第26話 僕もまたお姉ちゃんである @1
僕らの学校では教務室の前の壁に、ホログラムポスターを映す。
その内容は部活の勧誘であったり、連絡事項であったりと様々なのだが、とにかく常に何かしらが貼り出されている。
そんな僕らが日常的に見るホログラムポスターであるが、これを壁に映す為に必要となるのは、「データ物理付加端末」と呼ばれる機器だ。
これは判子のような形をしていて、壁やら天井やらに押し付けることで、それらに直接データを埋め込むことが出来る。
ポスターと名乗るだけあって、やはり基本的には長方形。
その長方形における、対角線同士の二つの頂点にデータを埋め込むと、ホログラムのポスターが浮かび上がる仕組みである。
つまり左下の頂点に一つ目を埋め込んだら、もう一つは右上の頂点に。
右下の頂点に一つ目を埋め込んだら、もう一つは左上の頂点に、といった具合。
このとき上部の頂点のどちらかに、必ずデータを埋め込む必要があるのは、誰にでも分かることかと思う。
そして何故、僕が今こんなことを考えているのかと言うと――
「ぐっ、……うぅ……っ!」
――その上部の頂点に向けて、全力で手を伸ばしている少女を見つけたからだった。
とても可哀想なことに、身長が足りていない。
靴を脱いで椅子に乗っているにも関わらず、それでも届かない。
それは「幼女」と呼んでも差し支えない程に、幼い見た目の小柄な女の子であった。
髪の色は赤みを帯びた焦げ茶色で、長く伸びたそれを肩くらいの高さで一つ結びにしている。
全力で背伸びをしているその健気な姿は、僕の胸を締めつけるのに十分な要素を備えていて、助けなきゃという庇護欲が掻き立てられて仕方がない。
彼女の首元に付けられたリボンの色は赤。
つまりは僕の後輩となる、一年生だ。
僕はその少女に近づいて行き、ポスター貼りを代わってあげるべく声をかけた。
「あの……、僕、手伝おうか?」
それは出来るだけ威圧しないようにと、僕なりに優しい雰囲気を心掛けた声色である。
知らない男――それも年上の人間に急に話しかけられたら、大抵の女の子は驚くだろうと僕は思う。
だからこその、配慮だったのだが。
結論から言うと全くの無駄だった。
「――は?なんだお前」
こっわ。
むしろ僕が幼女に威圧された。
喧嘩腰とは違うのだが、僕に話しかけられたこと自体が心底ダルい、といった様子。
椅子の上に立っても尚、僕の顔を見上げる程に体格差があるにも関わらず、一切躊躇なく僕を睨み付けた。
一秒も掛からずに僕は察する。
この子はヤバいタイプだと。
僕は心の中で「あーもう話しかけなきゃ良かったぁぁ……」と後悔の思いに駆られつつ、顔から冷や汗をダラダラと垂らしていた。
相対するは開幕から見知らぬ男にガンつける、とんでもない幼女である。
果たしてこの後、一体何を言われるのかなど想像もつかなかった。
敢えて言葉にしておくが、僕は何も悪いことをしてない。
幼女は両の拳を腰に当てて、僕を下から覗き込む。
「……んん?……って、あんた先輩すか。これ、もしかしてアレすか。ナンパって奴すか。ウチ、手を出すと犯罪になる容姿してる自覚あるんすけど、頭大丈夫すか?」
もぉいきなり切れ味凄いなこの子。
「い、いやナンパではない、です……。困っているかと思って声かけたんだけど、平気なら気にしないでください……」
僕は適度に誤解を解くと同時に、幼女後輩の返事を聞くこともなく踵を返した。
この出会いは無かったことにしよう。
僕らは交わってはいけない存在同士であると、本能が呼びかけてくるのだ。
というか僕は、一刻も早くこの場から退散したい。
しかし背中を見せた僕に対して、逃がさんとばかりに、幼女後輩は言葉を続ける。
「んー……?もしかして先輩――星乃 一叶?」
突然に名前を言い当てられ、僕の身体はビクリと震えた。
僕はこの幼女と顔を合わせたことなど一度も無いため、彼女が僕の名前を知っているのはおかしな話である。
だとすれば、だ。
僕がイケメン先輩として、一年生女子の間で話題になっている――なんて可能性もあるのでは?
もしかして「星乃先輩ってカッコいいよねっ!」とかキャーキャー騒がれてるんじゃないの?
困ったなぁ、僕には祈祷さんという心に決めた人がいるのに。
僕は振り向きながらキメ顔で、幼女後輩に問いかける。
「――何故、僕の名を?」
「いや、教室のど真ん中で告白して爆死した先輩がいるー、っつって結構有名すよ。知らないんすか?」
「知らないわ!!!いつの間に僕の恋愛事情が一年生にまで!?!?誰だマジで拡散した奴……っ!!!」
全然違うじゃねぇかボケ。
というか赤裸々な僕の歴史を、どうして顔も知らぬ後輩たちに伝承されているのか。
さも当然、とばかりに語る幼女後輩の振る舞いを見るに、恐らく一年生の間では常識なのだろう。
死にたい。
「先輩の話は色々聞いてますよ。センコーたちも「そのうちお前らの同級生になるかもしれないから、少し気にしとけ」って言ってました」
「僕そんなにヤバいの!?」
聞きたくなかったカミングアウト。
確かに僕の成績を鑑みるに、然もありなんと思わないこともないが。
「それに昨日なんて――……」
頭を抱える僕に、追い討ちをかける声が聞こえてくる。
昨日、なんだよ。
一体何があったんだ僕に。
続く言葉を、息を呑んで待機する僕だったが。
「…………いや、やっぱなんもないっす」
それは途中で止められた。
「えぇー……。それは気になるよ。聞きたくは無いけど気になるよ」
「なんでもないですってマジで。ウチしつこい人ホント無理なんで」
「あ、そう……」
「つかそもそもウチ、星乃先輩が無理なんで」
「どうして!?」
噂だけで嫌われてんの僕!?
人は第一印象が大事とはよく言うが、これはそれ以前の問題である。
後輩全員に対する好感度マイナスイベントとか、余裕でゲームオーバー案件。
もう別の高校に入り直した方が良いかもしれない。
そんな新たなる人生の転機に思いを馳せ始めた僕に、幼女後輩はお構いなく話しかける。
「まぁそれはそれとして、一応あれっすよね。先輩、ウチのこと助けようとしてたんでしたっけ?」
「え?……うん、そうだね」
今は出来る限り早く、君とお別れしたいけどね、とは言わない。
助けようと思って、声を掛けたのは事実である。
「たは、やっぱそうなんすね。よく言われるんすよ、「あんた見てると庇護欲が止まらない」って。実際便利に使わせて貰ってるんすけども」
「お、おぉ…」
古今東西、世には多くの童顔の女性がいたのだろうが、ここまで
というか多分この少女、己の容姿を武器としか思ってない。
「あーで、先輩に対して無理とか言った直後で恐縮なんすけど、困ってるのはマジなんで助けて貰っていいすか?」
「うん、おっけー……」
もう何でも良いから、さっさと終わらせて教室に戻りたかった。
幼女後輩は、こっちに近づけとばかりに手を招いたので、僕はそれに従い足を進める。
「今この椅子退かすんで、同じとこに立ってください」
その指示の通り僕は、幼女後輩の乗っていた椅子のあった位置――つまりホログラムポスターを貼る壁の目の前に立った。
「はい、そこでストップです」
「……?了解」
何故そんなに立ち位置に拘るのだろう、と僕は不思議に思う。
普通にポスターを貼るための端末を、僕に貸してくれればそれで解決する筈だ。
僕もあまり背の高い方ではないが、それでもポスターの上端は、僕が手を伸ばせば簡単に届く位置である。
幼女後輩が何をしようとしているのかは知らないが、僕が一人で終わらせてしまうのが一番の正解。
僕は端末を借りようと、幼女後輩に手を差し出した。
「ねぇ、それを僕に貸してもらえば――」
「よっと」
「――!?」
しかし僕の言葉を無視し、幼女後輩が跳ねた。
そしてその跳ねた先は。
「……なに、してるの?」
「は?見れば分かるじゃないすか。先輩の肩に乗ってんすよ。――あ、パンツ見ないでくださいね」
僕の、左肩の上だった。
床から僕の肩まで、少なくとも150cmはある筈。
なのに幼女後輩はそこに向けて、ただのジャンプでぴょんと跳び乗ってみせたのだ。
しかも、しゃがみ込むモーションが殆ど無かったことを考えると、かなりの余裕を残しているのは間違いない。
この子、何者?
顔を引きつらせる僕の上で、幼女後輩はポスターを貼る位置を見極めている。
「んっと、……この辺かなぁ」
そしてポンっと端末を壁に押し込み、同時にホログラムポスターが浮かび上がった。
幼女後輩は満足げに頷くと、僕の肩から飛び降りる。
「……はい着地。先輩、なかなか良い安定感でしたよ。土台の才能ありますね」
「そ、そうかな……」
土台の才能ってなんだろう、とつい考えるが、それ以上に僕は幼女後輩の跳躍力に驚いていた。
彼女の身体能力は、幼女が持っていいそれを遥かに凌駕している。
これなら変態不審者に襲われても心配ないね、とポジティブな思考も出来るが、今はそんな話をしているのではない。
これでは幼女後輩ではなく、幼女お化けである。
可愛い見た目の癖に、なんて恐ろしい女の子。
「あの、先輩。その目止めて貰えません?めちゃくそウザイっす」
ごめんなさい。
僕らが一言目を交わした瞬間と同じ、こちらを嫌悪するダルそうな瞳を向けられた。
「ま、どうでも良いっすけどね。……一応、ウチの名前は
「辛辣……」
だから僕、何も悪いことしてないのに。
一体、どれだけ酷い噂が一年生の間に流れているのだろう。
「じゃ、これ以降会わないこと期待してるんで。ありがとうございました」
「どういたしましてー…」
幼女後輩――もとい黒河さんは、容姿に見合った愛らしいお辞儀をして、僕から離れていった。
嵐のような幼女だったな、と思う僕である。
同時に、成績なんとかしなきゃなぁとも考える。
まさか後輩に、「留年最有力候補」として覚えられているとは想像しない。
「また祈祷さんに勉強教えて貰えるかな……」
流石の僕も、留年は嫌だった。
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