第60話 僕は男で姉は兄 @5
「何してるのカナエ。鬼ごっこ?私も入れて?」
突如、七夕 氷が現れた。
僕はかなりの速度で屋根を飛び越え駆け抜けている筈だが、彼女もまた箒君と同じように僕と並走してみせる。
流石は最強と呼ばれる人物の一人というべきか、その姿には余裕すら感じさせられた。悔しいが『カナエ』の姿では敵う気がしない。
「ど、どうしたの七夕さん。僕に何か用?生憎だけど、今の僕は死ぬほど忙しいから手短にお願いしたいな。ちなみに『死ぬほど』っていうのは比喩じゃないからよろしく」
「へぇ、大変そうだね。私は走ってるカナエを偶然見つけて話しかけただけだから、用事は何も無いよ」
「そっかぁ……っ、じゃあ――」
――今日のところは帰って貰えます?
と言いそうになるが、すんでのところで僕は口を止めた。
七夕さんのことだから、きっと帰れと言えば大人しく帰ってくれるだろう。しかし本当に彼女を追い返して良いのか、という疑問が僕の中で生まれたのだ。
なにせ目の前に居るのは、あの七夕 氷である。味方に出来れば、これ以上心強い人物もない。
もしかしたら彼女は、この絶体絶命から抜け出す為の鍵になり得るのではないか?
こんなアホな状況に七夕さんを巻き込むのは抵抗はあるが、そんなことを言ってる場合でもあるまい。
僕は一瞬の葛藤を経て、彼女に助けを求めることに決めた。
「七夕さん!実は――」
☆ 事情説明中 ☆
「なるほど。もしかしてVtuberって皆バカなの?イブキも結構バカだし」
「……っぐ。否定、出来ない……ッ!!」
歯に衣着せぬ物言いではあるが、言い得て妙以外の何物でもなかった。
だって男装した状態で男装した奴に追いかけ回されるってバカ過ぎでしょ。加えて僕の正体が男だっていうマル秘情報を考慮に入れると、もう一段階上のバカだしな。
少なくとも僕を含めて、僕の身近にまともなVtuberは居ない。
「わ、笑われるのは重々承知!どうか助けて頂けませんかっ!」
「助けてって言われてもここ非戦闘エリア。銃もないし、私には何も出来ない」
「うぐっ……、それはそうなんだけどさ。何か思いつかない?」
「んー?」
僕がそう頼むと、七夕さんは首を傾げて悩み始めた。
容易な問題ではないが、それでも「この人なら解決してくれるかも」と思ってしまうのは彼女の強さ故か。
「……。要するに、男装したカナエを見て我を失ってるんだよね?あの人」
「う、うん。まぁ遠回しに言えばそうなるかな。僕の男装で妄想が爆発してるっぽいし」
「じゃあ元の格好に着替えれば?男装やめれば良いと思う」
「ああ。それは僕も考えたんだけど――」
『カナエくんッッ!!これを着て欲しい!この男装プリセット!!絶対に似合うから!!』
「――多分、もう一回着せ替えられるだけだと思う」
「なるほど」
今はもう既に、そんな生易しい状況じゃないんだよな。
まして着替えようなんてしたら一瞬立ち止まらなきゃだし、その間にどれだけ距離を詰められるか分かったもんじゃない。
【やっぱ無理なんだって】
【諦めてお人形さんになっとけ】
「うるせぇぞテメェら」
コメ欄に僕の味方が居ないことはもう分かっている。
頼りになるのは七夕さんだけだが、残念なことにその七夕さんすらも困ったように眉を歪めていた。
そんな七夕さんを見て、僕の純潔はクオンちゃんに散らされる運命なのか?と諦めそうになる。
しかし。
「……カナエ。一つ、方法を思いついた」
「ホントに!?」
七夕さんのその言葉を聞いて、僕は跳ねるように顔を持ち上げた。
なんと彼女はこの絶望を覆す手段を、持ち合わせていると言うのだ。僕は早く教えてくれと瞳で促す。
「うん。もちろん教えるけど……、その前にカナエに質問。一般的に考えて、『女服カナエ』と『男服カナエ』のどちらに価値があると思う?」
唐突な問いに、僕は目を丸くした。
その質問にどんな意図があるのかは分からないが、しかし無意味な問答とは思えない。真面目に考えてみることにする。
「ふむ、とても難しい質問だね。僕を僕たらしめるアイデンティティが女服に由来するのなら、やはり女服の価値は安定して高いとは思う。だけど希少性を考慮に入れるのであれば、男服の価値が低いと判断するのも如何なものかと――」
【女服に決まってんだろ】
【女服カナエ】
【男装カナエに価値とかねぇわ】
【女服】
【女カナエ一択】
「――だから黙れっつってんだろ」
現実の僕をフルボッコにするのやめろよ。本性が男の僕に対して、男姿に価値がないとか言うんじゃねぇ。しまいには泣くぞ。
「コメ欄は満場一致だね。私もそう思う」
「ぐすっ……」
「あ、ごめん。泣かないでカナエ」
七夕さんだけは味方だと思っていたのに酷い裏切りだ。
あぁくそ、どうして僕は男として生まれてしまったのだろう。いっそ女として生まれたかった。
悲しみのあまりに膝から崩れ落ちそうになるが、しかしそんなことは許されない。
僕は涙を拭い、キッと七夕さんを見る。
「で、何?つまり七夕さんは何を言いたいの?僕を虐めたいだけならそれはもう大成功っすよ」
「ち、違う。私が言いたいのはつまり、クオンだけは『女服カナエ』よりも『男服カナエ』の方に魅力があると感じていて、そしてそれが今追われている原因だということ」
七夕さんは誤解だとアピールするように、慌てて続きを話す。
僕はその説明に一瞬首を傾げるが、
「それはどういう意味――」
『男同士ッ!カナエくんと男同士ィィィ!!フンスフンスッ!』
「――かは説明しなくても大体分かるね」
背後から聞こえる叫びによって、完璧に理解させられた。
クオンちゃんの目的が僕を着せ替え人形にすることなのは議論するまでもなく、そして彼女の興味が僕の男装に寄っているのもまた事実。七夕さんの言葉に間違いはない。
「それで、そのことがどう解決に繋がるの?」
「ふふん。原因が分かればあとは簡単」
「ほう」
「カナエがスーパー可愛い女服を着て、『カナエは女服が似合うんだ』とクオンの本能を屈服させればおっけー。誰もが見惚れて動けなくなるような、そんな可愛すぎる格好をすれば良い」
「……ほう?」
要するに、クオンちゃんの「カナエを男装させたい!」という欲求を、「カナエは女服が似合い過ぎて男装なんて勿体ない!」という本能で黙らせろと。
これまた頭の悪い作戦である。ギリギリ現実味があるか無いか、といったレベルだろうか。
「でもさ、そんな衣服データ持ってないよ僕。スーパー可愛い服って言われても困る」
「心配いらない。私がイブキに着せるつもりだったデータを持ってるから。帽子とかも全部プリセットになってる」
なんという用意の良さ。僕はありがたく、七夕さんの好意に甘えることにした。
「けどホントに良いの?イブキちゃんに着せるつもりの服を僕が先に着ちゃって。視聴者の皆に、イブキちゃんの新衣装を見られちゃうのは不味くない?」
「大丈夫。『そんなの着れるわけ無いでしょう!?』って叩き返されたプリセットだから」
「僕になんてもの着せようと」
そのイブキちゃんの反応を聞く限り、相当センシティブな衣装なのではないか。僕の配信は子供も見てるんだから、そういうのは困るよホントに。
「露出が多いのとかダメだよ?」
「肌はほとんど隠れてる。露出度に関しては心配無用」
「なんだ、それなら別に――」
「見えちゃダメな場所しか見えない」
「――見えちゃダメな場所は見えたらダメなんだ」
どうやら僕らの間には見解の相違があるらしい。価値観とか常識とか羞恥心とか、もう色々と噛み合ってないぞ。
「というか、見えちゃダメな場所しか見えない服ってむしろ何なのさ。僕は知らないよそんな服」
「カナエ、逆バニーって知ってる?」
「逆バニー……?何それ」
【説明しよう!逆バニーとは、バニーの派生衣装である!逆――つまりはバニー服が隠す場所を隠さず、隠さない場所を隠すのだ!とてもえっちです!】
「ただのド変態じゃねぇか」
「ちなみに私が用意したのは、私考案の『逆裸エプロン』」
「分かんないけどヤバいやつだ」
【何それ見たい】
【逆裸エプロンとかいうパワーワード】
【俺も知らない】
【絶対にえっち】
【はよ着ろカナエ】
「誰が着るかボケ」
裸エプロンの逆……?一体何が起こるんだ。七夕さんマジで倫理観壊れてるよ。
視聴者の誰も知らない様子から考えるに、本当に七夕さんのオリジナルなのだと分かった。
「七夕さん、僕の配信は健全第一なんだ。えっちなのはダメです」
「……そう。可愛いのに」
七夕さんは残念そうに目を細めるが、彼女の言葉を真面目に受け取っていたら冗談抜きでBANされる。
LoSはセンシティブ判定もそこそこ厳しいのだ。
「仕方ない。じゃあ私の持ってる衣装プリセットを纏めて送る。好きなのを選んで着て欲しい」
「う、うん。分かった」
僕はホログラムに触れ、七夕さんからのデータを受信する。するとズラっとプリセットの題名が並んだ。
一つでもまともなのがあれば良いな、と願いながらスクロールしていくと、例の「逆裸エプロン」を初めとした数々の変態衣装が目に付く。
「ねぇ七夕さん、この『バカには見えない服』って何?」
「誰にも見えない透明な布で出来た衣装。『え、見えないの?バカなの?』って相手を嘲笑うためだけに作った」
「失うものがデカすぎる」
全裸になってまでやることなのかそれ。
僕は走りながら衣装リストを巡る。頭の悪い題名のものが多すぎて、もう普通の服ならそれで良いとすら思えてきた。
「……さて、BANを回避できそうな服はどれだ?」
目的が置き換わっている自覚はあるが仕方あるまい。クオンちゃんから逃れるためにBANされたのでは、それこそ本末転倒だ。
「きっとこの中に正解はあるはず……っ!」
ある意味で僕のVtuber生命を懸けた、カナエ人生史上の上位に食い込む重要な選択肢。
そして僕は、一つの衣装を選び取った。
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