8、別に嬉しくも恥ずかしくもない夕方帰り
俺はオレンジに染まった見慣れた道を、自転車を漕がずに歩いて帰っていた。
俺は、眩しさを見上げながら今日を思い返す。
やはり、真っ先に思い浮かぶのは、表情豊かで楽しそうな長谷川さんだった。
見ているだけで、こっちも楽しくなってきて、一緒にいることが心地よく感じる。
結局、恋とか愛は解らないけど、もしこれが恋の
それでもまだ、人を、長谷川さんを、好きになれるとは思えていない。
あの校庭のベンチで話した時、『有永くんはカッコいいよ』なんて嘘までついて、誤魔化したからには、何かしらの憎みがあることは間違いないし、そもそも『思ってもないことをいう人間』というものに変わりはない。
でも、長谷川さんなら信じてもいい……なんてわずかに思ってしまった俺は強く首を振った。
俺は家の倉庫に自転車を突っ込むと、玄関のドアに手をかけた。
「ただいま〜」
家へと入るなり俺は、自転車の鍵とカバンを玄関に投げ出す。そして、ふぅと一息ついて座り込む。
そうすると、待ってましたと言わんばかりに二階から激しくドアが開く音がした。
そして、階段をどたどたする音もして、妹が駆けてきた。
わが愚妹、日曜日だっていうのに暇すぎるだろ。
「ねえ、デートどうだった? てか、帰るの早くない? 朝帰りじゃないの?」
「朝に家を出て、朝に家に帰る朝帰りがあってたまるか! 俺らにそんなバイタリティねえよ?」
「で、どうだったの? ねえねえ?」
「普通だったよ」
「え、普通って? どんな感じよ?」
妹の顔には『私は欲求不満である』と書かれているようにウズウズしていた。
「えーと、楽しかったし、長谷川さんにも喜んでもらえた。だから、一応ありがとう」
正直なところ、こんな状態位の妹に感謝するのは
「えっへん、私の有能性わかってくれた?」
そういう妹は、いつもより
「それは、わかんない」
「え〜、ツレないな〜」
とつまらなそうな顔をした。
「はいはい」
「それでさ……」
少しだけ目を逸らしながら、口籠った声でボソッと呟き、
「また今度も予行練習してあげるから感謝しなさい!」
無駄に大きな声で、少し口早に言った。
「もう大丈夫だよ? 今回もしっかりデートできたし」
「いやいや、兄貴はまだまだだから、練習が必要だと私は思うよ!」
「そう? 未来も忙しいだろうし、大丈夫だよ」
「私は、ま、まあ、確かに忙しいけど、兄のためなら時間開けてやってもいいよ」
俺は、もじもじしながら言っている妹に、玄関の段差から立ち上がり、向かい合った。
無意識に少し真剣な顔になったようで、俺が口を開く前に妹から疑問が飛んだ。
「急にどうしたの?」
俺が立ち上がるのにつられて、妹も立ち上がっていた。
30cmの段差分だけ妹が高く、元の身長差から考えて、ほとんど同じ高さの目線で向き合った。
「未来は、最近家にいることが多くない?」
そういうと、妹はすぐにはっきりと目線を逸らす。
「え、そんなことないよ。今は空いているだけ、来週から予定がびっしりだよ」
妹は慌て気味に、さっきの自信が嘘のような、細い声で言う。
「でも、彼氏の1人や2人いるならここ数週間の出て無さ、おかしくない?」
「彼氏には、そりゃ、焦らす方が愛が深まるっていうか……」
「わかった、彼氏はいい、でも最近友達とも遊んでなくない?」
「それは気のせいだよ。 あっ、いっけなーい! 私課題あったんだ! 話ならまた後で」
そう言うと小走りで自室まで戻っていった。
勉強嫌いが課題を思い出すって、明日槍でも降って気やしないだろうか。
* * *
月曜日、週が明け、新たな気分で、爽やかにスタート……
できませんでした!
俺が今週に入って初めて触れた音は、
「おい、クソ兄貴起きろ!」
無駄に迫力の増している、妹の声だった。
槍ではなくて妹の怒鳴り声が降ってきた、爽やかとは程遠い朝だった。
というのも、俺にとっての土日とは、家にこもって、ごろごろして、HP (ヒットポイント)を回復する時間なのに、ここ2日間は慣れないことをしたもんだから、HPが回復しきらずにこの有様だ。
さらに昨日の夜みたサッカーの試合に興奮しっぱなしで寝られなかったのも一理ある。
結局、必死に走って教室のドアに滑り込むこととなった。
大輝と昨日のサッカーについて話したかったが、ギリギリになってしまったため、朝の間にそれは叶わなかった。
俺が入って、すぐに教室に入ってきた先生は、間髪入れず月曜恒例の連絡事項を話し出した。
先週一週間の自転車のマナーが悪いとか、部活動の予算会議が一ヶ月後にあるからどうこうとか、エアコン使っても部屋を換気しろとか。
俺の頭は先生の連絡よりも、大輝としたいサッカーの話で一杯だった。
そして、その頭で授業を受けたもんだから、授業の内容は1mmも頭に入ることなく、授業終了のチャイムがなった。
そして、待ちに待った昼休み。
俺は大輝の所へ行こうと、開いてもいない教科書類を引き出しへしまうと、カバンから弁当を取り出した。
そして、立ち上がろうとした時、不意に教室のドアが派手に開く。
「有永くん、お昼たべよ!」
開いたドアから、なんの突拍子もなく長谷川さんが入っきた。長谷川さんは俺を見つけるなり、すぐに駆け寄る。
この状況では、大輝と話がしたいからと言って断るわけにもいかないし、何よりクラス中から浴びている視線がチクチクと刺さる。
俺は諦めて、長谷川さんの言うままになった。
また、大輝と話し損ねたが、放課後でいいやと思い込み、少し早足で前を行く長谷川さんについて行った。
文芸部の部室に入ってみると、金曜日来た時と、相変わらずで、
使っている二つ以外は、誰も触った痕跡のないような机やイス。あまりにも綺麗に並べられていて使用感のない本。
とにかく、人が使用していると仮定するには綺麗すぎた。
「どうしたの? 何か気になるものでもある?」
辺りを見渡している俺を見て、不思議そうに聞く。
「ううん、なんでもない。ごめんね、食べようか?」
小さなお弁当には、いろどりよく料理が詰められていて、美味しそうな弁当を前に、長谷川さんは待っていた。
俺は焦って弁当を開いて、お互いに弁当を食べ始めた。
適当な話をしながら弁当が半分くらい空いたところで、ふと思ったことを素直に問いかける。
「ところで、この文芸部は何しているの?」
「活動? 基本文化祭の出し物だけ。あとは自由に何かイベントごとを開催してもいいけど特にしてない」
長谷川さんは、残り半分の弁当に箸を伸ばしつつ、淡々と興味なさそうに説明する。
「……あ、えっと、文化祭の出し物は何するの?」
なんとなく長谷川さんが冷たい気がして、なんとも話しづらい。
「本の紹介、この部屋で何冊か本の紹介をするの」
あまりの淡々とした端的な説明、へえ〜と相槌を打つことしかできなかった。
こんな回りくどい話をしても仕方ないと思い、単刀直入に聞く。
「ところでさ、この文芸部って他に部員いるの?」
「ぶ、部員? 今はいないよ、いまは……」
長谷川さんはさっきの淡々モードとは打って代わり、あさっての方向を見ながら上ずった声で答える。
「確か部は5人いないと成立しなかった気がするけど」
「そこは大丈夫だよ……それよりさ!」
無理やり話題を変えるかのように、大声で続けた。
「次のデートいつにする?」
「で、デート? つい昨日行ったじゃん」
大声で聞かれた、元の話と90度違った話題に、戸惑いながら答えた。
「あ、そっか……でもでも、来週も行かない?」
「早いよ、ちょっとは期間空けようよ」
「はーい……」
長谷川さんは落ち込んだ素振りを見せる。
そしてお互いに黙って、残り半分を食べる。
それ以来、お互いに特に話することなく昼休みは解散した。
長谷川さんが濁したその話題を、濁しっぱなしにしてしまったから、もやっとした、心の曇りだけが残った。
* * *
「どうして俺はこんなことさせられてるんですか?」
「いやー、物理の課題プリント重かったら助かるよ。誰か寝てくれないかなって探しちゃったくらいだもん」
「でしょうね、これ結構重いですもん。こんな仕打ちひどいと思いません?」
俺は、五クラス分の物理の課題プリント束というより、山を両手で抱えて廊下を歩いていた。
午後一番の授業で、俺は授業を放ったらかして文芸部のことについて考えていた。
黒板では白いチョークで描かれた丸い円が、下に落ちたり、斜めに発射したときのアレコレを計算していたところまでは記憶にあるけど、それ以降はぐっすり夢の中だったようだ。
「私の授業を寝る方が悪い! てか知ってるでしょ、私の授業寝た人の末路」
そう若月先生は悪い笑顔でいう。
若月先生は、うちのクラスの物理担当。
さすがに先生とだけあって、髪型は地味なショートカットだけど、垂れ目と素朴な顔つきにちょうどマッチして、見るからに優しい雰囲気を作り出す。
生徒と歳も近く、人気の先生だけど、少し厳しいことと、やることがいたずらっぽいのが難点である。
「そうでしたね、若月先生はそうやって授業寝た生徒をこき使うような先生でしたね」
「人聞きが悪いなあ〜 でもこれで寝ようと思わなくなったでしょう?」
「はい、もう2度と寝ないようにしっかり内職をしようと決意しました」
「私の授業そんなにつまらない?」
若月先生は不満顔になる。
「そんなことはないですけど、物理が面白くないので」
「え? 世の中の現象が数学で計算できちゃうんだよ? すごくない?」
「すごくないです! 別に知りたくもないですし」
「その反抗的な態度は、物理の魅力2時間講座とか受けたいってこと?」
「違います。というより、若月先生も忙しくてそんな余裕ないでしょ」
「まあ、よくご存じで。ってことで、教員室に着いたからここまででいいよ」
そう言って若月先生は、プリントを貰おうと手を出す。
「あ、その前に一つ聞いていいですか?」
「いいよ。なにかな?」
「部活って、部員5人いなくても問題ないんですか?」
「クラブのこと? いや、5人いないと潰れちゃうね。ちょうど来月ある予算配分会議で5人いないと予算が出ないからそこで廃部になっちゃう。もしかして、有永くんの部活やばいの?」
「いえ、そういうわけではないです」
「なら良かった! またなんかあったら相談してね」
プリントを渡し終えると、教員室へと入って行った。
そこから流れるひんやりとした空気を感じつつ、壁にかかっていた時計を見ると、もう4時半を回っていた。
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