第49話 Vtuberの在り方 @11
今章ラストの一話です。
_________
イブキは見ていた。
戦場から遠く離れた高所から、全員を見下ろすように眺めている。
一叶の手によって徐々に狭められていく戦場と、同時に密集していく六人。
一人一人の立ち位置を把握し、それぞれがその場に立つ意味を理解していたイブキにとって、それは違和感以外の何物でもなかった。
「あの至近距離での撃ち合いは不自然。流石に近すぎでしょ」
故に、気づく。
一叶は何かを狙っているのではないかと。
「……。……《箒星》?」
答えに行き着いた、丁度その瞬間。
五人が一気に、一叶へと近付いた。
「……っ」
イブキは全員死んだ、と思うと同時に。
「……いや」
須田へと繋がる道が無い、とも思った。
それは最短でも16mで、《箒星》では届かない。
スコープ越しに俯瞰していたからこそ見えた、致命的な一叶のミス。
「……多分『一叶』はここで止まる」
イブキは一秒先の未来へ、エイムを向けた。
そして、その直後。
スコープのど真ん中に、一叶の頭が映りこんだ。
イブキは決着がついたことを感じながら、トリガーを引こうとして――――
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
「……え?」
どうにかシャルさんに勝利した私が目にしたのは、既に瀕死であることを示す星乃さんのHPバーだった。
真っ赤に染まったその残量は、恐らく30から40の間。
それは『ディズア』でなくとも一発の弾丸で殺されかねない数字である。
「いくら何でも減るのが早すぎる……っ!どうして!」
星乃さんは、出来ないことを出来ると言うような人ではない。
一瞬で嘘と分かるバカな冗談を言うことはよくあるが、しかし先のない嘘をつく姿は見たことがなかった。
であれば考えられるのは、何か想定外の出来事が起きたか、もしくは――
「……想像以上に強い人が居た?」
そのどちらかであろう。
私を追い回した五人も十分に強かったが、しかし飛び抜けた実力の持ち主は居なかった。
星乃さんの想像を遥かに超える、というのはあの五人には無理だ、と私は思う。
だとすれば、可能性として残るのはイブキの存在。
彼女の強さは未知数だが、須田の横に立っていた事実を考慮に入れれば、有り得ない話ではなかった。
「……っ、向かう先を間違えた……」
私に任されたのは、スナイパーの二人だ。
もし私が、シャルではなくイブキの元へと向かっていれば……、と後悔が募る。
「どうすれば……っ」
だが私には嘆くよりも先にすべきことがあった。
イブキを止めること、それが私に任された役目なのだから。
しかし手段が思いつかない。
今からイブキのもとへと走る?
星乃さん達の戦場を越えた、遥か向こうまで?
無理だ。間に合うわけがない。
……そもそも、星乃さんを追い詰めるような人物に私が敵うのか?
「……何か、何か方法は……、急がないと……っ!」
星乃さんの体力は、一秒後に消し飛んだとしてもなんら不思議ではない数値。
悩んでいる時間すらなかった。
「私が……ここから、出来ること……」
全力で頭を回す。
何でもいい。
星乃さんを助ける方法を。
見つけろ。
「――っ」
そんな私の目に入ったのは、一つの武器だった。
それはシャルが置いていった、彼女の相棒。
LoS最強の『
「……『ディズア』」
小さく、その名前を呟いた。
私はその巨大なスナイパーライフルを持ち上げる。
滅多に握らない『ディズア』の重量に驚かされつつも、私は慎重に弾倉を確認してみた。
するとそこには、一発の弾丸が残っていた。
「…………」
なんとはなしに私は、自分の位置からイブキまでの距離を、マップを用いて調べる。
肉眼では全く見えないその場所は、目算で推測できる距離ではなかった。
「……620m」
遠い、と私は思う。
このゲームにおいて一般的に、最もスナイパーライフルの弾を当てやすいと言われるのは150mから200m。
『ディズア』の場合は高倍率なスコープの関係もあって、やや伸びた250mとなる。
また300mを当てられるようになると一流と呼ばれるようになり、スナイパーをメインとするプロゲーマーともなれば350mまでは対応出来るらしい。
そして、遠距離キルの世界記録は593mと聞いたことがあった。
「……。……620」
それを踏まえて、もう一度その数字を見る。
今、私に出来ることはなんだ?
手元には一発の弾丸を残した、『ディズア』。
遥か彼方で、星乃さんを追い詰めるイブキ。
分かっていた。
選択肢が一つしかないことは。
私は。
今、ここで。
世界を超える。
――600mスナイプ。
「…………フゥ……」
目を閉じ、呼吸を整えた。
ゆっくりと伏せ、12倍のスコープを覗き込む。
すると微かに、点と呼ぶにもおこがましいくらいに、小さなイブキの姿が見えた。
《太陽の瞳》で予めある程度の居場所を把握していなければ、見つけることすら出来なかった、と私は思う。
弾は一発。
チャンスは一度。
胴体ではダメだ。
頭に当てなければ、イブキは死なない。
「……落ち着きなさい」
急げ。
でも焦るな。
ミスは即ち、負けと同義。
「…………っ」
気づくと手が震えていた。
スコープに印された十字が、経験したことがない程に揺れる。
仮想世界に心臓なんてものはないのに、脈打つようにフラつくエイムを見て、自分が挑もうとしている行動がどれほど無謀なものなのかを理解した。
620m。
それは私にとって、あまりにも遠すぎた。
弾道落下。
風。
空気抵抗。
リアルに作り上げられたこの世界は、スナイプの難易度をより高くする。
「……星乃さん」
心を落ち着けるように、その名を呟いた。
この距離の狙撃は、実力だけでは無理だ。
直感と、運。
そして込めた想いが狙った場所へと弾丸を導く。
「……星乃さん……っ」
頼りっぱなしは嫌だった。
甘えるだけの女にはなりたくなかった。
星乃さんは今この瞬間もまた、私の代わりに背負ったリアル同等の痛覚に苦しんでいる。
きっと私の為に、必死に耐えて戦っている。
だから、私もまた。
限界を超えて。
「……星乃さんの為に……ッ!!」
無謀を意地で押し通す。
「――――――っ」
息を止めた。
――集中。
時が止まる。
――もっと深く。
風が見えた。
――五感を研ぎ澄ませ。
弾道を脳裏に描く。
――――ここだ。
轟音。
重い反動が、私の両手に返ってきた。
イブキの立ち位置よりも遥か上に発射されたその弾丸は、重力に従いゆっくりと落下していく。
着弾までのその時間、
それはあまりにも長く、私には永遠にすら思えた。
空白が満ちる。
そして。
そんな長い時を越えた後。
消えた弾丸を見つめながら。
私は結果を理解する。
「……当たっ、た?」
気づけば私の視界には、イブキをキルしたことを示す文字列が浮かび上がっていた。
――World Record[624m]
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
――これは、無理だ。
そんな諦めの感情が、僕の中に生まれた。
意地とかそういう話ではなくて、ただ純然たる事実としての、明確な「詰み」。
何をどうしても、逆転する手段が無かった。
悔しさと申し訳なさが半々に入り交じる。
僕のたった一つのミスで、イノリちゃんを奪われるのか、と。
「……っ!?」
――だが、唐突に。
イブキの射線が消えた。
何が起きたか分からなくて、僕は驚きに目を見開く。
イブキが僕から銃口を外す理由なんて、一体何があるのだろうか。
イノリちゃんはイブキと真反対に居るはずだし、イブキを邪魔するものなどない筈だ……と、そう考えた直後。
遅れて『ディズア』の銃声が聞こえてきた。
それは一撃で相手を死に至らしめる火力を持つ、LoS唯一の武器。
この試合の中で何度も聞いた、特段おかしくもない音だったが、しかし不思議だったのは、「僕に向けられた狙撃ではなかった」ということ。
明らかに僕とは違う、あらぬ方向を指していた。
――もし、かして。
僕の中でピースが嵌る。
有り得ない、と思いながらもそれ以外に可能性など存在しなかった。
信じられないが、恐らく。
イノリちゃんが、イブキを撃ち抜いた。
「―――ッ」
一体、何百メートル離れていたのだろう。
500?600?少なくとも、挑もうと思うのが馬鹿馬鹿しくなる距離なのは間違いない。
彼女は諦めていなかった。
僕が諦めないと信じて、無謀に挑んで成し遂げた。
ああ、くそ、情けない。
――何が「これは無理だ」、だよ……ッ!!
今まで僕は、徹底的に「詰まされない立ち回り」をしてきたせいで、完璧に詰んだ、という感覚を味わう機会がほとんどなかった。
それ故に、咄嗟にどうしようも無い状況から足掻く意識が、薄まってしまっていたらしい。
これは将棋やチェスじゃない。
完璧な詰みなどあるものか。
――僕も足掻けよ、もっと……ッ!イノリちゃんだって限界を超えてんのに……ッ!!!
無謀な挑戦、上等じゃないか。
僕だって限界超えてやる。
諦めてなどやるものか。
僕はもう一度、燃える瞳で顔を持ち上げた。
須田と目が合う。
余裕すら見える表情で、既に此方へ銃口を向けていた。
そのエイムは僕の額にピタリと合わされていて、トリガーを引かれるだけで僕は死ぬのだと分かる。
ナイフが届かない?
一発喰らったら死ぬ?
知ったことか。
僕が握っているのは「全てを斬り裂くナイフ」だろうが。
絶望も理不尽も、邪魔するものは全部纏めて斬り落とせ。
イノリちゃんの為なら、僕は常識だって斬り捨てる。
――見極めろ。
ここはゲームの世界。
システムが許せば、それで全てがまかり通る世界だ。
だから、もし本当に。
僕の手に収まったこのナイフに、斬れない物など無いのなら。
僕に向けられたのは大口径のライフル。
その弾丸の行き着く先は、《空からの警告》が教えてくれていた。
着弾は僕の額のやや右寄り。
そして銃口は目の前にある。
点と点で繋がった、その弾道は見えている。
故に、あとはタイミング。
――見極めろ。
0.01秒の世界。
距離1mで、弾速の影響など現れない。
トリガーを引く、その瞬間を僕は見る。
弾丸だけを僕は追う。
僕の視界から風景が消えた。
世界が白に染まる。
須田の顔すらも見えなくなって。
僕と、僕を殺そうとする銃だけが世界に残された。
――見極めろ。
音は要らない。
色も要らない。
ただひたすらに、殺意だけを見る。
僕の視界の片端に、血色の雷が走った。
眼球の限界。
どうでもいい。
痛みなど捨ておけ。
――見極めろ。
僕はこの刃に何を賭けているのかを。
何のために限界に挑むのかを。
今更、考えるまでもない。
僕の世界が。
加速した。
斬り上げたナイフに不思議な感触が伝わり。
聞いたこともない金属音が響き渡って。
僕の背後で、割れた二つの何かが落ちる音がした。
世界に色が戻る。
すると須田の表情が僕の視界に映った。
焦りと絶望と呆然をごちゃ混ぜにしたような、情けない面だった。
――ああ、よくも好き放題にやってくれたな。
怒りも憎しみも失望も、この一閃に全ての感情を込める。
僕は思いきり叫びながら。
届かないと思っていた1mを、飛ぶように踏み潰して。
須田の首筋に――
「二度とイノリちゃんに……ッ!!!近づくな!!!」
――ナイフを、振り抜いた。
今この瞬間、僕らの勝利が確定した。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
静寂、の中に小さな響き。
フィールドからは一切の銃声が消えて、ただ足音だけが鳴っていた。
それはイノリの駆ける音。
一叶の元へと急ぐ音だった。
イノリはこの試合中に、一度全力で走り抜けた道を戻っていく。
終わらない試合を不思議に思いながらも、まずは一叶と合流するべきだと判断した。
そしてその場に辿り着いたイノリは、仰向けに倒れ伏す一叶を見つけ出す。
「……一叶、さん」
見れば一叶は全身のあちこちに、薄らと赤黒い雷のようなものを纏わせていた。
始めとは似ても似つかない程に荒れ果てたフィールドと合わせて、想像も出来ぬ激しい戦いが行われたのだと分かる。
イノリの呟きを聞き取った一叶は、首だけを回してイノリを見た。
「……あ、イノリちゃん。お疲れ様」
酷く、疲れきった声だった。
気遣うように笑っていたが、一目で無理をしているのだと見て取れる。
「一叶さん……っ」
イノリは泣きそうな声を洩らしながら、もう一度その名を呼び、ゆっくりと一叶に近づいていった。
崩れ落ちそうになる足を堪え、一歩ずつ歩いていく。
「……」
そして一叶のすぐ横で膝をつき、その顔を見下ろした。
誰の邪魔も入らない二人だけの世界で、一叶とイノリは顔を合わせる。
どちらも口を閉じたまま、静かな時が流れた。
「……どうして、そんな顔をしてるのさ。僕ら勝ったんだよ?」
イノリの瞳からポロポロと零れ落ちる涙を見て、一叶は不安そうに話す。
まだ何か、イノリちゃんを泣かせるものが残っていたのだろうか、と。
そんな一叶に、イノリは俯きながら小さく口を開く。
「……ごめんなさい。私のせいで……、私の為に、こんな無茶を。……もう、死にかけじゃないですか。頑張りすぎですよ……」
感謝、以上の申し訳なさ。
一叶の身に襲いかかった苦痛を思うと、謝罪以外の言葉は出てこなかった。
「やめてよ、そんな。僕が頑張りたくて頑張ったんだ。謝られると……僕も、困る」
しかし一叶にとって、イノリの涙は見たいものでは無い。
「……。……お願い、泣かないで」
女の子の涙に慣れている訳でもない一叶にとって、気の利いたセリフを思いつくのは、弾丸を斬り裂く以上に至難の業。
愚直に、思ったことを告げることしか出来なかった。
イノリは両手で目を覆うが、それでも頬を伝う涙は隠しきれない。
「……だって、だって……っ。ごめんなさい……っ」
どうしても涙を止められなくて、イノリはまた謝った。
一叶は言葉に詰まり、イノリの嗚咽だけが響く。
物音一つしないせいで、その小さな嗚咽すら一叶にはよく聞こえた。
そんな中で悩んだ一叶が口にしたのは、遥か昔の思い出だった。
「……ねぇイノリちゃん。初めて僕がメッセージを送った時のこと覚えてる?」
空を見ながら、優しく話しかけた。
懐かしむような声で、思い出すように。
イノリは嗚咽を堪えながら、ゆっくりと手を下ろす。
その
「……勿論、覚えてます。それが私の、初めて受け取ったメッセージでしたから」
「へぇ、そうだったんだ。……ちょっと嬉しいな」
一叶は照れたように微笑む。
「まぁ正直なところ僕自身、どんな内容を送ったのかは覚えてないんだけどね。ただ、あの日にメッセージを送った理由だけは今でも覚えてる」
「……?理由ですか」
「うん。イノリちゃんがあんまり笑わなくなってきたタイミングだよ。僕はイノリちゃんが、楽しそうにゲームするのを見るのが好きだったのにさ」
責め立てる、というと言い過ぎではあるが。
それはやや揶揄うような口調だった。
その言葉にイノリは驚く。
「そ、そうだったんですか。自覚はありませんでしたが……」
「ほんとに?何か嫌なことでもあったのかな、なんて思ってたよ僕」
とにかくね、と一叶は続ける。
「……その頃から僕は、イノリちゃんが辛そうにしてるのを見るのは、嫌だったんだ」
「……」
「つまりさ、ほんとに僕は僕の為に頑張っただけなんだよ。あのときメッセージを送ったのも、今日僕が頑張ったのも同じ理由なんだ。悲しそうなイノリちゃんは見たくない、笑っているところを見たい、……って」
「……っ」
「だから謝らないで。結局いつだって、僕がやりたくてやっただけなんだ。……もし少しでも僕に感謝してくれるなら、僕のために笑って欲しい」
「……は、い」
イノリの涙は止まらなかった。
ただ今度は先程までとは違う涙。
微笑みながら、恥ずかしそうに――それは嬉しさを由来にする、涙だった。
……
…………
………………
「……よし」
会話に一区切りを感じ取った一叶は、不意に立ち上がろうと身体を捻る。
……が。
「あ、痛い無理だやっぱめっちゃ痛い」
全身に走る激痛によって諦めた。
口調こそふざけているが、その表情は凍りついていて冗談には見えない。
死に物狂いだった戦闘時とは違い、冷静になった状態で動くのは難しいようだった。
「……な、何してるんですか急に」
「いや、そろそろ死のうかなって」
「もしかして頭も撃たれましたか……?」
本気で不安そうな顔を浮かべるイノリを見て、焦ったように弁明をする一叶。
「ち、違うそうじゃなくて。ほら、おかしくない?僕ら二人しか生き残ってないのに、試合が終わらないなんて」
「ああ、それは私も不思議に思っていました」
「その原因、僕が変な方法で『収容所』から出たせいだと思うんだよね。多分、バグで僕とイノリちゃんが仲間扱いされてないんだ。ほら見て、僕のマップにもイノリちゃんの居場所が映ってないし」
一叶はどうにか動く右腕で、イノリにマップを開いてみせた。
「……本当ですね。でも私、一叶さんの体力ゲージは確認できますけど」
「それは僕もだね。まぁバグだし、そんなもんじゃない?」
「はあ」
イノリはやや納得いかなげだが、しかしバグに整合性を求めるのもアホらしいとは思う。
取り敢えずは受け入れることに決めたようだった。
「それで僕がデスしちゃえば解決するかな、って思ったわけ」
「ああ、なるほど……」
一叶は、頭がおかしくなった、という疑惑を解消できたことに安心して、一息ついた。
「でもそれなら一叶さんが無理しなくても、私が楽に殺してあげますよ」
「うん、言い方ね。言い方もう少し選んで欲しかった」
顔を引き攣らせる一叶の感情は、アイドルの裏の顔を見てしまったときのそれに近い。
だが事実としてそれがベストなのは間違いないので、強く言い返せないのが現状だった。
「でも楽に殺す、ってどうするの?」
むしろ楽に死ぬ方法など無いと思っていた一叶にとっては、予想外なのはその部分。
何をするつもりなのか分からず、首を傾げて問いかけた。
「任せてください。目を閉じていればいつの間にか死んでますから」
「何それ怖い」
自信満々なイノリの様子を見て、むしろ恐怖を感じる一叶である。
「いいから早く目を閉じてくださいよ。そんな一桁単位のHP、私が一瞬で消し飛ばしてあげます」
「う、うん……。でも目を閉じる意味って何?どうしても閉じなきゃダメなの……?」
「ダメですね。もし目を開けたら怒ります」
「は、はい」
イノリの圧に負けた一叶は、黙って目を閉じる選択肢を選んだ。
一叶の視界は己の瞼に遮られ、何も見えなくなる。
一体何をされるのかという不安と同時に、どうやるんだろうという好奇心が一叶の心を満たしていた。
しかし目を開けることを禁止された一叶にその手段を知る術はなく、もどかしさを感じるのみ。
「ちゃんと閉じました?」
「うん、ばっちり」
素直な一叶は好奇心に打ち勝ち、しっかりと強く目を閉じていた。
イノリもまた疑ってはいないようで、特に確かめるようなことはせずにその言葉を信じ、「楽に殺す」為の準備を始める。
「……それでは、お別れです」
何も見えない中、イノリの声だけが一叶に届く。
「今回は助けてくれて、本当にありがとうございました」
優しい声色だったが、その表情は一叶には分からない。
「きっと、もう会うことは無いと思いますけど……、今日のことは忘れません」
寂しそうな、そうでもないような。
やはり声だけでは判断がつかなかった。
「…………で、では」
そして、緊張するような声がして。
「……さようなら」
という、別れの言葉と共に。
――イノリは一叶を、優しく抱きしめた。
頬と頬が触れるような、上から覆い隠すハグ。
このゲームではハグに攻撃判定があることを、イノリは覚えていた。
「え……?何?これ……、え?」
一叶は本当に、何が起きているのか分からない様子である。
己の首筋にかかるきめ細やかな髪の感触も、胸に当てられた柔らかい何かの正体も、横を向けば頬にキス出来てしまう程に顔が近づいていることも。
一度も経験の無い一叶には、気づく術がなかった。
「……大好きですよ、一叶さん」
「はい?いやファンは公平に扱わないと――……」
そして最後は相変わらずな死に際の言葉を残して、一叶は消滅していった。
唯一戦場に残されたイノリのもとには、聞き慣れた勝利のファンファーレが響く。
それは勝利を――或いは何か別のものを、祝福するようで。
「……『ファンは公平に』、ですか。ええ分かってますよ、そんなこと」
頬を赤く染めながら、祈祷は一人呟く。
「ご心配なく。今のはイノリではなく……き、祈祷神子からの告白ですから」
面と向かっては絶対に言えない言葉を、自信ありげに宣言してみせる祈祷。
箒か道幸辺りでも居れば「直接言えよ」とツッコまれかねない状況ではあるが、ともあれ二人の平穏は守られた。
一つ変化を挙げるなら、祈祷の恋心がより一層大きなものになった、ということ。
__________
やっと一章が終わりました!
長々とシリアスが続いて申し訳ない笑
次の話はまたコメディーに戻ります。
星を頂けると嬉しいです……っ!
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