第31話 仮想の宴は心を晒す @3


「………………道幸、ちゅー」


 ふと。


 隠奏さんの、そんな声が聞こえてきた。


 僕は何かと聞き間違えたのかと耳を疑うが、しかし僕の正面には、道幸に顔を向けて目を閉じる隠奏さんの姿がある。


 それは紛れもなくキスを待機する構えだ。

 

 つまり隠奏さんは道幸にキスを迫っているということになる。


 え、君らそこまで進展してたの?と僕は唖然とした目で道幸を見つめ――


「……は?」


――見つめたのだけれど、道幸のあのアホ面を見るにそんなことは無さそうだった。


 ああこれ、ただ隠奏さんが酔っ払って暴走してるだけだ。


「………………?」


 いくら待っても道幸からキスされないことに疑問を抱いたのか、隠奏さんは目を閉じたまま首をかしげる。


 その隠奏さんの様子を見て、道幸もまた首を傾げる。


 傍から見れば、互いに顔を合わせながら互いに疑問を抱いている、アホな絵面でしかない。


 隠奏さんは「どうしてキスしてくれないの?」と、道幸は「こいつは何を言ってるんだ?」と考えているのだろう。


 そしてそのまま約5秒が経過して、


「…………………私から行く」


 痺れを切らした隠奏さんが攻めた。


「ほわたぁ!?なななななんだいきなり!?ちょ止めろ……っ!!顔をこっちに寄せるな……っ!!!」


 道幸は隠奏さんの肩を掴んで抵抗し、ファーストキス(?)の防衛に全力である。


「くっ、なんで酔った勢いでキスしなきゃならねぇんだよ……っ!こういうのは夜の海辺とか、夕暮れ時の観覧車とかで……っ!」


「ふはっ……」


 意外とロマンチックな道幸の発言に、僕はつい笑いを堪えられなくなった。

 あの道幸がそんな思考を持ち合わせていたなんて、笑い草としては優秀が過ぎる。


 道幸の理想、一生叶わなければいいなぁ。


「…………ちゅ、ちゅう……っ!!!」


「嫌だ!!絶対に嫌だ……っ!!」


 二人の攻防は徐々に激しさを増していき、遂には周囲への被害も現れ始めるが、しかし黒河さんのアレと比べれば可愛いものである。


 なんたって僕が後ろから道幸の腕を抑えつけて、無理やりキスさせればそれで解決するのだから。


 とはいえ僕としても道幸のキスシーンなど見たくはないので、最後の最後まで手を出すつもりはなかった。


「平和だねぇ……」


「ですねー」


 僕の呟きに祈祷さんの声が返ってくる。

 それは酔いを感じさせない、平坦な声色であった。


「あれ?祈祷さん酔いは醒めたの?」


 僕は祈祷さんの声を聞いて、その可能性に気づく。


 さっきは唐突にハグしようなどとよく分からない発言が見られたけれど、もしかしたら幾らか時間を置いたことで回復したのかもしれない。


「どうでしょうか?自分ではよく分かりませんね」


「そっか。でも顔色は普通――」


「――ところで私たちもキスします?」


「醒めてないね。余裕で酔ってるね」


 むしろ悪化してるまである。

 ハグからキスに進んでるし。


 キスは付き合ってる人同士でやるもので、酔った勢いでしていいことじゃない、というのが僕の考え。

 好きな人に「キスします?」なんて言われてドキリとはしたが、真に受けるつもりは全く無かった。


 まして祈祷さんは僕のことが好きな訳でもないのだから、酔った流れでの僕とのキスなんて、嫌な思い出にしかならないだろう。


 祈祷さんの為にも、ここは理性で耐えるしかない。


「うん、ケーキ食べよ…」


 僕は煩悩退散とばかりに、性欲の代わりに食欲を満たすことにした。ここVRだから腹は満ちないけれど。


 ぱぱっと一つのケーキを平らげて、ある程度の平静を取り戻した僕は、祈祷さんと並んでまったりと二人の争いを眺める。


 キスしたい人vsキスしたくない人の戦いは、お菓子片手に楽しむエンターテインメントとしては、中々に高質なのではなかろうかと僕は思う。


「白熱してきたね」


「ええ」


 そんな感じに僕がお客様気分で居られた理由は、流石にキス由来の戦闘で死人は出ないだろう、と僕の中に余裕があったからだ。


 しかし。


「ぐ、ふっ……首を、絞めるな……っ!お前さては、俺の意識を奪った後に……っ!?」


「………………ただの人工呼吸」


 なんか雰囲気が変わり始めた。


「ねぇ祈祷さん、人工呼吸って人命救助の為に使うんじゃなかったっけ?キスの口実に使っていいの?」


「良いんじゃないですか?合理的ですし」


 合理的なら何をしても良い訳じゃない。

 酔うと合理性の鬼になるのはヤバいよ祈祷さん。


「あー、どうしようかなぁ……」


 僕は絶妙に対処に困る。


 このまま進むと、「道幸の死体の唇を貪る隠奏さん」などというとんでもない光景が生まれかねないが、かといって二人の輪に入りたくもない。


 また道幸の7デスも8デスも大して変わらないから放置したい気もするけど、隠奏さんの為にも今回は止めた方がいい気もする。

 ファーストキスがネクロフィリアなんて、彼女にとっても良いことでは無いハズだ。


 とても悩ましい。


 間接的にあの争いを止められればベストなのになぁ、なんて考えていると。


「ボクも……キスしたい気分だ」


 唐突に、僕の右側から新たなる地雷の声が聞こえてきた。


 今なんて?……と僕はその声のした方へ振り向き――


「……女の子と」


――そして更にボソリと続けられた一言に、口に含んでいたジュースを吹いた。


 一瞬にして僕の思考を無に帰してみせたその言葉の主は、予想通り過ぎるほど圧倒的に四遠先輩だった。


「あの、先輩……?」


「……キス、したいな……。出来れば金髪のミディアムヘアで胸が小さくて、かつ妹っぽさを備えている女の子とキスしたい……」


「それ、」


――カナエじゃん、という言葉を僕は全力で飲み込む。


 いや妹っぽさについては知らないが、少なくとも髪と胸に関しては完全に一致しているのだ。


 僕はカナエの姿で四遠先輩とは絶対に会わないようにしよう、と心に誓った。


「ああ瞳くん……」


 寒気に身をよじらす僕の脇では、目をグルグルと回した四遠先輩が、一心不乱に隠奏さんを見つめていた。


 どうやら比較的控えめの胸を持ち、かつ小柄な隠奏さんは四遠先輩の守備範囲に入ってしまったらしい。

 髪色こそ金とは違うものの、四遠先輩的に必要な条件は十分に満たしていたようだ。


 ああこれは不味い。

 捕食者側であるハズの隠奏さんが、たった今被食者に変わった。


 ただでさえカオスな現状が、致命的なまでに悪化してしまう。


「先輩、待ってください。一度落ち着きましょう」


「瞳くん……」


 ダメだ聞こえてない。


「くそっ、もうこの世界はおしまいだ……っ!」


「ねぇ星乃さん、私たちもキスしましょうよ」


「ホントにおしまいだ……っ!」


 あとキスは絶対にしない……っ!

 耐えろ僕の鋼の意思よ……っ!


 僕が苦悩の渦に溺れる中でも、問答無用で展開は進む。

 気づけば四遠先輩は、道幸と隠奏さんの方へと歩き始めていた。


「く、が…………ぶくぶくぶく(気絶)」


 あ、ついに道幸が落ちた。


「………………いただきます」


 それはキスする前のセリフではない。


「――失礼」


 と、横から現れた四遠先輩が、道幸に顔を近づけようとしていた隠奏さんの顎を持ち上げる。


 それに対して、隠奏さんは苛立った表情。


「………………何?邪魔しな、――!?!?むーっ!?!?!?んぅぅーーっ!!!!!」


 何がとは言わないが深かった。とても深かった。


 これが食物連鎖。

 僕は自然社会の厳しさを目の当たりにした気分だった。


「キスしていいのは、キスされる覚悟のある奴だけ……なんだね」


「どうしたんですか、急に」


「僕も誰かとキスするときは気をつけなきゃなって。……いやそんな機会があるかは分からないけどさ」


 なんだよこの教訓。



☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



 黒河さんはベッドで眠っている。

 道幸は首を絞められ落とされた。

 隠奏さんは四遠先輩の絶技ディープキスで気絶。

 そして四遠先輩は満足してそのまま倒れ込んだ。


 これを死屍累々と呼ばずして何をそう呼ぶのかという話。


 もう終わりだよ終わり。

 僕の知り合いにはロクな奴居ないな。


「みんな眠ってしまいましたね」


「そうだね。何人かは“眠った“と表現していいのか分からないけどね」


 隠奏さんは気絶だし、道幸は永遠に眠らされた感じだし。


 一番の被害者は隠奏さんって説もあるけど、まぁ女の子同士のキスはノーカンってよく言うので、屍に口付けするよりかはマシだったのではと僕は思う。


 ふと横を見ると祈祷さんは小さく欠伸をしており、彼女もまた眠たそうにしているのが分かった。

 周りが眠ったことで部屋が静かになったのが原因だろうか。


「眠いなら祈祷さんも寝たら?あとは僕が完全に酔ったらこの実験も終わりだと思うし。無理に僕に付き合わなくても大丈夫だよ?」


「そう、ですね……。眠いとまでは言いませんけど、少し横になりたいです」


 祈祷さんもまた、酔う、という慣れない感覚に疲労が溜まったのかもしれない。

 僕は祈祷さんの言葉を聞いて、楽に横になれそうな場所を探した。


 この部屋の床は畳っぽい材質であるため、そのまま寝てもそこまで辛くはないけれど、出来れば避けたいところだ。


 そんな風に部屋を見回す中で、黒河さんの眠るベッドが目についた。

 彼女の小柄過ぎる体格もあって、祈祷さん一人が横になるくらいには、十分なスペースが残っているのが分かる。


 僕はその位置を祈祷さんに勧めることに決めて、祈祷さんと再び顔を合わせようとした――のだが。


「――足借りますね」


「!?」


 祈祷さんはいきなり、僕の足を枕にして寝転んだ。

 それは一切の語弊なく、誰が何をどう見ても膝枕だった。


 伸ばした僕の足――ももの上に、祈祷さんの頭が乗っていて、こちらに顔を向けている。

 

 脈略もなく訪れた祈祷さんとの接触に、僕はつい身体を震わせてしまう。


「え、何してるの……?」


「何って……横になっただけですけど」


「ごめんね、実はそれ僕の足なんだ」


「はい、とても良い足ですね。落ち着きます」


 あれ、話が通じない。

 僕なんかで膝枕しちゃってますよー、という注意喚起したつもりだったのに、何故か普通に感想が返ってきた。

 

「ねぇ祈祷さん、多分ベッドで寝た方が楽じゃないかな?」


「大丈夫です」


「僕があんまり大丈夫じゃないんだ」


「……そんなに重いですか?」


「いや重くはないけども……」


 大丈夫じゃないのは精神の方である。


 必死に平静を装ってはいるが、僕の心臓は早鐘のように暴れているし、顔に集まる熱の量は尋常じゃない。


 バクバクと煩いこの心臓の音が、祈祷さんに聞こえていないかと不安で不安で仕方がなかった。


「こ、こういうのは好きな人同士でやるべきだって……」


「なら大丈夫ですよ」


「何が大丈夫なのさ……」


 僕は動揺の波に抵抗しつつ、祈祷さんの顔を見つめてみるが、しかし祈祷さんは普段と変わらぬ表情。


 その視線は何か特定のものを眺めるそれではなく、ただぼんやりと僕の衣服の方へと向いていた。


「…………」


 好きな人の体温を、腿に感じる。


 その長い黒髪は僕の足の上で広がって、ズボン越しにも関わらずくすぐったく思えた。


 あまりの非日常に酔いが合わさってか、頭がぼうっとするのが自分でもなんとなく分かるのだ。


 間違いなく慌てているのに何処か落ち着いている感覚もあって、まるで客観的に自分を見つめているような気分。


「星乃さんの右手、暇そうですね」


 ふと、祈祷さんが声を発した。


 それがどんな意味を込められた言葉なのかをまるで理解出来なかった僕は、静かに続けられる言葉を待つ――


「……私の頭でも撫でていた方が、幾らか有意義では?」


――待ったけど、結局理解は出来なかった。


 どうして僕はそんな恋人みたいな行為を誘われているのだろう。


 酔うと本性が現れる、という話を聞いたことがあるけれど、もしかして祈祷さんには甘えたがりの気質でもあるのだろうか。


 小さい頃に母親に甘えられなかった人は、反動で甘えん坊になりやすいんだっけ、とかややズレたことを僕は思い出す。


 祈祷さんは普段がしっかりとしている分、ギャップが凄い。というかお酒って怖い。


 僕が迷っていると、ジト目で此方を見つめている祈祷さんに気付いた。


「嫌ですか?」


「うっ……」


 嫌な訳がない。

 ただ恥ずかし過ぎるだけだ。


 しかし僕はその瞳に押し込まれるように、もうどうにでもなれ、と祈祷さんの髪に手を伸ばした。


「……んっ」


 僕の手が触れた途端、祈祷さんは猫のように目を細めて頬を緩める。

 くすぐったげに身をよじる様子なんて正にそれだ。


 まるで愛玩動物に向けるような愛おしさを、手の届かない想い人から感じ取る、現実離れした多幸感が僕を包んでいた。


 気づけば祈祷さんは僕のズボンを指先で摘んでいて、それを見た僕は、祈祷さんを抱きしめたくなるような感覚すら覚える。


「…………可愛い」


「……?何か言いました?」


「な、なんでもない」

 

 僕は半ば無意識に溢れた言葉を、慌てて誤魔化す。


 まさか祈祷さん相手に、こんな庇護的な感情を抱く日が来るとは思わなかった。


「……」


「……」


 そのまま静かな時間が流れていく。


 時間感覚なんてものは今の僕には全く残っておらず、それが一瞬だったのか、もしくは数時間だったのかは見当もつかなかった。

 

 また、祈祷さんが口を開いた。


「……星乃さん」


「なに?」


 目を閉じたまま紡がれるその落ち着いた声色に、僕もまた静かに返事をする。


「……どうして私なんかを好きになったんですか?」


「い、いきなりだね」


 何を言われるかを予想していた訳ではなかったが、しかし想定の範囲を大きく超えた位置の質問に、僕はついつい苦笑いを浮かべた。


 何故、僕は祈祷さんを好きになったのか。

 考えたこともなかった。


「……ど、どうしてかな。最初に話したときから凄く惹かれてはいたんだけど、一目惚れって訳でもなくて。――ただ初めて会った気がしなかったんだ」


「……」


「ごめん、変なこと言ってるのは分かるよ」


「……いえ、何となく分かりました」


「そう?……なら良かった、けど」


 正直、今の僕の言葉で何かが伝わるとは思えなかったが。

 余程祈祷さんの察しが良いのか、それとも何か思うことでもあったのか。


 少し驚く僕に、祈祷さんは更に質問を続ける。


「……もしも、です。これはただの例え話なのですが」


「うん」


「私の身体に、別の人の心が入り込んだとして。――それでも私のことを、好きでいられますか?」


「……?」


 意味がよく分からない。


「性格が変わるってこと?」


「いえ……いや間違い、ではありませんけれど」


 やや歯切れの悪い答え方に、僕は一層首を傾げた。

 何を聞かれているのかがイマイチ明瞭ではなく、求められている回答が見えてこない。


 ただそれでも、その問いに対して間違いなく言えることは一つあった。


「……少なくとも今ほど好きにはならない、とは思うよ?見た目と中身、全部合わせて僕は祈祷さんのことが好きなんだから」


「……っ」


「というか心が祈祷さんじゃないなら、それ別人だし。だからいくら見た目が同じでも……あ、いや祈祷さんの容姿がダメって訳じゃないよ!?」


 余計なことを口走った、と僕は焦って弁解。

 これでは祈祷さんの容姿に魅力を感じていない、みたいな発言になってしまう。


 しかしそんな僕を傍目に、祈祷さんは優しげに笑っていた。


「……ふふっ」


「ぼ、僕おかしなこと言った?」


「いえ、別に何も。……ただ気分が落ち着いたので、少し眠ろうかなと」


「え、この膝枕のまま?」


「はい、このままです」


「……うへぇ」


「あ、でもその代わり、私が眠っている間にキスくらいならしても大丈夫ですよ?」


「し、しないよ!」


 からかうような祈祷さんの言葉を、僕は必死で否定する。

 酔っ払いの言葉など、間に受けるものでもないのだ。








「……ハグもキスも、さっさと進めた方が合理的です。――折角好き同士なんですから」


「え?何?」


「おやすみなさい」



☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



「はいお疲れ、実験は終わりだ。どうだ?初めての飲み会は楽しかったかあ痛い痛い痛い俺の首を締め上げるのは止めろ星乃」


 リアルに戻ると同時に、僕は箒君の胸元に掴みかかった。


 コイツが全ての諸悪の根源。

 アレはたかが世界一上手い菓子程度で請け負える仕事ではない。


「ねぇ箒君、分かってたでしょ?箒君、頭良いんだから僕らがああなるの分かってたんでしょ?」


「おおお落ち着け星乃。お前らが酔ってどうなるかなんて、俺にだって分かるわけないだろ?ホントに偶然、不慮の事故だ」


 誤解だからその手を離せ、と説得の言葉を連ねる箒君。


 その言葉を聞いて、僕は確かにと思う。


 各々の酔い方なんて、本人すら知らない謎のステータスである。


 一概に箒君が全部悪いとも断じ切れなかった。


「……そっか、それもそうだね。いきなり掴みかかってごめん――」


「まぁお前らのことだから、どうせ酷いことになるとは思ってスマン冗談だからその拳を仕舞え」


 はっ倒すぞお前。


 僕は悩みに悩んだ末に一度拳を下ろすことにしたが、この恨みは決して忘れないだろう。


「い、いやとにかくだ。お前らのおかげでデータは大分揃った。サンキューな」


「………………酷い目に遭った」


「……ああ。隠奏の被害に関しては俺の想定を遥かに超えてたわ、すまねぇ……。今度、笹木を捕まえるための便利アイテム作るからそれで許してくれ」


「………………許す」


「いや止めろよ箒。マジで」


 理不尽な二次被害を被っている道幸に関しては、もう可哀想としか言えない。


 隠奏さんとの交渉を終えた箒君は、さてと呟きながら僕ら全員を見回し、そして改めて口を開いた。


「……で、なんだがな。最後にやっときたいのが各々の『記憶の確認』だ。こればっかりは観測データだけだと限界があんだよ。それぞれ何処まで覚えているか教えてくれ」


 今回の実験は、VR内で酔った結果、記憶にどこまで影響が及ぶのかを調べるのも実験の一つだと言うことだろう。


 箒君の質問に全員が答えていく。


「僕は最後まで覚えてるよ。リアルに戻る瞬間もちゃんと把握してたし」


「俺は、……言うまでも無いと思うけど、瞳に落とされる瞬間までだ」


「ウチ、全然記憶無いんすよね……。最初の方にめっちゃ美味いケーキ食べたのは覚えてるんすけど……」


「………………嫌な記憶まで」


「ボクは、どこまでだろう……?黒河くんの件は完璧に覚えているのだけど、ハッキリとしたタイミングは分からないね。ただ不思議と何か良いことがあった気がするんだ」


 そして最後に、祈祷さん。


 僕が一番気になっているのは、祈祷さんの記憶だった。

 祈祷さんはハグ発言やらキス発言、果ては膝枕まで実行している。


 正直、祈祷さんのことを考えると忘れていて欲しいのだが――


「私もかなり序盤の方から記憶が無いですね。黒河さんと隠奏さんが暴れ回っていた光景を、薄らと覚えてはいるのですが……」


――無事、忘却の彼方へ飛んでいったらしい。


 僕は心底安心し、安堵の溜息を吐いた。


「……。そうか。じゃあ今回はこれで本当にお終いだ。ありがとな」


 そして僕らは、各々の家路に着くのだった。



☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



 自室に入り、扉を閉めて。


「わわわわわ私はなんてことを……っ!!!!!なんてことを!!!!!」


 祈祷は己だけの空間を作り上げた後、全力で本音をぶちまけた。


「ハ、ハグ!?キス!?一体……っ、一体私は何を口走っているのですか!?!?」


 祈祷は全てを覚えている。


 酔いに流され一叶に対して放った言葉はもちろん、膝枕されたこともハッキリと記憶に残っていた。

 それこそ頬に残る腿の柔らかさや、優しく撫でられた頭部への感触すらも鮮明に。


「ううぅぅぅ!!!もうっ……!もうっ……」


 思い出すだけで顔が熱くなる。

 死にたくなるほどの恥ずかしさ――そしてそれを上回る、圧倒的な幸福感に。


 むしろ、咄嗟に「記憶にない」と嘘を吐けた自分を全力で褒めたい、と祈祷は思う。


「というか、あ、頭……、撫でられた…………」


 祈祷は自分の手で、一叶の手のひらを覚えている部分に触れて、頬を赤らめながら思い出す。


 顔を伏せ、口元を震わせながら、嬉しそうに、思い出す。

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