5、ヒロインの不在の休日

 俺は自転車を建物そばの駐輪場に停めて、自動ドアをくぐった。

 2枚目の自動ドアを潜った時、汗も手伝って、格別ひんやりした空気を体の至る所に感じた。

 俺はエスカレーターに足をかけつつ、スマホの時計を確認した。

 まだ約束の時間までは5分以上あって、ほっとしてスマホをポケットにしまう。あの様子の妹の前で遅刻したら説教何時間コースだかわからない。


 集合場所である、二階の本屋さん前のベンチへと歩くと、いつもの見慣れた顔が徐々にはっきりした。

 そして俺を見つけるなり、こっちをジト目でじっと見た。

「遅い! 大遅刻!」


 妹は、腕を組み、足まで組んで不満げな表情をこちらに向ける。俺は慌てて、スマホの画面をもう一度見て、遅刻してないことを確認した。


「5分前なのに?」


「そもそも! 女子を待たせるのが大問題よ」


「そんな、理不尽な! じゃあ、いつ来ればよかったんだよ」


「それは、 女子が来る前までかな」

 俺は頭に手を当てた、いったん深呼吸した。


「分かった、質問を変えよう。 未来は何分前に来たんだ?」


「えーと、20分前くらいかしら、もう待ちくたびれたわ」


「そんなに早くから来てたのか?」

 

 その言葉に妹は少し慌てた。

「べ、別に楽しみだったとかそういうわけじゃないからね? だって私、ほら、今日は彼女の役だから」

 

 そう言った後、妹は突然ベンチを立ち「行くよ!」と言った。

 

 その時、少しスカートが揺らいだ。

 普段のイメージはジーパンに、Tシャツだから、揺らぐミニスカートに少し驚く。

 ゆるめの黒いTシャツに、膝上までのベージュのミニスカートの、落ち着いた色使いが、普段より大人びた印象を与えた。


「着ている服が違うと、雰囲気違うなぁ」

 俺が呟くと、妹は少し立ち止まった。 

 

「これ以上褒めても何も出ないからね」

 何かをつぶやいていたが、俺には聞き取れなかった。


* * *


 妹が必死に服を見ている姿を見て、はぁーとため息をついた。連れてこられたのは、俺でも知ってる、品質が良くて安い服屋さんだった。

 

「本来なら、デートでどこに行くかは男が決めるものだけど、今日は特別大サービスで女子が喜びそうな所教えてあげる」


 なんて言ってたけど、本当は妹が行きたかっただけだと思う。

 数年前、大輝ときたときは、いろいろ見繕ってもらって、言われたままをレジに持っていって、最終的にベンチで待ってたような気がする。

 俺は今回もある程度妹についていって、踏み込んだ地点から、そのまま綺麗にUターンし、通路の方へ向かい、最終的にベンチに落ち着いた。

 

 小さいころ頃に来た時も、父さんと、母さんと妹が買い物するのを待ってたんだっけ? ああ、あの時はもう少し小さい服を売ってるところだった気がする。

  

「あれ、たっくん?」

 前方から聞こえた、聞き覚えのある声に顔をあげると、ピンクのポニーテールが揺れていた。


「美香じゃん。学校帰り?」


「ああ、これ?」

 そういうと、美香は着ているカッターの肩の部分を摘んで強調する。ピシッとした白いカッターに紺のスカート、つまるところの制服を着ていた。

 

「学校帰りとかじゃなくて、普通に着てるだけ。それより、たっくんこそどうしたの?」


「ああ、今日は……」


「お待たせ〜」


 言いかけたところで、妹が右手に袋をさげてこちらへ向かってきた。


「なげえよ」


そう言うと、美香は俺と妹の顔を交互に見て、あわてた素振りを見せた。

「あれ、もしかして、デ、デート中だった?」


「デート?」

 俺は首を傾げ、妹は何か思いついたような、悪い笑顔をした。


 

「あ、そうなんです〜、行こ?」

 


 妹はいつもと違う、わざとらしいよそ行きの声でそう言うと、妹が自然とおれの右腕に近づいできたので、本能的にサッと避けた。

 その光景を見た美香は余計に混乱していた。


「あれ?」


「もう、そこは空気読んでよ! つまんない!」


「近づいてきたら、そりゃ避けるでしょ。てか、なんなんだよ、空気読めって」


「これだから、兄貴は女心わかんないんだよ」


「あにき……」


 美香が何かを考える風に呟き、ハッとした顔をする。


「もしかして、未来ちゃん?」


「正解! 久しぶり、ミカ姉!」


「久しぶり〜! 会うのっていつぶりだっけ?」

 

「えーと、小学校卒業する前くらいに一回うちに来たよね、未来と会うのはあの時以来じゃない?」


「じゃあ5年前か! 時の流れは早いね」


 3人ともその言葉に思うことがあったのか、何回も頷いていた。

 そして、流れでまたねってなりそうなタイミングで、妹が美香に向いた。

「ねえ、ミカ姉が良ければ、一緒に回らない?」


「いいよ!」


* * *

 それから3人は、店全体を一周した後に、とりあえずお昼にするため、フードコートに来ていた。

 まだ、11時半くらいだったけど、席は一杯で通路側の席がなんとか取れたくらいだった。


「兄貴はお昼何にするの?」

 4人がけのテーブルの隣に座る妹はあたりを見渡しながら言った。


「俺はラーメンかな?」

 

 その言葉にすかさず文句を言う。


「女子とお食事に来てるのに、ラーメンはないでしょ、ラーメンは!」

 文句たらたらの口調でさらに続ける。

「辺りを見渡せば、あっ、ほら、おしゃれなパスタの店とか、オムライスとか、またまた、チーズがたくさんのった……」


「俺、お店に頼みに行こうと思うけど、未来もラーメンでいいか?」


「うんっ!」

 

「えっ?」

 妹が笑顔で頷くと、美香はキョトンとしていた。


 結局、美香もラーメンにしたから、机には三つの湯気とレンゲが揃った。

 いただきますと言って、それぞれラーメンをすする。

 ふと見ると、確かに女子2人が揃ってラーメンを啜っている様子はなかなかに違和感があった。

 そう思い、美香を眺めているとバッチリ目があってしまった。

 コンマ数秒だけ見つめあった後、お互いに目を逸らした。

 食べているところを見られるってやっぱ恥ずかしいよね。

 まさにそのようで、美香は恥ずかしさを誤魔化すように口を開いた。


「な、なんでラーメンなの?」


「ああ、小さい頃に家族でここに遊びにきた時に毎回食べていたから……習慣?」


「そんなにラーメン好きなの?」

 これには妹が答えた。


「いや、全然! 私はむしろ嫌いだったけど、父が強制していたから……」


「へえ……お父さんわがままなの?」

 

「いや、わがままってわけじゃないんだけど、謎のこだわりがあるって言うか、突拍子の無い部分があるって言うか……」


「それは大変だね……」


「そうでもないよ、結局ラーメンも食べてるうちに慣れたし……」

 そして妹は、ちらりと俺の方を見た。

「もろに血をついでる奴が隣にいるから、慣れてないと生きてけないよ」


「ええっ? そうだったら地味にショックなんだけど……」


「母さんといつも言ってるよ、父さんに似てるねって」


「結構ショック……てか、そう言うお前だって、母さんの胸焼けするくらいの明るさついでるだろ」


「胸焼けってなによ!人の性格を嫌なものみたいに言いやがって。クソ兄貴と違って私はこの性格気に入っているのよ」

 

 兄妹で言い争っていると、美香は笑っているのに気付く。


「あ、ごめん、」

 妹もちょっと恥ずかしそうに笑っていた。


 この後も懐かしい話をしながら、ラーメンを食べ進めた。

 

「食べた食べた! ごちそうさま。 久々に来たけどやっぱ美味しいね!」


「昔あれだけ食べるの拒否してたのに、慣れって怖いな」


「うるさい! ってあれ、ミカ姉口に合わなかった?」

 妹は半分くらい残っている美香の器を見て言った。


「いや、美味しかったよ、でもちょっと量が多いなって……」


「ごめんね、うちの兄が気をつかえなくて」


「俺か?」


「そうよ、明日のデートで全く同じことが起きたりどうするつもりよ」


「…………確かに、美香、ごめんな空気読めなくて」


「兄貴にはしっかり言ってるんだけどね、女心をわかれって」


「…………」


「いや、遠慮せずに言っちゃって良いからね。兄貴のためにも」


「いや、ラーメンはいいんだけど……明日のデートがどうこう聞こえたのは気のせい?」


「ああ、うちの兄貴明日デートらしくて、今日はその予行練習」


「え、ってことはたっくんには彼女がいるの?」


「びっくりだよね、私もびっくりだもん。こんな兄貴に彼女ができるなんて」


「彼女できたんだ……へえ……」

 美香は少し俯いた。


「失礼な!そういう未来だってどうせ彼氏いないだろ?」


「そ、そ、そんなわけないでしょ! 彼氏の一人や二人くらいいるわ」

 

「はいはい、そうですか。で、みんな食べ終わったみたいだしそろそろ行こうか」

 俺はキーキー言う妹を無視して、美香に向けて言ったが、美香は俯いたままだった。


「あ、ちょっと待って! 私喉乾いたから、ちょっと水とってくる」


 そう言うと、妹は席からスッと離れた。


 そして、未だに明後日の方向を向いている美香と、俺との二人になった。美香が下向きがちなのに気になって声をかけようと思ったらそれよりも先に美香が口を開いた。

 

「えーと、たっくんはいつ頃から彼女さんと付き合ってるの?」


「えーと、今週の火曜日からかな」


「最近? じゃあその日に告白したの?」


「うん。 付き合ってもらえるなんて思ってもいなかったから、びっくりだよ」


「その……、相手のどこが好きで付き合ったの?」


「えーと、なんて言えばいいか、少しややこしいんだけど……」


「おまたせ〜」

 

「あれ? 水を取りに行ったんじゃ無かったっけ」


「その場で飲んできちゃった」


「行儀悪い!」


「気にしない、気にしない、じゃあ行こ!」

 

 俺はふと美香の方を向くと、分かったように頷いた。

「じゃあその話はまた聞かせて」

 そして俺たちはフードコートを後にした。

 その後、3人でいろいろな店をまわった。

 3人でと言っても、妹と美香の二人が中心ではしゃいでいるのを、後ろから見ていただけなんだけど。

 そして、美香が用事があると言って帰ると同時にお開きにした。



* * *


「ああ、うちの兄貴明日デートらしくて、今日はその予行練習」

 未来ちゃんが明るく、なんだか嬉しそうに話すその言葉の中には、とんでもない言葉が含まれていた。

 デート?


「え、ってことはたっくんには彼女がいるの?」

 私はつい口からこぼれ出たこの言葉を、拾おうとは思えなかった。

「びっくりだよね、私もびっくりだもん。こんな兄貴に彼女ができるなんて」


 そして、この言葉で私は何かはっきりしていなくてわからないけど、とにかく大切なものを失った、焦りとか焦燥感とかそういった感情が湧いてきた。

 釈然としない絶望を感じて、目の前を見るのが嫌になって、私は俯いた。

 

 その後、有永兄妹はいつも通り明るく喧嘩していた。

 このとき、なんとなく私と彼らとの間に線が引かれた気がした。


 これまで付き合ってもいなかったし、もちろん告白したとかそう言うわけじゃなかったから、関係性に何か狂いが生じるわけではない。

 だけど、きっと、たっくんは誰とも付き合わないし、結局将来に行き着いてみたら、自然に私と一緒になっていると思い込んでいた、というか、当然のことだと思っていた。

 だから、私の根底を崩されて、私自身の存在の危うさから不安と恐怖を感じていた。 

 

「あ、ちょっと待って! 私喉乾いたから、ちょっと水とってくる」

 そいう言って、未来ちゃんはフードコートの中の方へ小走りで行った。水を取りに行っただけのはずなのに、なんだか楽しそうだった。

 そして、視線を元の方向に戻すと、対面に座るたっくんの奥の方に、見覚えがある人がいて、こっちを見ていた。

 目が合いそうになったから、私は俯いたけど、誰だったんだろう。たっくんといつも一緒にいる……

 えーと、まあいいや。

 私はそれから、たっくんにいくつか質問した。

 申し訳ないけど、答えというものを全く聞いてなかったし、口先だけの質問だった。

 

 だから、最後話が途切れても、たっくんは続きを話そうと気にしてくれていたけど、私にとってどうでもよかった。

 私はその後、途中で耐えきれずに、用事を見繕って、その場から逃げ出してしまった。




 

 

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