第2話

「あー、その、何だ…」

 その沈黙を打ち破ったのは、意外にも少年の後ろに座している、神インヌと呼ばれた巨人であった。

 その口調は、講義を面倒くさがる中年教授のそれに似ていた。

 このままこの謎の講義を終わらせてくれ、教授よ。


「父上!このような人間と言の葉を交わす必要はありません!」


「…おい」


 このような人間ってどういうことかしら?なんて怒りをぐっと胸の内に押さえ込む。


(いかんいかん、私は立派な大学生だ。こんなガキンチョの言葉にいちいち目くじらを立てるなんてね。ふふっ、少年よ、感謝するんだな!)


 私の呟きは聞こえなかったのか、目の前では、尚も言い募る少年を巨人が右手で軽く制していた。

 その右手は、目の前の少年1人くらいならすっぽりと収まってしまうくらいの大きさだ。

 正直ちょっとびびっていた。あの大きさの手で握られたら、私なんてひとたまりもないだろう。

 この「血塗れの洗浄塚」をびびらせるとはら中々やるわね…


「ごめんねー!ローカ!でもこれも仕事なんだよー!お父さんこの人間とお話しすることあるから、向こうの部屋でちょーっと待っててねー!」


 前言撤回。

 威厳もへったくれもありはしない。


(この巨人、というか神!人前でそれはどうなのよ?)


「えー、父上、でも…」


「話が済んだら、ちゃんと呼ぶから、ね?あっ!さっきお母さんがおやつ持ってきてたから。先に食べてていいから!」


「うーん、それなら分かった!ちゃんと呼んでよねー!」


 なんてやりとりが目の前で繰り広げられる。

 正直、この父親からは息子に甘い雰囲気がダダ漏れである。

 おやつというエサに釣られて、息子が奥の扉から消えていった。

 それを確認したお父さん、もとい神が私に向き直る。


「あー、今のは息子なのだが、どうにも奔放でな。しかし、そこがまた可愛くて…」


「いやいや、その話は今いいから」


 息子自慢が始まりそうな上司、もとい神の言葉を遮って、私は聞くべき事を聞くことにした。

 こういう手合いはこちらが話の主導権を握っておかないといつまでもしゃべくりセ◯ンするのだ。

 サクッと本題を切り出す。


「さっき、あなたの息子さんが言ってたことって、その…」


「あぁ…本当なんだよね、それ。…なんか、ゴメンね…」


(うわー…マジかー…)


 軽い調子で重大な事実を認めてしまった、目の前の他称神。

 言葉の重みを体現するかのように…いや、重みもクソッタレもなかったのだが、その場に重い雰囲気が立ち込める。

 その原因は私にもあった。

 何故か先の少年の言葉がしっくりきてしまっているのだ。

 だからこそ、目の前の神を名乗る者の言葉を受け止めて、理解できてしまう。


「実はな、息子が人間の管理の仕事を少しやってみたいと言うから、寿命を迎えた人間の管理をさせてみようと思ったのだが…その、手違いでお主が死んでしまったのだ…スマン」


「………は?」


「うむ、受け入れ難いとは思うが…事実なのだよ」


「いや…いやいやいや!」


 死んでしまった事は、100歩、いや1000歩譲っても良い。

 人はいつか死ぬものだし?そこにいちいちケチはつけまい。

 しかし、しかしだよ?


「えっ、手違いって…」


「うむ、本来死ぬはずだった者はこの者なのだ」


 そう言いながら神が右手を振ると、私の足元から、私の身長ほどの高さの石板が立ち上がった。

 さらに、その表面が薄く光ったかと思うと、そこに人の輪郭のようなものが浮かび上がる。

 そこに映っていたのは…!


「全然別人じゃねーか!」


 つい突っ込んでしまった。神様相手に。

 しかし、そこに映っていたのは齢80歳はあろうかという老婆だった。

 朗らかに笑う顔に、幾重にも皺が刻まれている。頭の白髪は隠し用がない。


「ナニコレ?どういうギャグ?それとも私をディスってんの!?」


「いや、息子から見れば人間など十把一絡げ。見分けなどつかぬのだよ。そこで私の息子は、天才的な手法で見分けようとしたのだ!」


 拳を掲げ、私に熱烈な息子プレゼンをしてくるお父さん。

 その姿からは、もはやスマンの一言も出てきそうな雰囲気は感じられない。


「それが!人間の特徴や癖から人間を見分けるという手法だ!」


 その言葉と共に、石板に写っている老婆の横に文字が浮かび上がってくる。


「読んでみよ」


「あっ、はい…」


 言われた通りに読んでみて、私はさらに絶句すること2回目。


「ねぇ、コレ…」


「そう、その老婆とお主の共通点、それは『潔癖症』だ!」


 3回目の絶句が私を襲う。

 そろそろ漢詩の世界で生きていけそうな気さえする…これが才能か。

 だが、今は自分の才能に驚愕している場合ではない。


「いやいや、私キレイ好きではあるけど潔癖症じゃないから!そりゃまあ、友達にはいろいろ言われるケド!そこまで過剰なモンではないし!」


「スマンが、そこら辺を理解するにはまだ息子は勉強不足でな…いや、ほんとスマン」


 (あ、スマン出てきた。)


 しかし、そんな事はどうでも良い。

 今最も重要な事実は…


「えっ、じゃあ私って、ほんとにあなたの息子さんの手違いで、その、死んだの…?」


 自分でも信じられないくらいスルッと出てきた言葉に、もう一縷の戸惑いもない。

 ただ、ただ、呆れていた。


「うむ、そうだ。だが、流石にこれは不味くてな…。お主が可哀想すぎるだろ?」


「えっ、今更?」


「うむ、であるからして、お主にはその命の続きを別の世界で生きて貰うことにする。いや、した」


「……は?」


 どんどんと進んでいく事態に、ついていけない私の混乱など露知らず、さらに事態は進行する。


「えっ?それどういう…」


「言葉の通りの意味だ。お主を別の世界に、本来ある筈だった寿命と共に送り込む。これにより幸と不幸のバランスは取れるだろう!」


 超展開についていけない私には、その後に尻すぼみに続いた「…これで二つ世界の死亡者数と出生者数が釣り合うから、問題をもみ消せるしの」という言葉は聞こえなかったし、聞いていない事にした。

 だが、冷静に考えれば当然の話ではないだろうか?

 私には残った寿命を使う権利がある。

 それを行使するだけで、何も問題はない、ハズ…

 しかし、聞いておくべき事はある。


「えっと、その私が送られる世界って言うのは…」


 私が話出した途端、私の足元を囲うように光の輪が浮かび上がった。

 そこから立ち昇る薄い光のカーテンの向こうには、右手を振る巨人の姿があった。

 額には冷や汗が浮かんでいる。


(ジジイ!問題をもみ消すために早速やりやがったな!)


 私のついた悪態に答える訳ではないが、目の前で手を振り続ける巨人が別れの言葉を紡ぐ。


「達者でなー!あっ、1つ言い忘れとったが、向こうの世界はお主の世界よりちょっとだけ物騒だから、気をつけるんだぞー?まあ、そこら辺のフォローくらいはしてやるから安心せいよー!今度こそ、寿命を全うできるようになー!」


「誰のせいで死んだと思ってんだー!!…てかちょっと待て!物騒ってお前…!」


 私の言葉が終わる前に、私の足元に円形の穴が空く。

 私はそのまま、真っ逆さまに下に落ちていった。

 私が最後に見たのは、馬鹿みたいに難しいレポートを学生に出す際に、教授が薄らと浮かべる、あの笑顔であった。

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