第58話 僕は男で姉は兄 @3


「――お願いします!僕をカッコよくしてください!」


 僕はクオンちゃん イケメン に、頼ることにした。


 優しげに微笑みながら僕を見つめるクオンちゃんのその姿は、例え何処かの国の王子様と言われても、特に抵抗なく信じさせられてしまう程度には麗しい。

 男として生まれたのでは、如何とも醸し出し難い愛らしさに加えて、センスの良さも申し分ないのだ。


 そんな人物にコーディネートして貰えるというこの現状、もしかしたら僕もクオンちゃんみたいになれるかも、という期待を感じずにはいられなかった。


 僕は若干の緊張を頬に貼り付けて、ピシリと直立したままクオンちゃんの言葉を待つ。


「――。……そうだね、まずは採寸から始めようか」


 しかしそんな僕に届いた言葉は、僕の想定からはやや逸れたもの。


「……採、寸?」


 採寸。それは身体の寸法を測ること。


 いや流石の僕でも採寸の意味くらいは知っているが、しかしどうして採寸が行われるのか分からなかったのだ。

 何故ならこのVR世界の衣服に、「サイズ」なんて概念は存在しないから。


 何処の誰がどんな服を選ぼうとも、着込めば無条件にピッタリと体格に合うのがVRにおけるルールである。

 つまりは身長も横幅も胸のサイズも、全てを無視してあらゆるデザインの衣類を楽しめるということだ。


 故に僕は採寸という行為の意味を見い出せず、きょとんとクオンちゃんを見つめる結果になった。


「うん?どうしたんだい、カナエくん」


「……あ、いや。VRで採寸なんて必要なのかなって」


 クオンちゃんに声を掛けられ、僕は純粋に疑問を伝える。

 アドバイスされる側の分際で何を生意気な、と思わないこともないが、気になったら聞いてしまうのが僕の性。


 クオンちゃんはふふっと微笑むと、僕の問いかけに答えをくれた。


「不思議に思うのも無理はないけれどね。……ただ理由はあるよ」


「?」


「確かにカナエくんの言う通り、VRは現実とは違う。でも身体の特徴を知ることが、無意味な訳では無いんだ」


 口を動かすのと並行し、クオンちゃんは何も無い空間で手のひらの上にメジャーを生み出した。

 そんな芸当が許されるのもVRならではだろう。

 

「例えば、ボクはそれなりに大きな胸を持っている自覚はあるけれど……、ただ正直、男装をすることだけを考えれば邪魔でしかない」


「あー……まぁ」


 クオンちゃんの言葉を聞いて、数少ない僕の女性ファン(貧乳)は恐らくイラついただろうが、しかし納得はできる。

 男に無いものおっぱいを隠しづらい、という問題が男装の壁になるのは事実だ。


「だからボクは胸を誤魔化すために、ゆったりとした服を選んでいるんだ。いくら服の下で押さえつけても、それだけだと限界があるからね」


 僕はクオンちゃんの衣服に目を向ける。

 見ればその言葉の通り、彼女の服装はあまり身体の輪郭を明確にしない、柔らかそうな生地のものだった。


「誰にだって、多少のコンプレックスは存在する。でも適切なデザインの服を選択することで、それなりに隠せるのさ。……特に男装なんていう生物的に非合理な挑戦をするなら、その意識は更に重要になる」


 その説明を聞いて、僕はなるほどと頷く。


 コンプレックスを隠す為の服選びとは、言われてみれば当然な気もするが、しかし考えたことなど一度もなかった。

 豊満な胸が一般的にコンプレックスになり得るかは置いといて、クオンちゃんの言葉から、僕はそれなりの説得力を感じるのだった。


「……つまりVRかどうかに関わらず、自分の体格を知る必要はあるということさ。それは服を選ぶ上で、とても重要なヒントになるからね」


 そう話すクオンちゃんの表情は自信に満ち溢れており、聖母の如き謎の包容力を放っている。

 理屈としては通っているし、反論すべき点も見当たらない。これ以上何かを問うのは野暮というものだろう。


「分かったよクオンさん、ばっちり測ってね!」


 だから僕はクオンちゃんが横に構えたメジャーを、この小さな胸で受け入れることに決めた。


 僕の決意の言葉を聞いたクオンちゃんは、嬉しそうに此方へと歩み寄る。


「うん、任せて欲しいな。……ただ、カナエくんの身体に触れることになるけれど――どうか我慢しておくれ」


――……?


 ふむ、なんだろう。

 ふと背筋に薄ら寒い物を感じた。


 僕はれっきとした男だけれど、それはそれとして女としての危機を読み取ったような気がする。

 僕の貞操を狙うような思考の拗れた熱烈なファンなんてそうは居ないだろうし、はてさて一体何事だろうか。


 そもそも僕は比較的健全な配信を意識しているタイプのストリーマーだ。

 健全かつ優秀なファンが多いことで定評のあるこの僕が、変な輩に襲われるとは考えにくかった。


「んん……?」


 なんとなく嫌な予感を覚えつつも、僕は首を傾げるだけに抑える。

 この不安から逃げようも、そもそも果たして何から逃げればいいかすらも判断がつかぬのだ。


 きょろきょろと軽く周りを見渡すが、しかし「カ、カナエくんを採寸……」怪しい人物は見当たらない。

 故に僕はまぁいいやと、やけに呼吸の荒いクオンちゃんの接近を許すことにした。


 いやはや何とも摩訶不思議な悪寒である。


 そして一歩、また一歩と僕との距離を詰めるクオンちゃんは――


「さぁカナエくん……。両手を広げて、思いきり胸を突き出すように……、ボクに全てをさらけ出」


「カナエさんに何しようとしてるんですか貴女ぁぁああ!!(ドロップキック)」


――遥か彼方へ吹き飛んでいった。


 目の前に居たはずのクオンちゃんの姿が掻き消えて、代わりに右脚を構えたイノリちゃんが、突如そこにスポーンしたかのように現れた。

 ダメージ無効のシールドエフェクトが煌めくが、とはいえその効果音はえげつない。


 ほぼ同時に壁と「何か」の衝突する音が響き渡り、僕がその「何か」の正体に気づいたのは、ワンテンポ遅れてのことだった。


「むむ?」


 これは一体何事。

 

 これから僕とクオンちゃん可憐な美少女たちによる、キャッキャウフフな男装配信が始まる予定だったのに、気づけば暴力沙汰である。

 開幕からドロップキックとは、もうこれ配信の趣旨間違えたのではなかろうか。


「……。何の、用かな?イノリくん」


 金属製の壁に窪みを作ったクオンちゃんは、頬をピクつかせながらゆっくりと立ち上がっていた。

 ダメージや痛みは無いはずだが、やはり多少の不快感はあるのだろう。


 クオンちゃんは僕の目の前に立つイノリちゃんに向けて、明らかに無理やり形作っているのだと分かる、苛立ち混じりの微笑みを突き付けていた。


 しかしそんな彼女と対するイノリちゃんに、怯えの色は一切見えない。

 一歩も引くことなく言葉を返す。


「黙りなさい男装型セクハラの権化。卑しい貴女の考えなどハッキリと分かります」


 そんな環境型セクハラみたいなノリで男装って言葉を使うんじゃない。


「イ、イノリちゃん?どうしたのさ急に……」


 僕は何の脈略もなく現れたイノリちゃんに驚きを隠しきれずにいた。

 彼女と遊ぶ約束なんてした覚えはないし、そもそも僕がこの場にいることを伝えた記憶もない。


 あり得るとすれば僕の配信を見ていた、という可能性くらいだが、しかし何にせよイノリちゃんがドロップキックで登場する理由は分からなかった。


 イノリちゃんは僕に背を向けたまま、シリアスな声色で話し出す。


「ごめんなさい、カナエさんの貞操の危機を察知して飛んできました。配信の邪魔をするつもりはなかったのですが――流石にこれは看過出来なくて」


 いつになく真面目な口調のせいで、僕はイノリちゃんのその表情を推測出来なかった。

 銀色の後ろ髪の微かな揺れは、果たしてどんな感情によってもたらされているのか。


「――」


 いやそんなことよりも、気にすべきは他にある。

 それはイノリちゃんの発した、「貞操の危機」という謎の言葉だ。


 曰く僕の貞操が危ないらしいが、しかしこの場に異性の気配はなく、僕と、イノリちゃん、そしてクオンちゃんが並ぶのみ。


 何をもってして僕の現状を危機と呼ぶのか、イノリちゃんの考えが全く見えてこなかった。


「カナエさん。ホロウィンドウから『設定』→『アバター』→『ステータス』→『擬似測定』の順に開いてみてください」


 ふと、イノリちゃんの声が届く。

 意図は不明であるが、断る理由もない。


 僕はその指示に従って、薄く浮かび上がるホログラムに指を走らせた。


「これは……っ」


 するとフィギュアサイズに小型化された僕のアバターが、目の前に出現したのだ。


 さらに驚くべきは、そのアバターから得られる情報の多彩さである。

 身長体重スリーサイズは当然として、腕や足、20の指全ての長さまで測定することが可能らしい。


 それ以外にもあらゆる僕の身体情報が――それこそ、くらいには「あらゆる」情報が、僕の手のひらに収まった。


「え、こんな機能あるんだ」


「わざわざメジャーを使う理由、見当たります?」


「……いや、流石に無駄だと思う」


 するとクオンちゃんはどうして僕に採寸などを行おうとしたのだろう、という疑問が生まれてくる。


 僕は静かに二人の様子を窺っていると、丁度クオンちゃんが口を開いた。


「……これは、ボクの自論だけれど」


 その言葉には意志を感じる。

 確固たる感情の炎だ。


 きっと彼女の根源に触れるような、壮絶な想いの込められた「自論」なのだろう。

 僕は息を呑みつつ、その続きを――


「女性は女性同士、男性は男性同士でイチャイチャするべきだ、とボクは思っている」

 

――急に何言い出してんだこの人。


 男同士のイチャイチャと聞いて僕が思い出すのは、前に四遠先輩が落としたBL同人誌の件。

 確か『女装男子は俺の奴隷 ♂×♂』という題名だったあの作品のインパクトは、今でもヘドロの如く僕の脳裏にへばりついていた。


 この瞬間の僕は「男装」を行っている訳ではあるが、しかし冷静に考えればカナエそのものが「女装」である訳で。

 ことと次第によっては、奴隷にされたらしい女装男子とやらの状況も、他人事では無い気もしてくる。


 つい嫌な想像をしてしまい気味が悪くなるが、それでも僕はクオンちゃんの顔を見つめ続けていた。

 意味不明なクオンちゃんの発言を理解するには、彼女の言葉を一言一句として聞き逃す訳にはいかないのだ、と僕は無意識の内に感じ取っていたのだ。


 そんな中、繋げられた言葉は。


「――女の子同士のボク達が、男同士でイチャイチャ出来る極レアイベントの邪魔をしないでくれないか!?!?」


 ダメだやっぱり意味分からんわ。

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