第52話 僕の部屋はダメです @2
『【from: 星屑 箒】
星乃のバカ、なんか体調崩して動けないらしい。俺も見舞いくらい行ってやりたいんだけど、少し忙しくてさ。もし暇だったら代わりに看病行ってくんね?あ、住所これな』
私が『一叶』さんと別れ、リアルに戻ってから小一時間ほど経った頃に、星屑さんからこんなメールが届いた。
星乃さんのことが不安で不安で仕方なかった私にとっては、まさに渡りに船である。
私は『そうなんですか。仕方ないですね、暇なので行きますよ。凄く暇なので』と返信し、その足ですぐに向かうことにした。
「ここが、星乃さんの家」
その後、幾らか歩いて、私は指示された場所に着く。
私の目の前にはずらっと扉が並んでいた。
星乃さんはどうやら、このマンションの一室を借りているらしい。
私は取り敢えず、その扉の横に備え付けられたインターホンを鳴らしてみた。
もし星乃さんが扉まで出て来れなかったらどうしようか、と考えながら少し待つ。
しかし一分が過ぎても、反応はない。
「……困りましたね」
星屑さんが、星乃さんは「体調を崩して動けないらしい」と伝えてきたことから、部屋が無人だとは考えにくいが、やはり開く気配はなく。
私は顎に手を当てながら、その扉を見つめる。
本当に全く動けないのか、或いは眠っているのか。
私は試しに、そのドアノブを回してみた。
「え?」
驚くべきことに、扉は開いた。
間違いなくオートロックの扉に見えるのだが、どういう訳か鍵が掛かっていない。
一昔前なら鍵を掛け忘れたのかな、という話で済むのだが、今の時代で鍵が開いてるのは異常事態である。
機械の故障?
私は疑問に思いながらも、開いてしまった扉の奥を覗き込んだ。
するとキッチンと廊下が一つに纏まったような、一人暮らし特有の間取りが見えて、そしてその隅には星乃さんがいつも学校に持ってくる鞄が置かれていた。
その鞄を見て、私はここが星乃さんの部屋であることを確信する。
「入っても、いい……ですかね」
勝手に人の部屋に入るなど、あまり褒められた行為ではないが、しかし星乃さんの体調が優れないのは事実。
下手に遠慮している場合でもない、とも私は思う。
悩みながらも、その部屋の中へとゆっくりと足を踏み入れた。
「お、お邪魔します……」
私は大きな足音を立てないように、一歩ずつ慎重に進む。
そして狭い廊下を抜けて扉を開くと、生活感の溢れる部屋に出た。
一人で暮らすには何の不便もないだろう、といった程度の広さ。物はそこまで多くなく、散らかっている訳でもない。
「あ、……」
軽く部屋を見渡すと、ベッドで眠る星乃さんの姿を見つけた。
どうやらかなり疲れきっているらしく、その眠りは相当深いようだった。
「……一叶、さん」
私はその姿を見て、ついVRでの呼び方を口にしてしまう。
好きな人の家に上がり込む、というこの非現実的な状況に出会ったことで、未だにリアルに戻れていないような気分になったのかもしれない。
私は星乃さんの為に買った飲食物諸々を机に置かせてもらい、星乃さんの眠るベッドに近づいた。
寝息が聞こえてくる。
「……?」
カーテンの脇から差し込む夕日が、星乃さんを照らしているのを見て、私はふと思った。
……なんか星乃さん、可愛いんですけど。
今までも中性的な顔付きだな、と思うことは何度かあったが、しかし目を閉じたあどけない姿を、ここまで愛らしく感じるとは。
「お、女の子みたい……」
同年代の男の子を相手に、庇護欲を湧かせる日が来るとは予想だにしなかった。
ここまで誰かを抱きしめたくなる感覚は、カナエさんと初めて出会ったとき以来かもしれない。
「……。……カッコいいのに、可愛い」
私は星乃さんの寝顔を間近で見つめながら、そう呟いた。
思い出すのは、収容所から飛び出して助けられたあの瞬間。
そのときは何かを感じる余裕も無かったが、しかし今思えば格好よすぎる横顔だった。
死に物狂いで痛みに耐えて、歯を食いしばる姿――ましてそれが私だけの為だ、なんて。
惚れない方が難しい。
私は床に膝をつき、目線の高さを落とす。
星乃さんの左手が視界の下端に収まり、呼吸の音がよりよく聞こえるようになった。
どうやら星乃さんに寝苦しさはなさそうで、私は少し安心する。
「……」
私は無言で、星乃さんの頬をつついてみた。
「……ん、ん……」
薄暗く静かな部屋に、星乃さんの小さな呻き声が響く。
しかし起きる気配はなさそうだ。
まだ夕方だというのにぐっすりと眠っているのは、それだけ体力を使い切った、ということなのだろうと私は思う。
痛みに耐える気力は、きっと精神力を削り取って生まれる。
肉体的な疲労が存在しないことなんて、何の関係もなかった。
「……痛かった、ですよね」
私は星乃さんの左手を、優しく握る。
ほんのりと、温かい。
そのまま私は、ぼうっと星乃さんの寝顔を見つめ続けた。
特にすることはなかったけれど、暇を感じることは一瞬もなくて、ただ何となく、幸せな気がした。
そして私は、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
……
…………
………………
ドクン、ドクン……と。
何かが脈打つ音がする。
ずっと聞こえていたような気もするけれど、私が意識を取り戻したのは、そのテンポが上がったからだった。
左の頬には心地よい感触が伝わってくる。
この音は、一体……?
聞いていると何故か心が落ち着くが、しかし何が起きているのか分からない。
私は己の状況を確認するべく、ゆっくりと目を開けようとする――
「深夜に、好きな女の子が、僕の部屋で寝てる」
――のを、全力で止めた。
聞こえてきたのは星乃さんの独り言。
その言葉自体に大した情報は無かったけれど、聞こえてくる声の向きや調子だけでも、全てを理解するには十分すぎた。
この音の正体は「星乃さんの心臓の音」で、私の左頬に感じるこの熱は、きっと星乃さんの腹部の何処か。
要するに、私が星乃さんにしなだれ掛かっているような格好なのだろう。
――……やらかした。
こんなのはもう、好意があると伝えているのと同じではないか。
何をされても文句を言えない、と私は思う。
星乃さんがそんな積極的なタイプだとは考えていないが、しかしここは彼の部屋であり、そして彼が一番己をさらけ出す場所である。
もしかしたら、なんてことも有り得るのかもしれなかった。
――い、いや、何を変な妄想を……。
いつの間にか期待している自分に気づいて、恥ずかしくなる。
なんてはしたない、と己を叱りつけた。
私は薄目を開けて、星乃さんの様子を盗み見る。
緊張した表情を浮かべ、私のことを見つめているようだ。
布一枚を通して聞こえてくる、この早鐘のような心拍が、私に対してのものだと思うと、少し嬉しくなった。
「頭を撫でるのは……アウト……、かな」
その言葉が聞こえた瞬間、私の胸が高鳴るのが分かった。
――え、撫でて貰えるんですか。是非お願いします。
はしたない?そんなのどうでも良くないですか?
私だって恋する乙女。
好きな人に頭を撫でて貰えるとか、幸せの絶頂に他ならないですよ普通に。
私はさあ来いとばかりに、頭に意識を集中させた。
存分に堪能してやろう、と。
「……?」
しかしいくら待てども、なかなかその幸せは訪れない。
私は不思議に思い、星乃さんの顔色を窺うと、なにやらとんでもない葛藤の最中に陥っているようだった。
恐らく、撫でていいのか悩んでいるのだろう。
私の頭のすぐ上には手のひらを構えられていて、言わば「おあずけ」のような状態。
――は、早く、撫でてくださいよ……っ!!
どうして頭を撫でる程度の行為に迷っているんですか!?
胸に触れるとかはちょっとアレですけど、頭を撫でるくらい別に良くないですか!?
私は叫びたくなるのを抑えながら、純情すぎる星乃さんに届かぬ思いを送り続けた。
さては星乃さん童貞ですね……っ!!と邪推しながら、私も人のことを言えないから複雑な気持ちを抱きつつ。
もう、面倒臭くなったので。
ふら、ふらと。
私の頭上を泳ぐ、その手のひらに。
私は自分から飛び込んだ。
「――――!!!」
まずい、想像以上に幸せすぎた。
口が緩む。
寝ているフリをしているのに、表情が抑えきれない。
同時に星乃さんの鼓動が大きくなるのを感じて、私の幸福度メーターが振り切れんばかりに暴れ回っていた。
こんな狸寝入りなど投げ出して、星乃さんにぎゅっと抱きつきたい欲望が私の心を満たす。
――さ、流石にそれは我慢しましょう。
しかしどうにか理性が仕事をしてくれて、ラインを超えずには済んだ。
「……き、祈祷さん?」
ところが、演技までは完遂出来なかったらしい。
疑われているようだ。
無言で耐える。
「……祈祷さん?」
無視。
訝しんではいるように見えるが、しかし確信には至っていないよう。
私はこのまま押し通すことに決めた。
「……、」
星乃さんの手が私の頭から離れた瞬間、つい「あっ……」という声を洩らしそうになるが、これもまた我慢。
寂しい喪失感に、さっきまで幸せだった場所が、やけに冷たく感じた。
「き、祈祷さーん。起きてー」
このまま寝入り続けるか、少し悩む。
もしかしたらもう一度撫でてくれるかもしれない、なんて考えてしまったからだ。
だが揺り起こされてもなお起きない、というのもおかしな話だと思い、私は瞼を開くことにした。
「……。……お、おはようございます」
静かに、目が合う。
何を言えば良いのか分からなかったが、私は取り敢えず身体を起こした。
「き、祈祷……、さん」
「……は、はい」
変な雰囲気だ。
星乃さんの声を聞いているだけで、顔が熱くなる。
この後どうなってしまうのだろう、と期待と不安が入り乱れていた。
「……お願いが、あるんだけど」
怖くは、ない。
私が男の人の家に入ったのは、初めての経験だった。
そしてそれが二人きりだなんて、今日の今日まで想像もしていなかった。
でも星乃さんなら良いかなって、心の底で思ってしまう。
何をされても、きっと嫌な気持ちにはならない。
「……(ズボン履きたいから)少し、目を閉じてくれないかな」
「……っ」
この言葉の意味することくらい、恋愛経験の無い私でも分かった。
――キス、される?
自分の感情が分からない。
嬉しいのか、驚いているのか、興奮しているのか。
あらゆる正の想いがごちゃ混ぜになる。
――大丈夫。一叶さんなら、大丈夫。
私は顔に熱が集まるのを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
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