4、妹ほど怖いものも無い

 俺の部屋にはイスがある。

 小学校のときに買った学習机についてきた、木製でコロのついた、少し嵩張かさばっているイスだ。

 買ってもらってから三日くらいは、用もないのに座ったものだ、そして三日後には道具へと変わる。


 そんな便利で素敵な道具があるのに、なんで俺は部屋の中心で正座をしているのだろう……

 

「さっさと、吐きなよ、クソ兄貴」


 その、嵩張かさばるイスで大胆にも足を組んで、とんでもない上から目線でこちらを見てくる。

 

「だから、なんのこと? 俺が未来みくに言うべきことなんて一つもないんだけど」


「今朝たしかに聞いたからね、『他に付き合ってる人がいるって』」


「それは聞き間違えだって!」


「え〜」

 妹はその木製のなにかに座ったまま、頭に手を当てむ〜っと唸っていた。この真剣に考えている眼差し、もうちょっと勉強の方に向いて欲しいものだけど。


「あっ!」

 

 未来は思いついたようにそう言うと、急に立ち上がった。そして俺に指さして言った。


「じゃあ!美香さんのことはどう思っているの?」


 人に指差しちゃいけないって教わらなかったの?

 そう思ったけど、母親が指をさしているシーンが容易に浮かび、ため息が出た。


「また、それ? どうも思ってないよ」


「ほんとに? 恋愛感情としても?」


「特になにも思っていないよ」


「本当に? 証拠は?」


「ないよそんなもの」


「じゃあ、他の人は?」


「いない……って、誘導してるだろ」


「バレたか! まあいいよ、素直に言ってくれればそれでいいんだから」

 未来はなにかを理解したような笑顔をした。クソうざい!


「いや、言わないから! 少なくとも未来には絶対言わない」


「それは……言わない何かがあるってことは、付き合ってる人がいるってことでいいの?」


 あっと、俺は口に手をするが、すでに向こうのてのひらの上だ。

 妹はこういうところだけでは、頭が切れる。それなのに、妹のテストの点で父がキレる。ほんとに、少しでも勉強に向かないかな……


「くっ、分かった、今朝言ってたことはほんとう……」


「じゃあ彼女がほんとうにいるんだ! びっくり!」


 未来は、欲しかったものをついにもらえた幼児みたいな笑顔だった。こいつは無駄に体だけ成長した幼児だと思う。


「はい分かったなら、この部屋から出て行って。俺は忙しいから」


 俺は正座から立ち上がろうとすると、妹に両肩を押さえられる。そして万面の笑みで言った。


「お楽しみはこれからだよ」

(妹の)お楽しみタイムとか求めてない……


* * *


「はえ〜 これはまたイレギュラーな恋ね!」

 妹は鼻息を荒くして、俺の話を聞いていた。気持ち悪い!


「いや〜なかなかツイてるね、兄貴も」


「いや、ツイてないよ。 俺の想定ではフラれたほうが都合よかったんだ。なんでゼロに等しいわずかな確率を引いてしまったんだろ」


「いや〜、話を聞く限り、兄貴のためのくじ箱はあたりしか入ってないと思うよ……」

 未来がボソッとなにかを言った。 


「なんか言ったか?」


「ううん、なんでもない! それより、今どんな感じ?」


 その時ふと、埋め合わせのことを思い出した。非常にしゃくではあるが、相談相手には最適解だった。


「未来に、ちょっと相談があるんだ」


「え? なになに?」

 すごい興味深々で食いついた。


 俺はざっくりと今日あったことを話した。


「それでお詫びになんでもするって言ったら、なにか埋め合わせをして欲しいって言われた」


「埋め合わせねえ……」


「それで、物を買ってあげようと帰りにエオンに寄ってきたんだけど」


「彼女さんと?」


「いや、一人で」


「え? あっ、彼女さん今日なにか用事があったのかな?」


「一緒に帰ろうと言われたけど、埋め合わせを考えたかったから断った。それより……」


「はっ? バカなんじゃねーの、クソ兄貴」


「なんだと!」

 俺のイラッとした気持ちをよそに、妹はさらに続ける。


「ほんっとうに女心わからないのね、よく彼女ができたね」


「俺の行動のどこが悪かったんだ? 一緒に帰るのを、断ったことか? でも、その時間を犠牲にしてでもちゃんと埋め合わせを考える誠実さ……」


「あーあー」

 未来は大きな声で俺の話を遮る。


「彼女さんかわいそう。この話を聞いたら、埋め合わせして欲しいと言ったこと、泣くほど後悔してると思うよ」


「なんで、長谷川さんの気持ちがお前にわかるんだよ」


「長谷川さんねえ」


「あっ……」

 俺はつい名前まで言ってしまった。


「むしろ逆に聞くけど、なんでこんな簡単な心情を、クソ兄貴は答えられないの?」


「え? 人の気持ちなんて読めるもんじゃないよ」


「はぁ〜これは"はーちゃん"も苦労しそうだ」


「はーちゃん?」

 長谷川だから、はーちゃん?


「わかった! 兄貴はもうなにも考えず、その埋め合わせはデートにすることね」


「は? デート? そんなんで埋め合わせになるわけ……」


「なら、明日、はーちゃんに埋め合わせはデートで良いかって聞いてみればいいいじゃない。それで、『日曜日の十時に、エオンで待ち合わせ』って言うこと。いいね?」


「えっ?」


「口ごたえ、厳禁! あと、土曜日も空けといて。 デートの予行練習するから!」


「予行練習?」


「じゃあ、楽しみにしてるから〜」

 そう言って愚妹は俺の部屋から出て行った。

 わけのわからない展開と、足のしびれだけがキツく残った。


* * *


 俺の部屋にイスと、イスの代わりになるイスではないものがある。

 これも小学校の時買って、三日ほどは飛び込んだり、上で転がってくつろいだりもしたが、結局三日後には道具になった。自宅のベットは道具なのに、友人宅のベットは非常に面白そうなのはなぜなのか。

 

 俺は、昨日と同じく占領されてしまった、木製のイスの代わりに、ベットに腰をかけて妹の言われるままになっていた。兄としてのプライドどこ行った?


「それで、はーちゃんに言ってみてどうだった?」



 今日は……

 

*  *

 

 昨日とは違い、長谷川さんを待ちぼうけさせることはなかったが、ベンチが大勢に占領されていて使えなかった。

 のちに大輝から聞いた話だが、明日が一月ぶりの休みだと知ったサッカー部連中が、ベンチで騒いでいたらしい。

 サッカー部って軍隊か何かなの?


 俺がお昼を食べる場所で頭を抱えていると


「じゃあ部室を使う?」


 と、長谷川さんが所属する文芸部の部室を使わせてもらえることになった。


 文芸部の部室は、授業で使う教室となんら変わらない広さを誇っていた。

 「広いね」と言うと「無駄にね」と返ってきた。

 その大きな教室に、3本の本棚と、2本の棚が後方に並んでおり、窓際には教室にあるような椅子がかさねておいてある。

 入った時には教室の真ん中にポツンと一つ机があって、長谷川さんがもう一つ窓際から持ってきてくれた。

 そして早速聞いてみた。


「埋め合わせの件なんだけど」


「あっ、あれは……覚えていてくれたんですね……」


「デートで埋め合わせるのはどう?」


「で、で、デートっ!!」

 長谷川さんは驚きつつも困惑しているように見えた。無理もない、やっぱ無茶だと思う。


「やっぱり嫌だよね? ごめん変なことを言って」


「い、いえ……その……」


「その?」


「しましょう! デートを!」

 長谷川は無駄に張り切った声で言った。


「え? 無理しなくていいよ? 本当に、また埋め合わせは考えるから」


「いいえ、せっかく提案してくれたデートなので、受けて立ちます!」


「たたかうの?」


「あ、いや、と、とにかく、デートしましょう!」


「そ、そう……じゃあ、日曜日の十時に、エオンで待ち合わせでいいかな?」


「はい、お、お願いします!」


 こんな感じに、長谷川さんはデートを無理やりでも受け入れてくれた。


 例えるなら、修学旅行の自由行動の行き先をくじ引きするとき、班の総意が『金閣に行きたい!』で一致している上で、銀閣と俺の字で書かれたくじが当たって、会話が急に、「あ、銀閣もいいよねー、むしろ銀閣に行きたかったんだよね」て気遣われる感じ? 

 今思い出しても泣けてくる。


 その無理やり受け入れてくれた代償はすぐ出た。

「昨日一緒に帰れなかったのはごめん、今日用事なかったよね? 一緒に帰らない?」


「あーごめんなさい! ちょっと用事ができちゃって。 また明日で!」


 と言って、駆けて行った。

 明日は土曜日なんだけどと言うツッコミは置いておいて、逃げられたのが少しショックだった。

 やっぱデートって言われたから嫌われたんじゃないか?


*  * 


「はーちゃん、かわいい〜」


「どう解釈すれば、そんな反応になるんだよ! だいぶ嫌がってたよね」


「嫌がってなんかないよ! そもそも女子なら嫌なデートは絶対行かないもん」


「でも、長谷川さん律儀だから……」


「そんなの関係ないわ!」


「でも、一緒に帰ってくれなかったのは、嫌われた証拠だと思うけど」


「はぁ〜 本当に鈍いね! その答えはデートに行ったらわかるからつべこべ言うな!」


「え、でも……」


「それで、 明日も本番と同様に十時からエオンでね。 私を“はーちゃん”とだと想定して、ちゃんとエスコートしてね」


「は? なんで未来なんかをエスコートし……」


「はいはい、それも明日わかるから。それと、私もそんなに暇じゃないんだから、感謝してよね!」


「お前いい加減に……」


「じゃあ、また明日!」

 そう言うと部屋の外に行ってしまった。

「おい、ちょっと待って、どういう……」

 その呼びかけも、空に話しかけているだけだった。


 俺は、大きなため息しかつけなかった。

 

* * *


 私がソファーに横になってテレビをみていると、母が話しかけてきた。


「ミカの外出禁止って、明日までだったっけ?」


 テレビは七時台だというのに、ロクに面白い番組を映さない。いつも面白いはずのチャンネルでは、白い玉を木の棒で飛ばしていた。

 私は即座に反応した。


「そう!」


「長かったね〜 二週間だっけ?」


「確かそれくらい。最後の一週間はほんとに暇だった」


「そうだよね……じゃあ明日はどこか行く?」


「うん、行きたい! でもあのクソハゲがまた止めない?」

 

「いや、お父さん明日仕事みたいだから一緒行けると思うよ」


「本当? やったー!!」


「じゃあ明日は、エオンに行こうか。当分行ってないよね」


「うん!」


 外出禁止ということもあったけど、それ以前に名前を言うのもはばかられるハゲがいたせいで当分の間、母親と外出できていなかった。

 私の完治祝いに神様がセッテイングしてくれたお楽しみなのかもしれない、


 たかがチェーン店のショッピングモールに行くだけなのに私は、遊園地に行くことが決まった子供のように、わくわくしながら、早くも支度を始めた。

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