第25話 先輩?先輩??
放課後。
その日の授業を終えた僕と道幸は、二人並んで廊下を歩いていた。
窓から射す光は赤く染まっており、日が沈むまでの時間も、そう長くはなさそうに思える。
「ねぇ道幸、この後どこか遊び行かない?」
「ん?いいぞ」
しかし男子高校生二人が揃って、もう暗くなりそうだからお家に帰ろう、なんて話になる筈もなく、僕らは街へ出ることに決めた。
目的地すら考えてはいないが、そんなのはいつものことである。
遊びに行くと確定させてから、テキトーに行き先を見繕うのが、僕らの毎度の流れなのだ。
とはいえ道幸は何か思うことがあるようで、顔をしかめながら口を開く。
「でも遊ぶんなら、もう少し早く学校出ときゃ良かったかもな」
「確かにね」
少し後悔するような道幸の言葉に、僕も同意の声を返した。
僕らは随分と遅くまで話し込んでしまったらしく、既にどのクラスにも人は見当たらず、また話し声も聞こえてこなかった。
殆どの生徒は帰路に就き、残っている生徒も部活か、もしくは電書室で勉強でもしているのだろう。
僕らはそんな静かな廊下を、何処へ行くかを相談しつつ進んでいた。
「……っと?」
しかし突然に、教室の自動ドアの開く音が響いた。
音の方向は僕らのすぐ正面で、目をやると二つ先の教室の扉が開いているのが見える。
その教室のプレートに記された文字は、3-5。
つまりは二年である僕らの、一つ上の先輩たちが使っている教室だった。
勝手に扉が開くはずもないので、誰かが出てくる筈だ――と僕が推測するのも束の間、案の定一人の女子生徒が扉から姿を見せる。
肩にかかる程度の茶色の髪の毛。
軽く片目が隠れる程度に伸びた前髪。
垂れ目がちな穏和な瞳。
その女子生徒を見て僕はふと、何処かで会ったことのあるような、という感覚を覚えた。
しかし僕に三年の知り合いなど居ないので、おそらくは気のせいなのだろう。
どうやら彼女の目的の方向は、僕らと同じであったようで、すぐに
何か考え事をしていたのか、僕らに気付く様子はなかった。
僕は道幸と目を合わせる。
互いにアイコンタクトで伝え合う内容は、「なんか喋りづらいね」的な。
別に僕らは隠れているわけではないのだが、今僕らが声を出すと、驚かせてしまう可能性が高かった。
あの女子生徒が、僕らに気づいていれば話は違うのだが、誰も居ないと思っている廊下で、急に人の声がしたら普通にビビるだろう。
ましてこの時間帯の、薄暗い学校の廊下なんて、少し不気味ですらある。
どうせ一分もせずに彼女とは別れる、と判断した僕らは、その間だけ黙って歩くことにした。
しかし僕らのそんな計らいは、すぐに無駄なものとなる。
「……?」
僕らの前を歩く女子生徒が、一冊の薄い冊子を落としたのだ。
不運なことにその冊子は、落下で音が鳴るだけの重さがなかったようで、彼女はそれを知ることもなく歩き続けてしまった。
つまりは女生徒と僕らの間の床に、ポツンと冊子が置かれる形。
流石に無視するわけにもいかず、落としたことを伝えるか、もしくは代わりに拾ってあげなくてはならない。
僕はその冊子を拾うために近づき、そしてそれを手に取った。
表紙が僕の視界に入る。
『女装男子は俺の奴隷 ♂×♂』
「「…………?」」
見間違いだろうか?
僕らは目を擦って、もう一度確認する。
『女装男子は俺の奴隷 ♂×♂』
「「…………っ!」」
見間違いじゃなかった。
これ
しかもおちん〇んが描かれてる、18禁のめっちゃ過激なタイプ。
どうしよう、これ普通に「落としましたよ」って伝えていいのだろうか?
どう考えても、他人に見られたくない類の一冊ではないのか?
横を見ると、道幸も対応を決めあぐねている。
そりゃそうだよな。
だっておち〇ちん見えてるもんな。
こんなの「お〇んちん落としましたよ」と伝えるのと、何ら変わりない難易度である。
そうして僕らが無言で18禁BL本を眺めていると、ふと目の前を歩く女子生徒が立ち止まった。
「おや……?」
彼女は
今は真下を探しているだけだが、すぐに振り向いて後ろを確認するのは想像に難くない。
これは僕らが見つかるのも時間の問題だ、と判断した僕は、ヤケクソながらも声を掛けることにする。
「先輩、何か落としましたよ。僕ってば物凄い遠視で内容は全く分からないんですけど、とにかく何かの冊子です」
「い、いやそれは無理があんだろ一叶……っ」
僕は機転を利かせて「なんだろー?なにこれー?」的な雰囲気で、先輩女子に冊子の存在を伝えた。
先輩女子は僕らを見て、一瞬驚いたような表情を浮かべるが、僕が手に持つ物に気が付くと、それは苦笑いに変わった。
そしてそのまま、歩いて近づいてくる。
「ふふ、ボクとしたことが。恥ずかしい物を見られてしまったね」
それは彼女の言葉の通り、少し恥ずかしがりながらの発言だった。
恐ろしいのは、その恥ずかしがり具合が「少し」であること。
常人なら逃げ出してもおかしくないこの状況で、「少し」恥ずかしがるだけとか、メンタルがどうかしている。
実際もし僕が、知らない女子に性癖丸出しのエロ本を見られたら、余裕で発狂すると思う。
何者だこの人……、と恐々としながら、僕はBL本を手渡した。
「ど、どうぞ……」
「うん、ありがとう。見苦しいものを申し訳ないね」
しかもそれどころか、僕らに対して優しく微笑んでいる。
この局面で僕らを気遣う、圧倒的な余裕。
僕はこの人から、王者の風格って奴を感じてしまった。
カッコいい。
「一叶、お前が何を考えてるのかは知らないが、この場面でその表情は確実に間違えてるぞ」
「うるさい」
道幸の不必要な指摘に対し、僕は辛辣に返す。
先輩はそんな僕ら二人に、静かに視線を送っていたのだが、ふと何かを思いついたような目をすると、僕らに問いかけてくる。
「キミたちは、二人とも二年生かな?」
それは学年について。
僕らの学校の制服は、学年ごとにネクタイ、もしくはリボンの色が違う。
一年生は赤、二年生は青、三年生は緑、といった具合に。
だからこの学校の生徒同士は、一目で相手の学年を判断することが出来るのだ。
おそらく目の前の先輩も、僕らのネクタイが青色であるのを見て、学年を把握したのだろう。
「はい、僕らは二年です。クラスも同じです」
隠すことでもない――というか見れば分かる情報なので、僕はそのまま正直に話した。
クラスについては、流れで口から出ただけだが。
「………。うん、ボクは見ての通り三年だ。まぁこの緑色のリボンで、すぐに分かるとは思うけれど」
先輩は首元のリボンを摘んで、僕らに見せてくる。
その拍子に彼女の大きな胸に手が当たり、ポヨンと揺れるのが非常に目の毒ではあったが、僕は鋼の意思で目を逸らした。
「それと、もし迷惑でなければ二人の名前を教えて貰えないだろうか?落としただけとはいえ、二人はこの本の恩人だ。是非覚えておきたい」
続けて、質問。
恩人だなんて大袈裟ではあるが、名前を教えるくらい安いものだ。
「僕は星乃 一叶って言います」
「笹木 道幸です」
僕らが名乗ると、先輩は頷いた。
「そうか。一叶くんと道幸くん。……うん、覚えた。ボクは
「はい、こちらこそよろしくお願いします。四遠先輩」
「よろしくお願いします」
僕らは四遠先輩の言葉に、そう返事をする。
しかし正直に言うのであれば、僕はこの衝撃的過ぎる出会いから、よろしくされるとは想像していなかった。
こんなの普通の人ならば、僕らと二度と出会わないことを願う類のアクシデントである。
事実、僕は四遠先輩の顔を見たら、まず初めに『女装男子は俺の奴隷 ♂×♂』が頭に浮かぶし、きっとこの先も僕の中では、四遠先輩と『女装男子は俺の奴隷 ♂×♂』は切っても切れない関係であり続ける筈だ。
こんな僕らとよろしくするとか、どう考えても正気の沙汰ではない。
とはいえ、それを決めるのは僕らではなく四遠先輩。
四遠先輩が僕らとよろしく出来るのなら、此方から断る理由はなかった。
「――ときに、一叶くん」
と、ふと四遠先輩に話しかけられる。
「なんですか?」
僕はその呼び声を聞いて、四遠先輩の目を見つめた。
僕ら二人ではなく、僕だけに向けられた言葉に少し驚くが、何を言われるのかと大人しく待つ。
そして四遠先輩の口から飛び出た言葉は――
「――キミ、女装には興味無いかな?」
「無いです」
それは僕の想定の、遥か埒外のものだった。
女装?何故?
そんなのカナエで十分だし、リアルでやるとか恥ずかしすぎる。
僕は条件反射的に声が出てしまった為に、回答までの時間はおそらく0.2秒を下回っていた。
「……そうか。一叶くんなら似合うと思ったのだけれど」
「う、嬉しくはないですね……」
残念そうに呟く四遠先輩の言葉に対して、僕も残念そうに呟く。
四遠先輩って変わった人だなぁ、と言葉に困る僕だった。
そんな僕の肩に、突如触れられる感触が走った。
見ると道幸が手を乗せていると気付く。
それは身体を一歩前に出して、四遠先輩に話しかける姿勢。
「すみません、四遠先輩。実は俺らこの後、遊び行くつもりで。この辺で失礼しても大丈夫っすかね」
え、お前そんなに僕と遊ぶの楽しみにしてたん?と僕はびっくり仰天。
てっきり暇つぶし程度の感覚なのかと思っていた。
ふふん、友人に好かれるというのも悪くない気分である。
四遠先輩はそんな道幸の姿に、何故か目を見開いて
「そうか、それは邪魔をしてしまったね。ならボクはこの辺で失礼しよう。また今度、話に付き合ってくれると嬉しい。――では」
そう言うと四遠先輩は、さっきまで歩いていたのとは、逆方向へ消えていった。
僕と道幸の二人だけが残される。
そして僕らの間には沈黙が生まれ――そうな雰囲気が一瞬流れるが、そうはならないのである。
何故なら僕が話しかけるから。道幸に。嬉々として。
「もう道幸ってば、そんなに僕と一緒に遊ぶのが好きだったんだね……っ!」
「は?な訳あるか」
は?じゃねぇよ。
僕の純情返せよ。
はっ倒すぞ。
僕の怒りもなんのその、道幸は気にせず言葉を続ける。
「……あの先輩、なんかヤバい感じすんだよ。いや良い人ではあると思うんだけどな、なんつーか……隠奏瞳っぽいヤバさというか」
「んー……?僕は分からなかったね。気のせいじゃないの?」
「……だと良いな」
複雑そうな道幸だった。
「まぁとりあえず学校から出ようよ」
「だな」
そうして僕らは結局、「
しかしその間ずっと、僕は何者かの視線を感じていた。
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