第41話 Vtuberの在り方 @3


 その寂れたカフェには大きな窓が取り付けられていた。


 店内から見ればさぞよく外が見えるのだろうが、しかし雑多な金属の壁が広がるだけの風景に、果たして何の意味があるのか僕には分からない。


 小さく開かれた窓からは、彼らの声が聞こえてくる。


「5000万。この額で交渉成立……ということでよろしいだろうか?」


 これは須田さんの声だ。

 話の内容は不明だが、以前出会ったときと変わらぬ調子である。


「……お金なんて、どうでも良いです。それより約束は守って頂けるんですよね」


 対して、返事として聞こえてきたのは。


 敵意に満たされた声。

 一瞬、誰の声だか分からなかった。


 明らかにイノリちゃん、の筈だけれど。

 僕に笑いかけてくれていたイノリちゃんのそれとは、どうやっても重ならないのだ。

 こんな激情に染まった声を、僕は一度も聞いたことは無かった。

 

 須田さんの飄々とした雰囲気のせいで、二人のギャップがより目立つ。


 僕はイノリちゃんの様子を見て慌てて飛び出しそうになるが、まだ何の話かも分からないこの状態で僕が姿を見せても、良い方向に話が進むとは思えない。


 割って入りたい感情を堪えて、その場でジッと耳を澄ました。


「ああ、約束は当然守る……が。その言い方だと、まるで私がイノリ君を脅したみたいに聞こえるね」


「……何が違うんですか。母の病院まで調べ上げておいて、よくそんなことを」


「偶然知っただけだよ。そして何となく君に伝えただけさ。私がこの情報で何をするかなんて、一言も口にした覚えはない」


「……っ」


 ……?


 脅す。母の病院。

 聞こえてくる単語は、どう考えても潔白なものではない。少なくとも良くない状況であるのは間違いないだろう。


 僕は情報のパーツを組み合わせて、状況を推測しようとする、が。


「それにしても、本当に良い買い物が出来たよ。――たった5000万で、『イノリ』のアカウントが手に入るなんてね」


 その須田の言葉で、推測するまでも無く全てを理解させられた。


 あぁ、そういうことか。


 こいつは。この男は。


 イノリちゃんのお母さんを脅しの種にして、アカウントを奪おうとしているんだ。


 一人登録者が増える度に、嬉しそうに笑っていたイノリちゃんを思い出す。

 楽しそうに、大事そうに、一つ一つコメントを読み上げていたイノリちゃんを思い出す。


 そのアカウントに、どれだけの想いが詰まっているかを僕は知っていた。


 瞳の中が、熱くなるのが分かる。

 拳に力が篭もる。

 怒りが、僕の頭を満たしていく。


 堪える?何を?


「…………っ。」


 イノリちゃんの悔しそうな――そして、涙を零しそうな表情を見て。



 我慢出来る筈もなかった。






「――おい」


 僕は扉を開けて入ると同時に、須田に呼びかけた。

 それは自分でも驚くくらいに威圧的な声だった。


 二人の視線が僕に向く。

 どちらも大きく目を見開いていた。


「な、……、どう、して……」


 信じられない、といった様子で声を洩らしたのはイノリちゃんだ。


 本来、イノリちゃんに顔すらも知られていないような、ただのファンが口を出していい場面ではない。


 でも、それでも。


 一人のファンだからこそ、許せないものがあった。


「君は誰だ?」


「……。……ただの、イノリちゃんのファンですよ」


「なら邪魔しないで貰えるかな。これは一般人の出る幕ではない。……と、言いたいところだが。何処から話を聞いていた?」


「あんたが、イノリちゃんを脅してアカウントを奪い取ろうとしてるのは分かりました」


「……ふむ。口止め料が必要だね。幾ら欲しい?」


 こいつ、は。

 僕は金の話をしに来たんじゃない。


「……ホントに、イラつかせますね」


「私は無駄な時間が嫌いなんだ。早く答えてくれ」


 指先で机を叩きながら、須田はそう告げた。


 今は須田とイノリちゃんが小さな机を挟んで座る横で、僕が立っているという位置関係だ。

 イブキちゃんは須田の後ろに立っている。


 正直、今すぐにでも須田の胸倉を掴み上げてぶん殴りたい気分だったが、それで何も解決しないのは僕でも分かった。


 耐えて、交渉しろ。

 バカなりに頭を回せ。

 僕にだって、賭けられるものはあるのだから。


 僕は一度強く歯を食いしばり、心を落ち着かせてから口を開いた。


「須田さん、ですよね」


「知っているのか。代表とはいえ、裏方の自覚はあったのだけれど」


「……少し機会がありまして。それより一つ聞かせていただけませんか?」


「今日のことを忘れて貰えるなら、幾らでも答えるよ」


「……。あんた、イノリちゃんのアカウントで、何をするつもりなんです?」


 まずそれが、一番得なくてはならない情報だった。


 基本的に他人のアカウントに価値などない。

 何故なら、作った本人以外にそのアバターを使いこなすことは出来ないからだ。


 本人の身体をベースにアバターは構成されている為、他人が入ったとしても表情や身体に甚大な違和感が生じる。

 神経や筋肉の情報もアバターの中に組み込んでいるらしく、それが理由だと聞いたことがあった。


 アバターを作成する際、身長は変えられても縦横のバランスを弄れなかったり、髪型を変えられても顔の形を大きくは弄れなかったりするのも、これに由来しているのだろう。


 だからこそ、須田がイノリちゃんのアカウントを狙う理由が分からなかった。


「君の考えていることは分かるよ。確かに、普通の人間は誰かのアカウントなんて欲しがらない。なんたって使い物にならないからね」


「……」


「でも私は普通の人間じゃない。そこらとは比べ物にならない程の、金と地位がある。――そして何よりも、技術がある」


「……技術?」


 須田は大仰に、そして自分の偉業を誇示するかのように話す。


「そう、技術。私はずっと考えていたよ。どうにかして、このVtuber共の中身を入れ替えられないだろうか……と。彼らは下手くそなんだ、何もかもが」


「……っ!」


 もしかして、この人。


「他人のアバターは使えないなんていうのは、もう昔の話だ。私が完成させたんだよ、好きなアバターに入り込む装置を」


「そ、そんなこと出来る訳……」


「出来るよ。膨大な当人のアバター使用データ……、表情や動きの記録が必要になるから、まだまだ制限はあるがね。ざっと5000時間ほど使用されたアバターなら問題なく動く。それも合わせてVtuberの連中は丁度良かったよ。どいつもこいつも、そのくらいは軽く使っているんだ」


 嘘には見えなかった。


 つまりこの男は、Vtuberの皆が大切に使ってきたアバターの記録を、食い物にしているということになる。


「これからは容姿の優れたアバターに、プロゲーマーを入れてVtuberとして活躍させる時代なんだ。――要らないんだよ、中の連中なんて」


「お、まえ……っ!」


 目の前が真っ赤に染まった。

 こともなく要らない、なんて言葉を吐かれるとは思わなかった。


 それはイノリちゃんだけでなく、全てのVtuberを侮辱する言葉だ。


「……いや、待て。もしかして……」


 ふと気づいた。

 須田の後ろに立つ、イブキちゃんの姿を見て。


「じゃあ今、イブキちゃんの、中に、いるのは……」


 冷静に考えて。

 須田の計画の、最初の矛先になるのは誰だ?


 そんなの決まっている。


「ああ、とあるプロゲーマーの女の子だ。……元の子は面白いくらいに泣いていたよ。『……お願いします、返してください。イブキは私の全てなんです』って。元から会社の資産だというのに、返してくれとは何の冗談だか」


「お前、お前は……っ!!Vtuberをなんだと思ってる……っ!!!」


 何度か、イブキちゃんの配信は見たことがある。

 いつも楽しそうに笑っていて、視聴者の気分を明るくするような女の子だった。


 泣いてる姿なんて、想像すら出来なかった。


 僕は偽物のイブキを睨みつけるように目を向ける。


「ねぇ、イブキちゃんの中の人。……なんでそんなことしてるの?抵抗はなかったの?」


「別に。私はもっと強くなるために、今回の話は利用できると考えただけです。知名度があれば、世界ランカーとも交流を持てますから」


「……そう」


 イブキちゃんの声で返された、イブキちゃんのものとは思えない言葉が、僕の心を荒立たせる。

 きっとゼロライブは、須田の手によってもう終わっているのだと思った。


 ふと、イノリちゃんと目が合う。


「迷惑を掛けてごめんなさい、ファンの方。私は大丈夫ですから」


 薄らと微笑みながら、優しく僕に話す。

 分かりやすいくらいに、虚勢を張っていた。


「……何も大丈夫じゃないでしょ。こんなの絶対に巫山戯ふざけてる」


「本当に、大丈夫ですから」


「嘘だ」


「嘘じゃないですよ」


「なら、どうして泣いてるんだよ……っ!」


 その頬を濡らす涙を見て、気にせずにいられるファンが何処にいる。

 溢れる涙に気づかない程に追い込まれて、それでも無理やり笑いながら、僕を気遣うイノリちゃんを目の前にして、立ち止まれるはずが無いだろう。


 全てを賭けて、イノリちゃんは助ける。

 そう決めた。


「須田さん。僕と勝負しろ」


「……は?」


「僕と勝負して、僕が勝ったらイノリちゃんから手を引け」


 この言葉は『一叶』だからこそ、意味あるものとして存在出来る。

 須田は必ず、この勝負に乗る。


「何を言っているんだ君は。私に何のメリットが――」


 否定されるのは分かっていた。

 だから僕は、『一叶』のステータスを開く。


 それは記録だ。

 今までの、LoSをプレイしてきた記録。

 キル数、勝利数、そして――ランキング。


 須田の顔が、驚きに染まるのが分かった。


「……世界、一位」


「……っ」


 イブキは顔色を変え、イノリちゃんもまた目を見開いて僕の顔を見つめている。

 全員が口を噤んで、静寂が満ちた。


 まるで空気が凍ったような静けさ。


 その中で僕は、宣言した。


「あんたが僕に勝ったら、僕はゼロライブの下で一生働いてやる。須田さん、あんたは強いプレイヤーをVtuberの中に入れたいんですよね」


 僕は僕自身を賭けに出す。





「――世界最強のプレイヤー。賭け金としては十分でしょう?」


 イノリちゃんに手を出すな、クソ野郎。

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