第36話 ママも悪くないかなって @5


 ニヤリと口を歪めた箒君が、僕を見つめる。


「おいカナエさんとやら。お前――」


 ヤバいヤバいヤバいヤバい。


 何がヤバいって、箒君の声が配信として流れているのがヤバい。

 いや実際のところ何から何までヤバいけど、しかし僕の社会的地位に致命傷を与えるのはそれだった。


 僕の人間生活を守るためには箒君を黙らせるしかないく、そして箒君を黙らせるには箒君をぶち殺すしかない。


 普通に考えて絶望的だ。


 ただ一つ運が良かったことを挙げるのなら、それはピンチによってか僕の頭が冴えていて、最善手を一瞬で判断出来た点だろう。


「喰らえ……っ!」


 僕は掴まれていた右手を、押し込むのではなく引くことによって箒君の手を振り払い、ストレージに仕舞っていたグレネードを取り出した。


 武器が無くともグレはあるのがこのルール。


 僕は躊躇なく口でピンを引き抜き――


「……っ!マジかお前……っ」


――己の身を犠牲に、箒君を爆風に巻き込んだ。


 僕の拳によってHPを削られていた箒君は即死し、僕もまたシールドを手に入れられてなかったためHPは全損。


 つまり僕と箒君は、二人まとめて死に絶えた。

 僕の正体をお茶の間に届ける訳にはいかないのだ。



☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



 冷え切った空気に包まれた、薄暗い空間。

 出口は遥か先に見える大きな扉が一つあるのみで、視界を得るための光もそこからしか入らない。


 未知の金属で作られた壁は、まるでこの場の雰囲気に合わせたかのように冷たくて、この空間の不気味さをいっそう引き立てていた。


 ここは収容所。


 デスしたものの、味方がまだ生き残っているプレイヤーが転送される建物だ。


「おい星乃」


 僕の左手には、鎖と繋がれた手錠が掛けられており、自力での脱出は不可能。

 この手錠と鎖はVRだからこそ存在し得る、所謂いわゆる「破壊不能オブジェクト」と呼ばれるものだった。


 この収容所から外へ出るには、味方の助けが必要となる。


「てめぇこら返事しろ。お前星乃だろ」


 僕は自由になっている右手を用いて、ストレージを開いてみた。

 見れば戦う為に僕が集めたアイテムはごっそりと消え失せており、中身のほとんどは空になっていた。


 ちなみにそれらのアイテムが何処へ行ったのかと言えば、その答えは僕の死亡地点であり、デスすると所持していたアイテムをばらまいて消滅するのが、LoSの仕様なのだ。


 そんな中、僕の手元に唯一残っていたのは「ストレージの先頭」に置いていた、フラッシュグレネード。


 これはデスして収容所送りにされても、「手に持っていたアイテム」か「ストレージの先頭に置いていたアイテム」の一つだけは所持し続ける、という救済措置によるものである。


 『武器なしノーウェポン』という特殊ルール故に僕はフラッシュグレネードなんて物を所持していたが、この救済措置は「手に持っていたアイテム」が最優先される為、公式ルールだと何かしらの武器を持ち込むことが多い。


 弾薬は持ち込めない為に即戦闘可能とは行かないが、しかし仲間からそれを分けてもらうことで、復活と同時に殺しかかる行為――リスキルを多少防げるという訳である。


「おい、無視すんな星乃。聞こえてんだろ」


 僕は無言でフラッシュグレネードを投げ込んだ。


「うごぉあ!?!?目が!!目がぁぁ!!!」


 さてどうしたものか、と僕は悩む。

 この収容所から逃げ出すには、イノリちゃんかシロエちゃんの手助けが必要不可欠。


 しかしシロエちゃんは、ミーシュちゃんとの戦闘で手が離せない筈だ。

 そうなると、イノリちゃんが僕の元に駆け付けてくれることを祈るしかあるまいが、果たして一人で行動して無事この収容所まで辿り着けるだろうか、と不安になる。


 僕は再び右手を動かして、今度はホログラムを映し出した。


 そこに映るのは、イノリちゃんを背後から俯瞰した映像である。

 デスしたプレイヤーは味方の動きを観戦することが可能で、つまりはある程度戦況を掴めるのだ。


 勿論シロエちゃんの様子を見ることも出来るが、今はイノリちゃんの方が重要だと考えて、僕はイノリちゃんの状況を把握すると決めた。


 どうやらイノリちゃんは僕を助けるために、此方に向かってきてくれているようである。


「て、てめぇ……。いい度胸してんなコラ……」


 正面から怒りの声が聞こえてくる。


 僕は、向かいの壁で僕と同じように鎖で左手を繋がれた、そのやけにうるさいよく知らない人に目を向けた。


「あの、少し静かにして貰えませんか?さっきからうるさいですよ」


「星乃ぉぉ……、お前いい加減にしろや……っ!!」


 星乃?はて。

 誰のことだろう。


「何の話ですか?私は星乃なんて人知りませんよ」


 僕はしらばっくれることにした。


 どうせ証拠なんてないのだから、僕が変なことを言わない限りバレはしない。

 いくら僕でも、そう簡単に己の正体を明らかにしてしまうような発言は――


「祈祷が知らない男と登校してたぞ、昨日」


「は?誰だそれオイ詳細教えろぶっ殺してやる」


「嘘だ」


「………………」


「………………」


 ……これだから、天才ってのは嫌になるぜ。


「お前っておぞましい程にバカなんだな」


 まぁ天才相手に、これ以上知力で挑んでも仕方がないのは事実である。

 知能が平均よりもやや低い僕が、箒君に言葉で勝とうなどとは初めから無理な話だったのだ。

 

 ここは奴の実力を認めて、被害を最小限に留める交渉に入るべきだろう。

 幸い今回の配信では光の玉をイノリちゃんに預けていたため、ここでの会話は僕らだけのものである。


「……さて。何が目的なんだい、箒君」


「……いや別に目的なんてねぇよ。急にゲームの枠を越えた殺意向けられたら、誰でも気にすんだろ相手の正体」


 それはそうだ、僕は納得。

 箒君は呆れ顔を浮かべながら、僕を見つめていた。


 おそらくは「僕」が中にいるということを認識した上で、このカナエというアバターに改めて目を向けているのだと思う。


「……じゃあ僕の正体をバラしたりはしないの?」


「そんなことしても俺にメリット無いし。……まぁドン引きはしてるけどな。それ趣味か?」


「あー、うん、一応……?祈祷さんにフラれたときに勢いでなんかね。今考えると僕もどうしてこんなこと始めたのかよく分からない。ホント何してんのかな僕……」


「バカの行動は俺にも分からねぇな……」


「そっか……」


 やっぱり僕ってバカなのかな。

 普通の人はフラれても美少女Vtuberになったりはしないもんね。


 あのときは現実逃避やらで不安定な精神状態ではあったけれど、とはいえ僕は己の異常性を不安に思う。


「ところで星乃、その女声はなんだ?アバターの声帯はリアルから弄れねぇ筈だし、LoSにボイスチェンジの機能は無いよな」


「あ、これ普通に僕の声だよ。リアルでも出せる」


「マジかよ……、きめぇ……」


「おい」


 箒君に、いつかの道幸に似たげんなりとした表情を浮かべられて、僕は複雑な心境になる。


 そんなに嫌か僕の女声……、と僕は真顔で愕然とするが、箒君は構わず言葉を続けていた。


「最近LoS内でボイチェン出来るコードを作った連中がいる、っつー噂があったから、てっきりそれかと思ったんだけどな……」


 LoS内でボイスチェンジ。


 その情報は僕にとっては初耳で、やや驚かされるものだった。

 LoS運営はチートに対して厳しいのと同時に、プレイヤー側からの機能拡張を徹底的に排除することで知られているのだ。


 それもまたチート対策の一つとは聞くが果たして。

 

「へぇ。でもそれ、運営的には良いのかな?」


「……さぁな。推奨はしてねぇんだろうけど」


 正直声が変わったくらいでゲームに影響が出る訳もないし、特に気にすることでもないかな、とも僕は思うけれど。


 僕はチラリと、イノリちゃんを映したホログラムに目を向ける。ここに辿り着くにはもう少し掛かりそうだが、しかし順調に進んでいるようだった。


「つーかさ、また話は変わるがさっきのはなんだ?」


 ふと箒君が、改まって僕に問いかけてくる。


「さっきの?」


「ほら、僕の家庭がなんだのと……。もしかしてミーシュに、ママになってーとか言われたか?」

 

 それを聞いて、きっと僕が箒君をぶん殴ったときに放った言葉についてだ、と僕は気づく。


「うん。ミーシュちゃんのママになれるかも、って興奮してたのに箒君がパパだなんて呼ばれてさ。吐き気と殺意が止められなかったんだ。ごめんね」

 

「……あ、そう。まぁこれ殴り合うゲームだし、別に謝んなくて良いけどな」


 正直ゲームとか関係なくぶん殴った僕としては、やや申し訳ない心情。


「でもそれはそれとして、ミーシュのママなんて止めとけお前。星乃は知らねぇと思うが、アイツの年齢は――」


 と、ここまで話したところで、突如、箒君は何かを思いついたような表情を浮かべて口を噤んだ。


 その表情をどう説明するかは少し悩ましいが、端的に言えば「悪い顔」。

 いやぶっちゃけ箒君は割と普段から悪そうな顔をしているけれど、しかし今のは明らかに悪巧みしている顔だった。


 僕は少し薄気味悪く思いながらも、その言葉の続きを待つ。


「……分かるぜ、星乃。ミーシュって可愛いよな。アイツのママになりたい気持ちも理解は出来る」


「え?……う、うん」


 なんだコイツ、さっきと言ってることが違うぞ。


「『ママ』。良い響きじゃねぇか。正直お前には向いてると思ってたんだよな、ママ。確かアイツ(VR内では)10才だろ?娘としちゃ一番可愛い時期だ」


「そ、そうだね?」

 

「あぁそうだ。是非アイツのママになってやってくれ。で、ついでに――」


「?」


「――『僕は男が苦手なの。だからパパなんて要らない』って言ってやれ」


 その箒君の言葉を聞いて、そゆことね……と僕は察する。


 要するに箒君は、20歳幼女にパパと呼ばれる現状が嫌なのだ。

 呼ぶなと言ってもパパと呼んでくるミーシュちゃんに困っていた箒君は、僕を利用してパパ脱却を狙うつもりらしい。


 そしてその為に、ミーシュちゃんの実年齢を僕に隠したと。


「なんか上手く使われるみたいで嫌だなぁ……」


「もし上手くやってくれたら、俺がお前の正体をバラさないって保証になるぞ?なんたって、お前が男だとミーシュが気づいた時点で、この作戦は無意味になるからな」


「んー、なるほど」


 ミーシュちゃん以外――例えばシロエちゃんが僕の正体に気づいたとしても、その情報はミーシュちゃんに伝わるだろう。


 つまり僕の正体を隠すメリットが、箒君にも生まれるという訳だ。

 結果的に心強い味方を得られることになる。


 これは乗るしかない、と僕は判断した。


「おっけー任せて。……でもその作戦を上手く行かせる為には、僕のママとしての魅力が、箒君のパパとしての魅力を大きく上回る必要があるよ?それこそ『パパなんて要らない』って思わせるくらいに」


「安心しろ、俺はミーシュとの付き合いは長いから、アイツにとっての理想のママを知っている。それこそ10年以上前からの知り合いだ」


「それミーシュちゃん生まれてる?」


「3年くらい前からの付き合いだったわ」


 ミーシュちゃん(10才)は設定上、十年前には生まれていない。


 箒君も大概抜けてるとこあるんだなって僕は思う。

 そもそも10才の女の子と長い付き合いってのが問題だけどな。


 しかし何事も無かったかのように喋り続ける、その胆力は恐ろしかった。


「いいかよく聞け、今から俺は星乃にミーシュの性癖を伝える」


「幼女相手になんて情報を得てんだお前」


「うるせぇ黙れ」


 なんか逆ギレされた……。


 辻褄合わせるのを諦めた箒君は、もうヤケクソ気味に苛立ちの声を漏らす。「クソが……、あの女の設定メンドくさ過ぎんだろ……」という呟きは、この収容所の静けさのお陰かギリギリ僕に届いてきた。


 確かに面倒だよね、10才幼女(20歳)と7才幼女(高二)の姉妹とか。

 僕は二人の年齢を知らぬ存ぜぬを通すだけなので問題ないが、もし僕が箒君の立場だったらとっくに諦めている。


 幾らか愚痴を溢した後、僕へと意識を戻した箒君はその性癖とやらを話し出した。


「いいか、まず後ろから抱きつけ」


「ふむ」


 これは妥当ではある。抱擁ほうようとはママっぽい気もするし。


「で、そのまま全力で強く抱きしめて――」


「……抱きしめて?」


「――絞め殺せ」


「絞め殺すの!?」


「ああ。強く抱き殺されたいらしい」


 もしかして20歳って性癖をこじらせる年齢なのか、もしくは強者ゆえの被虐願望なのか。

 とにかく絶望的に癖が強い。


「大丈夫だ俺を信じろ。これで間違いなくアイツはお前にメロメロになる。23回語られた夢だからな、信憑性は高い」


「23回もこんな頭の悪い妄想を語られたんだ……」


 僕は過去の箒君を不憫に思いながらも、これからその妄想を現実のものに変えねばならない己に、絶望を感じるのだった。


――ゴゴゴッ……


 丁度。


 僕らの会話が纏まったタイミングで、収容所の扉の開く音が響いてきた。

 この収容所にいるのは僕と箒君だけなので、おそらくはイノリちゃんが来てくれたのだろう。


「カナエさーん。居ますかー?」


 案の定、イノリちゃんの声が聞こえてきた。


「イノリちゃん、こっちこっち」


 僕は特に捻りもなく返事をする。


 障害物もないこの建物内では、イノリちゃんが僕を見つけるのも一瞬だ。

 イノリちゃんはやや安心したような顔をすると、僕の方へと駆け寄ってきて、そのまま僕に掛けられた手枷に手を伸ばした。


 そして手枷に触れた瞬間、その手枷は光の粒になって消滅したのだった。


「もう、驚きましたよ。急にグレで自爆なんて……」


「あはは、ごめんごめん」


 僕は自由になった左手をグルグルと回して調子を確認してみるが、もちろんVR内で身体の不調などある筈もなくて、問題なく動く。


 ふと正面を見ると、イノリちゃんが手を差し出してくれていることに気づいたため、僕はその手を借りて立ち上がった。


「――ありがと、イノリちゃん」


「いえ。……それより急ぎましょう。あとどの程度シロエちゃんが持つか分かりません」


「そうだね」


 なんて、僕はイノリちゃんと会話をしながら、箒君に軽く目線をやって互いに頷き合った。

 まるで「任せたぞ」、なんて声が聞こえてくるようである。


 しかし僕が箒君が仲良くしている様子をイノリちゃんに見せるものおかしな話だと考えて、僕はそれ以上箒君と意思疎通をすることなく、収容所の外へと出た。


 数分ぶりの、明るい日差しが気持ちいい。


「こっちですよ、カナエさん。走ります」


「うん!」


 光の玉を構えたイノリちゃんは、変わらずクールな様子である。


 ただ少し、イノリちゃんがわざと箒君と目を合わせないようにしていた気がして、不思議に思う僕がいた。

 二人に何か関係がある筈もないし、気の所為だとは思うけれど。


 僕は頭を切り替えて、走り出した。

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