第37話 ママも悪くないかなって @6


 僕が戻ったとき、シロエちゃんとミーシュちゃんの戦闘は既に佳境にあった。

 走っている最中も視界の端に映るシロエちゃんのHPは徐々に減りつつあり、それが常に僕らを急かしていたのだが、どうにか間に合ったようである。


「……っ!」


 しかしシロエちゃんのHPは一割を下回っていて、余裕があったかと言えばそんなことはなく。

 むしろあいも変わらず堂々と立っていたミーシュちゃんを見て、頬を強ばらせる僕らだった。


 ミーシュちゃんの残りHPを僕が知ることは出来ないが、彼女の悠々とした雰囲気から推測するに、おそらくは無傷ではないかと思われる。


「シロエちゃん!」


 僕は膝をついていたシロエちゃんに近づき、慌ててその身体を支えた。

 VR内で身体疲労などは存在しないけれど、精神的な疲れは確実に溜まるのだ。


「……カナエお姉ちゃん?大丈夫だよ、シロエはまだ負けてないから。絶対に、勝つから」


 ああ、なんて健気な。


 僕はシロエちゃんのその決して勝利を諦めぬ姿勢に、一人のゲーマーとしても尊敬の念を抱いた。

 ゲーマーたるもの負けず嫌いであれ、を地で行く僕としてはシロエちゃんへの好感度を上げざるを得ない。


 だがここからは僕の出番である。


 シロエちゃんに代わり、僕がミーシュちゃんを倒す(?)のだ。


「もういいよ、シロエちゃん。あとは僕に……お姉ちゃんに任せて」


「え……。む、無理だよ!武器もないし!ミーシュちゃんは――」

「シロエちゃん」


 僕はシロエちゃんの目をジッと見つめ、強引に口を閉じさせる。


 そして。


「……僕を、信じて」


 そう断じた。


「……カナエ、お姉ちゃん……」


 まるでドラマ最終回の一幕。

 完全に僕が主人公である。


 しかし忘れることなかれ、僕がこれから行うのはただの熱烈なハグだ。

 シロエちゃんはめちゃくちゃ憧れの視線を僕に向けてくるけれど、残念なことに今から始まるのは紛れもない変態行為なのだ。


【マジかよカナエ…………】

【一対一でアイツに勝てる訳ないだろ!?】

【本気、なんだな?】

【相手は『拳神』だぞ】

【俺は信じるぜ……。カナエの勝利を】

【行ってこいよ。また僕達に伝説を見せてくれ】


 もう一度繰り返すが、これから始まるのは変態行為である。

 勝手に盛り上がるのは止めていただきたい。


「カナエさん。……私も、信じています」


 止めていただきたい。


 しかし今さら「ちゃんとは戦わないよ?」と宣言する訳にもいかず、僕はイノリちゃんとシロエちゃん、視聴者一同にカッコよくウインクを決めて、そのままミーシュちゃんに対して大仰に振り返った。


 僕にマントなんて無いけれど、もしあったらバサァってやっていたと思う。


「イノリちゃん、シロエちゃん……。出来るだけ僕から離れてて」


 まるで「危ないから離れて」みたいな口振りではあるが、その本音は「熱烈にハグするところをまじまじ見られたくないから遠く居てね」である。


 マジでさっさと離れてくれ。


 幸い二人は大人しく僕から距離を置いてくれたため、状況は好転したと言えるだろう。

 また光の玉はイノリちゃんの位置に応じて移動するため、視聴者からも見えづらくなる筈だ。


 そして僕とミーシュちゃんの二人だけが残される。


「ミーシュちゃん」


「なんどすか、カナエはん」


 風の音だけが響く。

 心無しかミーシュちゃんもまた、僕との戦いを楽しみにしているように見えた。


 そんな空気の中、僕は心の内を伝える。


「……僕は、君のママになるよ」


 それは宣言である。

 ミーシュちゃんの願いを受け取る了承ではなく、パパのことなんて忘れさせてやる、という此方の意思表示だ。


「わぁ、ほんまどすか?嬉しいなぁ、うち――」

「でも、一つ条件があるんだ」


 だから僕はミーシュちゃんの言葉に被せるように、鋭くそう言い放った。


「……。……条件、どすか?」


 首を傾げ、やや不満げな様子のミーシュちゃん。

 しかし聞く前から拒否するつもりはないらしく、僕の言葉を待ってくれていた。


「うん、条件。どちらかと言うとお願いなのかな」


「内容を聞かんと何とも言えまへん。会う度にハグくらいなら喜んでやりますえ?」


「――条件は二つ。一つ目はそれだ」


「増えましたな」


「増えてない。始めから二つって言ったし」


「……さよか」


 大事なのは勢いだと僕は知っている。

 押し通れば正義。


 僕は棚ぼた的に得た決め事に胸を弾ませつつ、さらに口を開いた。


「そして二つ目の条件。――それは誰かをパパと呼ぶ行為の禁止だ」


 これは僕のモチベと共に、箒君との約束にも関わる重要なルールである。

 もしこれを断られるなら、僕はママとしてミーシュちゃんと接することは出来ない。


 この条件を受け入れてくれれば、抱きしめ殺す必要も無いのだけれど――


「……そらまた厳しいなぁ」


――残念ながら、そうはいかないらしい。


 するとここからは、ミーシュちゃんに『カナエ』の魅力を押し付ける戦いとなるだろう。


 はっきり言って、普段の僕なら自分から女の子に抱きつくなど有り得ない。例えそれが幼女であってもだ。


 だが今の僕はあくまでも『カナエ』。

 ママと化した『カナエ』であれば、己の娘に抱きつくのは自然な行為である。

 むしろ娘にハグしない母親などこの世に居るだろうか?いや居ない。


 故に僕は、ミーシュちゃんに抱きつくのだ。


「…………ふぅ」


 僕は己の意志を固めるために、僕がこの場に立つ理由、そしてミーシュちゃんと向かい合う理由を一度整理する。


 目を閉じて、深呼吸。


 まず一つは僕の欲望だ。

 僕はミーシュちゃんにママと呼ばれたい……、が箒君がパパとか気持ち悪いので、理想の人間関係を築く必要があった。

 そのためにはミーシュちゃんが箒君がどうでも良くなるほど、『カナエ』に惚れさせなくてはならない。


 二つ目にこのゲームの勝利。

 シロエちゃんには申し訳ないが、おそらくこのまま彼女が戦い続けても、ミーシュちゃんを倒すのは難しい。

 従って、僕がミーシュちゃんを倒す必要があった。

 僕の場合はシロエちゃんと違い、一度でもミーシュちゃんの背後を取ってハグを決めれば、ミーシュちゃんは死ぬまで抵抗せずに僕の抱擁を受け続ける筈だ。

 勝ち筋は十分にある……、と僕は思う。


 三つ目に箒君を味方に引き入れること。

 『カナエ』がミーシュちゃんのママとしての立ち位置を確立し、箒君の「パパ呼びを止めさせてくれ」という願いを叶えることで、箒君は僕の正体を決してバラさなくなる。

 誰かが僕の正体を知れば、ミーシュちゃんに「カナエの正体は男だ」という情報が伝わる可能性が増すからだ。

 それはカナエママが終了すると同時に、再び箒君がパパと呼ばれる合図に他ならない。

 むしろ箒君は僕の正体を隠すことに協力してくれるだろう。


 つまりミーシュちゃんを後ろからハグして彼女の性癖をくすぐりまくり、『カナエ』の魅力に堕としつつ「誰もパパと呼ばない」という約束を取り付け、そして最後に…………絞め殺す。


 これで完璧なハッピーエンドへと僕は到れるのだ。


 ただ一つ、シロエちゃんの持つ僕への独占欲に答えられないことだけが心残りではあるが、しかし僕の愛は無限である。


 例え対象が増えたとしても、僕が一人一人に向ける愛が減ることは無いし、シロエちゃんの心配していた「ミーシュちゃんによる僕の独り占め」なんてことには決してならないので安心して欲しい。


 僕は目を見開き、ミーシュちゃんを見据えた。


「……行くよ、ミーシュちゃん。『カナエ』が最高だってこと、分からせてあげるから」


「……?……それはうち分かっとるで?」


 よせやい照れるじゃないか。


「も、もっと分かって貰う」


「そら楽しみですなぁ。……それよりこれ、普通に戦うんどすか?うちどうしたらええのか良く分からへんのやけど……」


「僕がママになったらどうなるかをミーシュちゃんに教えてあげるだけだよ。まぁ戦いといえば戦いだから、もし満足出来なくて僕を殺したくなったのなら殺せばいい」


 僕も最終的にはミーシュちゃんをキルするつもりだし。

 僕の目的は戦闘とは少し違うが、しかし勝利を狙っていることに変わりはなかった。


 さぁ、勝負だ。


 

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



「カナエさん、勝てるでしょうか……?」


「……正直、シロエは難しいと思うよ。ミーシュちゃんは本当に強いから」


 イノリとシロエの二人は、カナエ達の話し声が全く聞こえない程度には距離を取り、そしてこの戦いの行く末を見守っていた。


 光の玉はカナエとミーシュを正面にしており、当然視聴者たちの注目もそちらに向いている。


【『拳神』とカナエちゃんのバトルか】

【順当に行けば『拳神』が勝ちますかね】

【でもカナエって何やらかすか分かんないからな】

【ぶっちゃけ読めねぇ】

【頑張れカナエさん……っ!】


 その内容は主に、予想と応援。


 しかし流石のカナエも今ばかりはコメント欄に目を配る余裕はないようで、そのコメントに対するリアクションは見られなかった。


「……始まります」


 ミーシュが構えたのを見て、イノリは戦いの予兆を読み取る。


 イノリ達の知る由はないがその言葉は実に正確で、イノリの呟いたタイミングはまさに、カナエとミーシュが互いに意識を集中させた瞬間であった。


「……?」


 しかし、カナエは動かない。

 いや動いてはいるのだが、その動作は攻撃と防御のどちらにも当てはまらない僅かな所作のみで、イノリはその意図を掴めなかったのだ。


 両手を開いて構え、まるで「僕の胸に飛び込んでおいで」と言わんばかりである。

 少なくとも戦いの最中に行うような姿勢ではない、とイノリは思った。


「一体カナエさんは何を……?」


【あれは……『不知火型』じゃねぇか……っ!!】


 そんなイノリの疑問を解決したのは、博識者の集まるコメント欄だった。


「……え?え?なんです、それ」


【相撲における『横綱土俵入りの型』の一つだ。相撲取りが本場所での土俵入りのときに取る動作で、本来戦闘に使うものでは無いんだよ。ただその型を極めると攻守一体の最強の構えになる……、なんて噂を聞いたことがある。やや膝の曲りが緩いが、カナエちゃんのあれはどう見ても『不知火型』。それを戦闘に用いるなんて、カナエちゃんは何者なんだ……っ!?】


「????……と、とにかく凄いってことですか?」


【その通りだ。底が知れな過ぎるぜ、カナエちゃん……】


「し、知らないけどカナエお姉ちゃん凄い……っ!!」


 と、大興奮の一同だが、その実態は『さぁミーシュちゃん!まずは正面からハグしよう!!』であることには誰も気づかなかった。


 付け加えるなら、カナエは相撲の型なんて知らないし、一切やったこともない。


【流石の『拳神』でもこれはキツ過ぎるだろ。どう対応するんだ……?】


 構えの段階から戦いのハイレベルさを感じ取った視聴者たちは、続いて『拳神』の反応に意識を向ける。

 こんなのどうしようもないのでは……?と感じる者すらいる中で、しかし『拳神』の行動選択は一瞬だった。


「と、飛び込みました!!ミーシュちゃん、カナエさんに真っ直ぐ飛びかかりましたよ!!」


【正面突破か!!】

【小手先の技は使わないってことですね】

【まだカナエのことを舐めてんのか?】

【後悔させてやれ、カナエ!】


「凄い!!カナエさん、ミーシュちゃんをがっつりキャッチです!わ、私も分かりますよ!あれ鯖折りって技ですよね!?こう、ギュッてやるやつですよね!?」


【ああ、間違いねえ】

【凄いよカナエさん、『拳神』相手に……】

【やっちまえ!!】

【あの技は一度決まったらそうは外せない】


――抱っこしているだけである。


「ああ……っ!抜け出されてしまいました……っ」


「凄い。ミーシュちゃん、あんな技の対処法も知ってるんだ……」


【くっ、『拳神』はそこまで甘くねぇか……っ】


――満足して離れただけである。


「こ、今度はミーシュちゃんを持ち上げてグルグル回ってます!あれは何の技ですか!?」


【おそらく『ジャイアントスイング』の亜種だろうな……】

【あれは『拳神』でもタダじゃ済まないぜ】


――くるくる回りながら、たかいたかいしているだけである。


 そんなこんなで数分が経過し、イノリ達のボルテージは最高潮に向けて高まりつつあった。

 ついには誰も知らぬような技(おんぶして駆け回った)も登場し、カナエの実力を疑うものは誰一人として存在しなくなる。


 そして二人の勝敗予想の比率が五分五分程度になった頃、この激しい戦いにも一つの大きな山場が現れた。


【マジかよ……。『猪木アリ状態』、だ……】


 カナエが座り込み、左手でかかって来いと挑発して見せたのだ。


「い、『猪木アリ状態』……?」


 言葉の意味を理解出来ないながらも、恐ろしい戦法であるということを感じ取ったイノリは、声を震わせながらその単語を読み上げる。


【自ら地面に倒れ込むことで、相手を強引に寝技に持っていく戦法の一つだ。立ち技に長けたプレイヤーと、寝技に長けたプレイヤーが戦うと偶に発生するとは聞いていたが……、まさかこんなところでお目にかかれるとは思わなかったぜ】


【通常のそれよりもやや上半身の起き上がりが目立つが、推測するにカナエのアレンジと考えて間違いない。……あれは何か企んでやがるな】


【恐らくここで決まりますよ。この勝負】


 そんなコメントを見て、イノリとシロエはゴクリと唾を飲み込むのだった。












『僕が椅子になってあげるから、足の上に座っていいよ?』


『わぁ、うちそれやって貰いたかったんやぁ』

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