来ては去っていった、この出来事に対して、床の上でぼーっと考え事をしていた。

 



* * *


 「この二股野郎が!」

 私は教室から聞こえたその声に、飛び跳ねるほど驚き、全身の力が抜ける。

 そして、教室のドアの外側にもたれかかったま、ずるずると座り込む。

 

 石川くんの怒鳴り声はおそらく、いまさっき教室に入った、たっくんに向けられたものなのだと思う。

 2人を止めなきゃと、立ち上がろうとするも、足に力が入らない。

 体はいうことを聞かず、気持ちだけが空回りしているうちにも、石川くんの怒りは続いていた。

 

「お前言ったよな、美香はないって! なのに、結局美香とも遊んでたじゃねえか!」

 

 私はその声を聞くと、途端に全身の力が抜けた。


 最初から私は無かったの?

 もちろんあるとも聞いたコトはなかったけど、さらさら無かったと思うと、これまで何を追いかけていたかわからなくなる。

 私は、無理に動かない足を動かすのを諦め、ただその喧嘩に近しいものを傍観した。

   

「土曜日、2人っきりでフードコートにいただろうが!」

 あのときの見覚えのある人は石川くんだったんだ。

 あの日の私も、偶然あったたっくんにテンション上がってたんだっけ。 


「あれは、美香と妹と3人で遊んでて、2人っきりって訳じゃ……」

 たっくんの反論がきこえ、そして直後に、どすんと重たいものが落ちたような音がした。

 教室の中はすごく気になるけど、今出て行って中に割って入る気力もないから、ひたすらに教室の方に耳を傾けた。

  

 それからはひたすら石川くんの声だけが聞こえて、たっくんの声はシーンとした教室の中でさえ、よく聞こえなかった。

 そして、乱暴にドアが開いた時、私はそういえば尾行していたことを思い出す。

 教室から一歩出てきた石川くんのやや下向きの目線がバッチリあった。


 普段の私なら一方的にたっくんを責め立てていた彼に、思いっきり睨んでいると思うし、文句の一つや二つも言ったかもしれない。

 でも、今の私はあった目をすぐに逸らした。

 

 すると、彼はチッと思いっきり舌打ちをして、乱雑な歩みで何処かへ行ってしまった。


 私はしばらく動けないまま、廊下で不審者として時間を過ごした後、何か忘れ物をした気分のまま、帰路へとついた。

——————————————————————————————————

この作品は作者の技量不足によりこの回を持って更新を停止いたします。

これまでご覧いただきありがとうございました。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【更新停止】長谷川さんは常識を知らない さーしゅー @sasyu34

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ