第32話 ママも悪くないかなって @1


 僕は今カナエとしてLoSの街並みを歩いている。目的地は決まっており、進む先に迷いはない。

 今日はイノリちゃんと一緒に合同配信をする約束をしているのだ。


 しかも今回は僕とイノリちゃんの二人だけではなく、更にもう一人のゲスト――シロエちゃんも交えてプレイすることになっている。


 それ故に僕は、いつも以上に今日の配信を楽しみにしていた。


 まず僕はシロエちゃんと合流し、そのあと僕とシロエちゃんの二人で、イノリちゃんと待ち合わせたカフェに向かうという流れ。


 イノリちゃんとシロエちゃんは完全に初対面であるため、僕はこの順での合流に決めた。


「二人とも、仲良くしてくれると良いけど……」


 僕はイノリちゃんとシロエちゃんが、楽しそうに喋っている理想の光景を脳裏に思い浮かべながら、若干の憂いをポツリと呟く。


 イノリちゃんは大人だし、シロエちゃんも(演技上は)良い子なのでそこまで心配していないが、やはり不安な点もある。


 イノリちゃんがシロエちゃんを見て鼻血を噴かないか、とか。

 逆にシロエちゃんの化けの皮が剥がれないか、とか。


 アクシデントの数々を想定するとキリがないが、もうこれに関しては僕が気合いでサポートするしかあるまいと思う。


「今のうちに、出来るだけシュミレーションしとこ……」


 僕は己の幸福な未来の為であれば、どんな努力だって惜しまない。

 正直、そんな雑なシュミレートがどれほど当てになるのか、と疑問に感じるのが本音だけれど。


 あーなったらこう、こうなったらあーしよう、とかなんとか。


 なんてことを考えて、周囲への意識が散漫になっていた僕は――


「あたっ」


「おっと……」


――曲がり角で、男の人とぶつかってしまった。


 危ない……もし僕が食パン咥えてたら恋に落ちていたかも……、と自分でも意味分からない思考が一瞬頭を過ぎるが、その思考に何の意味も無いことは僕自身が一番よく知っているのでテキトーに流す。


 僕も相手も走っていた訳でもないので大した衝撃は無かったけれど、しかしこの事故の原因の半分以上は無駄な考え事をしていた僕にある。


「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」


 従って、僕は即座に謝罪をした。


「……いえ、お気になさらず。こちらも余所見をしながら歩いていた。申し訳ない」


 返ってきたのは、所謂いわゆる「仕事が出来そうな男の人」といった感じの声。

 そして僕が顔を上げると、その声に見合うインテリそうな好青年が立っていた。


 歳は20の半ば程度だろうか。

 カナエよりは勿論、リアルの僕よりも少し背が高いように思える。


「……?」


 ふと、何処か見覚えのある人物だ、と僕は気づいた。


 その男と出会ったことは絶対に無いのだけれど、どういう訳か記憶にある。

 一体何の拍子に見たのだったか、と僕がその男の顔に目をやっていると、


「代表、この子は確か……」


 男の後ろから、透明感のある女の子の声が聞こえてきた。


 それは僕も名前を知っている『ゼロライブ』所属のVtuber、『イブキ』だった。

 白い髪を特徴とする彼女は、ゼロライブ筆頭の人気Vtuberの一人である。


 本物のイブキさんが目の前にいる……と僕は驚くが、それと同時に『ゼロライブ』という単語と、イブキさんの発した「代表」という二つの単語は、僕の中でその男の正体を思い出す鍵となった。


――この人、ゼロライブ代表取締役の「須田すだ 達壱たついち」だ。


 それは先日、隠奏さんと四遠先輩の話を聞いた後に、個人的に調べて知った名前である。


 僕が目の前に立つ男の正体に気づくと同時に、須田さんもまたイブキさんの言葉によって、僕に対して何かを思い出した様子だった。


「ああ、君は確か……。カナエ君、だったか?」


 僕はゼロライブの代表に名前を覚えられていたことに驚きつつも、少し嬉しさを感じる。

 まだ二ヶ月も活動をしていない、新人であるカナエを知ってくれているとは思わなかったのだ。


 ある意味でVtuber界の頭と呼べる人物の一人に認知して貰えるのは、僕としても――


「――登録者数は4万程度だったと記憶しているが、合っているか?イブキ」


「はい。今現在の登録者数は41502人となっております」


 ……?


 なんだ、それ。


 いや別にVtuberの登録者数を気にするのは何もおかしくはないけれど、本人を前にして――それも本人を無視してまで話すべき内容なのか?


 そう感じるのは、僕が自意識過剰なだけなのか?


 怒ってもいないし不快と呼ぶ程のものでもなかったが、しかし僕の中に何かモヤモヤとしたものが生まれるのが分かった。


 その後ワンテンポ遅れて、やっと僕と須田さんは目を合わせる。


「……ああ失礼。私はゼロライブ運営会社の代表、須田という者だ。よろしくね、カナエ君」


「いえ、こちらこそ」


 僕はそんな不信感を表に出さないように気をつけながら、にこやかに返事をした。


「うん、それにしても素晴らしい成長ペースだね。これはゼロライブの名を使ったとしても、容易に歩める速さではない」


「……。ありがとう、ございます」


 僕に向けて微笑みながら、称賛の言葉をくれる須田さん。

 整った顔立ちであることも相まって、とても様になっているように思える。

 

 本来、いちVtuberである僕にとっては喜ばしい出来事である筈なのだが、やはりいまいち歓喜しきれない自分がいた。


「代表、お時間が」


「ああ、分かっている。……すまないカナエ君、私はこの後も用事があって長話は出来ないのだけれど――、とにかくこれからもぜひ頑張って欲しい。私も応援しているよ」


 そう話しながら、須田さんは握手を求めて僕に手を差し出す。


 僕は右手でそれを受け取り、「はい、頑張ります」と答えた。


 その間、須田さんの瞳は真っ直ぐ僕を見据えており、僕らの視線は完璧に交差していた。間違いなく交差していた。


 なのに、どういう訳か目を合わせている感じがしなかったのだ。


 この人は何を見ている?

 本当に僕を見ているのか?


 それこそまるで、僕じゃなくてカナエだけを見られているような感覚だった。

 

 

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



『実は僕、妹みたいに可愛い子と仲良くなれたんだ!今度イノリちゃんにも紹介していいかなっ?』


 と、これは先日、カナエちゃんが私に向けて話した言葉である。


 そのとき私は、妹みたいに可愛い子?いやいやカナエさんほど妹として愛らしい人は居ませんよ――という返事を漏らしかけた。

 しかしカナエちゃんが、私に対してそんな発言を求めている訳では無いのは容易に分かる。


 カナエちゃんが言いたいのは即ち、私にもその子と仲良くして欲しい、ということなのであろう。


 私の妹であるカナエちゃんが私に、妹として可愛がっている女の子を紹介してくるのであれば、それはもう私の新しい妹と呼んでも差し支えあるまい。


 故に私は、姉としての優しさと包容力をもってして、その「妹みたいに可愛い子」とやらを受け入れると決め、そして全力の愛を与えてみせようと心に誓った。


 そう、誓った。

 確かに誓ったのだけれど。


「この子が、僕が前に紹介したシロエちゃんだよ。可愛いでしょ?」


「シロエはシロエです!よろしくです!」


――まさか黒河さんが出てくるとは。


「7才です!」


――しかも7才として。


 神は私に何をこの状況をどうしろと言うのでしょう。


 何も分からないが、しかし黙って固まっている訳にも行かない。

 今の私は祈祷 神子ではなくイノリなのだから、驚くのは勿論、何かを察することすら許されなかった。


「はい。よろしくお願いしますね、シロエちゃん」


 私は動揺を隠しつつ、いつも通りに笑顔で挨拶を返した。


 黒河さんとは私もよく話す。

 まだそこまで長い付き合いという訳では無いが、しかし友人と呼べる程度には親しい……と私は思っている。


 そんな中で、私が黒河さんに対して抱いていたイメージは「比較的には常識人」というものだった。

 容姿こそ人並外れて幼いけれど、少しやんちゃな可愛い後輩、程度に考えていたのだ。


 にも、関わらず。


「ちゃんと挨拶出来て偉いね、シロエちゃん」


「えへへ〜」


 なんなのだこの光景は。


 どうして黒河さんは、幼女としてカナエちゃんに頭を撫でられているのだろう。

 ホント何処に常識を置いてきてしまったんですか、黒河さん。


「……っ」

 

 というか、羨ましい。


 彼女が本当に幼い女の子なのであれば、こんな感情が生まれるはずも無かったのだが、しかし彼女は私の一つ下である。


 いや、普通にズルいではないか。

 私もカナエちゃんにナデナデされたいのに。


「……?どうしたの、イノリちゃん」


「あ、いえ……。何も」


 私はつい羨望の色を滲ませていたらしく、カナエちゃんは不思議そうな顔を私に向けていた。

 慌てて誤魔化すが、正直上手く隠しきれた自信はなかった。


「――」


 まず私は考える。

 カナエちゃんはシロエちゃんの、本当の年齢を知っているのだろうか?……と。


 そして知っているはずがない、とすぐに答えを出した。


 私がシロエちゃんの正体に気付いたのは、奇跡的にリアルの彼女を知っていたからである。

 カナエちゃんが私と同じ学校の生徒である、という偶然でも無い限り、この真実を知る方法などない。


――つまりカナエちゃんは黒河さんに騙されている、ということになりますね。


 ここで問題になるのは、果たしてこの状況はカナエちゃんにとって健全なのか?という点。


 否。


 黒河さんのそれは、私が笑って見逃せる範囲を大きく超えていた。


 カナエちゃんの実年齢を私は知らないが、もしカナエちゃんが中学生だと仮定すると、「黒河さんという年上を相手に姉として振る舞わされている」なんて可能性すら有り得るのだ。


 これはカナエの姉として、許せない。


「ふふっ、私とも仲良くしてくださいね?シロエちゃん」


 私は、決めた。


 シロエちゃんの本当の年齢をカナエちゃんに気づかせてみせる、と。


 つまりはこれは、私の正体が黒河さんにバレない範囲で何処まで攻め込めるか、というチキンレースであると共に――


――姉の意地と誇りを懸けた、知略戦である。

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