第5話
ルエナさんの話が終わってから暫くして、林の中を流れる小川の近くで馬車は止まった。
幌馬車から優男と女騎士が降りてきて、野営の準備らしきことを始めていく。
ちなみに私の両手首は縄で縛られており、その縄の先は、先程顔が見えなかった赤髪の女性が握っている。
その女性はやはり顔立ちの整った、タレ目が特徴的な美形なお姉さんだった。
(まあ、怪しい人間を放っておいて、準備はできないわな…)
先程から全く喋らないタレ目美人の横では、ルエナさんが申し訳なさそうにこちらを見ている。
「ごめんなさい、センジョウヅカさん。これだけは譲れないって、ペングアイト…あの鎧の彼が…」
「いや、私は大丈夫、なんだけど…」
今の私にはそんなことに気を回す余裕などなかった。
こんな事をしている間にも、その
逆に言えば、何故周囲の5人が気付かないのか不思議なくらいであった。
「あの、どうかしましたか?」
ルエナさんが私の顔を覗き込んでくる。
その憂いに満ちた顔にシャッターを切る余裕も、残念ながら今の私には無かったけれど。
なので私は思い切って彼女に聞くことにした。もしかしたら、私の知らないこの世界の常識なのかも知れないと思ったからだ。
「あの、ルエナさん。なんか…変な臭いしない?」
「え?変な臭い、ですか?」
私の言葉を聞いた彼女の様子からは、困惑の色がありありと見てとれる。
自分の服の袖を鼻に近づけ臭いを嗅ぎ始める。自分の臭いに何も違和感がない事を感じ取った彼女は、隣に居たタレ目美人の袖の匂いも嗅ぎ始めた。
彼女の控えめな鼻がヒクヒクと動く。
そんな可愛いらしい女の子の仕草と、女の子同士が臭いを嗅ぎ合う光景にどこか背徳感を覚えると共に、この場にカメラがない事を深く悔やむ私と言う構図。
こんな時に何考えているのだか…
やはり何も違和感を感じなかったのか、彼女が私の方に向き直り眉根を寄せながら口を開く。
「やっぱりおかしな臭いはしないと思いますが…?」
「いや、そうじゃなくて!その…凄く獣臭いというか、血の匂いが微かにするというか!」
「獣臭い、ですか?」
私の言葉に、ルエナさんがさらに困惑し、タレ目美人は訝しむように私を見つめる。
「どうかしたのですか?ルエナ様」
そこに、ペングアイトと呼ばれていた騎士男が、私達の会話を聴きつけ近づいてきた。
男の向こうでは、既に半ば野営の準備が済んでいるらしい様子が見て取れる。
幌馬車から程近い場所に焚火が焚かれており、女騎士と優男が焚火の近くにいくつかの荷物を降ろしている最中であった。
私はすぐにても焚火の近くに行きたかったが、縄で繋がれている以上それはできない。
匂いがどんどんと強くなっていく。
しかし、やはりルエナさん達に気づく様子は見られない。
「センジョウヅカさんが、獣臭いと仰るのですが。」
「獣臭い?そんな匂いはしないのですが…?」
そんな風にやりとりを交わし、首を傾げる2人。
荷下ろしをする奥の2人にも騒ぐ様子はない。
やはり、この場で違和感を感じているのは私だけのようだ。
その時、一陣の風が林の中を駆けた。
その風は私の頬を撫で、落ち葉を攫って吹き抜けていく。
私の鼻孔に不快感を残して。
「臭っさい!!!!」
思わず反射的に、私は叫んでいた。
その場に居た3人が、私の声に反応してこちらを見遣る。
私はそれに取り合わず、風が吹いてきた右手側を見た。
しかしそこには何も見えない。
ーそんな事実を1秒前の過去に置き去りにして、一匹の獣が林の中から姿を現した。
その姿は狼のそれに似ていたが、全身が薄く緑がかっている上、恐ろしく速かったため私にはその獣をじっくりと観察する余裕なかった。
気のせいか尻尾が二本ある気がしたが多分気のせいだ。うん、気のせい。
その獣は、私達との30メートルあまりの距離を一直線に駆けてくる。その獰猛な眼には、既に餌としての私達が写っている。
「きゃぁ!」
「…っ!お下がりください!ルエナ様!」
小さな悲鳴を上げるルエナさんの前に、彼女を庇うように騎士男が躍り出る。
すぐさま油断なく盾を構え、獣を牽制するべく剣を引き抜く。
しかし次の瞬間、騎士男はその光景に目を見開いた。
数にして10匹程の同じ狼のような獣が、先頭の1匹に追随するようにして、さらに林の中から駆けてくる。
その光景を目にした私もまた、一つの事実に突き当たるのだった。
「コイツらだ…コイツら、臭い…!」
鼻がひん曲がるような悪臭に軽く目眩を覚えつつ、私は心の中であの憎たらしい神に悪態をつくのだった。
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