2、訳あってのお付き合い

 朝の始業前、教室での一場面。石川大輝は驚き隠せずに、叫んでいた。

「嘘だろ?」

 その声は教室中に響きわたる。


「こ、声が大きいって……」


「あ、すまん!」

 俺が宥めるように言うと、大輝は浮かした腰をゆっくり下ろした。

 

「でもワケがわかんねえ。あの渡辺でもダメだったのに…………」

 大輝は手を頭にやり、難しい顔をしていた。


「イタズラの可能性はねえか?」 


「イタズラ?」


「実はすげえ恨まれていて、告白で騙してやろうとか、あり得るよな?」


「そんな遠回しのイタズラするかな……」


「でも、拓也は突拍子のないことするから、憎まれててもおかしくはねえな」


「そう?」


「急に生徒会室に乗り込むとか、急に俺の元カノとデートするとか、急に長谷川さんに告白とかしてるじゃねーか」


「まあ、そう言われると……」


「そういうのは、俺はそれに何度も救われたけど、嫌う人もいるんじゃね。今回だって、思いの交錯が起こっているし」


「…………うん」


「だから、ちゃんとシロクロつけねえとな」

 言いながら立ち上がった。

 そして大輝は「まあ、頑張れよ」と残して、どこかへと歩いて行ってしまった。

 

* * *


 朝早い廊下は、不思議な静けさがあった。

 普段であればとなりの教室やら、グラウンドやら、廊下そのもので、多くの音が聞こえるのに、今はただ一つの足音が聞こえるだけだ。

 

 昨日の今日で、昨日のことを自身で消化することができず、落ち着かなかった。そして、気づけば朝早くには学校についていた。

 大輝が朝練のためにすごく早く来ているのは聞いていたから、それをあてにしていた部分もあったんだけど、予想以上に早く話が終わってしまい、間を持て余してしまった。


 暇つぶしに、1階にある自販機まで、ゆっくり足音を聞きながら向かっていた。


 俺には正直、愛とか恋とか付き合うとかが解らない。

 もちろん、カップルを見れば羨ましいと思うし、友達との会話の中では、口々と彼女が欲しいと言っている。

 でも、その口に出している“彼女”は、現実に付き合う生身の人間なんかではなく、すごく理想化された都合のいい女の子のことだと思っている。

 その“彼女”は、おそらく俺に対しても、ずうっと好きでいてくれて、素直にその感情を表してくれるだろう。

 でも、現実の彼女は違う。

 現実の彼女は、人をまず顔で判断する。そして、好きな風に見せていて、当然のように全然好きではない。

 それをどう好きになればいいのだろう。


 思いっきりの僻みを空想しているうちに、主張の控え目な自販機の前にいた。

 

 俺はポケットから財布を取り出すと、2枚ほどのコインを入れた。

 がしゃんがしゃんと乾いたコインの落下音が響き、ボタンが点灯した。

 いつものように、お気に入りの甘いカフェオレへと指を伸ばした。



 俺は自販機から少し離れたベンチに腰をかけ、缶に口をつけた。

「にがい……」

 

 間違えて、苦手な缶コーヒー (ブラック)を買ってしまった。

 正確には、缶コーヒーを間違えて押したのではなく、甘いカフェオレへと手を伸ばすことがはばかられるように感じたから買えなかった。

 ひどくどうでもいい理由で、110円の損だった。


 俺がベンチで苦汁にがじるをすすっていると、向こうから黒い髪がなびいてくるのが目に入った。

 その見覚えがある髪の長い人は、自販機の前に立つと財布から3つの銀貨を慣れた手つきで取り出し投入し、俺が買おうとしていた、カフェオレのボタンを2連打した。

 その雰囲気が知人に似ているえらく美人なやつは、スカートをふわりとさせながらしゃがみ、ペットボトルを二つ取り出して、胸元に抱えると、何を思ったのか、来た道を帰らず、こっちへ向かってきた。


 そして予想どおり……


「きゃあっ! ど、どうしているの?」

 長谷川さんは、抱えたカフェオレを手放し。律儀にも地面にどすんと落とした。

 俺はペットボトルを拾って、長谷川さんの腕に添えながら答えた。

「どうしてって言われても、コーヒー飲みにきたから」


 俺が右手の黒い缶を掲げて、少し横に揺らした。

 それを見て、長谷川さんは驚いていた。 

「あれっ? ブラックコーヒーが好きなの?」

 

「いや、普段飲まないけど、ちょっと手が滑っちゃって」


「手が滑った!? なかなか大胆な滑り方したのね……」

 俺の手元の缶と、少し先にある自販機を交互に見ている。

 下段の缶コーヒーと上段のペットボトルで手が滑ったは無茶が過ぎたようだ。

 

「ところで長谷川さんこそ、こんな朝早くにどうしたの?」


「ちょ、ちょっとカフェオレを買いに来たの」


「そ、そう…………」

 まあ、それはそうでしょうね。見ればわかる。

 だからといって『なんで早く来たの?』って聞き直すほどでもない。


「…………」


 ふと風が吹き、黒い髪はふわっと横に流れて、すっと降りた。

 

 長谷川さんは何も言わないけど、目の前から離れようともしなかった。ただ、髪を風に任せたまま、二本のペットボトルを抱えたまま下を向いていた。


「どうしたの?」

 

「あ、いや、どうもしてない…………」

 俺の問いかけに申し訳なさそうにしてから、足早にその場を通り過ぎて行った。

 長谷川さんが振り返るたびに黒い髪は、半円を描いていた。


 なんだったのだろう。

 校舎の入り口で見切れた、長谷川さんの背中を眺めていたら、もともと一人できていたのに、取り残された様な気持ちになった。

「俺も戻るか」

 ベンチから立ち上がって、少しばかり音の増えた、廊下を帰った。


* * *


「大輝がパンって珍しいな」

 大輝は、チャイムが鳴るとすぐに空いた前の席に座って、コンビニ袋から取り出したパンをかじっていた。


「母さんが朝から体調悪くて」


「前もそんなことあったね? 優子さん大丈夫?」

 

「最近は調子がいいから大丈夫だ、心配ありがとな」


「まあ、優子さんには結構お世話になってるし、あの肉じゃがが食べられなくなるのは嫌だし」


「懐かしいな。サッカーしていた頃は、うちの家族かって思うくらい来てたよな」

 

「久々に大輝の家行きたいな。でもサッカー部忙しいよね」

 

「超忙しい!あまり強くないから楽だと思ってたのに、まあ練習だけは厳しいぜ。拓也は入らなくて正解だったな」


「それは、大輝をみてひしひしと感じてる」


「そういえば……」


 大輝が何か言いかけたとき、教室前方がざわついた。

 俺と大輝はそっちを見ると、すらっとしたお嬢様がこちらの方へ向かってきた。


「有永くん、私もご飯ご一緒してもいい?」


 長谷川さんはうちの学校ではツチノコと形容される様な存在だった。

 自身のクラスである2-Aの教室でさえ、授業以外はいないし、探しても見つかった試しがないという。

 だから、その存在が確認できるだけでも驚きなのに、ましてや2-Bの教室となると余計に注目を集めた。

 長谷川さんがニコッとして、返事を待っていると、大輝がすっと立ち上がった。 

「俺、席外すわ。ごゆっくりどうぞ」


「別にお友達さんもご一緒でもいいですよ?」


「俺もたまには、別のところで食べてみたくなったから」


「いいの?」


「ああ、気にすんな」


 大輝は、ささっと荷物をまとめ、自分の席に帰ってしまった。

 大輝の後ろ姿を見ている長谷川さんに、声をかけた。

「ここじゃ注目浴びちゃうから、どこか別の場所に行こうか」

「はい」


 俺は、人目がつかない場所として、校庭のベンチを選んだ。

 普段は、人が多いこの場所も、今のようにクソ暑い時期は誰もいない。今日はラッキーなことに陽射しも強くなく、汗が滴るような暑さは感じなかった。

 俺は2人掛けできるベンチを手で払うと、端へと座った。それに続けて長谷川さんはもスカートを整えて座った。


「…………」


「…………」

 とりあえずベンチまで来て座ったはいいものの、全然会話がなかった。

 でも仕方ないと思う。だって昨日までは他人の二人だったんだから。

 

 間を持て余して目線をあげると、殺風景なグラウンドの景色が目の前に広がった。

 それを眺めたところで何も楽しいことはなかった。


「あの……ひとつ聞いてもいい?」


「なに?」


「俺となんで付き合ってくれたの?」


「え、えっ、えーと……」

 長谷川さんは慌てふためていて、返事を考えている風だった。


「これまで告白を全て断ってきたって聞いたことがあって。てっきり振られるのかと思ってた」

 

「た、確かに全て断ってきたけど…………もちろん付き合う人とは付き合うよ」


「あの渡辺くんにだって告白されたんでしょ」


「わ、渡辺くんは、私には合わないし、何よりまた女子から嫌われちゃう……」


「また?」


「いやいや、なんでもないなんでもない」


「そう、じゃあ俺はそんなにイケメンじゃなかったから付き合ってもらえたの?」


「そ、そんなわけじゃないよ。 有永くんカッコいいよ?」


「カッコいいねえ……」

 

 なんとなく察してしまった、長谷川さんは嘘をついているんだと。

 思ってもないことを口にして、自身を繕って、なにがしたいのかわからなかった。

 その時ふと今朝の会話を思い出す。

 イタズラ?

 

 イタズラじゃん!

 何を恨まれているかは知らないけど、嘘ついてまで付き合っているのはイタズラに違いない。

 でも、なんで付き合っていることがイタズラになるのだろう……


「長谷川さんってさ、俺に恨みとかある?」


「そんなのある訳ないじゃな……」

 そこで長谷川さんは口を止めた。

 そしてゆっくりと、口を動かした。しかも、少しニヤついた悪い笑顔で。

「そ、そういえば私、有永くんに恨みがあるよ」

  

「えっ? な、なんの恨み?」


「今は教えてあげなーい! でももうちょっと付き合ってくれれば教えてあげるかも」

 

 予想は的中だった。しかも、しばらく付き合わないと教えてくれないらしい。

 恨みが何か教えてもらわないと、対策できないし、まさに気づけば沼の中状態だった。 

 

「わかった……付き合うから教えてくれ」


「うん!」

 そのやけに明るい笑顔は、これから何をされるのか、余計に恐怖に感じられた。

 

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