第34話 ママも悪くないかなって @3


「……姉、さん」


 そんなシロエちゃんの呟きが聞こえてくる。


 僕は、僕らを上空から見下ろす人物――『拳神』の容姿と実年齢の大幅なズレに、頬を引き攣らせながらも、警戒を怠ることはしなかった。


 彼女には何をされるか分からない恐ろしさがあったのだ。


 『拳神』は僕らの反応に一頻ひとしきり満足したのか、薄らと笑みを浮かべると、タンと岩から飛び降りて僕らの目の前へと着地。


 そして――


「わぁ、もう白江ちゃんってば元気やったかぁ?うち全然会えんからずっと心配しとったんや」


「……あー、はい元気。元気だったから離れて…………マジで」


――流れるような足捌きでシロエちゃんに近づき、いつの間にか頬擦りしながらハグをしていた。


 LoS内では基本的にプレイヤーの足の速さは一律であり、リアルにおける脚力の影響は受けない。

 従ってプレイヤーの移動速度に対して、速い遅いなどという概念は存在しないのだが、僕は今確かに彼女の移動を「速い」と感じた。


 歩法か何かの影響なのか、底知れない幼女である。


 彼女の容姿は、シロエちゃんをやや成長させたようなイメージが近い。

 髪色はシロエちゃんと同じ赤みを帯びた茶色だが、長く伸ばしたシロエちゃんとは異なり首元で切り揃えているため、ほんの少し大人びた雰囲気に思えた。


 そして更に彼女の特徴を付け加えるなら、細目であることが挙げられる。


 これは僕の勝手な考えだが、「細目のキャラは100%強い」と思っているため、もう彼女の目を見た瞬間に強いんだろうなと僕は察していた。


 二人は久しぶりの再会を楽しんでいるようで――いやシロエちゃんはそうでもないが。


 ともかく和気あいあいとした様子の二人であったが、しかし僕らの居るこの場所は、いつ攻撃されても文句を言えない戦場である。


 僕は彼女らに水を差すことに申し訳なさを感じつつも、声をかけることにした。


「あの……シロエちゃん?」


「あ?何?……あ違う。――はいです!どうしましたかカナエお姉ちゃん?」


 あ?ってシロエちゃんマジか。

 イノリちゃんが驚いて固まってるよ。


 もう完全に黒河さんのリアクションそのものだったけど、しかし僕は気にしない。

 僕の目の前にいるのは、可愛い妹シロエちゃんなのだと己に言い聞かせて、僕はそのまま言葉を続けた。


「その子が、シロエちゃんのお姉さん?」


「……あー……。はいです。シロエのお姉ちゃん、です。……一応」


 何やら煮えきらぬ返事をするシロエちゃん。


 おそらくリアルの人物との関係を知られることによって、自分の年齢がバレる危険を恐れているのだと思うけれど。


「……?」


 ふと、僕は『拳神』に見つめられていることに気づいた。


 僕とシロエちゃんが言葉を交わしたことで、『拳神』の意識が僕に向いたらしい。

 ただその瞳は大きく見開かれていて、まるで何かに驚いているかのようだった。


 僕は、カナエのアバターに何かおかしな部分でもあったのかと不安になるが――


「…………綺麗な、お人やぁ……」


――その言葉を聞いて杞憂だと知る。


 綺麗、とはまた言われ慣れない褒め言葉であり、僕は少し恥ずかしくなるのを感じた。

 男としてそれで喜ぶのも如何なものか、なんて思いもあるがついつい僕の頬は緩んでしまう。


 だがそんな幸せでほわほわした気分は、一瞬にして消し飛ばされた。


「……何言ってるの?ミーシュちゃん」


 かなりキレ気味の、シロエちゃんの声によって。


 おそらく「ミーシュ」とやらが『拳神』の名前なのだろう。


 シロエちゃんは睨み付けるような雰囲気のまま、ミーシュちゃんに向けて敵意を告げていく。


「ダメだよ?カナエお姉ちゃんはシロエのお姉ちゃんなの。あとから出てきて手を出そうなんて――絶対に許さない」


「独占欲の強い子やねぇ。ええやん、うちも混ぜてぇや。……そも、それ決めるのはそのカナエはんやろ。白江ちゃんの口出すとこちゃうで?」


 途端に流れ出す、険悪な空気感。


 なんだこれ、僕のせいか?

 僕が可愛すぎるが故の争いなのか?

 申し訳ねぇ、僕が可愛すぎるばっかりに。


「カナエはんカナエはん」

 

 と、罪悪感の濁流に身を落とした僕であるが、ミーシュちゃんに声をかけられて目を覚ました。

 正直なところやや調子に乗っていた気もするけれど、まあそんなことはどうでも良い。


 僕は二人の仲を取り持つ為に、ミーシュちゃんと言葉を交わさねばならないのだから。


「なに?どうしたの?えと、ミーシュちゃん……だよね?」


「はいどす。うちミーシュ言います。そんであの……いきなりで申し訳あらへんのやけど、うちの少し身の上話してもええやろか?」


「え?あ、うん……」


 ほんとにいきなりだな、と僕。


 まだこちらは名乗ってすらいないのに、初っ端から身の上話が飛んでくるとは思わない。


 ミーシュちゃんはまるで演劇の一幕をなぞるかのように、胸に手を当てながら大仰に語り出した。


「うちな、母からの愛……ってのを知らんねん」


 うわ、しかも重い話っぽいぞこれ。

 初対面で母の愛とか言われても困る……。


 ちなみにそんな僕らの横でイノリちゃんは、わたわたしながらも空気読んで配信を止めるか悩んでいた。


「ほんま小さい頃にな、急に両親が別居する言い始めたんや。うちも白江も嫌や嫌やと泣き叫んだんやけどね……。あん人ら二人の意思は固かった」


 深刻そうな表情と声色で、ミーシュちゃんは言葉を紡ぐ。


「う、うん」


「結局、おとんはうちだけを連れて家を出た。白江とおかんは置き去りにして、そのままさよならや。永遠の別れかもしれへんそれは、幼いうちにとってはえらい悲しいもんやった」


「そっか……」


「せやかて、おとんがその分可愛がってくれた訳でもあらへん。おとんも忙しい人で……、うちはずっと一人や。そりゃもう、寂しくて寂しくて……」


「大変、だったんだね……」


 僕もまたミーシュちゃんに合わせて、暗い表情を浮かべていた――が、実際のところどんな表情をするのが正解なのか全く分からなかった。


 なぜならシロエちゃんが僕の後ろに回り込み、僕にだけに聞こえる程度の声量で、ミーシュちゃんの言葉に注釈を入れてくるのだ。


 「お仕事で仕方なかったの」、「お父さんとお母さんは今でもラブラブ」、「お母さんとミーシュちゃん頻繁にLINEしてる」、「休みの日によく会うけどね」……と。


 ホントどんな顔をしたら良いのか分からない。

 笑ったら不味いのは分かるけども。


「……そんでお願いなんやけどな、カナエはん」


「……あ、はい。なんでしょう」


 僕は慌ててミーシュちゃんと目を合わせる。

 おそらく、ここからが本題なのだろう。

 

 ミーシュちゃんはスっと僕に近づき、僕の右手をその幼い子ども特有の柔らかい手で包み込むと――


「……うちのママになって?」


――また意味わからんことを言い始めた。


「で、甘えさせて?」


 ドストレートかよ。


「うちまだ10才なんや」


 嘘つけ20歳。


 というかシロエちゃん、姉は12才って言ってなかったっけ?……とチラリと視線をやると「シロエ、数字まだわかんない。9の次は12なの」と弁解されたからもうどうでもいいかなって。


 僕はミーシュちゃんに返事をする。


「僕、ママって年齢ではないよ」


「それがええんや」


「あ、そう……。ちなみにそこに、僕よりも可愛いイノリちゃんって人が居るけど」


「うちはクールなママは好きちゃう。イノリはんには興味ない。カナエはんみたいなチョロ――抜けてる感じが好きなんや」


「え?ねぇ僕ってチョロそうなの?そんなにチョロそうに見えるの?」


【見えるね】

【チョロいよ】

【ビーストスキン全種公開した奴が何を】


 くっ、一体何処でイメージ戦略を間違えたんだ。


【あと関係ないけどイノリさん隅で泣いてるよ】


 ごめんイノリちゃん、そりゃ脈略もなく興味無いとか言われたら傷つくよね。不用意に話を振るべきではなかった。


 そんな後悔に後悔を重ねる僕の背後からは、黒河さんの呪詛の篭った独り言が僅かに聞こえてくる。


「……クソ巫山戯んなよマジで。やっぱすぐに逃げるべきだった、どうせこうなるの分かってたし。ああもうどうするよウチ、このままだとカナエお姉ちゃんを奪われて終わるんだけど。嫌だ嫌だ絶対嫌だ。何か策を考えなきゃ。まだカナエお姉ちゃんは返事をしてないし方法はある筈。どうすれば良い?会話の隙を与えずに、カナエお姉ちゃんと姉さんを引き離す方法。……。――ああ、姉さんを殺せばいいのか。ただウチが姉さんに勝てるかが問題だけど……冷静に考えて絶対に無理だ。いやでもそれしかない。カナエお姉ちゃんの為に、ここで勝たなきゃ。負けたらカナエお姉ちゃんが奪われる。やるしかない。……殺す殺す殺す、絶対に殺す」


 …………。


 ……まぁこれ、殺し合うゲームだしね。

 何も間違っちゃいないんだけどさ。


 確実に場が混沌とし始めたのを、僕は感じていた。


 そんな中、僕は一つの疑問が頭に浮かぶ。

 それはミーシュちゃんの仲間についてだ。


 今僕らが参加しているのは、三人一組で戦う「バトロワモード:トリオ」であり、普通に考えればミーシュちゃんにも二人の仲間がいる筈である。


 しかし彼女は一人。


 既にやられてしまったと考えれば不思議でもないが、しかし『拳神』とまで呼ばれる人物が、そう易々と仲間を失うとは考えにくかった。


 素直に問うてみることにする。


「ミーシュちゃん、仲間はどうしたの?」


「仲間どすか?うちが敵を倒してるのを見て、「ん?ゲーム間違えたか?」って抜けていってしまいましたわ」


「なんてこったよ……」


「でももう一人の仲間はもう少ししたら来ますえ。そっちのは知り合いやさかい」


「了解……」


 強すぎるのも考えものなんだなと僕は思う。


 一応僕も公式ルールで世界最強ではあるけど、やはり殴り合うのに比べると見た目として分かりやすい強さでは無いため、『一叶』は『拳神』ほど有名にはならないのだ。


 銃撃の場合はSNSで自ら戦績を公開でもしない限りそこまで目立ったりもしないし、そもそも僕の場合はチートを疑われることの方が多かった。


 LoS運営のチート対策やチート判定が完璧だからこそ問題ないけれど、運営が違えば誤BANされてもおかしくはなかったので、LoSの運営様には感謝してもしきれない。


 話が逸れた、閑話休題。


 僕とミーシュちゃんが会話をしていると、ふとシロエちゃんが僕らの間に入り込んできた。


 その表情は険しくて、僕は初めにミーシュちゃんから感じ取ったオーラと似たものを、シロエちゃんに見る。

 おそらく姉を殺しにかかる覚悟を決めたのだろう。


「……ミーシュちゃん」


「わぁ、なんや白江ちゃん。怖い顔してどないしたの?お腹痛いんか?」


「今からシロエは、ミーシュちゃんを倒します」


「?なんや急に。面白いこと言うなぁシロエちゃんは。シロエちゃんがうちに勝てるわけないやろ」


「勝つよ。絶対」


「……へぇ」


「シロエが勝ったら、カナエお姉ちゃんには手を出さないって約束して」


「なんでや。二人で一緒に仲良くすればええだけやろ?」


「……いつもそう言って、二人のものも独り占めしてきたでしょ」


「そうやったか?」


「そう。なんだかんだ言って、結局自分のものにしてた」


「そかそか……。まぁええよ。どうせうちが勝つし」


「……精々、舐めてかかるといいよ。後悔するから」


「あのごめんね、二人とも凄く真面目な話をしてるのは分かるし僕も邪魔したくはないんだけど、話しながら僕に抱きついて奪い合うのはやめて欲しいかな。実はこのゲーム、ハグにもダメージ判定があってさっきから僕のHPがゴリゴリと削られててヤバいんだよね、というかマジで離してホント死ぬからヤバいヤバいヤバいヤバい」


 シリアス展開の横で、何故か致命傷を負う僕。


 おそらく彼女らにとって重要人物に当たる僕が、今このタイミングで消えるのは不味いかと思う。


 あまりにも二人が強く抱きつくものだから、所謂いわゆるベアハッグとか鯖折りみたいな攻撃技の判定になっているのだ。


「ご、ごめんなさい」


「わぁ、堪忍な」


 二人は謝りながら僕から離れる。


 味方同士でダメージは発生しないため、シロエちゃんのハグに関しては問題なかったが、しかしシロエちゃんには僕の体力ゲージが見えている。


 残り少ないそれに気付き、つい慌てて離れたのだろうと僕は思った。


 僕から少し距離を取ったシロエちゃんとミーシュちゃんは、気を取り直して向かい合う。


 『拳神』vs 黒河さん


 おそらく、僕が今までに見たことがない程に熾烈な戦闘が起こるのだろう。


「幼女の役割は妹だって教えてあげる」


「分かっとらんなぁ、白江ちゃんは。娘ポジションが最かわなんや」


「お姉ちゃんって呼ばれるのが一番幸せなんだよ?」


「ママの方がええに決まっとるやろ」


「「は?」」


 君ら何の喧嘩してんの?

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