第42話 Vtuberの在り方 @4
この凍りついた空間の中で、初めに口を開いたのは須田だった。
「……驚いたな」
それは素直な賞賛を含むような、そして同時に己の幸運を喜んでいるかのような声色。
須田は宙に映し出された僕の戦績を幾らか眺めて、僕の言葉に偽りがないことを確認すると、改めて此方へと向き直した。
「少年――いや、『一叶』君」
須田はステータスから読み取った、『一叶』というネーム情報で僕を呼ぶ。
やっと、瞳の底で目が合った。
僕はこのとき、須田は初めて僕の存在を認識したのだと思った。
カナエとして出会ったときも、今この瞬間に至るまでも、須田は僕のことなど本来の意味では一切見ていなかったのだ。
須田にとって、『カナエ』には価値があった。
しかし中の僕には興味を持たなかった。
必要なもの以外に興味を持たない冷徹な本質こそが、Vtuberを消耗品として扱える悪性の
奴は世界最強という称号で、初めて僕を見たのだ。
――あぁ、コイツとは本当に価値観が合わない。本性を知れば知るほど殺意が湧いてくる。
僕は呼吸を荒げないように、深く息を吸った。
目が血走らないようにするのに必死になるのは、初めての経験だ。
須田は僕の持ち掛けた賭けに対して、答えを返す。
「その勝負、もちろん受けよう。次第によっては、君の価値は
「…………ッ」
そしてまた、この男は僕の逆鱗に触れる。
わざとやっているのかと疑うほど執拗に撫で回す。
僕なんかを、イノリちゃんの努力と比べるなよ。
ここまでイノリちゃんを追い詰めた挙句に、その在り方を貶すなよ。
瞳に熱が籠り、破裂しそうになる。
あぁ、血涙を流すとはこういう気分なのか。
「…………」
でも、今はこの怒りを心の中に押さえつけろ。
静かに勝負に持ち込め。
――そして完膚無きまでに、試合でぶちのめせばいい。
僕は唇を噛み締めた。
「ルールは……そうだね。一叶君の得意なバトロワにしよう。私とイブキのペア、一叶君とイノリ君のペアで同じマッチに参加して、より順位の高かった方の勝ち……というのはどうだ?」
どうして須田が僕の土俵で戦おうとするのかは分からない。
それを問うべきかとも思うが、しかしそれ以上に言わねばならないことがあった。
「……これは僕とあんたの勝負だ。あんたが誰を代理に立てようが構わないけど、イノリちゃんを巻き込むなよ」
「巻き込む?元から彼女の問題だろうに」
今のイノリちゃんに負担を掛けたくない、というのが僕の本音だった。
僕が勝って全てを終わらせるのを、ただ待っていて欲しかったのだ。
だが僕のそんな思いも他所に、イノリちゃんは僕に代わって、震えた声で須田に答える。
「――分かり、ました。私も参加します」
明らかに無理をしていた。
何も置かれていない机の上を、揺れる瞳で見つめている。
「気にしないでイノリちゃん。僕一人で十分だから」
もういい休んでくれ、と。
そう訴えかける僕を、イノリちゃんはゆっくりと見上げて。
「……ごめんなさい一叶さん。私が足手まといなのは分かります。でもこの人はきっと――」
そんな申し訳なさそうなイノリちゃんの言葉に、須田は重ねるようにしてその続きを語る。
「よく分かっているね。もし断るなら私はこの勝負のことなどさっぱり忘れて、『イノリ』だけ貰って帰るよ。私はリスクを負うのが大嫌いなんだ」
「……ッ!」
「ハンデをくれよ、世界最強。その程度の足手まとい、屁でもないだろう?」
「黙れ……っ!イノリちゃんは足手まといじゃない!!」
「なら決定だ。話を進めよう」
話の主導権を完全に奪われた――というよりも、そんなものは初めから僕の手にはなかったのだろう。
僕はどんな不利な条件を押し付けられたとしても、断ることは出来ないのだから。
イノリちゃんと組むことがマイナスになるだなんて、僕は微塵も感じてはいなかったが、しかしここから良くない方向へ話が進む予感だけはしていた。
「それと、もう一つ」
「……なんだよ」
予想通り、更なる条件が加えられるらしい。
正直もう、どうでも良かった。
どれだけハンデを背負わせられようとも、僕は決して負けない。
自信とかそういう話じゃなくて、これは意思の問題だ。
たとえ目を閉じて戦えと言われても、僕は絶対にこの男を叩き潰す。
だが。
そう思っていても尚、須田の要求は致命的なまでに劣悪なものだった。
「君たち、『痛覚あり』にしてくれ」
――――。
「……は?」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
痛覚あり。
つまりは、ゲーム内で得た痛みをそのまま現実へとフィードバックする設定。
殴られた痛み、切り裂かれた痛み、銃で撃ち抜かれた痛み――それをリアル同等のものとして味わえと言い出したのだ。
それは設定欄の奥の奥に仕舞われた項目で、よりリアルな感覚を必要とする特殊なゲームでのみ、限定的に使用されることがある。
切り替える為には「本当によろしいですか?」という質問に、三度Yesと答えなくてはならないほど、厳重に塞がれた危険なモード。
「……正気、ですか。あなたは」
そう呟くイノリちゃんの表情は、悔しいとかの感情を通り越して、ただ恐怖に歪んでいた。
「流石の私も全開にしろとは言わないよ。50%で構わない」
それが妥協だと思っているなら、この男の悪は本物だ。
須田の狙いは僕らを痛めつけることではなく、確実な勝利にあるかもしれない。
僕らに被弾への過剰な恐怖を与えて、通常の立ち回りを崩す狙いがあるのかもしれない。
しかし、だからといって実行するのは狂っていた。
身体を弾丸に貫かれるという、平和な世界を生きる僕らには想像もつかない激痛。
それを半分にしたからといって、ただの女の子が知っていい痛みである筈がないだろう。
「む、無理です……。そ、そんなの、耐えれる訳ありません」
「別に死ぬわけでもない。一叶君と一緒に頑張ってみれば良いじゃないか」
「……っ、……でも…………」
「……なら振り出しに戻るだけだ。さっさとそのアカウントを寄越せ」
「ぅ、……ぁ……」
……ああ。
ほんっとうに、胸糞が悪い。
吐きそうだ。
「……おい、須田さん」
僕はイノリちゃんを守ると決めている。
それはどんな地獄を見ようとも、絶対に曲げない誓いだ。
だから、僕は。
「僕が100%にする。二人分だ。……それで良いだろ」
全てを背負う。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
結局、そこで話は纏まった。
僕ら四人と、後は野良を集めてのカスタムマッチ。
より順位が上の方が勝利という、バトロワらしい分かりやすいルールだ。
痛覚は僕が100%解放することで、イノリちゃんは普段通りの状態で参加することを許された。
『……ッ!!それはダメです!……や、やります!!半分は私が……!!』
これは僕の言葉の直後に、イノリちゃんが放った一言だ。
正直、僕は驚いた。
あんなに怖がっていたイノリちゃんが、一瞬で覚悟を決めると思っていなかったから。
激痛に耐える理由が、「自分の為」から「
本当に、嬉しくて、そしてカッコいいと感じた。
そんなイノリちゃんだからこそ、きっと僕は彼女をここまで好きになったのだろう。
須田とイブキはつい先程に姿を消して、僕とイノリちゃんの二人だけが残されている。
試合開始は今日の夕方からで、時間はまだ十分にあった。
イノリちゃんは机の脇に立つ僕に向けて、悲しそうな顔を浮かべながら問いかける。
「……どうして、私にも背負わせてくれなかったんですか」
「ん?だって僕、どうせ1ダメージも食らわないし」
僕はへらへらと答えるが。
勿論、嘘だ。
いつ、何処で、何人から同時に襲われるか分からないのがバトロワである。
事実バトロワにアクシデントはつきもので、どんな猛者であってもノーダメージは無謀だった。
僕だって、痛みは怖い。
でもイノリちゃんの苦痛に歪む顔を見る方が、間違いなく辛いと断言出来たから、僕は今こうして立てている。
だから僕はイノリちゃんの為に、自信ありげに振る舞う。
痛覚あり?それがどうした、と、この恐怖を隠し通すのだ。
「大丈夫だよ。僕が負けるなんて有り得ないから」
僕は笑う。
己に笑えと命令する。
しかし、いつまでもそんな演技を続けられる気もしなかった。
「それじゃあ、僕は少しエイムを合わせてくるよ。また夕方ね」
だから一度、一人になりたかった。
「……はい」
僕は扉を通りカフェの外に出て、そして街の中心地へと向かう。
来る時と同じ道を通っている筈なのだが、やけに違った景色に見えるのは、僕の感情が切り替わったからだろうか。
イノリちゃんに嫌われたという不安から、須田への怒りへと。
何にせよ、少し心を休ませたかった。
ここまで悲しんだのも怒ったのも、僕にとっては久し振りの出来事だった。
「一叶」
ふと、正面から僕を呼ぶ声が聞こえてくる。
ただの一本道で、己の進行方向に立つ人間に気づかなかった自分に驚きつつ、僕はその声の主に目を向けた。
「あ、箒君。……どうしたの?こんなところで」
そこに居るのは、僕のよく知る人物だった。
箒君は何故か眉を歪ませ、言葉を詰まらせるように僕を見ている。
「……どうしたもこうしたも、あの場所を教えたの俺だろうが」
「あ、そうだったね。……うん、そうだった」
頭の大部分を須田に持っていかれているせいか、その他のことに頭が回らないのだ。
あの男のこちらを見下した憎らしい面が、僕の脳裏から剥がれなかった。
イノリちゃんと距離を取った途端、奴への殺意が一層増して、ついには恐怖すらも覆い込んだ。
「……お前、そんな顔できたんだな。祈祷には見せんなよ」
「そんなに?」
僕は一体どんな表情を浮かべているのか。
あまり知りたくはなかった。
「まぁいい。……それよりお前、100%ってどんだけヤバいか知ってるのか?」
「知らないよ、やったことないし。というかなんでその話を知ってるのさ」
「俺には色々あんだよ。気にすんな」
「……そう。まぁ箒君だしね」
「その納得の仕方はどうなんだ。……で、耐えれんのか?」
「さぁね。後悔はしてないけど」
「ならいいわ。止める理由もねぇ」
今ばかりは、箒君の荒々しい態度に救われる。
道幸ならきっと、僕を止める気がしたから。
今は止まりたくなかった。
「んなことより、俺はお前に一つアドバイスしに来たんだ」
「アドバイス?」
「ああ。戦いに関しちゃ俺から口出すこともねぇんだけど、くれてやるのは軽いLoSの知識だ。確かお前、『コネクト』使ってたろ?」
「うん」
なら覚えといて損はねぇな、と箒君。
僕は素直に耳を向ける。
「LoS、この世界は限りなくリアルに寄せて作られてる。物体の硬度も重さも割と正確だ」
それはLoSプレイヤーにとってはかなり有名な話だった。LoSが人気となった理由の一つとしてよく挙げられる。
家屋も岩も地面も、あらゆる物がリアルと同じように壊し抉ることが可能で、多くのゲームで『破壊不能オブジェクト』として片付けられるそれを、現実に準拠した形でプレイヤーに提供するのだ。
「――が、幾つか例外はある。それはLoSがゲームである為に必須なものだ」
「……例外?」
ぱっとは思い浮かばなかった。
僕は首を傾げる。
「勿体ぶる理由もねぇからさっさと言うが――『収容所』『銃』『刃物』。全部じゃねぇけど、メインはこれだな」
「へぇ……」
「まず収容所は分かるだろ?建物ごとぶっ壊して逃げられたらゲームにならねぇからな。腕を縛る鎖と合わせて、『破壊不能オブジェクト』に設定されてる」
「そりゃまぁ……そうだね」
「銃もそうだ。弾丸が命中する度に壊れられたら話にならねぇ。ヘッドショットよりも致命的な一撃が、まぐれで狙える武器破壊じゃクソゲーだ」
「はは、確かに」
「――で、最後に刃物。これが何よりも特殊なんだよ」
箒君の雰囲気が若干変わる。
ここからが本題、という感じがした。
「刃物……特にナイフなんて、初動でしか使われない雑魚武器だ。なんたって銃に勝てる訳ねぇからな」
「そうだね。僕も銃を二つ見つけるまでしか持たないし」
「ああ。つーか事実弱い。刃物でのキルは滅多に発生しないといっても過言じゃねぇ。……が。だからこそ、この世界の刃物は、現実のそれからは逸脱した性能を持ってる。少しでもゲームバランスを取るためだ」
「……逸脱した、性能?」
忘れんなよ、という箒君の呟きに続けられた、その言葉は――
「――この世界に、刃物で
……?
知らなかったし、確かに凄い。
けど。
「……それ勝負に関係あるの?」
「そこまでは教えられねぇわ。俺は中立だから」
「中立?」
「気持ち的にはお前を応援したいんだけどな。……これでもそれなりに譲歩してんだ。頑張れよ」
「……?、うん」
そんなよく意味の分からないアドバイスを残して、箒君は僕の前から去っていった。
また僕の周りは静かになる。
ただ箒君と会話をしたお陰か、やや心も落ち着いていた。
そのあと僕は万全の調子で挑むために、リアルに戻って少し眠ることを選んだ。
そしてあっという間に、僕は勝負のときを迎える。
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