【更新停止】長谷川さんは常識を知らない

さーしゅー

1、記念受験ならぬ、記念告白

 校庭がオレンジに染まる中、夕陽に当たらない暗い廊下を、心臓をばくばくさせながら歩いていた。

 あたりの教室には誰もおらず、自身だけが孤独に目的の教室へと向かっていた。

 教室との距離がつまるたびに心臓の鼓動が激しくなっていき、ドアの前になると、心臓がついに壊れたかのように激しく鼓動を打っていた。

 

 目の前の大きな重いドアに手をかけ、思いっきり右に引いた。


 ずっしりとした重量感と共にドアはがらがらと音を立てながら開き、教室の中からまばゆい光が溢れてきた。

 眩しくて瞑った目を開けると、その美少女は夕陽に照らされきらきらと輝く黒い髪をさらさらとなびかせながらこちらを振り向いた。

 夏服の袖から伸びた白い腕や脚は夕日の中で映え、それぞれのパーツが黄金比の中で成り立っていた。

 彼女は、こちらを見てゆっくりと口を開いた。 

 

「キミが有永くん? 用事って何かな」


 その大きく輝く目は確かに俺を見つめていて、優しい透き通るような声と微笑むようなその顔に、ただ見惚れることしかできなかった。



* * *

 

 昼休み、教室での一場面。石川大輝は驚きを隠せない様子だった。

「え? あの長谷川さんに告白するの!? お前が?」


「うん」


「あの、女子に全く興味を示さなかったお前が?」


「その言い方だと俺がそっち系の人に聞こえるんだけど……」


「え、違うのか?」


「違う、俺は普通だ! むしろ他には居ないくらい普通だよ!」


「すまんすまん、あまりにも意外すぎてな。まあ、拓也が突拍子のないのは平常運転か。でも、そうすると美香はどうするんだ?」


「美香がどうかしたの?」

 

「え? 美香と付き合ってるんじゃねえの?」

 

「え、違う違う! 美香とはそういうのはないから。むしろ最近では避けられているような気がするし」

 

「なら、いいのか……」

 笑っていた大輝が一息ついて、ふと真剣な顔をする。


「でも、俺は告白をやめたほうがいいと思うぜ」


「なんで?」


「たぶんお前玉砕するぞ」


「…………」


「長谷川さんはこれまで何十人という男に告られてきて、一度も受け入れたことがないんだぞ」


「そうみたいだね……」


「これまで——そう、あの渡辺でもダメだったんだぞ。あのバスケ部のエースで、あいつが動くたびに女子は黄色い悲鳴を上げて、バレンタインは3桁を超えたとか超えてないとか、それなのに性格も良くて……あいつ人間じゃねぇ」


「渡辺でもダメだったんだ」


「長谷川さんはそれだけレベルが高い、ついでに俺もダメだった」


「イケメンの大輝がダメなら、俺もダメそうだな」


「お、俺は別にイケメンじゃねえけど…………」

 大輝は照れ隠しのようにその赤い短髪を少し触った。

 サッカー部のエースで、バレンタインは二桁とか、大概にモテモテなんだけど。


「まあ、長谷川さんはとにかく高嶺の花だぞ。——だから……」


「だからこそいいんじゃん!」


「は?」

 大輝はナンダコイツと表情に出ている。


「俺は今まで部活にも入ってないし、青春っぽいことが出来てなかった」


「……うん」


「だから、卒業するまでに青春ぽいことがしたい! だから敷居が低くて、なおかつ思い切ったことを考えてみた」


「なんとなく、言いたいことがわかったぞ……」

 大輝がため息をついて、頭に手を当てていた。


「たくさんの男子が告白して告白慣れしていて、しかも必ず断られるから後腐れない」


「…………」


「しかも、学校一の美少女に告白したというステータス付き、凄くない?」


「おまえ、もうちょっと頭いいのかと思ってたけど、案外バカなのな」


「えへへ、それほどでも……」


「褒めてねえ!」

 大輝は大声で突っ込む。


「一応確認だけどさ、名前忘れたけど昨晩のコッテコテの青春ドラマを見て思い立ったとかそんなわけないよなぁ?」


「え、えと…………なんの話?」

 大輝はあきれて大きな大きなため息をついた。


「それはいくらなんでも、長谷川さんがかわいそうだからやめとけよ」


「え、もう、今日の放課後に呼び出してるんだけど」


「もう言葉が出ねえ……」

 大輝は、あきれた果てて黙ってしまった。



* * *


 俺は、放課後のことで頭がいっぱいで、授業は全く耳に入ってこない。


 さっき大輝の前ではいろんな言葉で着飾ってみたけど、結局のところ、長谷川さんに告白してみたかった。もちろんながら、断られること前提だし、むしろ『お願いします』なんて言われたほうがよっぽど困る。


 誰かに告白したくなった切っかけは大輝の言うとおり、昨日の<夕陽を目指して競争だ>の最終回で感動したことなんだけど、なぜ長谷川さんに対して告白したくなったかは自身の中でもまだ理解できていない。


 『直感』という言葉で納得してしまえば、スッキリするのかもしれない。でも、何か忘れているようで、どうしてもそれができなかった。


 昨日、ドラマを見た後に、すぐにレターセットを取り出し、『放課後に伝えたいことがあるから空き教室に来て』みたいなニュアンスの文章を便箋に書き綴った。そして今朝学校にに早くきて、長谷川さんの下駄箱に入れた。

 後は放課後に、あの教室へ行くだけだった。

 

* * *


 放課後、暗い廊下を抜けて光あふれるあの教室で長谷川さんと向き合った。


「キミが有永くん? 用事って何かな」


 長谷川さんは何も言わなかことを怪訝に思ったのか、首を傾げた。

 

「有永くん? で合ってるんだよね」


 長谷川さんが紡ぐ一言一言の声音はふんわり優しくて、心地の良い音だった。

 

 俺は、覚悟を決めて大きく息を吸った。 

 その決意が伝わったのか、長谷川さんもピシッと背筋を伸ばした。


「長谷川さん、俺と…………あ、えと、今日は来てくれてありがとうございます」


「はいっ? ————あ、いえいえ。そ、それで用事ってなんですか?」


 覚えるまでもないのに、あれだけ覚えたフレーズも、実際に人の目の前に立つと思うように出てこない。

 この微妙な空気をどうしようも無く立ちすくんでいると、長谷川さんは時間が余すのか、この教室の前方をそわそわと見ていた。

 待たせているとはっと実感した俺は焦ってとっさに言葉を口にした。

 

「それで用事は!」


「用事は?」


「俺と、つ、つ……」


「…………」

 長谷川さんは、覗き込むようにこちらの言葉を待った。


「ツーツーツー」


「…………?」


「すいません、電話の切れた音のマネです」


「はい?」

 これには長谷川さんも苦笑いしている。


 完膚かんぷなきまでやってしまった。

 情けないし、たったワンフレーズが口から出てこないのがすごくもどかしかった。


 そもそもフラれることを百も承知で臨んでいるのだから、気軽に告白して、気軽に振られればそれで良かった。

 でも実際に、長谷川さんの目の前に立ってみると、そう簡単にはいかなかったし、俺の行動が浅はかすぎたことに反省した。

 

「あの…………やっぱり用事はありませんでした、長谷川さんの貴重な時間を奪ってごめんなさい」

 

「えっ? 用事はないの?」 

 長谷川さんはひどく驚いていた。


「はい、ちょっとした俺自身の勘違いだったみたいです」


 そう、全ては勘違い。

 字面じづらだけを見て行動した『学校一の美女への告白』。

 なんとなく、高いところから川に飛び込んでみたいという欲求に似た感覚だったけど、根本的に違っていた。

 相手は、まごうこと無き人間であり、軽い気持ちで想いを伝えることは想像するよりも難しかった。


「え? そう……」


「そういうことなので、本当ごめんなさい」


 俺は頭を下げ、長谷川さんが帰るのを待つ。

 

 しかし、長谷川さんは動かない。


「え、終わり? それって、私は呼び出され損じゃない?」


 その言葉は心にぐさりと刺さる。

 結果として、ただのイタズラ呼び出しだったのだから、その言い分は至極真っ当で、反論の余地もない。 


「すいませんでした」

 深く頭を下げながら、謝罪の意思を見せた。

 しかし長谷川さんは納得しない。


「べ、べつに謝って欲しいわけじゃ無いんだけど。謝るくらいならさっさと用事済ませてよ」


「え、えーと……」

 

 やっぱり用事で呼び出されたからには、用事が済まなきゃスッキリしないよね。

 でも、素直に告白しに来ましたなんて言えないから、代替だいたいの用事を頭から絞り出す。


「そ、そのプリントを渡しに……」

 


「それ、違うよね?」


 俺が口にしかけた言葉を即座に跳ね除け、こちらをにらみ、一歩二歩と近づいて来た。

 俺は思わず後ずさるも、数歩下がっただけで背中が壁に触れる。


 目の前に迫った長谷川さんは、壁にバンッと右手をつき、俺の目を覗き込んだ。 

 大きく振れた黒くて長い髪からいい香りがしたが、それを気に留めてられないほど心臓の鼓動は自身を支配していた。

 

「せっかく呼び出したのなら、ちゃんと最後まで言って!」

 

 こっちを覗き込む大きな瞳は、黒く透き通っていて、抵抗を一切許さず、目を逸らすことさえできなかった。

 とうとう逃げ場を失い、考える余裕を失った俺は、指示されるがままに、当初の用事を口に出した。


「は、長谷川さん……お、俺と付き合って、く、下さい」

 

 俺が用事を口にした時、自分自身がふと冷静になった。

 考えてみれば、『1+1は?』と問うことはなぜか難しく感じたが、1+1の答えを知ることは造作ぞうさもないことだった。

 結局のところあとはフラれるだけ。

 ちょっと道はそれてしまったが、結果的に俺の作戦は成功に近づいていた。

 はずだった。


 長谷川さんは、さっきのような強張った顔ではなく、断ることが申し訳なさそうな顔でもなく、晴れやかな笑顔で口を動かした。

 

「不束者ですが、こちらこそよろしくお願いします」


 彼女はこっちを見つめてから、ペコリとお辞儀をした。

 そして、もう一度上がった彼女は、夕陽に映える万面の笑みだった。

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